27.化粧水パシャパシャ
その後、樹くんとの約束を取り付けて、二人で訓練に行った。
そして、もうそろそろ帰ろうかという時のこと。
「ほんとに明日来んの? 何時に来んの? 化粧水塗ってるところ見たら帰るの?」
樹くんは心底嫌そうな顔をしながら私のことを睨みつけてくる。
けど、その顔はたくさん動いた後だからなのか、真っ赤に染まっている。
「うん! 樹くんの暮らしぶりを教えてよ! もし明日出かける用事があるなら、くっついていく! いやなら帰るけど⋯⋯だめ⋯⋯?」
先日の撮影で身につけた、上目遣いスキルで甘えてみる。
「はぁ⋯⋯」
右手をおでこに当てて、頭を振る樹くん。
「分かった。じゃあ、10時集合ね。一秒でも遅れたら開けないから」
樹くんはぶっきらぼうに言い捨てて、訓練場を出ていこうとする。
「分かった! 10時ね! 約束だよ!」
足早に過ぎ去る背中に向かって、叫んだのだった。
翌朝。9時57分頃。
私は樹くんのお部屋の前の廊下で待機していた。
お宅訪問は早すぎても遅すぎても失礼にあたると聞く。
ここは10時ピッタリにインターホンを押すべきシチュエーションだ。
この部屋に来たのは、私がまだ給食部にいた頃、樹くんが風邪で寝込んでるところに、お粥を届けたあの日以来。
オフの日の樹くんって、どんな感じなんだろう。
風邪を引いてたあの日はジャージ姿だったよね。
今日もそうなのかな?
目覚ましは何時にかけるんだろう。
そんなことを考えていると、内側から鍵が開く音がした。
いよいよ、オフの樹くんとご対面。
しかし、扉の隙間から顔を出した彼は想像していたのとは、全く違った姿で⋯⋯顔の上に真っ白な仮面のようなものを被っていた。
「わぁ! びっくりした! シートマスクつけてる!?」
確かに肌のお手入れをどうやってるのか教えて欲しいとは言ったものの、まさか、そんなものを顔に貼りつけたままドアを開けるなんて、夢にも思ってなかったから。
驚きのあまり、一瞬、心臓が飛び出しそうになった。
「ははっ! 今の小春ちゃんのリアクション、最高」
樹くんはイタズラが成功した子どもみたいに、嬉しそうに笑ったあと、満足したのかドアを閉めた。
「ちょっと! 今ので今日の面会終わり?」
インターホンを連打すると、樹くんは再びドアを開けてくれた。
「今ので終わりのつもりだったんだけど。まぁいいや。どうぞ、散らかってるけど」
そこに座ってと、ダイニングテーブルを指さされ、椅子に腰掛ける。
樹くんはシートマスクを顔に貼り付けたまま、奥の部屋のソファに寝転がった。
服装はグレーのTシャツに、ネイビーのズボンのジャージ姿だ。
「あの⋯⋯散らかってるどころか、整いすぎてるんですけど」
これが一人暮らしの男子高校生の部屋と聞いて、誰が信じると言うのか。
「十歳の時から寮生活をしてるからね。当時は四人部屋だったけど。時々抜き打ち監査があるから、小春ちゃんも片付けといた方がいいよ?」
「そうか。十歳からか⋯⋯って、え! 監査とか初耳なんだけど! 散らかってたら怒られるの?」
「ゴミ溜めみたいになってなければ、基本は大丈夫らしいけど。ほこりが溜まってたり、物が多すぎたりすると、火事の原因にもなるからって。良くて没収。悪くて退去だね」
樹くんは自分には無関係なことだからと、あっさり言ってのける。
私の寮の部屋は、ヒーローグッズに溢れた天国だけど、見る人が見るとゴチャついているかもしれない。
あんまり物を増やしすぎないようにしよう⋯⋯
「ところでさぁ、もしかしてなんだけど、樹くんってお料理も出来るの? まさか、この激狭キッチンで自炊してるの!?」
キッチンの壁には、片手鍋やフライパンがぶら下がっていて、電磁調理器の上にも、小ぶりな両手鍋がちょこんと置かれている。
「身体が資本だからね。肺炎になったあの日は、さすがにお粥を頼んだけど、普段は自分で作ってる。それ、食べてもいいよ」
樹くんは、両手鍋を指さしたあと、洗面所に消えて行った。
「え! いいの? ではちょっと失礼します!」
お鍋の蓋を開けると、出来たてなのか、ほわっと湯気が上がって、コンソメのいい香りが漂ってきた。
具材はキャベツ、鶏肉、にんじん、かぼちゃ、ブロッコリーで、スープは黄色く透き通っている。
「美味しそう! 本当に食べてもいいの?」
洗面所の方を振り返ると、シートマスクを外して、ぷるツヤゆで卵肌になった樹くんが立っていた。
「あ! 私が見てない隙に剥がしちゃったの? けど、すごい保湿されてるね! どこの商品? 何分くらい貼ったらいいの?」
どの角度から見ても肌が輝いている。
これを生活に取り入れば、女子力爆上がりしそう。
「剥がすところ見たって仕方ないでしょ? 貼ってる時間は十分くらいかな。あんまり長いこと貼ってると、今度は顔の水分をシートに取られちゃうから」
樹くんは、慣れた手つきでスープをお椀によそってくれた。
「どうぞ」
一人用のダイニングテーブルにつくと、コトンと目の前にお椀が置かれる。
内側は白、外側はオレンジの可愛らしい色使いの食器が、ますますスープの魅力を引き立てている。
樹くんは奥の部屋から折りたたみチェアを持って来て、斜め向かい側に座った。
スプーンも借りて、いざ。
「いただきます」
手を合わせたあと、スプーンで一口すくって口に運ぶ。
「ん〜! 美味しい! 野菜の旨味&甘味を感じる! 樹くん天才だね! 毎日食べたいくらい! 私もいつか⋯⋯こんな料理を⋯⋯⋯⋯」
作れたら良いなって言おうと思ったのに。
樹くんの顔を見た瞬間、言葉を失ってしまった。
頬杖をつきながら、私を見つめる表情は、機関誌に載っていたあの時のものとそっくりで⋯⋯
「そう。じゃあ作った甲斐があったかな」
樹くんは優しく微笑みかけてくれた。




