110.番外編 君の誕生日②
六連星のみんなとの飲み会の後、酔っ払っていて危険とみなされた私は、樹くんのマンションに泊まることにした。
樹くんのお家は基地から徒歩圏内にある、ファミリー層向けの高級マンションだ。
エントランスは暖色の明かりに照らされていて、グランドピアノが置かれている。
ロープで四方を囲まれているから、残念ながら弾けないみたいだけど。
「樹くん、ピアノとバイオリンもできるんでしょ? 聴いてみた〜い〜」
腕に抱きついて甘えると、徐々に口元が緩んでいくのが分かる。
「はいはい。そのうちね」
言葉では面倒くさい酔っ払いをあしらうようだけど、向けられた眼差しは優しいものだった。
「お邪魔します〜」
玄関の扉を開けてもらい中に入ると、樹くんは寝室のクローゼットから、私のお泊りセットが入ったバッグを取り出して渡してくれた。
このバッグの中にパジャマや下着、歯ブラシセットなんかが入っていて、いつでも泊まれるように置いてもらえてるんだよね。
お風呂の準備もしてもらい、シャワーを浴びた後、広めの浴槽に脚を伸ばしてチャポンと浸かる。
「あ゛ぁ〜最高〜」
寮のお風呂では立ったままシャワーを浴びるのが基本で、お湯を溜めたとしても、脚は伸ばせないから。
「会話が止まったら、沈んでるとみなして開けるからね」
樹くんは洗面所で洗濯物を畳んだりしているのだろうか。
すりガラスのドア越しに話しかけてくれる。
「わかった! じゃあ、何か話し続けないと! それとも歌でも歌っちゃおうか!」
一番風呂を譲った上に、よく響く浴室で音痴の歌まで聞かさせられる樹くんを思うと気の毒か。
いつもなら何かツッコミを入れてくれるはずの彼は沈黙している。
これって、樹くんのターンでシーンとしちゃった場合でも開けられちゃうのかな?
そんなしょうもない事を考えられるくらい、たっぷりの沈黙の後、ようやく樹くんは口を開いた。
「小春ちゃん、あのさぁ。さっきの光輝くんの話なんだけど⋯⋯」
作業が終わったのか、扉にもたれる樹くんの背中がすりガラス越しに見える。
「光輝くんの話? なんだろう。あの方、ずっと話してたからなぁ」
光輝くん発信の話題はどれだったか。
多すぎて思い出すのにも一苦労だ。
「ほら、その⋯⋯結婚の話とか」
樹くんの声は、なんだか気まずそうに聞こえた。
「あー⋯⋯」
結婚しないのかとの光輝くんの問いに、今はちょっとと答えた樹くん。
あの時感じた切なさが再び思い起こされて胸を締め付ける。
「ほんと、光輝くんにはびっくりさせられるよね! 私たちまだまだ若造なのに! 樹くんだって全然考えてなかったでしょ!?」
やだやだ。
ちょっとショックだったとか。
寂しかったとか悟られたくない。
男性は、女性からの結婚したい圧を怖いほどに感じると逃げてしまうと聞く。
ここは、私、そんな事全然考えてませんでした☆という空気を醸し出すべきシチュエーションだ。
「いや、俺は小春ちゃんと結婚したいって思ってる」
真剣なトーンで語られた言葉に耳を疑う。
やった! そうだったんだ! と飛び上がりたいくらい嬉しい。
けど、私、今、スッポンポンだよ?
樹くんは今、どんな表情をしてる?
思考が停止して言葉が出てこないけど、それだと沈んでいるとみなされて扉を開けられてしまうから、パシャパシャと水音を立ててみる。
「こんな時にこの話をしたのは、光輝くんに言われたからとかじゃなくって。実はずっと前から準備してたんだよね。今度の小春ちゃんの誕生日に伝えようと思ってて⋯⋯」
⋯⋯まさかまさかの突然のプロポーズ予告!?
「え? 樹くん、どうしちゃったの? 実は私よりも酔ってるとか?」
樹くんともあろうお方が、サプライズを自ら無に帰す選択をするなんて、とてもじゃないけど正気の沙汰とは思えない。
「それなりに酔ってるけど、小春ちゃんほどじゃないから。俺が話を濁した瞬間の小春ちゃんの表情が気になっちゃって。飲み過ぎたのは、そのせいだったら申し訳ないなと思って。けど、それは自意識過剰だったかも」
確かに。あの話の直後からお酒を頼むペースが上がったような気がする。
樹くんは私の無意識の行動に気づいて、傷ついてるんじゃないかって心配してくれたんだ。
前々から準備してくれていたというサプライズまで、あと10日足らずなんだから、黙っておく選択肢だってあったのに⋯⋯
この人は自分が練り上げた計画の成功よりも、私の気持ちを優先してくれたんだ。
「樹くん、どうしよう。もう大好きすぎるよ」
居ても立っても居られず、ザバンと音を立てながら浴槽を出てドアを開ける。
樹くんは驚いたみたいにさっと、もたれるのを止めてこちらを振り返った。
「樹くん、絶対に結婚しようね。私、楽しみにしてるね」
首の後ろに腕を回して、濡れた身体のままぎゅーっと抱きつく。
「わかったから。寒いから服着なよ」
樹くんはそのままの姿勢で手探りでバスタオルを手にとって、頭や背中を拭いてくれる。
「もう、このままベッドに行こうよ」
背伸びをして甘えるように顔を近づけると、軽くキスを返されてすぐに身体が離れる。
「まずは髪を乾かして。俺も入るから」
私が髪を乾かす間に樹くんがお風呂に入るという意味かと思いきや、彼はドライヤー手に取り、洗面台の椅子に座るよう促した。
もちっとした厚手のバスローブに包まれ、優しく髪をすかれると、気持ちよすぎて座ったまま寝ちゃいそう。
リラックスタイムを過ごしながら、鏡に映る彼をチラッと盗み見ると、私の髪を愛おしそうに撫でていた。
幸せそうに緩んだ表情に、胸の奥がきゅっとなる。
空調がよく効いて暖かくなった寝室で寛いでいると、お風呂上がりの樹くんが帰ってきた。
同じくバスローブ姿の彼は、初めて彼のこの姿を見た日よりも、ずっと大人の姿に成長している。
迎え入れるように両手を広げると、彼はギシッと音を立ててベッドに上がってきた。
早急に唇を塞がれると、彼もこの時を待ち望んでくれていたのかと思える。
「小春、好き。大好きだよ」
無数のキスの合間に耳に届いた言葉。
いつからか樹くんは、親密な時間限定で私の事を時々呼び捨てにする。
それが個人的にはツボに刺さっていて、彼にすがりつく腕についつい力が入る。
「私も樹くんの事が大好きだよ」
温かい腕の中、互いの思いを伝え合いながら、幸せな時間を過ごした。




