28.美容男子
樹くんのプライベートについて知りたくなった私は、休日の午前中から樹くんの寮の部屋を訪ね、シートマスクお化けに驚かされたあと、手料理までご馳走になった。
そして、何より印象的なのが、あの破壊力抜群の笑顔を間近で見てしまったこと。
普段からその顔をしてと言ってしまったのはこちらだけど、言葉を失うほどの攻撃力とは、恐ろしいポテンシャルを秘めている。
そして今は、樹くんの買い物に付き合っているところだ。
電車に揺られ、殿宮県随一の有名デパートにやって来た。
全体的にお高いお店が多くて、入店するのも敷居が高い。
高校生の二人組なんて浮いてしまうのでは?
樹くんはそんな事はお構い無しに、ずんずんと店内を突き進んでいく。
「ちょうど化粧水が切れるところだったから。通販で買うと、お店のロゴがデカデカと箱に書いてあるから嫌なんだよね」
樹くんは怠そうに言ったあと、デパコスコーナーに侵入した。
こんな場所、来たことないのに、まさか男子高校生のお買い物の付き添いで訪れることになるとは。
「俺がいつも使ってるの、ここのやつ」
たどり着いたのは有名ブランド『ヴェール×リヴィエール』だ。
化粧品に無頓着な私でも聞いたことがある。
ヴェルヴェルの愛称で親しまれた、芸能人も愛用しているブランドだ。
女性用と思われる化粧品がずらりと並ぶ中、一角には、黒っぽいディスプレイラックが置かれていて、ピーコックブルーのボトルが並んでいる。
樹くんは慣れた様子で商品を選んでいく。
「シートマスクもここのブランドのを使ってるから。女の子用のは詳しくないけど、小春ちゃんも興味があれば買って帰れば? お給料出たんでしょ?」
樹くんは元々買うものを決めていたらしく、すぐにお会計に行ってしまった。
どれどれ。女性用コーナーの中で、若年層向けのラインはこれか⋯⋯あっ、このピンクのボトルかわいい!
金色のフタがいいアクセントになっている。
しかしやはりここはデパートだ。
値札を見て目玉が飛び出しそうになる。
え! こんなちっこいボトルが二万円!
これは使うのが、もったいなさ過ぎるパターンのやつだ。
樹くんの言う通り、確かにお給料は振り込まれていた。
給食部のお給料だけでもすごいのに、レンジャー部に異動してからは、破格の危険手当と討伐数手当がつけられていた。
買おうと思えば買えるよ?
でも、ちょっと躊躇してしまう⋯⋯
樹くんはというと、大人顔負けの堂々とした様子で購入手続きをしている。
常連さんだからか、店員のお姉さんもペコペコしている。
それに対して、樹くんもぺこりと頭を下げ、お会計をあとにした。
「小春ちゃんは買わないの?」
樹くんは購入したものを、そそくさとリュックにしまいながら言う。
「うん。化粧水デビューには、ちょっとハードルが高いというか、果たして自分の肌にそれだけの価値があるのかって、尻込みしちゃったと言うか⋯⋯」
あれだけ騒いで連れてきてもらったのに、呆れられちゃうかな。
「そ。じゃあサンプルだけでももらって帰れば? 商品を購入した人しか貰えないやつもあるから」
樹くんは回れ右をして、再びお姉さんに話しかけた。
お姉さんは奥のカウンターから箱を取り出して、いくつかのサンプルを丁寧に包装紙に包んでくれたみたい。
「ほら」
樹くんがもらってくれたサンプルは、花がらの紙に包まれていて、リボンシールまで貼られている。
「ありがとう! 帰ったら早速使ってみる! 肌に合いそうだったら、ちゃんと買いに来る!」
笑顔でサンプルを受け取ると、樹くんは安心したように頷いた。
その後は、デパートのテラスにあるベンチに座り、近くのジューススタンドで買ったスムージーを飲みながら休憩することにした。
「ねぇ、樹くんはどうやってヴェルヴェルにたどり着いたの? 他にもいくつか試してみた? どうしてそこまでお手入れしてみようって思ったの?」
樹くんは、前のめりになって食い気味に質問する私から距離を取るように、一度お尻を浮かせて座り直した。
「肌の手入れをしてるのは、絶対に今期の六連星に入りたかったから。戦闘能力だけじゃなくって、見た目も評価基準に入ってるっていうのは、公然の秘密でしょ? だから、出来る限りの事をやりたくって」
樹くんはオレンジのスムージーをチューチュー吸いながら語ってくれた。
「実は、うちの両親がヴェルヴェルで働いてるからって、最初は何となく避けてたんだよね。けど、米谷さんがここの化粧水使ってるって言うから。ほら、あの人、異様に肌が綺麗でしょ? それで参考にしたってわけ。あとは海星も肌が綺麗だよね。何もしてないってのが信じられないくらい」
驚いたことに、樹くんのお父さんとお母さんは、ヴェルヴェルの社員さんなんだ。
樹くんのご両親なら、きっと美しいお顔立ちなんだろうな。
海星くんはともかく、米谷さんのお肌事情は正直気が付かなかったな。
来月また採血と変な検査をされるみたいだし、要チェックだ。
「小春ちゃんってさぁ、距離感近いし、暑苦しいし、本来ならうっとおしいタイプの人間のはずなんだけどさ。何故かそこまで嫌じゃなくって不思議だったんだよね。その理由を自分なりに考えてみたんだけど、今日、やっと答えが見つかった気がする」
樹くんは突然、真剣な表情になった。
こちらに身体を向けて、かしこまったみたいに姿勢を正す。
なんだろう。結構ひどいことを言われた気がするけど、褒められたような錯覚を起こす。
私も背筋をピンと伸ばして、樹くんの話に耳を傾ける。
「小春ちゃんは、俺の大切な⋯⋯⋯⋯」
そこでもったいつけられるので、固唾をのんで、次の言葉を待つ。
「実家で飼ってるゴールデンレトリバーに似てるんだよね。ウィルって言うんだけど」
樹くんはスマホの待ち受け画面を見せてくれた。
そこには一匹のゴールデンレトリバーが賢そうな顔をして、噴水の前に座っている姿が写っていた。
ツヤツヤな毛に、潤んだ黒い瞳、ピンクの舌を見せて嬉しそうにしている。
ドッグランの飼い主説は、いい線行ってたんだ。
「かわいいね、ウィル! いい名前! 何歳? オス? メス? いつから飼ってるの?」
「ウィルはオス。俺が八歳の頃、子犬の状態で家に来たんだよね。だから今は九歳くらい? うちの実家、千蔵にあるから、頻繁には会いに行けないけど、たまに帰省するとすっごい喜んでくれる」
「そう! 仲良しなんだ! ってか、樹くんて殿宮の人じゃないんだね。千蔵県ってどんなとこ? 私、殿宮から一歩も出たことないから、外のことはなんにも知らなくって!」
秋人が入院しているから、他県に出るなんて一度もしたことがなかった。
遠足も修学旅行も、近場の時にしか参加を許してもらえなかったんだよね。
樹くんは隣の県である千蔵を十歳の時に離れたんだ。
生まれ育った場所を離れてまで、どうしてこんな危ない街に来て、防衛隊に入ったんだろう。
「六連星で殿宮出身なのは、小春ちゃんと海星だけじゃないかな。千蔵も別に大した場所じゃないけどね。まぁ、海は結構おすすめかも」
樹くんはそう言って、飲み終わったジュースのカップを近くのゴミ箱にポイッと投げ入れた。
「そっか、海か⋯⋯いいなぁ。行ってみたいな。じゃあ、樹くんは本物の太陽とか月とか、星とか見たことあるんだ。UFOの明かりじゃなくって」
ここから空を見上げると、UFOは変わらずそこにあった。
私には到底、理解出来ない理由と原理でそこに浮かんでいて、太陽の代わりに私たちを照らしている。
夜になったら明かりを消して、私たちに閉塞感を与えながら、暗い空にどんよりと浮かび続ける。
幼稚園児の頃は、あのUFOが落っこちて来たらどうしようって、毎晩一人で泣いてたっけ。
そんな時、私に勇気をくれたのが、他でもない六連星だ。
「本物の空、見てみたいなぁ。みんなにも見せてあげたいなぁ」
感傷に浸りながらぼそっと呟くと、樹くんは勇気づけるみたいに肩に手を置いてくれた。




