29.ピンクの初恋
樹くんの買い物にくっついて行った日の夜のこと。
結局あの後は、あまり長居はせずに寮に戻ってきて、解散することとなった。
お風呂上がり、樹くんがくれた化粧水のサンプルを使ってみることにした。
包装紙を破かないように丁寧に開けると、ピンク色のかわいらしいパッケージの小袋がたくさん入っている。
なになに⋯⋯
クレンジングに、洗顔に、化粧水、美容液、クリームに、日焼け止めまで。
しかも化粧水に至っては、しっとりタイプとさっぱりタイプの二つも入っている。
同じ物が三セット入っているから、つまり3日分ということだ。
それに加えて口紅とアイシャドウのサンプルまで入っている。
これが樹くんが言っていた、購入者特典なのだろうか。
とりあえず本来の目的だった化粧水などの保湿系を使って、その日は寝ることにした。
翌朝、半分寝ぼけた状態で洗面所にたどり着き、鏡を見たことで、一気に目が覚めた。
「え!? これが私!?」
鏡の中の桜坂小春は、確かにアップデートされていた。
自然派という言葉を盾に、何も手入れしてこなかったお肌が、まるで磨き上げられた珠のように光っている。
人差し指で肌を押してみると、指で押された周囲の肌が光を反射して輝いた。
これぞまさにツヤ肌リング。
ヴェルヴェルのCMとおんなじだ。
「これは、すごいことになったぞ!」
この肌を、あのお方にご確認いただくため、大急ぎで支度をして、部屋を飛び出した。
六連星の作戦会議室に入ると、まだ誰も来ていない様子だった。
さすがに早すぎたかな。
時間はたっぷりあるので、更衣室で訓練用の戦闘服に着替えて、ソファで寛ぐ。
「おはよ。早いね」
待ちくたびれた頃、扉が開いて入って来たのは樹くんだった。
ちょっと寝不足なのかな?
少し眠そうに見えるけど、この時を待ちわびていた私は、大慌てで立ち上がり、一気に距離を詰めた。
「樹先生! 昨日はありがとうございました! こちら、いかがでしょうか!?」
ほっぺたを見せつけるように、指でつんつんしてアピールする。
樹くんはゆっくりと、私の方を振り返った。
「へぇ、見違えた。いいじゃん。これからも使えば? 本格始動したら、ますます写真を撮られる機会も増えるんだし」
樹くんは私の頬に手を添えるようにして、顔をぐっと近づけてきた。
真剣な表情で、色々な角度からじっくりと観察される。
見てくれとは言ったものの、そんな間近で見つめなくっても⋯⋯
なんかいま、胸の奥が『トゥンク』って言ったような。
樹くんって、こんなに背が高かったっけ?
それに、こんなにかっこよかったかな?
「肌が透き通ってるから、赤くなるとすぐに分かるね」
樹くんはいつかの私みたいなセリフを言った。
口元が少しニヤけている。
⋯⋯⋯⋯からかわれた!
「ちょっと! そんな近くで見られたら恥ずかしいに決まってるじゃん! 例えそれが、昨日お店にいた、ビューティーアドバイザーのお姉さんだったとしても!」
「やっと自分がこの前、俺に何をしたか自覚できた? これに懲りたら軽率な行動は慎む事だね」
「うっ⋯⋯むぅ」
ぐうの音も出ず、口をつぐむことしか出来ない。
樹くんは、そんな私を勝ち誇ったような目で見下ろしてくる。
睨み合いが続く中、今度は光輝くんが部屋に入ってきた。
「何? 自分ら、朝っぱらから喧嘩〜?」
光輝くんは私たち二人を見て笑ったあと、すすすとこちらに近づいて来た。
自然な流れで肩に手を置かれ、耳元で囁かれる。
「今日の小春ちゃん、いつも以上にかわいい。もしかして、恋?」
光輝くんはそう言い終わると、顔を離してニッと笑った。
光輝くんも気づくくらい効果があるんだ。
それは嬉しいんだけど、なぜに⋯⋯恋?
「え? いえいえ! これには、しかけがありましてですね。実は昨日、樹先生と〜⋯⋯むぐっ」
化粧水を使ってみた話をしようと思っただけなのに、何故か樹くんは私の口を塞いだ。
「駅前で化粧水のサンプルを配ってたから、小春ちゃんにあげたって話。目に見える効果があって良かったね。着替え終わってんなら、さっさと訓練に行けば?」
ずんずんとドアの方に追いやられ、とうとう部屋から閉め出されてしまった。
そんなこんなで、午前中の訓練をこなし、お昼ごはんを食べるために六人で食堂に向かった。
各々の食事をお盆に乗せて着席したところで、陽太さんが口を開いた。
「明日は、護城市の広報誌のインタビューが入っているのはみんな知っているな? あちらとしては、地域を盛り上げて、転入者を増やしたい意図がある。一方、防衛隊としては、地域住民の安全をアピールし、組織への信頼をより強固なものにしたいという考えだ。質問に回答する際には意識して欲しい」
陽太さんは、一人一人の顔を見ながら頷いた。
「広報誌のインタビューは例年、発足前の6月上旬と年始号の2回行われる。明日の記事は、来年度の入隊者の募集にも少なからず影響するだろう。入隊者が増えればアトモも、護城市もWin-Winだ」
冬夜さんのお話によると、入隊者――特に他の市町村からの転入者が増えれば、国から護城市に支払われる『危険指定区域保全手当』が人数に応じて増えるので、市は財源を確保できるとのこと。
さらに、市民たちが市内のお店等で物を購入するなど、消費活動が活発化するので、嬉しい効果があるのだとか。
「そう言えば、みなさんはどうして防衛隊に入ったんですか? 海星くん以外は、護城市に転入されたということですもんね」
昨日も思ったけど、みんなどういう理由で防衛隊を目指したんだろう。
ここ、殿宮県以外でもエイリアンの出没はゼロではないものの、遠く離れた地域の人からすれば、この場所は、わざわざ近づきたくない災いの元なはずだ。
観光気分でUFOを見に来る人がいる一方で、殿宮がやられたら、次は自分の街だと危機感を持つ人も多いだろうけど⋯⋯
「僕は小春くんと同じで、幼稚園の頃からヒーローに憧れていたからだ! もし、UFOがいない平和な時代に生まれたとしても、国民を守るために、軍に入っていたと思う!」
陽太さんはお箸を持っていない左手で拳を作って、前に突き出した。
「俺も俺も〜! 城西でも、アトモも六連星も大人気やったし!」
光輝くんもヒーローに憧れた組なんだ。
このお方も十歳の時に入隊したそうだけど、新幹線で移動しなきゃいけない距離なのに、よく親も許してくれたなぁ。
「俺はヒーロー活動に興味があったのもそうだが、保護者に楽をさせたいというのが大きかった。家は祖母が一人で俺を育ててくれたから。お陰で今では十分な仕送りが出来ている」
冬夜さんは幼い頃に、両親を事故で亡くしたって言ってた。
それで、自分を育ててくれたお祖母さんへの恩返しのために入隊したんだ。
「⋯⋯⋯⋯父親の方針」
海星くんは、ぼそっとつぶやいた。
「そうなんだ。お父さんもアトモの関係者ってこと?」
私の質問に海星くんは首を振った。
「⋯⋯⋯⋯あっちの国では⋯⋯⋯⋯十歳で⋯⋯⋯⋯兵士になる」
そうか。海星くんのお父さんの出身国では、戦が激しいんだ。
彼はその国には行ったことが無いと言ったけど、彼の戦闘中の動きとか、殺気の強さとか、他の隊員とはまた違うオーラのルーツを垣間見たような気がする。
けど、双子の弟さんは、防衛隊には入らなかったのかな?
「俺は調べたいことがあって」
最後に順番が回ってきた樹くんは、一言そう言ったあと、スプーンでチョップドサラダをすくって、口に入れた。
「調べたいこと? 研究ってこと?」
十歳の少年が防衛隊組織に入って、調べたいこととはいったい何なのか。
エイリアンの生態や謎の鉱石デザライト、神秘のディア能力について知りたいのなら、レンジャー部ではなくて、研究部に異動した方が環境が整ってそうだけど。
「樹は命の恩人のお姉さんに会いに来たんやんな? 初恋の!」
光輝くんは樹くんの背中をバシッと叩いた。
「ゴホッ、ちょっと! 人がごはん食べてる時に叩かないでよ!」
食べ物が気管に入ってしまったのか、樹くんは咳き込む。
光輝くんはその様子を見て、慌ててテーブルに手をついて、頭を下げている。
「⋯⋯⋯⋯小一の頃、地元でエイリアンが出た時に助けてもらったの。それで」
樹くんは光輝くんの発言内容自体は否定しなかった。
そっか、樹くんには憧れのお姉さんがいたんだ。
その人に会いに来るために、十歳から防衛隊に入った。
そのお方が樹くんの初恋相手⋯⋯
私には経験がない感情を樹くんはもう知ってるんだ。
そのことに何故か一瞬胸が痛んで、一人だけ取り残されたような気分になる。
「そうだったんだ! そのお姉さん、めちゃくちゃかっこいいね!」
胸のモヤモヤをごまかすために、努めて明るく振る舞う。
けど、樹くんが最初に『調べたいことがある』と言っていたことは、すっかり頭から抜け落ちてしまっていた。




