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陶都物語~赤き炎の中に~  作者: まふまふ
【露西亜編】
256/288

050 日露秘密交渉⑤






君沢型の初回取引価格は、激しい応酬の末に18750ルーブルということになった。

目途としていた2万ルーブルに届かなかったことで颯太的には『負け』な感じなのだけれども、最後まで執拗に食い下がった彼の粘りがなければ、おそらく1万から1000ルーブルも積み上げられれば御の字みたいな落着を見たことだろう。ロシア側は本当に予算がなかったらしく、哨所にある現金を掻き集めても最大で15000が限界だと居直られたときには場の空気が『もうそれでいいんじゃないの』みたいな感じになって、がっつく颯太をかなり苦しめた。

結局、「どうせ帳簿上のすぐに戻ってくるお金だから」とリターンの速さを強調することでかろうじてその最終価格まで到達したのだった。

750とか、数字が少しすわりが悪い感じになってしまったのは、あいつらが250ずつディスカウントしてくるせいである。欧米人の75好きは、いまも昔も変わらなかった。

金額が妥結した時、颯太はかなり渋い顔をしていたのだが、それはカザケウィッチ氏のほうも同様だった。


((…厳しい!))


幕府の望む価格がある一方、ロシアにはロシアの、ヨーロッパでの軍船売り買いの常識的な価格帯というのが現実に存在している。ロシアがそれでも折れてくれたのは、やはり極東までの回航コストと必要な労力を思えば、多少の割高でも飲んだ方が得だという割り切りがあったからだろう。当然のことながらそのあたりは交渉材料になるので颯太もしつこく言い立てた。

用意された売買成約書に「18750」の数字とともにカザケウィッチ氏がサインをし、次いで回された小栗様のところで、颯太監修のもと小栗様の達筆で『鄭士成』のサインが書かれた。

これと時を同じくして、幕府側でも鄭氏との取引を偽装する作業が進んでいる。あくまで戻ったのちの言い訳用なので、こちらは書き入れる金額の部分は未記載となっている。


(…18750ルーブル……1ルーブルが1分として、4700両くらいか。それでどれだけのものが買い取れるのやら)


後世の円換算で2億円以上の予算となる。

ひとの人生が変わるだけの大金であるのは間違いないのだけれども、いつの時代でも軍隊の装備品というのはべらぼうに高いものである。ちなみに自衛隊の最新戦車である10式は1輌で9.5億円である。颯太が気を揉むのも仕方がなかった。

そして幕府の清国内架空口座に18750ルーブルが振り込まれたことで、次は限度額18750ルーブルのクレジットカードでのショッピングと相成ったのだった。

颯太の提案により、幕府使節団は哨所から軍港近くのレンガ造りの倉庫群へと移動した。倉庫の厳重な警備も、同行したカザケウィッチ氏らの顔パスで通り過ぎる。角材を金具でつなぎ合わせた無骨な扉が押し開かれると、ロシア帝国が苦労して極東にため込み続けた軍需物資の山がついに目の前に晒されたのだった。

整然と並べられた種々の大砲、その火薬と砲弾が詰め込まれた木箱の山。

右を向けば無数の銃器がずらりと壁際に立てかけられ、左を向けば木材以外の軍船用の備品……金属製の部品である大小の滑車や舵輪、ロープに錨なんてものまで一山いくらみたいに積み上げられている。


「…ほぅ」


その嘆声を誰が上げたのかはわからない。

その程度の物ならあるだろうと心構えしていた颯太ですら現物を前にして息をのんだのだから、気持ちが高ぶらなかったものなどおそらくは一人もいなかったに違いない。

中島、石井、そして松陰先生は、夢中になるあまりそれぞれに関心を抱いた物の場所へ吸い寄せられるように歩き出した。それを小栗様は咎めなかった。彼らそれぞれに専門性の高い分野があり、有意義な意見が後で集められると踏んでいたからである。

颯太はむろん、まずはじめに倉庫の中央奥に並べられた大砲群へと歩み寄った。その動きにロシアの要人たちが追随したので、小栗様も何も言わずに後をついてくる。

異国人が倉庫に入り込んだことで、歩哨らも建物内へとそれとなく入ってきて、武器を抱えた格好でそこここに陣取りだしている。

視界の端にちらりと見えた人影に颯太が目をやると、永持が颯太らと武器を持つロシア人歩哨らの間を割るように立ったのが分かった。いわゆる『隠密』である徒目付らしいさりげなさで、警戒に神経を割いているらしい。後藤さんら警護隊も、小栗様を中心に配置を固めている。


「…陶林殿は、どのような大砲を選んだ方がよいと考えてますか?」


小栗様の振りのような問いに、颯太は「砲口の大きいやつです」と端的に答えた。


「撃ち出す弾の大きい大砲ほど破壊力も大きいですし、なにより作るのに途方もない鉄が必要になりますから、国内製造も容易ではないそういうやつが狙い目です」

「…なるほど、内製が難しいものを選んだ方がたしかに得です」


判断基準を共有したことで、小栗様もそこで独自に大砲を検分し出す。

目に見える範囲だけで、20門ほどの大砲がある。それも新旧様々なようで、いろいろな形状をしたものがずらりと並んでいた。


「…ならばこれなどはどうです」


さっそく目についた物を奨めてくる小栗様。

手を添えているのは、ずいぶんと年代物っぽい巨大な臼砲だった。まあたしかに口径はどの大砲よりも大きそうだけれども。

そのチョイスにカザケウィッチ氏が素早く反応して、「さすがはお目が高い」みたいなことをロシア語で話しかける。そんな百年前の攻城戦に使ってたみたいな大砲はいりませんって。

処分品を売りつけようと積極セールスにでたカザケウィッチ氏に、よく分からぬまま頷いている小栗様……危なすぎるので、颯太は素早く割って入って両腕で大きく『×』を作る。


「no!」


きっぱりと否定してみせると、カザケウィッチ氏から盛大な舌打ちが漏れた。んな物置の肥やしになってたような射程の短い古いやつを売りつけようとか、こっちが舌打ちしてやりたいわ。

颯太は倉庫内の大砲をざっと見渡して、適当な大きさの大砲がないことに早々に見切りをつけていた。


(…まあここの船はフリゲートタイプが大半みたいやから、予備の大砲が小型ばっかになるのはある程度しょうがないんやけど)


前にかっぱいだ軽量砲と大差ないそれらでは、今回はあまり食指は動かない。物がなければ最悪それで手を打たざるを得なくなるのだけれども、まだ可能性の段階で簡単にあきらめたりはしたくない。

大口径の巨大大砲がここで見当たらないとなると……もうこれは『現場』から漁るしかないか。颯太は少しだけ思案してから、開け放たれたままの倉庫の入り口を見やった。

ショッピングに盛り下がり気味の『キーマン』の様子に、対応すべく貼り付いていた哨所長のイワノフ氏が気がかりそうに同じく入口の方を振り返る。

その矩形に開いた開口部の向こうには、軍港に係留されたシベリア小艦隊の艦船が日差しを浴びて浮かんでいる。

まさか、という顔をしたイワノフ氏が視線を戻した時には、颯太はすでに入り口に向かって踵を返そうとしていた。氏はむろん、ぎょっとしていた。


「陶林殿……これなどは」


手ごわい7歳児よりも丸め込みやすいと見たのか、カザケウィッチ氏の積極セールスが小栗様に集中し始めているらしく、焦った小栗様から声が掛けられた。颯太がそちらを振り返ると、臼砲ではない『大口径砲』を指さしているのが見える。

一瞬、カザケウィッチ氏が小さく舌打ちしたのが聞こえた。


「それはやめておきましょう」


と颯太が即座に断じたので、わずかに気色ばんだカザケウィッチ氏のトークがこっちへと向けられた。


「…Its cannon、…destructive、High power.(その大砲は、破壊力が高いものだ)」

「This cannon、…Isn't it Carronade?(その大砲はカロネードじゃないの?)」

「…ッ、……Ты меня.」


口を開けかけたカザケウィッチ氏が言葉を詰まらせた。そしてややしてロシア語で「クソッ」みたいにぼやいたので、おそらくは正解だったのだろう。

カロネード砲とは一昔前まで艦載砲として一世を風靡した大砲で、砲身の肉が薄く軽量であるのに大口径化が可能というなかなかに優れたものであった。

颯太のなかのおっさんが愛読した「幸いなる少数」な海洋小説でも、このカロネード砲は途中で画期的最新兵器として登場している。

がこの大砲が最新兵器として活躍したのは百年も前の話であり、その後の大砲が長射程化していく過程で、射程の短さが足かせとなって海洋戦闘の表舞台から姿を消していった。むろん近接戦闘ならば今なお無類の破壊力を発揮する大砲なのだけれども、こうして倉庫に眠っていることからも分かる通り、船に積んだとしても数は少なく、昔使っていたものがだぶつく形で(おか)に上げられてしまっているのだった。

たしか射程は恐ろしく短くて、普通の大砲の4分の1ぐらいしかなかったはずである。当然ながら台場の大砲としては役不足も甚だしい。


「……Its cannon、it inexpensive.(そいつなら、安くしてもいいが)」


なんだよ、在庫処分かよ。

倉庫で無駄に場所喰ってもったいないから、さっさと処分したいんだろうけど。こっちだって運べる量が限られてるんだから、んな無駄なもんはいりません。

それよりも。


「…That big ship(あの大きい船)」


颯太は倉庫の入り口からよく見える、軍港に係留されている軍船の中でも、ひときわ威容を誇っている3等戦列艦を指さして、


「Please guide me、”Big ship”(案内してください、大きい船)」


ニコッと笑んで見せる7歳児に、カザケウィッチ氏は目を見開いて身体をぶるりとおののかせた。沈鬱そうに顔を伏せたイワノフ氏と相まって、小さい子供に大柄なロシア人二人が気圧されているようななんとも滑稽な光景に、こらえきれず小さく吹出したのは小栗様だった。

とっさに口元を隠したものの、まったく隠せてない。

物がないんなら、ある場所に行けばいい。簡単な話だった。


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