025 評定所留役
颯太の新たな身分、『評定所留役』というのは、いわゆる裁判所の実務を担う役方の職で、そこに持ち込まれる争議の内容を精査し、判決を下す上役たちのために口書などを取りまとめておくなどするのが仕事である。
幕府評定所、というと、前世で言うところの『最高裁判所』に当たる。8代将軍吉宗公が設置したことで有名な『目安箱』は、この評定所の門前に定期的に設置される。町方の揉め事を捌くのは町奉行所、宗門がらみの特殊な争議を捌くのは寺社奉行所と、お役所の住み分けが明確であるために、その垣根を横断するような扱いの難しい問題や、身分の高い者が関係する審問などをこの『評定所』が扱うことになる。
なので『評定所』の裁判官に当たる者は、寺社奉行その人であり、町奉行その人であり、勘定奉行その人であったりする。それに目付、大目付なんかが加わり、とどめに老中もひとり参加する。そんな身分の高い者たちが形成する裁判官グループを『評定所一座』ともいう。
何ゆえに勘定畑の颯太がそんな役目を申し付かったかというと、この『評定所留役』というのが勘定所役方の出向ポストであり、その評定所自体も能吏揃いの阿部派の影響力が非常に発揮されるお役所であったので、颯太という変り種を放り込むのにとても向いた職場であったのだ。
むろん颯太が他のいろいろな役務でてんてこ舞いなのは変わらないので、『留役』の定員8人に純粋に増員として加えられ、いつ職場から引き抜かれても大丈夫なようにされている。
「…それでもまあ一通りは覚えてもらいませんとな」
「噂どおりの小天狗ならば、この程度のことなど造作もなく覚えられるだろう。はっは、そう心配されるな」
『評定所留役』が何故に勘定所人員の出向先として半ば固定化されているのか、そのあたりはもう理由など明らかで、牢内の容疑者から事情聴取したり、関係者からの声を集める一方で組織内の力関係や因習などに細かく配慮したり、ときには権力者からの『お声掛り』に政治的立ち回りを余儀なくされたりと、煩雑な事務処理と合わせてなかなかに難しい職場であり、かなり『使える人材』でないと仕事が回らなくなってしまうのである。
計数への明るさと事務処理能力の高さを兼ね備えている人材などというものを捜すとなれば、必然的にその白羽の矢が立つのは勘定畑ということになる。
下勘定所とも縁のある人が多かったので、挨拶回りなどは本当に手間がかからずに済んで助かった颯太である。はっはと笑いながら、腰の引けている颯太を調書の山に押しやっていき、その分類整理術を叩き込もうとする先輩方のなんと頼もしいことか。やりますとも、時間のあるときは。
数日に渡って職場のいろはを叩き込まれた颯太は、零細企業経営者として培われた事務処理能力を発揮したのを始め、幕閣の上のほうへと繋がるパイプの太さから、そちらとの調整役というところで大いに重宝がられる存在となった。
上のほうから「小天狗殿は」と名指し?での問い合わせも多く、方々から幕府内での動向がよく集まるようになった。『評定所一座』のひとりである勘定奉行の水野様もたまにやってくるので、眉唾な情報への答え合わせも抜かりはない。
「そのほうの申しておったメリケン公使、ハリスとやらが最近せわしなく動き回っておるようだ。どうやら『領事』としての待遇を交渉した、下田での会談以降の成り行きを確認したいらしい」
その日、水野様は下田に滞在中のハリスの情報を携えてやってきた。颯太がお茶を用意して出すと、水野様のほうからはほんのりと甘い香りの漂う紅梅焼が出てくる。紅梅焼とは梅の形に焼かれた甘い薄焼きせんべいのことで、この時代では江戸市中で盛んに売られていた。
「差し入れだ、たくさん食べなさい」
「…はあ、戴きます」
ぽりぽりと齧れば、たしかに甘くておいしいのだが、なんだか餌付けされているようで内心で構えてしまう。どうもプレゼンの終わりがけに倒れてしまった颯太が、医者の見立てで「痩せ過ぎている」と言われたのが原因であるらしかった。水野様は毎度のように颯太に菓子を持ってくる。
たしかに大の大人でも逃げ出してしまいかねない修羅場の連続で、能天気に菓子をつまむような生活とは程遠いところで生きてきたような気がしないではない。痩せていると言われればそうなのかなと本人は思う程度であったのだが、派閥の先輩方はずいぶんと気にしてくれているようで。
颯太が何枚か食べるのを見届けてから、水野様はようやく納得したように頷いた。
「…それで、その『領事』の件は、まだ方向が定まっておられないのですか」
「…伊勢様からお許しがあるゆえ伝えるが、けっして他言はするでないぞ。…水戸の老公がどうやら宗旨替えをご検討なされるようだ。それに足並みをそろえようという外様の動きもあり、幕閣の意思統一もそちらへと固まりつつあるのだが……そのような流れになった途端に、いろいろと気難しい方々がまたぞろ動き出してな」
「………」
江戸後期のこの頃、史実では国論が二分する。
言わずもがな、『開国派』と『攘夷派』である。そして颯太の記憶する史実において、開国派でない有力者の代表例を挙げるとするなら、水戸の老公徳川斉昭であり、薩摩長州などのおのれの力を頼むことのできる外様雄藩であり、孝明天皇とその周辺公卿たちであった。
海外の実情を知らぬがゆえの蒙昧さが作用したこともあったろう。
またこの時期盛んになっていた『国学』、古典研究を通じて国の成り立ちそのものを突き詰めようとした学問が、日本文化の固有性を尊ぶあまりに鎖国という孤立主義を善しとしてしまったことも悪く作用した。
(…ややこしいことになってきたな)
颯太は胃痛を覚えて軽くお腹をさすった。
水戸の老公はその国学的価値観に立脚した攘夷思想を、はっきりと後退させつつある。そして直接戦闘において痛い目を見るまで目を覚まさなかった薩摩、長州が、現時点で大きく開国へと舵を切り始めている。
朝廷についてはまだこの時点では大きく取り扱う必要性は生じていない。
颯太の大プレゼン大会によって、史実上の『攘夷派』というものが、世情を騒がせることもなく消滅しかかっていたのだ。おのれの望むままに歴史への介入を行いつつある颯太はむろんその流れを意図しているわけであり、そろそろそれらしい結果が出始めてもよい頃だと待ち構えてさえいたのである。
だがしかし。
歴史の補正力などという、得体の知れない予定調和的な作用が生まれたものなのか、この世界には新たな『攘夷派』が誕生しつつあるようだった。
すでに噂のような形で、それは颯太の耳にも届いていた。
「…『御譜代席』の方々のことですね」
「…まあ茶坊主どものせいで噂も広がっておるからな。多少知っているのなら話が早い」
御譜代席…。
ここで言う『御譜代席』とは、御城(江戸城)に全国の大名たちが総登城する際にあらかじめ決められたおのおのの席次、伺候席で大まかに固められている大名グループのことを言い、『溜詰』『帝鑑間席』などに座を連ねる譜代大名たちを指している。
大まかに『溜詰』は上位グループ、『帝鑑間席』は中下位グループである。
その譜代上位にある『溜詰』大名たちは、先の大プレゼン大会にも顔を出していたので、幕府の方針が一気に動いてくれるような期待さえ抱いていたのだけれども……歴史上おおよそ『開国派』であったはずの『溜詰』大名たちが、現状『攘夷派』に傾きつつあるのだという。
とくに譜代筆頭と目されている井伊家の当主、井伊直弼の主張が180度反転したのがともかく驚きだった。アメリカと積極的に交易すべしと開国推進派のひとりであったくせに、いまでは海外との通商拡大で幕府が食い物にされる、うかうかとうまい話には乗って痛い目を見たら誰が責任を取るのかと、事後の責任論を展開しているのだとか。誰かが責任を取るというまでは賛成しないぞと言っているわけであり、その標的となっているのはおそらく老中首座の阿部様であり、水戸の老公であるのだった。
いやちょっと、変節しすぎなのではと内心で噴いてしまったのは秘密である。
井伊直弼が実は『心の鎖国論者』であったとも言われているので、それが真実であるのならばそちらに回帰したと言えなくもなかったりする。
譜代筆頭の井伊家が鞍替えすれば、特に意見らしきものを持ち合わせていないだろうほとんどの譜代藩もすぐに影響されてしまう。まあ致し方なきことなのだが、そうやって事がすんなりと進んでしまうことを面白く思わない者たちの思惑によって、意図的に世の中の混迷が作り出されているということに苛立ちを覚える。
「…反対のための反対とか、何が楽しいんでしょうか」
ぼそりと漏れた颯太の不満に、水野様がいま一歩理解を進めるための助言を添えてくれる。『屏風水野』はほとんどこの人の習い性のようなものなのかもしれない。
「掃部頭様は、われらが『瓢箪ナマズ』様にいいようにあしらわれ続けておるからな。ご不満を溜められておるのではないか」
「瓢箪ナマズ、ですか?」
瓢箪ナマズとは、水戸の老公が阿部様を指して、なにを言っても言葉を右に左にして掴みどころのないヤツよと皮肉った例えである。
つまりは、阿部様の思い通りに事が運ぶのを嫌って、掃部頭様(井伊直弼)が邪魔をしているのではないか、と言っているのである。まさかとは思うのだが、なくはない推測ではあった。
「…雑務などは放っておけ。それよりも早くまとめ上げるのだ。その『草案』なるものをな」
「………」
「…あまり猶予はない。鉄は熱いうちに打たねばならん」
「…肝に銘じまして」
今回の水野様の訪問は、やはりというか、颯太の抱え込んでいる『宿題』の進捗確認であったようだ。
阿部様は近頃また体調を崩され気味で、医者の奨めだとかで駒込にある福山藩の中屋敷に移られている。颯太もしばらく厄介になっていたことがあるので知っているのだが、恐ろしく広い敷地を持つその屋敷は、江戸における福山藩最大の拠点であり、当然のことながら辰口の上屋敷とは比べ物にならないほどの大きい屋敷がある。
住み慣れた場所で療養に専念するのが目的だと颯太は聞かされている。
ちなみに颯太自身は身の安全のこともあり、いまは特別な計らいで辰口の上屋敷に仮住まいさせてもらっていたりする。実は評定所のすぐ隣がその上屋敷であったりするから、通勤は徒歩1分圏内である。
恐ろしく守られている実感はあります。はい。
颯太はいま、阿部様の命令で『建議書』をまとめるという宿題を抱えている。一読すれば万人にも分かるようにせよとかなり高めのハードルを設定されて、評定所の勤務の傍らちびちびとその作業を続けている。むろん偉そうにぶった『銭の戦い』の概要とそれに付随する富国に向けた献策の数々……それもこれも『領事派遣』を実現せんがためのものである。
『評定所一座』の一員である水野様は、執務を取るといえば評定所内で一室を占有できるため、ふたりはそこで会話を交わしているのだが、静かな室内にそのとき慌てたような足音が近付いてきた。
障子の向こうから、憚るような小声で来客が告げられる。
訪れたのは、宗益という名の茶坊主であった。
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