【ケイチョウと貴之】
貴之は溜め息をついていた。長い夏休みも終わり、幸せだったあの時間とも別れを告げ、一人淋しい部屋に戻ってきた。狭いはずの部屋はがらりとしていて、まだ残暑と言うのになんとなく寒い気がする。春里と一緒にいた時は常に春里に触れていた。その温もりが今はない。それがこんなに淋しく寒いものだとは知らなかった。
今、貴之は大学のカフェテリアで頬杖をついて窓の外をぼうっと眺めていた。眼の前にはオレンジジュースが置いてある。もう夕方で、講義中でもあり、カフェテリアはがらんとしている。だから、とても静かで、貴之には心地良かった。何も考えずにぼうっとしていたかったから。
「休みボケか?」
もう少し考える事を拒否していたかったが、楽しげに誰かが声をかけてきた。貴之が声のする方を見ると、そこには立派に日焼けした家泉が立っていた。
「真っ黒だな」
「竹原もね」
家泉は貴之の前の席に座った。手に持っているのはアイスコーヒーだ。貴之も焼けているが、肌の色も落ち着いた。
「遊び呆けていたわけ?」
「いいや。俺の日焼けは畑仕事で」
春里に海に行くこともプールに行くことも拒否をされた。スタイルがどうとか言っていたが、もしかしたら泳げないのかもしれない。そう思った時、貴之は春里を誘う事を諦めた。春里が楽しめないのなら行っても仕方ない、と思ったのだ。
「畑仕事?」
「そう。ちょっとね、手伝いをしたんだ」
「へえ」
「ケイチョウは?」
「うん?俺?俺は海の家のバイト」
「実家に帰らなかったのか?」
「彼女が遊びに来てくれた。舞は仕事をしているからお盆くらいにしか来なかったけどさ」
「へえ。じゃあ、楽しい時間を過ごしたんだな」
「まあな。竹原だってそうだろう?」
「まあね。そのせいで負抜けた。もう恋しい」
家泉はケラケラと笑い、テーブルをおもいっきり何度も叩いた。
「それ、俺の方が言うセリフじゃない?久しぶりに会って、短い間しか会えなくて、また離れ離れ」
「そうだよな。大丈夫なの?おまえは」
「まあ、帰っていく姿を見ると淋しいけどね。慣れかな」
「こんな事慣れたくないな。慣れたら悲しいよ」
「そのセリフ、俺に失礼だよ」
家泉はにこにこしている。別に怒っているわけではないようだ。
「そうだな。ごめん。でも、毎回こういう想いをするのは嫌だ。とっとと一緒に暮らしたい。春里もそう思ってくれるといいんだけどな」
「竹原って意外と情熱的なんだな。ん?ちょっとニュアンス違う?まあいいや。俺、もっと冷静な男だと思ったからちょっと意外だよ。恋愛に生きるなんてさ」
「俺もびっくりしているんだ。意外な一面を俺もどんどん知っていくって感じだ」
「へえ。そんなに変えた彼女ってどんな女の子?」
「強がりで捻くれているけど、かわいくて、最強」
「は?」
「人の魅力は会ってみないと分からないってもんだよ。言葉で表せるほど単純な人間なんていないんだから」
「言うね。その通りかもしれないな」
「春里に会いたい。もう春里が足りない」
貴之の呟きに家泉は眼を瞬かせた。眼の前の男が信じられないと言った風だ。だが、貴之はそんなこと気にしない。最後の夜、今までにないくらい情熱的なキスをした。春里も積極的で、下手すれば押し倒しそうな勢いだった。それを抑えたのは、ふと浮かんだ俊介の顔。ストッパーは貴美ではなく俊介だった。
――このまま進んだらとんでもないことが起こる。
瞬時に総てが止まった。春里は不思議そうに貴之を見ていたから貴之は苦笑した。男と女の感覚は多分違うのだろう。男は好きな女の子に触れればその後を想像する。だが、多分春里はそんな事全く考えも想像もしなかったのだろう。だから、そこで止まっていて正解だった。それ以上進んでいたら、今こうやって貴之はいられなかったかもしれない。いろんな人を敵に回している可能性だってある。
「おお、怖」
思わず呟いてしまった言葉に、貴之は驚き、そして、家泉がいることに気づいた。
――やば。
家泉を見ると、ニヤニヤした顔をして貴之を見ている。
「何を想像していた?おもしろい顔をしていたよ」
「な、なんだよ」
「幸せそうな何とも惚けた顔をしていた」
春里とのあのキスを思い出せばそういう表情をするだろう。それが簡単に想像できたから貴之は恥ずかしくなり、俯いた。眼の前のオレンジジュースを見つめる。
「いいね。そういう顔をしたくなるような休みを過ごしたってことでしょう?」
「ケイチョウだってそうだろう?」
「まあね。ずっと会えなくてまた長い間会えないんだから、多分竹原よりも熱く濃密な時間を過ごしていたはずだよ」
家泉は恥ずかしげなく言う。
「いいよな」
「何が?」
「いや、何でもないよ」
キスより先が当然である事が羨ましい。そんな事は言えない。家泉にとって、会いたい時に会える貴之が羨ましいに決まっているのだから。
「バイトは楽しかったか?」
「暑くて地獄だったな。だけど、スタイルのいいビキニ美女がうじゃうじゃだ」
「鼻血でもたらしていたか?」
貴之は笑いながら言った。表現が家泉らしいと思ったからだ。
「失血で死にそうだった」
「そりゃ多量だな」
「逆ナンの嵐で、俺のモテ期到来」
家泉はこれでもかと言うくらいだらしない笑みを浮かべている。この顔を見る限り、嘘を言っているようには思えないが、家泉がそこまでもてるとも思えない。
「それで死んでいちゃ格好悪いな」
「死んでないだろう?今ここにいる」
「今俺の眼の前にいる男が生きているケイチョウかどうかは分からない。俺、幽霊が見えるんだよね」
「え?」
「もしかしたら、死んだおまえを生きていると思って話しているだけかもしれない。まだ、おまえに触れていないし」
「う、嘘」
「死んだ自覚でもあるのか?」
「ない。そこじゃない。おまえ霊感があるのか?」
先程までのだらしない顔はもうない。身を乗り出して必死な勢いだ。その姿を貴之はじっと見据えた。
「うん?ない。お化けなんて見たこともないし感じたこともない。鈍感そのもの」
貴之は平然と言った後、残りのオレンジジュースを飲んだ。家泉は安堵したのかがっかりしたのか、項垂れて見せた。
「霊感のある奴って会ったことないから、やっと出逢えたって思ったじゃないか。興奮したじゃないか。この歓びを返せよ」
「勝手に思っただけだろう?普通は冗談だって思うもんだよ」
「だって、竹原ってあまり冗談言わないだろう?しかも淡々と真顔でさ」
「冗談なんててんこ盛りで言っているだろう?何言ってんだよ」
「言っている?」
「すっかり忘れているなよ。山盛りてんこ盛りだ。それに冗談は真顔で淡々と言うものだろう?」
家泉はわざとらしく溜め息をつき、上目遣いで貴之を睨みつけた。
「なんかどっと疲れた」
「疲れていろよ。そのほうが静かでいい。――さてと、帰るかな」
あの部屋に帰りたくない。そんな病気がまた起きていた。でも、家泉と話していたらその気持ちも吹っ飛んだ。テンションも戻った。また、春里に会える時までどうにか堪えられそうだ。貴之は立ち上がり、家泉に感謝の意味を込めてきれいな笑みを向けた。
能天気な家泉を書くのは楽しいのですが、どうしても奏太とダブってしまいます。ノリ的には似ているのですが……
次回は春里の進路
次回もお付き合いください。




