番外編 【四人が揃う日】
お雛様だけれど日常なので期待した方が負けですよ。
リビングに行っても春里の姿がなく、キッチンを覗きこんだ。だが、そこも無人で、首を捻った。残るはもう一部屋。春香さんのお骨のある和室だ。あそこにいる時は大抵、母親である春香さんに話しかけている。それを邪魔したくはない。だが、そこにいるかどうかそっと覗くだけ覗いてもいいだろう。そう思って、和室に向かった。
和室には春里だけではなくお袋もいるようだ。向かう途中から二人の楽しげな笑い声が聞こえた。部屋の襖は閉じてなかった。部屋を覗くと、大きな段ボールがいっぱいあった。この散乱とした光景に少々呆然とした。
「あら、貴之どうしたの?そんなところで突っ立って」
お袋の言葉に春里は振り返り俺を見た。
「なにやってんの?」
俺の問いにお袋は微笑んだ。
「お雛様を飾ろうと思って」
二月初め、この時期にもう飾るのか。この家には子供は男の俺しかいないから雛人形を飾るのは初めてだ。あれ?ふと不思議に思った。
「春里が来た時はこんな大きな荷物はなかったよな?」
「そうよ。こんないっぱい運べないじゃないの」
お袋に当然の様に言われて、口を噤んだ。いや、そういう意味で言ったわけじゃないんだけど。そんな俺を見てか春里がクスクスと笑いだした。
「眉間にしわ、寄っていますよ」
春里に指摘されて、思わず眉間に人差し指を当てた。
「祖父母にお願いして送ってもらったんです。送るの大変だったみたいですけど」
そうか、春里はずっとこの雛人形を祖父母の家で飾っていたんだ。
「それにしても立派ね」
「そうなんですよね。一部屋占領しちゃうんです」
お袋が手に取った人形は、なるほどやはり立派だ。飾り方の紙を見ると、七段飾りなのが分かる。品のある表情と少しふっくらした輪郭。かわいらしい口。男雛も女雛もオレンジ色の衣装だが、微妙に色が違う。
「まずは台ね。せっかく貴之がやってきたし、貴之にやってもらおう。わたしは昼食をつくってくるから、二人でよろしくね」
にこにこしながらお袋は部屋を出て行った。今日の昼食はお袋が作るようだ。
二人で協力して七段を作り、赤い布をかぶせる。形になっていく過程はおもしろい。ちょうど出来上がったところ、お袋の声がした。昼食の準備ができたようだ。
ダイニングに行くと、テーブルの上に焼きそばがあった。大きなフライパンで無理やり六玉作るのはお袋流。いわゆる大雑把。きちんと混ざっていなくて麺が固まっているところもある。味も麺だけの味のところもところどころある。色にムラがあるのだ。それを気にしないあたり恐ろしい。料理はそれなりにうまいのに、時々面倒くさがって手間を省く。焼きそばは常。
春里は驚くこともなく、礼儀正しくあいさつしたあと、食べ出した。この焼きそばに慣れてしまったわけではない。春里の皿に盛られた焼きそばは結構おいしそうだ。お袋は味があまりついていないところや麺がくっついているところをわざと俺のところによこす。毎回のことだ。小賢しい。母親に向かって遣う言葉ではないだろうが、口に出していないのだからこのくらいの愚痴は許されるだろう。俺を雑に扱い過ぎだ。
「どこまで進んだ?」
「やっと台を組み立てました。これから飾ります」
「そう。思ったより時間がかかったわね。今度は細かい作業だし、大変かもしれないわね」
「大変?」
後人形を飾るだけだろう?紙の絵を見て置いて行くだけじゃないか。
「大変でしょう?顔にかぶさっている紙を丁寧に取って、小物を人形に持たせて、身につけて、という作業があるんだから」
「そんなにあるの?」
「ある。男雛に冠かぶせるのも気を遣うものよ。紐を結んだりするのも大変だし。そういうものの繰り返し」
細かい作業で聞いているだけで溜め息が出た。ただ、春里と話がしたいと思って春里を探していただけだった。捜さなかったらこんな事に巻き込まれずに済んだ。でも、捜したからこそ春里と一緒に雛人形を飾ることができた。うん?まあ、春里と一緒だから嫌がることなんてないんだよな。そう思うと一気にやる気が出てきた。ただ、やる気を一気にそぐ焼きそばが半分残っていたけれど。
雛人形を並べるのはお袋も加わった。二人きりの方が俺としては嬉しいけれど、春里はきっとこうやってみんなでやることを望んでいる。悔しいけれど。
お袋は本当に春里の事をかわいがる。時々、娘の方が良かった、なんて恐ろしいことを口にする。まあ、分からないでもない。だけれど、春里は春香さんとその祖父母が大切に育てたからこれだけの春里になったのであって、お袋が育てたらとんでもない女の子になっていた可能性もあるわけだ。育て方次第って事もあるし、俺は放置されていても何の文句も言わなかったけれど、女の子は辛いかもしれないし、不貞腐れるかもしれないし――。まあ、こんな事でいじける必要はないけれど。
「お雛様って言ったら雛あられよね。あれって関東と関西で違うんだって」
「え?どう違うんですか?」
「関西はしょっぱくて、一般的なあられを丸くしたものを指すみたいよ。関東は甘い。もの自体も違うわよね。大元の素材は一緒でも、調理法で触感は全く変わる」
春里は耳をきちんとお袋の話に傾けながら手は動いている。だけれど、お袋は春里の方に視線を向けて話し始めてしまったため、手が止まっていた。看護師の仕事の時、やっぱり手が止まっているのか?いや、そんなはずはないと思うんだけどな。仕事と勝手が違うと言うことはないだろうに、こういうことに関しては。
ふと、春里の手が止まった。そして、一つの人形を目線の高さまで持ち上げた。女雛だ。その女雛を見て微笑んだ。どういう気持ちの微笑みか分からない。きれいだな、という微笑みなのか、うまく着飾ることができた、という満足の微笑みなのか。とにかくその微笑みがかわいくて俺は見惚れてしまった。
「貴之、見惚れない。手を動かして」
お袋の声にハッとした。春里は不思議そうに俺を見ていた。それにしても、おしゃべりしすぎて手が止まっていたお袋には言われたくないセリフだ。しかも見惚れていたって――。事実だから焦るじゃないか。春里に俺の気持ちが伝わったら総てがパーになりそうだ。あともう少しだけ俺は俺の気持ちを誤魔化さなければならないんだからな。俺の努力を無駄にするなよ。
俺は春里が好きだ。だけれど今はそれを伝えるタイミングではない。きちんと準備を終え、土台ができたら気持ちをきちんと伝える。そう決めている。それまでは春里は俺の妹。そう言い聞かせているのに、見惚れているとか事実を指摘されると気持ちが一気に前面に出てしまうではないか。男雛と女雛が羨ましいとか思ってないぞ。
出来上がった人形から順にならべて行く。淋しかった雛段がだんだんと華やかになっていった。
「雛あられの他にお雛様と言ったら何かしら?」
まだ半分くらいしかでき上がっていない雛段を満足げに眺めながらお袋が言った。
「よく母がちらし寿司をつくってくれました。豪華なちらし寿司です。あとはハマグリのうしお汁」
「そうよね。ハマグリは必要よね」
「桜餅もお気に入りの和菓子屋さんで買ってきていました」
「桜餅は手作りではなかったのね」
「さすがにそれは難しかったみたいです」
春里はクスクス笑いながら言った。
「後は甘酒ですね。これは祖母が手作りしてくれました。まあ、甘酒の場合はひな祭り限定ではないんですけど」
「甘酒は身体にいいものね。夏バテにも最高だし。春里ちゃんは甘酒好きなのね」
「はい」
「貴之は何が駄目なのか分からないけど甘酒は飲まないのよ」
「あの甘さが駄目なんだよ」
「もったいないですね。あんなにおいしいものが飲めないなんて」
俺はおいしいと思っていないんだからもったいないとは思っていない。
「市販のものだから、というのもあるかもしれないわね」
「じゃあ、ひな祭りの時にわたしが作ります。味比べしてみてください」
変な方向に話が進んだ。確かに春里の作るものは何でもおいしい。嫌いなものまでおいしく感じるという魔法が込められていることも実証済み。だけれど、さすがに甘酒はそうはいかないだろう。罰ゲームにしかならない。三月三日が憂鬱になってきた。
一ヶ月というものは長いようで短い。そう夏休みのような感じで早く訪れた。別に楽しい日々を過ごしてきたわけではなくて、甘酒を飲まなければならないと言う憂鬱さからだ。なぜこんなにこだわるのか、と言うと、それほどまでにあの甘っとろい甘酒は苦手ということだ。いっぱいいるんじゃないかな、苦手な奴。あの舌触りとか……。
今日は両親ともに仕事だが、夕飯までには戻ってくる。春里のためにシフトを調整したらしい。基本的に行事は好きな二人だ。特にお袋はやりたがる。節分だって、もう小さな子供がいないのにもかかわらず、豆を持って「鬼は外――」とやらされる。俺がやらされるのだ。近所に笑われているんじゃないかと恥ずかしい思いをしながら大きな声で。お袋はそれを俺の後ろで眺めているだけなんだ。今年は春里も俺の後ろで眺めていた。俺だけが被害をこうむったんだ。
そんな苦い日とは比べ物にならないいい日ではあることは確かだけれど。甘酒さえなければ、と言う話。
春里と一緒に夕飯の支度を始める。メニューは海鮮ちらし寿司、ハマグリのうしお汁、菜の花のおひたし、だ。ちらし寿司は二人で作ることになっている。たけのこ、人参、干ししいたけ、レンコンを炒め煮する。春里は菜の花を茹で、錦糸卵をつくり始めた。
「何か楽しいな」
「そうですね。みんなにご飯をつくることも、こうやって二人で作ることも」
「しかも、豪華ちらし寿司」
春里はクスクス笑った。
「確かに豪華ですよね。大奮発。マグロとサーモンとホタテとイカといくらとえび、でしたっけ?」
春里は指を折りながら言った。
「そうそう。よく覚えているな」
「しかも大量に作るって言い張るんですもん。家族四人ですよ」
「違うよ」
「うん?」
春里は小首を傾げ、眼を瞬かせた。最高にかわいい仕草だ。
「春香さんの分」
「ああ、そうですね。母も仲間に入れてもらいましょう」
「入れてもらうも、今日はあの和室で食べるんだろう?それは春香さんも一緒という事。お袋はそういう意味で言ったと思うよ」
突然春里は俯いた。俺が顔を覗き見ようとすると逸らす。なんか気になって、無意識に春里の頭に手を乗せていた。
「菜の花のおひたしが終わったなら、次は何をつくるの?」
「ちょ、ちょっと待っていてください」
「俺の胸でもかそうか?」
失礼にも春里は俺の言葉に笑った。
「笑うところじゃない。そっと俺の胸に頬を寄せる場面だろう?」
「だって……」
眼を少し潤ませた春里が上を向いた。この角度は殺人的にかわいくてまずい。眼の潤み具合いとか、少し口角の上がった唇の角度とか、瞬きした時の表情とか、色々がすごくうまく作用している。
「さあ、急いで作ろう。二人とも帰ってくるから」
「そうですね」
狭い和室に雛人形が飾られ、春香さんがいて、リビングのテーブルが運ばれる。見事に狭い。ここに人間が四人入る。ギリギリだ。すでに両親は席に着き、料理を今か今かと待っている。雛人形の前には雛あられと今日買ってきた桜餅とお雛様の姿を現した和菓子がある。雛あられ意外は今日両親がお袋お気に入りの和菓子屋で買ってきたものだ。菱餅はすっかり頭から抜けていたらしい。
飯切のまま出されたちらし寿司は仕上げに海苔とシソがかけられている。ハマグリのうしお汁はウドと菜の花が添えられている。そして、菜の花のおひたしは、少しわさびを利かせた。種類としては少ないが、テーブルには溢れるように乗っているように見える。飯切が幅を取っているからだが。
両親は日本酒を飲み始めた。俺と春里は春里が作った甘酒だ。食事に甘酒?まあ、いいけれど。いや、よくないけれど、俺はそれを拒否できる立場にはいない。
少し味見程度に口をつけた。この間、甘酒は甘いと文句を言ったせいか、甘さ控えめだ。少しショウガが利いている。なんとか飲める、という感じだろうか。甘酒を飲んだ俺の姿を見てお袋は嫌な笑みを浮かべる。本当にやりづらい。
「どうですか?甘酒」
春里に見つめられて言われると答えは一つしか言えなくなる。
「うまいよ。ショウガもちょっと利いていていい」
春里は俺の言葉に満足げに微笑んだ。確かに市販のものと比べたらおいしいし、春里は俺のために一所懸命手間をかけてくれていた。だからその感謝もこめている。
春香さんのお骨と位牌の前にはちらし寿司とうしお汁とお浸しと甘酒が置いてある。きっと春里の手作りばかりで嬉しいだろう。まあ、及ばずながら俺も手伝ったけれど。
隣に座る春里を見ると、とても嬉しそうな笑みを浮かべてお袋の話を頷きながら聞いている。多くは俺と二人きりの食事になるから、四人そろうといつも嬉しそうだ。今日はそれとも違う特別感がある。女の子の日で、春里がメインだから余計かもしれない。
「やっぱり春里ちゃんの料理はおいしいわよね」
「俺だって手伝っているんだよ」
「分かっているわよ」
「酢飯は貴之さんの味付けですよ」
「へえ、そうなの?」
「きちんと寿司酢から作っているんだから」
「当たり前でしょう?」
「嫌々当たり前じゃないだろう。市販のものもあるんだしさ」
「ああ、確かにあるわね」
春里と買い物に行ってそれに手を出したら、春里に注意された。しっかり手を叩かれて。寿司酢は簡単に作れるのだから、作ってください、と。なるべく手作りを、と考える春里らしい。
「うしお汁もハマグリの出汁が出ていておいしいし、菜の花のおひたしもワサビの鼻をつーんとさせた感じがいい」
「本当に春里が作るものは何でもおいしいな」
あまり話さない親父がぼそりと言った。親父は春里の料理のファンだ。今までは付き合いもあって外食が多かったが、なるべく家に帰ってきて春里の料理を食べている。そういうところから考えても、春里の存在は大きい。共働きでどちらも不規則だとみんな一緒に食事をとると言うことが難しい。だけれど、春里の料理を食べるため、みんなでイベントを楽しむため、それだけで家族は揃う。不思議な感覚だ。
食事を終えて、緑茶を淹れた。これはお袋の仕事だ。これには春里も敵わない。桜餅が乗った溜め塗りの銘々皿には桜の花が描かれている。それに黒文字が添えられている。変なところでお袋はこだわる。こと和菓子に関しては特に。普段は買ってきたまま食べるのに、こういうことになると手間を惜しまない。そのボーダーラインはいまだ不明だけれど。
お袋がこだわるだけのことはある。桜餅はやはりおいしかった。春里は本当に甘いものが好きで、メインを食べている時よりもデザートを食べている時の方がいい顔をしている。
「このお雛様の姿をした和菓子は何か食べづらいですよね。残酷な感じがします」
別に精巧に作られているわけではない。顔が描かれているわけでもない。
「なら俺が食べる。俺はそう思わないから」
俺の言葉に春里は反応し、俺をおもいっきり睨んできた。
「何でそういうことを」
「だって食べられないんだろう?食べなければ悪くなるだけだしな」
あんなことを言ってしまった手前、俺に反論できないようだ。ちょっといじめすぎたか?
「まあ、俺は桜餅ではらいっぱいだけどな」
「ならそんな事言わなくても」
こんなやり取りに笑いだしたのはお袋だ。クツクツと楽しげに。
「もう、仲がいいわね。和菓子ってそういうもの多いわよね。きれいな形をしたもの多いから。それは和菓子だけじゃないか。洋菓子も細工あるものね」
お袋はそう言いながらその和菓子を先程まで桜餅が乗っていた皿に乗せた。そして、もう一つを春里の皿に。
「もったいないけれど、食べてあげないともっともったいないから、食べちゃいましょうね」
春里は小さく笑みを浮かべ、静かに「はい」と言った。
何か久しぶりの騒がしい家族団欒だった。騒がしいのは主にお袋だけれど、とても嬉しそうだったし、春里もお袋に負けないくらい嬉しそうだった。その顔を見ると、様々なイベントでみんなで楽しむこともまた悪くはないと思う。三人の時は迷惑とし顔も罠かってけれど。現金とは思わない。春里がいるから楽しいのは当然のことだからさ。だから、きっとこれからもこうやってみんなで楽しむのだろう。それもまた悪くはない。
たかが日常。今日だってそう変わらない。だけれど、誰かのためにみんなは予定を調整する。誰かのために誰かは料理をつくる。誰かのために誰かは準備を進める。それってやっぱり日常とは違う笑いがある。それってやっぱり特別なのだと思う。
ということでおひなさま。なぜか書きたくなって衝動的に書いてしまいました。読み返すと全く特別感がないことに気づき、でも、せっかくなので載せました。
読んでくれてありがとう。




