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陶都物語~赤き炎の中に~  作者: まふまふ
【外交闘争編】
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013 下田会談②

勢いで書いてるので改稿するかもです。






「…貴殿のおっしゃるところは理解できますが、われわれは先回の取り決めをさらに前に進めるためにやってきたのです。現状で条文で謳ってもいない事柄についてここで議論することははなはだ合理性を欠きますし、建設的でもないことをはっきりとご忠告申し上げます」


井上様と一緒にやや身を乗り出しがちになった颯太を、強い口調で牽制しようとしたハリスであったが…。


「…それは貴殿が条約内容について国を代表して発言するほどの立場を持たない、賓客として遇する価値も乏しい下位者であるのだと解釈いたせばよろしいのでしょうか?」

「……待て、ちょっと待て」


アメリカという巨大な国の力を背景とした外交闘争で、アジアの未開国相手に恫喝をスルーされるなどということは想像もしていなかったに違いない。

ハリスは手でこちらの会話が勝手に進むのを押しとどめつつ、混乱しかかった思考をまとめようと同行者たちに話しかけている。


「両国の和親条約は、その内容がすでに確定している。この条約内容についての異議をいまさら申し立てられても困惑するばかりです。いまは確定した和親条約が実際に発効しているのかどうかを確認している段階であると我々は理解しています。条約内容の修整を求められているのであれば、まずは我が国の大統領府に国書を送付していただき、しかるべき検討の場を作っていただかねば…」

「我々は条文そのものの修正を求めるのではなく、その実際の運用に当たっての条文の解釈基準を定めたいと考えているのですが」

「…what?」


さすがにこの時代の最先端の民主国家であっても、『解釈基準』という字句は非常に馴染みのないもののようだった。簡単に変えがたいがために形骸化してしまった法体系を現実に即して運用するために、後世の専門家たちは『解釈基準』という法律の恣意的運用術を駆使するようになった。

第9条然り、風営法然り、そのときの『お上』の判断ひとつで法律の解釈方法が変わる複雑怪奇さは、この時代のアメリカ人には理解が難しいのかもしれない。


「条文はそのままでけっこうです。(どうせ次の新条約で上書きされるし)われわれはただ貴国が望まれるままに要求を検討し、受け入れる決断を下してきたわけであります……そのなにひとつ『得』のない決断を貴国との友誼のために下してきたそのあたりを、ぜひとも忖度していただきたいだけのお話でして」


いったん国レベルで決まってしまった条約を蒸し返すのは難しいし、手間と時間がかかりすぎる。

条約交渉の前任者、マシュー・ペリーの残した見事なまでにアメリカ側の要求しか載っていない、幕府が外交交渉になんのビジョンも持たなかったがゆえに出来上がってしまった『受け』一辺倒の条文のありようは、はっきりと『クソ』であった。ダメだこりゃな内容であるのだけれども、それでもそれらを改正するとなると途方もない手間と貴重な時間が浪費されるのだ。まともに向き合おうとするだけでも愚か過ぎる。


(この時代の幕府、ほんと流され体質で主体性なさ過ぎなんだよな…)


条文の詳細についての説明は冗長に過ぎるのでここは省くとしても、全体の構成については、第1条で両国とその国民の友好を謳い、その後の条文で日本国内においてのアメリカ人の権利を公的に確保するために費やされている。

外交童貞のその当時の幕府は、ともかくおのれに『鎖国』という条件戦を課しつつ、口うるさく権利を主張する外国人の言う事を少しだけ聞いてやる、という徹底した受身でことに当たっている。細則とされる幕府側の主張は、上陸してくるだろうアメリカ人たちの行動をいかに下田周辺に押し込めるか、その目的のためにのみ費やされている。

まあ普通にこの条文を眺めろというのなら、もうため息をつくしかない。

歴史の授業では第9条で述べられているアメリカに対する片務的最恵国待遇を与えるという下りで、『不平等条約だ!』と教えられた気がするのだけれども、実際には条約を結んだ一方の当事者である幕府側の『無知による要求ナッシング』のせいで、全文に渡ってアメリカの権利ばかりが訴えられるという『不平等』の極致的条約であったりする。


「…えーっと、ですね」


頭の回転の悪い赤点常習生の居残り補講で困り果てる担任のように、「困ったなあ」とこめかみを揉んで見せる7歳児に、同席する大人たちの視線が集まった。まさか後世日本のたそがれた教室風景を知るわけもあるまいが、そのしぐさがたっぷりと状況に対する揶揄を含んでいることだけはなんとなくみなが理解した。


「ハリス殿のお立場からすれば、そう言わざるを得ないことは十分に理解できることなのですが、だからと言ってわが国がはいそうですかと貴国の要求を一方的に受け入れるというわけにもいかないことは、常識ある外交官としてご理解いただきたい」


よどみなく偉そうなことを吐く7歳児に、少しだけ驚いたふうな万次郎が、数瞬遅れで通訳を行う。外国人相手に思ったことをここまで率直にぶっちゃける幕府役人を初めて見たのだろう。

英訳を言い終えてから返したその目が、いままさにふんぞり返って腕組みしてみせた颯太を捉えて、思わず小さく吹き出した。このアメリカ相手の通詞役におのれを抜擢したのが陶林颯太……まさにこの子供役人であると知らされたときには、なんの冗談かと江川様に噛み付いてしまったことを彼は思いだしたのであるが、むろんそんなことを颯太が知るわけもない。


「…しかし現実に、両国の間で結ばれた条文がこのようになっているわけでありますし、改正の要求があるのならばのちに改めていたすこととし、いまは11条に示されますアメリカ駐日領事としてのわたしの処遇を確定していただくことを最優先事項として…」

「いえいえ、最優先事項とおっしゃるのならば、その第11条について議論するよりも前に、第1条、もっとも最初に取り交わされたこの条文について議論することこそが先となりましょう」

「…第1条、でありますか」

「いちおう復唱させていただきます」



【日米和親条約】

第1条日米両国、両国民の間には、人、場所の例外なく、今後永久に和親が結ばれる。



「………」

「和文、英文ともに誤訳はありませぬ。ヒュースケン殿」

「……相違は……ありませんね」


相手側の通詞であるヒュースケンに確認させて、また主賓であるハリスの顔を見つめる。ちらりとヒュースケンのほうを睨んだハリスであったが、続けられた颯太の言葉に、その顔が強張った。


「…よい条文ではありませんか。両国、両国民の間においては、人、場所の例外なく『和親』しましょうと謳っております。まさにアガペの精神というやつでありましょう。すばらしい隣人愛、友愛の言葉であります!」

「アガペー…? 陶林殿は」

「あなた方の国で広く信じられている神の教えについては本で読みました。ああ、誤解のないよう言っておきますが、我が家は曹洞宗です」

「…ソウトーシュウ」

「仏教の一宗派ですね。生家がそうだった(※普賢寺)もので、なんとなくご住職とも面識ありますし……まあこのさいは関係ありませんが」


人と人との会話というのは、どれだけ相手の情報を共有しているかでその距離感、親密度が変わってくるものである。営業とかしている人なら分かると思うのだけれども、話しかける相手のことをどれだけ知っているか、ひるがえって相手がどれだけ自分のことを分かってくれているかで、『心の近さ』というものが劇的に変わってくるものである。

そのあたりのあやを自覚しつつ、7歳児は『ハリス』という個人の間合いへと踏み込んでいく。これがいかつい大人であるならば相手も警戒するだろうが、ちんまい子供ならば心理的バリアーも難なくかいくぐってしまう。

こどもとっけんというやつだ。


「…人と場所に例外なく、お互いに親切にしましょう、と真っ先に謳っているわけなのですよ、この条約は……その『例外なく』という言葉の重みに思いいたしてください」

「………」

「貴殿の要求はあまりに一方的過ぎて、我が国に対して親切ではありません。もっと例外なく、我が国にも親切にしてください。この11条の場合は貴殿の駐日領事就任とのバーターが担保されて初めて、この第1条の条文がその役目を果たしたと見做されるのではないでしょうか」


世の中のものを無条件に信じきっているあどけない子供の眼差しでまっすぐに見つめられて、ハリスははっきりと言葉に窮していた。

横でアームストロング氏が咳払いすることで再起動するも、なお言葉は出てこない。その頬に一滴の汗が浮いて、たらりと流れた。


「…むろん条約の不備については我が国も理解いたしております。貴殿のお立場もありましょう、特別の措置として、仮初めの駐在領事として貴殿を受け入れられるようこちらでもお伺いを立ててみます。…あくまで我が国の同等待遇の駐アメリカ領事が受け入れられるまでの特別な措置となるので、その滞在にいくらかの制限が掛けられることについてはご理解ください。第1条の謳う崇高な精神に基づき、等量等価の権利が我が国にも認められることを願って止みません」

「…それは……大変ありがたい計らいではあるのですが……いち領事に過ぎないわたしの裁量では」

「貴国の大統領にお手紙をお出しください。結果が出るまで、前向きな期待があるうちは……おそらくは我が国の『特別な措置』も穏当に続くことでしょう」


指を組み合わせて、テーブルの上でもみもみとさせている7歳児の様子に、ハリスの目元が痙攣したのだった。


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