【知らないうちに出来上がった環境】
中間テストが終わり、学園祭の準備が始まったのは先日のこと。未だクラスに馴染めない春里にとっては関係ないことのように思えていた。
この高校の特徴としてはやはり生徒の自主性を重んじることなのだろう。人間としての質はともかく、頭のいい人たちの集まりだけある。クラスや部活などで活動する学園祭はある意味勉強をする場でもあった。
ものを売って利益を得る。その利益はきちんと自分たちに戻って来る。大げさに言えば経営なのだろうけれど、どれだけ利益を得られるかは重要なことだった。売り上げが一番だったところに与えられる称号や権利、そして副賞はそれほど魅力的ではないにしても、手に入れたい物ではあった。
生徒の士気を高める、団結を強くする、そんな学校側の意図もあり、この学校の学園祭は毎年盛り上がっていた。
春里のクラスは喫茶店をすると言う。無難と言えばそうなのだが、ライバルは多い。どうやってそのライバルたちと差をつけるか。メニューやサービスで特徴をうまく作ることが必要になる。
春里はずっと盛り上がるクラスメイト達を見ながら傍観者としてそこにいた。だから、気づかなかったのだ。自分が重要なポジションにいることなど。
それを知ったのは学園祭の準備をし始めてずいぶん経った頃。もう少しで学園祭だと言う頃に、女の子に呼ばれ、手渡されたものに絶句した。いわゆるメイド服だ。
「なにこれ?」
「なにって、これを着てホールをするんでしょう。絶対篠原さんはこれがいいってみんな言っていたから」
春里は手渡されたそれを広げてみた。
「これ、丈が短くない?」
「うん、そうだよ。そのほうがかわいいでしょう?」
にこりと微笑まれ、言葉を返す気力さえ失った。
「既製品のユニフォームだし、多分サイズも大丈夫だと思うんだけれど、一応試着してみて」
春里は何も聞いていなかったことを後悔した。自分には関係ないのだと思っていたのだ。このクラスにというよりも、この学校に仲の良い友人などいなかったから、何か仕事を押し付けられるような事はないのだと思っていた。確かに姫川はあの日以来、春里にくっついている。だが、それは春里に守ってもらいたくてくっついているだけで、友人としてではないと思っている。捻くれた考えだとは思っていても、どうしても人を信じることができない。
別に誰かに直接裏切られたとかそういうトラウマからきているものではないと思ってはいるが、少なくとも、父親が関係しているのではないかと春里は思っている。
今なら理解できることだが、春里が幼かった事もあり、あの時春里は父親に裏切られたと思っていた。仕事ばかりの父、そして淋しがり屋の母。二人の想いがすれ違い、壊れていく関係。あの時春里が見たのは泣きやむことのない母の姿だった。
ずっと泣き続ける春香を捨てた夫である俊介。そして、俊介は娘である春里も同時に捨てた。心ここにあらずと言う雰囲気の春香を春里は見てはいられなかった。だからと言って、守ってあげられる程強いわけでもない。あの時、まだ春里は小学校にさえ行っていない子供だったのだ。
今なら、そうするしかなかった俊介の気持ちは分かる。だが、幼かったあの頃は泣いている春香を裏切った俊介の図しか思い浮かばなかった。きっとそれが根付いているのだろう。人を簡単に信じられない春里がここにいる。
もちろん、それだけの問題ではないと思っている。春香の実家に住むようになって、奇異な眼で見られていた。大人たちの発言によって傷つけられ、それが伝染して子供たちにもいじめられた。無責任な大人たちの発言で、まだ判断能力を持たない子供たちは操られていた。今ならそれも分かる。いじめていた子供たちには悪気はなかった。あったのは大人たちなのだと。
きっとトラウマではないと思っていても、それが根付いているのかもしれない。簡単に人を信じて、心を開いたことで、裏切られて絶望することが怖かった。だから、春里は姫川に対してそこまで警戒する必要がないと思っていてもやはり警戒してしまうのだ。
今、姫川は楽しそうに文化祭の準備をしている。それを一瞥した後、春里は手渡されたメイド服を抱えて、更衣室へ移動した。
着ると分かる。春里が想像していた以上にスカートの丈が短かった。おまけとして手渡された膝上丈の靴下。春里は盛大な溜め息を零した後、仕方なくその服装で教室に戻った。
廊下を歩いている途中、春里はすごい注目を浴びていることには気づいていたが、どう反応することが正解なのか分からず、俯き加減で、早足で目的地を目指した。
教室に入ると、女の子たちが春里のところに集まってきた。キャッキャと煩いが、春里はその姿を見ることさえできないくらい恥ずかしかった。
「本当にこんな服装をして過ごさないといけないの?」
「そう。いいじゃないの。わたしの見立て通り、すごく似合っているよ。これでお客様もいっぱい来てくれるよ。篠原さんは何かと話題の人だし、男の子たちにも人気があるからさ」
「人気?」
思わず顔を上げると、そこには満足げに微笑んでいる女の子の姿があった。先程春里にユニフォームを手渡した女の子だ。
「そう。篠原さんは気づいていないのかもしれないけれど、篠原さんのファンは結構多いよ。そのファンをこの店に呼び込むことが目的だから、しっかり働いてね」
にこりと意図的な笑みを浮かべる女の子に、春里は苦笑した。このクラスの学級委員である彼女は、見た目はとても地味で真面目そうだ。だが、蓋を開けてみれば全く違って、クラスの中心的人物に変わる。明るくてみんなの指揮をとる彼女は、活発な優等生だ。
「了解。このくらいしかできないし、そうすることにする」
何もすることはないと思っていたが、春里もこのクラスの一員だ。与えられた仕事はきちんとこなすのがマナーだろう。
「と、言うことでわたしたちからのお願いがあるの」
眼をキラキラさせた女の子が、春里の腕をとってそう告げた。春里はその姿を見た途端、嫌な予感がした。その予感はきちんと当たっている。
「竹原先輩を誘ってほしいんだ。篠原さんが誘えばここに来てくれると思うし。そして、もれなく増永先輩もついてくると思うし。ね」
胸元で両手を組んでお願いをする彼女に春里は苦笑を漏らした。確かに貴之に言えば来てくれるだろう。言わなくても来るかもしれない。だが、ワーワー騒がれて迷惑ではないだろうか。春里はそう思いながらも断ることができなかった。
「分かった。一応言ってみる」
眼の前の彼女だけではなく、他の女の子たちもとても華やかな笑みを浮かべた。これもまた春里の利用価値と言うことなのだろう。そう思うと、やるせない気持ちになる。零れ落ちそうな盛大な溜め息を押し留め、みんなに作り笑みを向けた。
着替えて教室に戻ると、春里の席のところに姫川が座っていた。姫川は春里の気配を感じたのか、ゆっくりと顔を上げ、その瞳が春里を捉えた。
「どうしたの?」
春里が尋ねると、姫川は微笑んだ後、立ち上がった。
「ううん。なんとなく気になっただけ。気にし過ぎたみたい」
「なにが?」
姫川は微笑んだまま首を横に振った。
「いいの。顔を見たら安心したし」
「そう」
春里は姫川に言われたこと、態度がどういう事を表しているのか分からなかったが、深くは確認しなかった。
春里は机の脇にかかっていたバッグを手にし、帰る支度を始めた。
クラスを見渡して、春里はここに来てやっと役割分担があるのだと気づいた。当日働く接客担当と裏方担当は準備には加わらない。きちんと準備担当が存在するのだ。その人たちが必要なものを手配し、そろえていく。今まで気に止めなかったが、なかなかのチームワークのようだった。
「篠原さん、ちょっとお願いを聞いてもらえないかな」
学級委員の女の子が申し訳なさそうに春里の前に立った。
「なに?」
「うん。あのね、これをコピーとってきてくれないかな。メニューなんだ」
差し出された一枚の紙には誰かが丁寧に書いただろう文字が並んでいた。とてもかわいらしい字だ。
「それくらいお安い御用だよ」
春里がにこりと微笑むと、安心したように女の子も微笑んだ。
「ごめんね、帰り際に頼んじゃって」
「いえいえ」
「じゃあ、十二枚お願いできるかな」
「分かった」
春里はその紙を持って教室を出た。
春里のクラスの教室は四階建ての三階にある。コピー機があるのは一階にある職員室だ。増築を何度か繰り返しているため少々複雑な作りをしているが、職員室に行くのに迷子にはならない。
春里が階段を下りていくと、三年生のいる階で奏太を見かけた。隣には黒く長いきれいな髪をした女性がいた。細くて今にも折れそうなくらいか弱そうな女性だ。その女性に微笑みかける奏太の姿を見て、春里は思わず見惚れた。その温かさと優しさを感じさせる表情に春里は微笑まずにはいられなかった。
――へえ、あんな顔もするんだ。
春里はその表情を見られた事が嬉しくて仕方なかった。得した気分になったのだ。
春里は家に帰り、いつものように夕飯の支度を始める。ここ最近、貴之の帰りは遅い。奏太もそうだが、文化祭の準備で忙しいのだ。最近は奏太の待ち伏せもなく、一人で淋しく帰ってきていた。最初の頃は一人が当たり前で、奏太が絡んできたのが面倒だったが、今では奏太と一緒に帰るのが当たり前になっていた。そして、奏太から春里を守るように貴之が学校の外で待っている。そんな関係が心地良くなっていたせいで、今は淋しく感じる。不思議だと思った。
今日の夕飯はシーフードカレーだ。それに添えるのはポテトサラダときんぴらごぼう。
キッチンでもやはり一人で夕飯を作ることが淋しく感じるようになっていた。最初の頃は気を遣って貴之が手伝ってくれる事が申し訳なく感じ、それ以上に春里自身が貴之に気を遣って疲れ果てていた。だが、お互いが慣れてくると、案外不器用な貴之をからかって反応を楽しむことが当たり前になってきていた。
最近はじゃがいもの皮剥きもまともにできるようになった貴之だが、最初の頃はいつ指を切るか心配になるくらい不器用で怖かった。ひやひやしながら見守る春里を横目に、貴之は真剣にじゃがいもと格闘していたものだ。今では心配する必要もなくなっていて、お互いに作りたい物を作るようになってきていた。
例えば、春里が副菜を作り、貴之はメインを作るなどだ。そのレパートリーもここ最近は増え、一人暮らしをしても心配ないくらいに上達していた。だからこそ、春里はキッチンで二人並んで料理することが楽しくなってきていた。まるで、子供の頃の春里と文登のようだとノスタルジックな気分にもなる時があった。
「なんか調子が狂うな」
春里は溜め息を吐き、じゃがいもを潰した。
夕飯の支度が終わり、一休みをしていた頃、貴之が帰ってきた。玄関のドアを開ける音が聞こえた途端、飛び出していきたい衝動にかられたが、平静を装うように春里は深呼吸をして、リビングのソファでそのままくつろいでいた。
リビングに姿を現した貴之に春里は笑みを浮かべ、「おかえりなさい」と言った。
「ただいま。もうおなかぺこぺこだよ。すぐに食べられる?」
「うん。すぐに温めるから、着替えてきてください」
春里は立ち上がり、リビングから出ていく貴之の後姿を見送りながらキッチンへと向かった。
学園祭、そして鉄板のメイド服ということで。別に違うネタでもよかったのですが、この方が話の展開的にいいかな、と。
次回は春里と貴之の夕飯。夕飯の献立を考えるのがちょっと苦痛。どのくらいの品数がベストなのか、春里は料理が得意だから、栄養面とかいろいろ考えるだろうし、なんて考えるといろいろと迷うのです。
次回もお付き合いください。




