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初恋の彩り  作者: みこえ
~進展~
149/183

【繰り返しの状況】

「うわ、見失った」

 ほんの少し眼を離し、ほんの少し声をかけられ、ほんの少しそれに答えていただけなのに、その姿はなくて、家泉佳長(いえいずみよしなが)は焦った。


 彼が追いかけていたのは数人の女たちに連れられて行った篠原春里(しのはらはるり)だ。数人の女たちの中にひときわ目立つ姿があった事が気になった。田路椿(たじつばき)竹原貴之(たけはらたかゆき)にちょっかいを出す女代表の一人だ。見目もよく、頭もいい。だが、少し癖のある顔立ちをしているため、眉目秀麗とは言えないだろう、と家泉はいつも田路の姿を見るたびに思うのだ。そして、彼女の特徴は、性格にある。自分の思い通りにならないことが気に食わないらしく、すぐにヒステリックになる。その結果が今の状態だろう。


 家泉と貴之は大学で出逢った。貴之の方はどうだか知らないが、家泉は貴之の最も近い友人だと思っている。いや、信じている。そして、春里は貴之の恋人と言う位置づけだ。家泉が救わなくて誰が救うと言うのだろう。危険な予感がするのに、それを見逃すことなどできない。これで何かあったら恐ろしくて夜も眠れなくなる。いつも冷静に見える友人は大切な一人の女性の時だけ冷静さを簡単に失うのだから。


 とりあえず先を進もうと、家泉は廊下を走る。右左確認しながら、歩いている人たちを縫いながら。




 貴之の恋人である春里が入学して、ずっと穏やかな日が続いていた。人目を気にすることなく貴之と春里は一緒にいたが、二人の関係は兄妹なのだと噂が流れた。だから、周りはそう言う眼で仲のいい二人を見ていた。兄妹にしては仲が良すぎるところもあるが、二人は一定の距離をきちんと保っていたから誰も疑わなかったのだろう。


 五月の連休明けのことだ。家泉はポロリと真実を零してしまったのが総ての発端になった。だから、目一杯責任を感じているのだ。春里を居心地悪い場所に置いてしまったのは紛れもなく家泉なのだ。




 ふと、足を止めるとどこからか女性の声が聞こえた。その声のする場所を耳を澄まして捜す。春里に何かあっては家泉の身が危ない。


 貴之と春里が兄妹ではなく恋人だと知れた時、貴之は別に何ともない風だった。『別に隠しているわけではないよ。ただ、公表する必要もなかっただけだ』。貴之は平然とそう言った。だが、蓋を開けてみればとんでもないことこの上ない。知れたことでのこの展開だ。何かあったら貴之は何をしでかすか分からない。二人をほんの少しだけ近くで見てきただけの家泉でも確信できる。春里が怪我をしたらきっと怪我をさせた相手を許さないだろう。とことん敵視し、追い詰めて行きそうな気配だ。そして、家泉にも降りかかることが予想されるのだ。


「どこだ」

 家泉は焦りながら近くを早足で歩く。そして、ぴたりと足が止まった。


 廊下の端、人目につかない一角。どうして大学にはこんな場所が多いのだろう。家泉はそっとそこを覗きこんだ。


「なんであなたなのよ!」

 田路が苛立たしげに叫んだ。

「ですからそれは貴之さんに尋ねてください。貴之さんのことなので」

 春里はどこまでも冷静だ。何人もの女に囲まれても全く動じていない。その温度差に家泉は眼を見張った。想像していなかった展開だ。


「だから!」

 耳をつんざく悲鳴のような声が響いた。家泉はその高音に耐えられず、耳を押さえた。

「何度同じことを言うんですか?こんな場所に連れて来て言うことは繰り返し。もっと実のある話をしませんか?」

 春里の言葉が刺激する。春里の冷静な表情は家泉には見えるが、田路の表情は見えない。それが乗り込むタイミングを見誤った。


 あ、と思った時は遅かった。

「ふざけるな!」

 低くドスの利いた田路の声が響くと同時に、春里の頬をおもいっきりはたいた音が響いた。


「なにやってんだよ」

 家泉は飛びこむ。その姿に春里が驚いた顔をした。おまけに田路も。なので、一度きちんと睨みつけた。もちろん田路を。


 ――面倒くさいことしやがって。

 家泉の念が通じたのか、田路は一瞬だが怯んだ――と思いたい。

家泉は有無を言わさず春里の手首を掴んだ。


「何煽ってんの、篠原さん。君ならもっと上手に乗り切れるでしょう?」

「邪魔をしないで、家泉君」

 我に返ったようにヒステリックに叫ぶ田路。

「田路さんも冷静になりなよ。俺、このこときちんと竹原に報告するよ。篠原さんの左頬だってこんなに真っ赤だし、腫れちゃったら大変だよね」

君、そんなに愚かだったんだ。家泉とは思えない低い声でぼそりと言うと、田路はピクリと反応し、悔しそうに唇をかんだ。


「さあ、愚かな篠原さん、君も行こう。本当にもう、俺は頭が痛いよ」

 家泉が掴んでいる春里の手首は細い。それだけで華奢な事が分かる。か弱そうな佇まいをしているのに、気が強く負けず嫌いとくれば売り言葉をこれでもかと吐くものだ。相手を刺激して何をしたかったのか、家泉は怖くて聞きたくもない。いや、だからこそ聞いてみたいと言うこともあるが。


「こんなんだと竹原が心配するよ」

「すみません、ありがとうございました。でも、わたしを見つけたあたりで乗り込んできてくれてもよかったんじゃないですか?」

 家泉の頭に血は上っていた。興奮状態だ。それに反して春里は通常通り冷静だった。その温度差に家泉は一瞬言葉の意味を理解できなかった。


「へ?」

「と言うより、あんな目立つ団体を見失いましたよね?」

「はあ?」

「家泉さんは警察官にも探偵にも向きませんね。全く尾行になっていないし、対象を簡単に見失うし」

 家泉はぴたりと足を止め、春里の方を向いた。

 ――もしかして非難されているのか?

 春里はにこりと微笑む。何の悪気もないかわいらしい笑みを浮かべている。


「それでも助けてくれて感謝しています。ありがとうございます」

 ――総て分かっていたと言う事か?

 家泉の全身がぶるぶると震えた。この女の子相手に怒ったら最後だ。多分痛い目を見るのは家泉の方。


「まあ、あんな焦った顔で飛び出してくるとは思わなかったので驚きましたけど」

 先程のことなど何でもない風に春里は微笑む。その心臓の強さに家泉は苦笑した。完敗だ。いくら家泉が怒ってもきっと春里の心は穏やかなのだ。冷静に総てを見ている。


「竹原とは待ち合わせしているの?」

「はい。カフェで」

「そう。その前にその頬を冷やさないと、だな」

「トイレに寄ってください。ハンカチ濡らしてそれを当てておきますから」

「そんなんで大丈夫なの?」

「ええ、多分」

「そう」

「ところで家泉さん、この手を離した方がいいと思うのですが。それとも、この姿で貴之さんの前に姿を現してみますか?おもしろいものが見られるかもしれません。わたしにとってですけれど」


 家泉は自分の手元をじっと見て、(いま)だ春里の手首を捕まえていた事に気づいた。そう言えばすれ違った人たちがこの手をじっと見ていたような気がする。何かこそこそと話していたような気もする。何か恐ろしい展開になりそうな気もする。ぐるぐると嫌な展開を思い描き、家泉はまるで汚いものを払うように春里の手を離した。


「恐ろしい提案をしないでくれるかな」

 家泉の行動に春里がクスクスと笑う。

「大丈夫ですよ。貴之さんに因縁つけられたらきちんと説明しますから。助けてくれた恩人に嫌な思いはさせません」

「そうしてもらえるとありがたいです」

「はい」

 初めて会った時から感じてはいたが、やはり恐ろしい。家泉は楽しげに笑っている春里をじっと見つめながら苦い顔をした。




 カフェに行くとすでに貴之がいた。家泉と春里、二人揃ってきた事に驚いた表情をした貴之はそのあと想像した通りに家泉を睨んだ。その表情に一瞬家泉は怯んだが、この顔にずっと怯んでいたら身が持たないことも分かっていたので、ひきつった笑みを浮かべながら春里と貴之の元に向かった。


 春里は当然のように貴之の隣に座る。家泉は貴之の前に座った。


「あ、お礼に何か奢ります。何にしますか?」

 春里が家泉に尋ねる。

「いいよ、気にしないで」

「いいえ。こういう時は遠慮したら損ですよ。貴之さんの睨みまで受けてしまったんですから」

 ちらりと貴之の方を見ると、見事な不貞腐れ顔。二人の仲を疑っているわけではないだろうが、二人できたことがそんなに気に食わないのか、それとも自分だけ何も知らないのが気に食わないのか。春里といると貴之も幼く見える。


「じゃあ、遠慮なく。ホットコーヒーで」

「かしこまりました」

 春里は財布だけ手にして歩きだした。その後ろ姿をじっと見つめた。


「何かあったのか?」

「田路さんだよ。連れて行かれるところを見たんだ。現場を押さえようと思って尾行開始したのはいいんだけどさ、一度見失って……。見つけたのはいいけど」

「左頬少し朱かったな」

「ごめんな。様子見していたら出るタイミングを間違ったみたいで」

「いや、あのくらいはどうってことないだろう」

 貴之の言葉に家泉は眼を見張った。思ったよりも冷静だと思ったのだ。春里の顔を見た途端に田路のところまで走っていくのではないかと懸念していたのだ。


 だが、そんな事を口にしながらも貴之の表情は不機嫌そのものではあった。まあ、どこまで貴之が分かっていてこの発言になったのかは分からないが、確かに見事な現場は押さえたけれど、春里があそこまで煽ってしまったら仕方ないような気もした。


 家泉が現場を押さえたかったのは、今後こういう事がないようにするためだった。つまりは忠告をしたかったのだ。だが、春里があそこまで煽ってしまったら次がないとは言えなかった。


「だけど、気に食わないのは確かだな」

 ぼそりと呟くその言葉は家泉の全身を震えさせた。

「相手は一応女性だから手加減だけはしてやれよ」

「ふん。春里に手をあげておいてそれを求めるのはお門違い。俺をよほど怒らせたかったって事だろう?」

「あのなあ、一応激しい女心と言うことで」

 貴之が溜め息をついた。家泉とて田路の味方をする気はない。自業自得だとも考えている。あれは、大学生がする行為ではない。痛い思いをして眼を覚ますのが一番だとも思う。だけれど、今の貴之の勢いでは本当に何をするか分からない。田路は方法を間違ったとはいえ、貴之を想うあまり、こういった行動に出てしまっただけなのだ。それで貴之の反感を買うなんて思ってもみなかったのだろう。浅はかな考えではあるが、哀れには感じる。


「なんだろうな。やっと高校のあの状況から解放されたのに、大学でも同じ状況。俺呪われているわけ?春里に大変な思いばかりさせてさ。俺に恋人をつくるなって事?」

「心配はいりませんよ、貴之さん」

 ちょうど春里が戻ってきて、家泉の前にホットコーヒーを置いた。


「わたしは大丈夫。確かに妹の立場から恋人の立場に変わったからなのか、相手が高校生から大学生に変わったからなのか分からないけど、それなりに恐怖は感じたよ。それは隠さない。あのボスザルが結構優しかったんだなって実感したし」

 春里は左頬に買ってきた飲み物を当てた。冷たい飲み物を買ってきたのだろう。


「ボスザル?」

「高校の時、転校初日にわたしにケチをつけてきた女の子です。貴之さんファンだったんですよ」

 春里は楽しげにそう言って飲み物を一口飲んだ。そしてまた頬に当てる。


「頭に血が上って手をあげるような人には見えなかったんですけどね。人は見かけによらないものですね、本当に。それにしてもあの人はもったいないですね。普通にしていればちやほやされるでしょうに」

「確かに田路さんはちやほやされているよ。あの容姿だしそれなりに知識はあるし大人っぽさが人気と言うか」

 家泉の言葉に春里はクスリと笑った。


「大人っぽさ、ねえ」

 確かに気に食わないだけで人目につかないところに誘いだし、問い詰め、挙句の果てに煽られてビンタする人間が大人っぽいはずがない。


「あの女どこをどう見ても大人っぽくないぞ。自分が気に食わないことになるとすぐにヒステリックになる」

「貴之さんは経験済みって事?」

「そう言う事。俺が冷たくするとそれだけで癇癪を起すからな」

「へえ」

「でも春里、変な気は起こすなよ。下手に煽って春里が傷つくのは許せないから」

「はい」

 貴之は春里をじっと見つめ、眼を細めた。そしてそれが当たり前のように手が頬を撫でる。


「痛々しい」

「叩かれた時はヒリヒリしたけど今はもう何ともないよ」

「分かっているけどさ」

 一気に甘い空気になり、家泉は居た堪れなくなった。時折、と言うよりこういう状態は一緒にいれば常に起こる。そろそろ慣れてもいい頃なのだが、こういう雰囲気を醸し出す貴之に慣れない。


「あ、あの、そう言うのは家に帰ってからと言うことで」

 家泉は慌ててそれ以上を止める。そうはならないだろうと思うが、もしかしたらキスぐらい平気でするかもしれない。そんな空気があった。


「これは失礼」

 失礼とは思っていない表情と口調で貴之が言った。

「本当に貴之さんは心配症ですね。父と(たか)()さんよりも保護者です」

「これを保護者と言う感覚が分からないよ、篠原さん」

「ん?そうですか?まあ、家泉さんもそうですよね。わたしの心配をしてくれて、親身になってくれていますから」

 嬉しそうに言う春里を見つめながら家泉は眼を瞬いた。先程田路を煽っていた冷めた女の子とは思えないかわいらしさを醸し出している。どちらが本物なのだろう?そんな風に考えていた。


「あ、そろそろ行かないとだよ。アルバイトに遅れる」

「え?今日はバイトなんだ?」

「ああ。二人揃って」

 二人が仲がいいのは充分承知していたが、二人が同じアルバイト先を選んだこともまた家泉を驚かせたのは言うまでもない。



お久しぶりです。やっと書き上げました。今年中にここに登場できてよかったです。

最後までお付き合いください。

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