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陶都物語~赤き炎の中に~  作者: まふまふ
【外交闘争編】
277/288

014 下田会談③

いろいろと、頭痛いです…






こういう重箱の隅をねちねちとつつく手法は、おもに中国業者とのOEM契約などの時に先達から教えられたノウハウのひとつだったりする。

日本も中国も同じく法によっていろいろな約束事が規定されているのだけれども、憲法を判断の最上位とする日本と違い、中国ではあの独特な支配構造が生み出す『役人による情治』がまかり通る土壌が厳然としてある。日本で言う弁護士にあたる『律師(りっし)』と呼ばれる法律の専門家がいて、その人たちが進出日本企業に言うのだ、「法律は絶対ではないので過信しないように」と。

業界やその土地にまつわる影響力を行使しうる立場にある役人のさじ加減ひとつで、契約などいくらでもひっくり返るから、法律云々を騒ぎ立ててもどうにもならないことがあると、『事前の注意喚起』を法律家自身が行っているのだ。紹介された律師の偉い人が金柑(きんかん)をぱくつきながら言っていたので間違いはない。

後世の中国はそのようになかなかぐだぐだな法の運用を行っているのだけれども、さて、独立後間もないアメリカの、フロンティアスピリットなどという口清い言葉で弱者からの略奪を美化して恥じ入ることのない人々が、取り交わした約束についてどこまでの責任感を持ちえるものなのか。

なかなかに興味深い疑問ではあったろう。

颯太もまた、ハリスたちの反応を食い入るように観察している。

歴史という俯瞰的視野を持つ颯太であればこそ、このアメリカのアジア進出が、先住民から土地を奪いつくした白人たちの「次なるフロンティア」獲得運動だったことを理解できる。

先年取り決めた『和親条約』という契約が、こうして条文として現実に存在しているのだけれども、アメリカがその契約をどこまで履行するつもりがあるのかはむろん誰にも知るすべもない。先住民諸族との約束事を、都合が悪くなるたびに蹴り飛ばして虐殺し続けた彼らに、あまり道義的精神を求めてもせん無いことではあるだろう。

もしもこのハリスというやや傲慢さをのぞかせるアメリカ人が、順法の精神豊かな理性的な人間であったならば、先ほどからの『第1条』プッシュ攻撃で全交渉をしのげそうではあるのだけれども……颯太は内心でため息をつく。

議論が堂々巡りを始めたことで、彼らの顔色が劇的に変化し始めていることに彼は気付いていた。


(…やっぱ、無理か)


颯太は落胆の呟きを噛み砕きつつ、サイズが合わない椅子のせいですわりの悪い尻をもぞもぞとさせた。

アメリカ人というものをよく知る万次郎は、平然とした顔で相手側の顔色の変化を見据えていたが、井上様のほうはというと、「そら見ろ、やりすぎじゃないか」と、颯太に非難気味の目線を送ってくる。


「我が国と貴国の間には、たしかな友情が結ばれている。それは疑いをさしはさむ余地もないほどにたしかなことです。両国の心は結ばれた。その確認がここで示されたことで、第1条についての議論はここで終わりにする。我々の時間は有限でありかつ貴重であると、遠方よりやってきた親しい友人である我々の事情も、負った重責についてもぜひその友好に満ちた思いやる心で汲んでいただきたい。いまわれわれが求めている焦眉の問題は、ここにいるわたしことタウンゼント・ハリスが、条約に基づいて駐日領事としての貴国滞在が認められるかどうか、そして無事に現地に受け入れられ、国際的に領事の職責に付帯すると見做しうる諸権利が認められること……そののちに正常に業務を開始できるかということなのです」


そうして幕府の『反抗の意思』を受け取ったハリスの声は強く、硬いものとなっていた。

本気なのか、あるいは演技なのかは分からない。純粋に、白人至上主義に由来する単純な怒りに身を任せているのかもしれない。


「…明確な返答を、お聞かせいただきたい」


隣のアームストロング氏が好戦的なにやつくような笑いを浮かべ、通詞のヒュースケンが陽気を含んだ観察する目をこちらに配ってくる。

ハリスは井上様に浮かんだ狼狽の色に満足したように髭をさすり出したが、真正面の7歳児があいも変わらずまっすぐな目を向けてくるのに気付いてかすかに眉をしかめた。

明確に攻勢に出たことで、ためらいを覚えなくなったのだろう。ついに颯太の目の前で伝家の宝刀までが振るわれたのだった。


「…返答をいただけないようならば……かくなるうえは我が国の誇る『黒船艦隊』をふたたび江戸へと差し向けるほかはないということになりましょう」


一方的に要求だけを並べ立てて、アメリカ人たちはいまもっとも頼みとしているワイルドカードを場にオープンした。『黒船』という強力な攻撃カード。

それに対して、ベットするのか、それともフォールド(降りる)するのか、はっきり口に出してみせろ。ハリスは幕府に向けて、紛れもなく恫喝行為に出たのである。

颯太は水気を失った唇をぺろりと湿した。

さあ、いよいよ『理屈の通らない』モードに移行しつつあるらしい。来るか来るかと構えていた颯太にはそれほどショックもない。弱いものは強いものにすべてを奪われ、搾取されるのが当然だという乱暴な考えが、世界では普通にまかり通っている時代である。

颯太もまた、おのれの中のモードを引き上げる。

外国相手に、もしもゴールが移動しそうな雰囲気が出てきたならば、その出鼻をたたくのが基本である。教えをくれた先達には感謝である。


「…なぜ急に『黒船艦隊』の名が出たのかは理解に苦しみますが、あなた方のその一方的な物言いは非常に礼儀を欠いており、不愉快極まりないものであるとここで申し上げておきます」


淡々と、颯太は口にした。

井上様はややぎょっとしたふうにこちらを見てきたけれども、自身が矢面に立つつもりがないのなら黙っていてもらおう。こちとら最初から命懸けの鉄火場のつもりでここに臨んでいるのです。


「第1条の議論は終ってなどいませんし、条約の解釈についてもなんら合意は形成されていません。めんどくさいからもう議論は終った? 最初から話し合うつもりがないのなら、条約を結ぼうなどと言い出さねば良かったじゃないですか。これぞまさに壮大な『無駄』と申すべきもの。…お帰りならば、どうぞここにある荷物も含めてとっとと船にお帰りください。荷車ぐらいはロハでお貸しいたしましょう。…誰か、自称『駐日領事』とかいう方がお帰りになります。港まで送って差し上げてください」


すっくと立ち上がって、廊下で控えている人たちに分かるよう手をたたいてみせる。つまらない客の相手に時間を無駄にした感を全開で表現する。

またしても意表を突かれて椅子を蹴るように立ち上がってしまったアメリカ人たち。あわあわと言葉にならない何かを吐き出そうと口をわななかせている。

颯太はそんな彼らを顧みて、心底見損なったといわんばかりの面持ちで言葉を続けた。


「…どうやら貴国との間に結ばれた『和親条約』とやらはこれでご破算になったようですね。もとより尊重する気もないのに相手にだけその約束事を遵守するよう求めるとか、あなた方には文明人としての良識も欠けているようです。『黒船艦隊』? いかに強力な武器を持っているからとてそれをあなた方が世界で唯一独占しているわけでもないでしょうに、なにか勘違いなさってはおりませんか? 蒸気船も大砲も、あなた方が発明したわけでもなくただ技術的に模倣したに過ぎないのは知っています。そんな他人の知恵に乗っかっているだけのあなたたちがただそれだけで『文明人』のつもりで我が国を見下しているというのでしたら、これはもうちゃんちゃらおかしいというものです」


よくもまあぺらぺらと。

完全に空気を飲んだと読んだ颯太は、さらにかさにかかる。こういう瞬間、中途半端に相手をぺしゃんこにするのは危険なのだ。やるならぐうの音もでないまでに論破して、立ち上がる気力も削いでしまうために心の膝間接を蹴り砕いてやる必要がある。


「…江戸へ艦隊を向かわせる? またご自慢の大砲でわが主君の宸襟を脅かそうというのですか。どうぞやれるものならやってみるがいい。我が国がこの2年の間、何の対策もとらずに国都の安全を放置していたとでもお思いか。大砲の性能に自信があるのならどうぞ外国船に侵入を禁じている江戸の内海に力尽くで押し入ってみたらいい。普通に大砲程度ならどこからだって調達できるのだという現実をあなた方にお教えいたしましょう」

「……待て」

「この『和親条約』ももはや紙切れ。国の使者であるあなたがたから明確な宣戦をいただいた上は、このような取り決めなど尊重するのも馬鹿馬鹿しい。いまこのときを以ってこの地はあなた方にとっての『敵地』となりましょう。わずかの間ではありますが、この伊豆の景色をご堪能なさってからお帰りください。では、会談はこれにて…」


言葉を出しあぐねるハリスに痺れを切らしたのだろう、同席していたアームストロングのほうが対抗するようにまくし立て始めた。軍人であるだけに血が上りやすかったのだろう。


「…だから言ったのだ! このような文明の遅れた東洋の島国など、まともに取り合わず力で最初から銃口を突きつけて脅しつけたほうが早いと!」

「ついに馬脚を現しましたね」

「こんな僻地の港町などわが艦の海兵たちだけでも簡単に制圧できる! 身の丈に合わぬ言葉を吐いたことを後悔させて…」

「…あなた方が乗ってきた船、サン・ジャシント号でしたか……それに海兵が何人乗っているのかは知りませんが、多くても100人はいないでしょう? 下田はたしかに伊豆のいち海港に過ぎませんが、それでも幕府の動員がかかればすぐに2000や3000の兵力を集められますよ」

「我が国の精強な海兵の力をもってすれば、数しか頼みのない未開人の兵など…」

「その『精強』って、ただ性能のいい鉄砲を持っているかどうかの差でしかないですよね? 少し我が国の兵士を侮りすぎてはおりませんか?」

「…やってみれば分かるだろう」

「…どうやらあなた方は、我が国が進めている防衛力強化がどの程度のものなのか、想像力が不足しているようですね。…いいでしょう、少しだけ推測の手助けをいたしましょう」


颯太は井上様をちらりと見て、「否やはないですよね」と念押しする。

すでに鉄火場の様相を呈している場の空気に、ここでキラーパスを受け取ってはたまらないとでも思っているのだろう、井上様は不承不承という感じで頷いて見せた。

そこで廊下から布でくるんだ棒のようなものが室内へと運ばれてきた。

それを受け取った颯太は、ためらいもなくその包みをするすると剥ぎ取った。


「……ッ!」

「…我が国も陸戦の可能性を考慮してそれなりの準備を進めています」


そこででてきたのは、例のエンフィールド銃だった。

イギリス海軍の最新の正式装備であり、彼の国の元植民地であり経済的にもつながりがあるアメリカでもわずかしか持っていないだろう武器であった。

ひと目で自国の装備と遜色ないものと見て取ったアームストロングは、言葉を失った。

まさかもう裏でイギリスとそこまで突っ込んだ交渉が始まっているというのか……元宗主国の悪辣な駆け引きを実際に知っているがゆえに、いろいろな想像が彼の中で爆発的に広がっているのだろう。台頭しようとしている元植民地の足を引っ張ることに余念のないイギリスならば、対日交渉の邪魔を企てたとておかしなことはなかった。


「さて、この新式銃がこの地にどれだけ持ち込まれているのでしょうね。…もう一度お尋ねしますが、我が国の3000の兵相手に、圧勝できるとお思いですか?」


そうして押し黙ったアームストロングから目線をそらして、颯太は立ち尽くしているハリスの方を見た。


「どうしたのです? お帰りはあちらですが。…我が国との交渉が決裂して、大統領閣下の命ぜられた初代領事就任に失敗した貴殿にどのような評価が下されるのかは大変興味深いのですが、まあこちらが責任を感じる性質の話でもないので…」

「…まっ、待ってくれ」

「アメリカとの交渉はご破算となりましたが、まだ他国との同様の交渉は残っておりますので、良きパートナーは他に見つかるでしょう」

「待って、…いや、待っていただきたい」


浮かせていた腰を椅子に落とし、頭を抱えるようにテーブルに顔を伏せてしまったハリス。その見えない顔から苦鳴のような呻きが漏れた。


「…条約交渉を、…交渉をいたしましょう」


みてみんが画像アップを受け付けない…



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