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陶都物語~赤き炎の中に~  作者: まふまふ
【外交闘争編】
273/288

010 擦り絵茶碗






「…これが向こうから送ってきた『荷』なんやね?」

「そのようです。次の船で送ると前回に申し送りはありましたんで。木箱の隅に『天領窯』と墨書きされとるんで間違いないと思いますわ」

「…これが、そうか」


木箱の蓋が開けられて、中に藁を緩衝材として詰め込まれた器があらわになる。最初に見えたのはほの青くさえ見える薄手の磁器茶碗で、それが10個ひと組、縄でくくられた状態で横になっている。

粘土は柿野鉱山から掘り出されたカオリン鉱石と、水簸した蛙目土を主原料に調合して作られている。焼き具合のせいもあるのだろうけれども、全体に玲瓏とした青味が見える。

西浦屋江戸店の番頭、平助は主人である西浦円治が兜を脱いだというこの7歳児、天領窯株仲間の代表でもある颯太という子供を、十分な敬意を示しつつ遇している。縁組がささやかれている令嬢は帰郷して江戸には不在であったため、この番頭が江戸店の実質的な主人であると言えるのだが、7歳児を上座にするようにおのれの居場所を定めて、いつ何時呼ばれてもすぐに応えられるよう身構えているふうである。颯太が木箱から茶碗の束を持ち上げて、藁くずが応接間に零れ落ちるのにも眉一つ動かさない。


「…これまでに、荷は3度届いたんだよね」

「…陶林様ご不在のおりでしたので、申し合わせがありましたようにご指定された値段での販売を試みております」


『美濃製陶所』の開所からほぼ4か月、手紙で把握しているあちらでの動きは、最初のひと月で西窯の移築と試験焼が完了。同時期に大原川から引き込んだ水を使った水車動力による杵つき機も稼働し、粘土の量産体制も形になったらしい。

その後ひと月余りは損を度外視してともかく摺り絵による下絵転写の技術確立を目指し、失敗製品の山で土地の一角が埋まってしまうような状態が続いたようだ。報告を受けた颯太の顔色が変わるような損害がこのとき出ている。

そして開所からふた月目に入ってようやく出荷に耐えうると判断された品が出始めて、それらが颯太が残した指示に従って、西浦屋に出荷された。このあたりから江戸にも品が送られ始め、今回がその3度目なのだという。

最初の2回を見逃してしまったのは、言い訳しようもなく自業自得であったため、その腹立たしさはおのれに向かうしかなかった。ロシアから帰った直後は幕閣の要人といろいろ密談的なことを繰り返していたために、身辺警備が厳重になりすぎてまともに出歩くこともできなくなっていた。

役務中のいろいろな『武勇伝』が関係者から漏れてしまったのも痛かった。

本当に天狗の子ではないかとか一部で騒がれて、刀を抜いて振り回す脳筋まで現れたのだから始末に終えなかった。

新式大砲の上覧会と、その後のハリス騒動……上覧会が終わった直後に計ったように届いた下田でのメリケン人上陸騒動が、人々の耳目を掻っ攫ってくれなかったら、ここへ来るのはさらに遅れたことだろう。

阿部様的にはまだ警戒は継続中であり、大勢の警護人を張りつかせての異動なのだけれども、まあ気にしたら負けなので通行人にだけは迷惑かけないでくれと念押ししてほったらかしている。


「…最初のやつは、どうなったの?」

「数もすくのうございましたし、すぐに売り切れましてございます」

「…値付けは?」

「…ご指示されました通り、少々無茶とは思いましたが江戸での有田焼、その同等品の値に、2分ほどふっかけておきましたが…」


颯太の目と、番頭の目が交錯する。

伏し目がちだった番頭の目が、やや上がった。


「…客の反応も上々のようで、口をそろえてこちらのほうがみばがよいと。言われました通り、有田の品も取り寄せて、店先で『美濃製陶所』の新製焼と並べ置いて見比べられるようにいたしておりました。…それらをじかに見比べたうえで、お客さまは「こちらの方が出来がよい」と言われて、迷わずお買い上げくださいました」

「……そ、そうですか」


うれしくないわけがない。

そこまで手間を掛けていないだろうものであっても、有田の品と比べられたうえで、うちの商品を選んでくれたのだから。

颯太はくくっていた縄を外し、茶碗のひとつを手にとって、その出来をしげしげと観察した。

(とう)呉須による下絵付けなので、色合いは藍一色である。その濃淡で絵柄が染め付けられているのだけれども、型を使った摺り絵ならではと言えよう、現代ならば機械的でつまらないと言われかねない、手仕事の『失敗』が見当たらない判で押したような完璧な印刷絵がそこにある。

手仕事でないからこそ可能な緻密な紋様……幾何学的な細かな絵付けが寸分違わずすべての茶碗に施されている。もしもこれらを本当に筆仕事でやり遂げられる職人がいたとするなら、まごうことなき当代一の下絵付け職人と呼んで差しさわりはなかろう。むろんその名人手ずからの作品ともなれば、べらぼうな高値が付くことは請け合いである。

この摺り絵付けの茶碗と『同等品』とされて店に並べられたという有田は、当然のことながらその値段で売ることを前提にした『手仕事』の茶碗である。

どれだけ高くとも1個数百文の茶碗ひとつに、絵付け職人が掛けられる工数などたかが知れている。高級品の有田とはいえその数百文の茶碗に関しては『それなり』の絵付けでしかないのだ。

茶碗の素地自体も、『美濃製陶所』のそれは可能な限り薄手で作らせある。カオリンを配合した磁器土をしっかりと高温で焼成すれば、ガラス化して薄手でもそれなりの強度を持つ。

肉厚が薄いので、当然ながら手に取っては羽のように軽い。

そして一流の職人が手間暇かけたような素晴らしい出来の擦り絵付け。

『美濃製陶所』が生み出した量産品の磁器茶碗。

かたや、まっとうな手間をかけられた有田の磁器茶碗。

江戸の市民は、どちらの茶碗を買いたいと思うだろうか。


「…あの『有田』の2分増しです、そちらの方が売れたと聞いて、最初は耳を疑いました」

「そうでしょう、そうでしょう」


うんうんと頷きつつも、顔がとろけてきてしまう颯太。

そうなのだ、この7歳児の中のおっさんは、こうなることを知っていたのだ。

現代の感覚ならば、機械印刷のものは『安物』、反対に職人の手仕事のは遊びがあっていかにも『高級』そう……そんなステレオタイプな価値付けしてしまいそうなところなのだけれども。

しかし摺り絵技法が商売として本格的に成り立ち始めた明治時代、同様の現象が歴史的に起こっているのである。

機械的なものを『安物』と感じるのは、現代の物が溢れすぎてしまっている時代のズレた感覚である。江戸時代には『機械的』なんてものはなく、それはたんに『機械的作業術を用いた最先端の製品』と当然のように見られたのだ。

『機械的』であることに客はマイナスではなくプラスのイメージさえも抱いてくれる時代なのだ。

そういう先入観によるハンデ戦が排除されれば、当然のように機械印刷の摺り絵と手塗り絵が同列に論じられるわけであり、この場合は正確かつ緻密な紋様を何枚でも再生産できる摺り絵が圧勝することになる。

売値において勝り、生産コストにおいても量産化技術によって大きく水をあけた格好だ。よっしゃ、市場を席巻できる!


「…ならばジャンジャンと売りましょう! 銅版の種類もかなり増やしたそうなので、出荷できる器も種類が増やせますよ! 瀬戸新製よりもずっと高い有田の新製よりも高値で売れるんです、西浦屋さんにはがっぽり稼いでもらってうちの『製陶所』に還元してもらわんと!」

「堀川の浅貞屋さんにいろいろと文句言われそうですが…」

「あっちはあっち、こっちはこっち。大丈夫、浅貞屋さんには『根本新製』でしっかりと稼いでもらうから。『美濃製陶所』はお上の資金で立ち上げられた窯やし、天領窯とは完全に別物……お上のお金で動いとる窯が幕領の濃洲にお金を落とさんのもおかしな話でしょ? 西浦屋さんも尾張様の蔵元やけど、どっちが濃洲の人たちのためになるかっていえば一目瞭然やんか」


『美濃製陶所』の革新的新製焼が市場に出回りだせば、さすがに浅貞屋さんも文句を言ってくるかもしれないけれども、そっちはもう『根本新製』の営業努力で応えていくしかないだろう。それに廉価で売る瀬戸新製とは基本客層は被らないので、既得権益をめぐる喧嘩とかにはならないと思っている。


「…この木箱が、あと何個ぐらい届いてるんですか」

「あと30箱くらいです。江戸だけではなく大阪にも同じ程度の数が送られているはずですから、この3度目の出荷で一気に2000個ほどの器を世に出したことになります」

「…2000個か……西窯の大きさ的にはそんなもんか」

「素焼きに外部の窯元を使う試みがなされているそうですが、なかなか問題が多いようです。焼ける窯が増えれば単純にそれだけ数も増やせるのですが…」

「…そのへんも聞いたわ。荷運びよりも、焼く手間賃で揉めるとか、ほんと本末転倒してまっとる。燃料の薪の値がえらい上がっとるみたいやし、揉めるのもなんとなく理由は分かるんやけどね」

「『製陶所』ができて、そこが薪をえらい数買い込むようになりましたから。薪取りすぎて山が禿ると揉めて、旦那様(円治)が買い取りに苦労されているようです」

「…山が禿る勢いか……それはまずいね」

「まだ『製陶所』ができて日も浅いので、しばらくは問題にはならないでしょうが、焼き物の産地で薪取りの山が禿る話はいくつも聞いたことがございます。瀬戸も禿げた土地がたいそうあるそうです」


やっぱり、大量生産に移るのならば、粘土原料もそうなのだけどそれと並行して燃料の調達手段も確立していかねばならない。薪は本当に環境にかける負荷が大きすぎる。これは知る人ぞ知る話なんだけど、『愛・地球博』の会場が作られた海上(かいしょ)の森なのだけれども、あのあたりは実は瀬戸の窯焼き用のために薪が取りつくされ、この時代いったん禿げ山になっていたらしい。そういう意味ではそんなに由緒ある森でもなくて、住み着いていた希少猛禽類のおかげで後付で付加価値がついただけであったりする。

まあそれはともかく。

手っ取り早く移行するならば石炭窯なんだけども。

くそっ、なんで地元に帰れねーんだ、オレは。石炭窯くらいなら、いまの協力者がいればすぐにだって作ってやる自信があるのに。石炭のほうが火力も上がるし、焼成時間がずっと短縮できるのだ。


…西浦屋の番頭相手に、腕組みしてうんうんと唸っている颯太であったが、現状のところ引っ張りだこの感のある小天狗にそうした自由な時間が無限にあるわけもなく。

廊下から遠慮がちに声がかけられ、すっと障子が開けられる。申し訳なさそうに次のアポ時間が迫っていると告げてくる警護の人たちに颯太はため息をつく。


「…次はなんでしたっけ」

「老中であられる牧野備前守様が上様(※阿部伊勢守)の見舞いに参られます。そのときにお顔を出していただくことに…」

「ああ、そうでしたね。すいません待たせてしまって」


下田上陸が難航している自称『駐日領事』ハリスさんが、強情な幕府の態度に腹を立てて、「言うことを聞かないと黒船艦隊を寄越すぞ!」と下田奉行の井上様に恫喝をくれたらしい。

なんか随分と上から目線で尊大な人らしいね、ハリスさん。

史実では弱腰幕府がすぐに折れて上陸を許してしまったようなのだけれども、今回の幕府はいろいろと強気でありまして、10日過ぎて月が替わってもいまだに上陸出来ていないとか。招かれざる客とはいえ少々かわいそうだったりする。

老中の牧野様か……阿部様と仲がいいんだけど、なんか嫌な予感がするな。


「これひとつ、もらっていいですか」


手に持っていた茶碗を手で振って見せてから、颯太はそれを懐に仕舞いこんだのだった。


とうとう『美濃製陶所』が稼動を始めたようです。

美濃焼の擦り絵物と有田物の話は本当にあったことのようです。そういえば昭和の時代に『マイコン』と付くと高級品に聞こえる時代がありましたな。ははは。

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