【愛しい優しい声】
春里が夕飯の支度をしていると、携帯電話が鳴った。春里の携帯電話が鳴ることは珍しい。春里は濡れている手を拭き、携帯電話が置いてあるダイニングテーブルへ向かった。ディスプレイには貴之の名前。急に緊張し、心臓が早鐘を打つ。一度深呼吸をすると、携帯電話の着信音が切れた。ホッとした気持ちと同時に残念な思い。先程までにぎやかだった携帯電話を手に取り、それを胸元に持っていくと、再び鳴りだした。春里はびっくりしてそれを落としそうになった。だが、ゆっくり構えていてはまた切れてしまう。春里は急いで電話に出た。
「もしもし」
『春里?久しぶりだね』
久しぶりに聞いた貴之の声はとても懐かしく、春里を笑顔にさせる。
「ゴールデンウイーク帰ってこなくてお父さんも貴美さんも残念がっていましたよ」
他人行儀になってしまうのは仕方ない。久しぶり過ぎて緊張してしまうのだ。しかも、自分も残念だったと素直に言えない。
『うん、俺も後悔している。変な意地を張らずに帰ればよかったって』
聞いたことのない貴之の甘い声が耳から直接聞こえ、春里はうろたえた。
『春里に会ってきちんと話したい事があるんだ。来週の土曜日に会ってくれないかな』
「来週の土曜日……」
『用事でもあった?』
「え?」
『なら、日曜日でも構わない』
「いえ、土曜日で大丈夫です」
『そう?無理しなくていいよ』
「無理はしていませんよ」
ただ、驚いただけのことだ。会える事の嬉しさと、会ってもらえる驚きと、会っていいものなのかと言う戸惑いがある。
――覚悟を決めないと。
春里は携帯電話をぎゅっと握りしめた。
月曜日、春里が席に着くと、満面の笑みを浮かべながら小牧がやって来る。これもずっと続いている習慣の一つだ。一応気にかけて春も春里のもとにやって来るのだが、小牧に完全無視をされ、いないものとして扱われてしまう。春里はなるべく春に話しかけるが、その度になぜか小牧は春に無言の圧力をかける。春は結構場の空気を読まずに強気に出る事が多いが、小牧は天敵のようだ。だから、もう春は怖がってここには来ない。いつも遠くから春里を心配そうに見守っていた。
「今日もいい天気だね。こういう日は散歩をしたいよね」
にこにこしながら小牧は言う。
「なら、散歩でもしてきたら?」
無表情で冷たく放つ春里の言葉など痛くも痒くもないようで、全く表情を崩さない小牧はやはり最強だ。
「春里と一緒に手をつないで散歩できたら最高だな」
「散歩なら一人でどうぞ」
春里の隣の席の男子、鈴木が二人の会話を聞いて噴き出した。これもいつものことだ。
「いつも会話の内容がワンパターンね。もう少しおもしろい話しはできないの?」
「へえ、俺とおもしろい話をしたい気持ちになってくれたんだ」
小牧は楽しそうにクイッと春里の顔に顔を近づけた。それと同時に春里の身体は仰け反る。
「ただ、学習能力がないと言っているだけ。会話に面白みがなければ飽きるだけでしょう?」
「話題がほしい?」
「え?」
「なら、話題を作りに出かけよう。今日はいい天気だし、帰りにどこかでお茶でもどう?」
「ごめんなさいね。わたしはあなたに時間を割く程暇人ではないの」
小牧はわざとらしく唇を尖らせた。
「俺は春里のためならどんな予定も変更するのにな」
「わたしのためなら?」
「そう」
「なら、まず口を噤む。そして、朝からこうやって話しかけてくる事を止めてほしいな。わたしのために。後は休み時間ごとに来ることも。まあ、簡単に言えば、わたしに話しかけてくる事を止めてほしいと言う事なんだけれどね」
春里はこれでもかと言うくらいかわいらしい笑みを小牧に向けた。隣の鈴木が再び噴き出し、声を出して笑いだした。
「篠原さん、最高だね」
何がそんなに楽しいのだろうと春里は首を傾げて見せる。小牧は鈴木の態度が気に食わないようで、睨みつけていた。
「いつも思うよ。篠原さんってかわいく微笑みながら辛辣な言葉を吐くよね。そこがまたサドっけがあって最高」
再び鈴木は笑いだした。机に伏せてクツクツと。
「それはどうも」
春里の返事に再び鈴木は大声で笑う。気に食わない小牧は、男の机を蹴ってその場を去った。
「こえー」
「どこか怪我はなかったですか?」
春里の言葉に鈴木はきょとんとしたが、また楽しそうにクツクツと笑った。
「怪我をするなら小牧の方じゃないの。俺には何も当たっていないよ」
確かにすごい音はしたが、男に痛がっている様子はない。痛がっているのは机の方か。
「とばっちりですもんね」
「まあ、会話に割り込んだ俺が悪いんだろうね。いつも大変だね、篠原さんは」
「まあ、相手にしないのが一番なんでしょうけれどね。チクチク言いたくなってしまうんです」
「無視をしても効き目なさそうだけど」
「よくご存じで」
春里が隣に座る鈴木と話すのはこれが初めてだ。だが、気が合うようで楽しい気分になる。だから、気が緩み、クスリと笑った。
「篠原さんってもっとつっけんどんなんだと思った」
今まで面と向かって『つっけんどん』などと言われたことはない。先程も『サドっけ』とも言われ、春里としては何とも複雑な心境だ。まあ、『つっけんどん』に関しては否定できない。だから――。
「そうですよ。興味のない人間には冷たいですよ」
春里はこれでもかと言うくらいきれいに微笑んで見せた。開き直るのが一番だ。
「おお、怖い女なんだな」
鈴木は遠慮なく口にする。
「こんなに冷たくしているのに、どうしてつき纏うんでしょうね。マゾヒストの傾向があるんでしょうか」
「いや、あれの場合はただの鈍感じゃないかと思うんだけどね。ナルシスト傾向にあるから、自分が嫌われるはずはないという発想なんじゃないかな、と」
「へえ、隣で毎日聞いて、分析していましたか?」
「嫌でも聞こえるからね」
「確かに」
妙に納得しながら春里は頷いた。
春の話によると、隣の席の男は鈴木晴臣と言うらしい。春はあまりクラスメイトと話をしないのに、なぜか情報は持っている。
鈴木はバスケットボール部なのだと言う。そういうことは貴之と奏太と一緒に部活をやっていた仲と言うことだ。二人に聞けばどういう男なのか分かるかもしれない。春曰く「竹原先輩や増永先輩と違った格好良さがあって、派手には騒がれないけれど、陰のファンは多い」だそうだ。まあ、分からなくはない。と春里も納得する。大人っぽい落ち着いた雰囲気と、低い声は彼の武器かもしれない。バスケットボール部だけあり身長も高い。すらりとした体格だが、確かに筋肉質でもあるようだ。なによりもあっけらかんとした明るい性格と遠慮のなさがいい。春里はすぐに鈴木を気に入った。
帰りのショートホームルーム前、鈴木が春里に話しかけてきた。
「いつも思っていたんだけど、帰りは急いでいるの?すごい速さで帰るよね」
「ああ、それ?逃げているだけ。まあ、運動神経がないわたしはすぐに掴まるから無駄な抵抗なんだけれどね」
春里の答えに鈴木はきょとんとし、その後納得したのか笑いだした。この男は笑い上戸だ。
「いつも鬼ごっこなわけ。最近はもう一人増えて大変なの」
「へえ。篠原さんファンも必死なんだな」
「なにそれ」
「鉄壁の二人が卒業して、ガードもなくなったから今がチャンスと騒いでいる男たちがいる事を知らないわけ?」
「は?」
「ずいぶんかわいらしくきょとんとするな。俺は篠原さんに興味なかったけど、なんとなく納得するな。確かに謎めいていて魅力的で、落としてみたいと思うかもしれないね」
「なにそれ」
「男たちが騒いでいるんだよ。誰が落とせるかってね」
鈴木は何かを思い出したのかクツクツと笑いだした。
「理解できない」
「まあ、ゲームみたいなものじゃないかな」
「巻き込まれたって事?」
「そう。中心にね」
春里は盛大な溜め息を吐いた。
「小牧君もそうと言う事か」
「小牧がそうかは知らない」
「まあ、これで少し気が楽になった。思いっきり痛めつけよう」
春里の独り言に見事に鈴木が反応し、大きな声でケラケラと笑いだした。
「他人の不幸で笑いすぎ」
一瞬止まった笑い声も再び響いた。
貴之はやっと行動に出ました。もう少ししたら、二人揃ったところが見られると思います。二人揃った時の雰囲気が好きです。
隣の席の鈴木君はちょっと爽やかな笑い上戸少年。別に注意する存在ではないのですが、時々二人の会話を楽しむ――嗜む?感じで登場。
次回は下校風景。
次回もお付き合いください。




