049 日露秘密交渉④
ひとくちに大砲、と言っても種類は多い。
大口径から小口径、砲身の長いのから短いの、射角調整の取り易いもの取り難いもの……むろんその金属材質の違いや製造年代の新旧にいたるまで差異はかなりある。
先年、颯太が『根本新製』一式と交換で手に入れた大砲は、艦載ゆえに重量負荷の軽いおそらく20ポンド以下の軽量砲だった。
大砲の性能に疎い者たちならば、見ただけで感心してしまうような大きさを持っているものの、正直射程距離はあっても破壊力に見劣りするものであったりする。しょせんは船足を重視するフリゲートがメイン備砲にしていたものなので、それはまあ仕方がなかった。
颯太が思うに、江戸の台場に築いている大砲陣地に据えるものとなると、これは固定砲台であり移動する必要もないので、射程距離と破壊力に優れた『重砲』がおそらくは最適なのだ。小型船なら一撃で致命打を与えるくらいの重砲こそが、台場要塞にはふさわしかった。
さて、かっぱぐのならば数は少なくとも60ポンドクラスの重砲……それも砲身の長い長射程のものを最優先にしたい。ライフリングとかある鉄製の新しいやつならば御の字である。
(…相手は大砲を手放すのにかなり難色を示してる。おそらくその前回の『大砲10門』がいろいろと問題にでもなったんやろう……あれはかなりかっぱげたけど、ちょっと警戒心を抱かせてしまったのはまずかったかなー。…まあ今回もなんやかんやで相手が軍人さんとか、『絶対背中押すなよ』と煽られてる気がしないでもないんやけど)
目の前にいるニコラエフスク哨所長ボリス某氏もそうであったけれども、シベリア小艦隊などという僻地での寒冷かつ過酷な勤務を押し付けられているカザケウィッチ氏も、相当に抑圧された思考回路を持っているに違いない。
『上の意向』で軍需品関係にはNGワードが設定されている様子であるから、颯太のほうも『条件戦』に合わせた思考の切り替えを行うべきであろう。
(ちょっと『小石』を投げてみるか…)
颯太は相手から目を離さないままに軽く深呼吸した。
「…I'd like to ask you…(お聞きしたいのですが…)」
さらりと英語がその口から発されたことに幕府側同席者たちが違和感を覚えて視線を集めてきたが、本人はほとんど確信犯的に完全スルーして、本来のたどたどしい形の質問を続けた。
「”KIMISAWAGATA”、Exchange(交換)、cannon、no……ok?」
「…That's right」
颯太の目がカザケウィッチ氏の表情の変化を見定めている。
「…石井殿、『別件の取引』を英語で」
急な振りにきょとんとしていた石井が、泡を食いながらいくつかの単語をぶつぶつ吐き出したあと、「『でぃふぁれんと、でいいんぐ』でよいかと…」と英語を出力してくる。
「『買う』は」
「『ばぁい』です」
まあたぶん伝わるだろう。
「…different dealings、…We'd like to 『buy』 a cannon.」
「………」
大砲をお金で買いたい。別件の取引として。
颯太の意図は、ややしてロシア側にも伝わったようだった。
船との交換で大砲を出すのはまずい。そう上から止められている。極東まで運び込むだけでも大変な軍需物資を、貴重な軍船を購うためとはいえ物々交換で放出するには抵抗がある……ロシアの上層部はそのように考えている。
それよりも少量で価値を持つ金銀の貨幣ならば、運搬の負荷を考慮しても放出するのに抵抗は少ない。ゆえに金銭での取引をロシア側は持ちかけている。
おそらくこの場で君沢型の引渡しが行われるとしたなら、それは金銭での販売という形をおいて他にはなかろうと颯太の直感は告げている。ロシア側としては、ここで金銭のやり取りを発生させておいて、それを既成事実として通商条約を迫るなんてことも企んでいそうである。
「…Is it possible?(可能ですか?)…yes? no?」
「…When I can receive the suitable price.(相応の対価をいただけたならば)……yes」
物々交換はダメだが、金銭での売買なら受けるという。
ちょっと不思議な話ではあるのだけれども、これは原始的な取引である物々交換という行為が即物的すぎて、損得感覚がかみ合わず上手くいかない典型的な例であったろう。
両者が持つ商品の価値が多分な主観で成り立ってしまっているがために、目に見えない『期待値』が判断を邪魔してしまうのだ。この場合はロシア側が、地球を半周してくるような多大な運搬コストを世界情勢に疎い後進国の人間に安く見られることを極度に恐れていることが原因であったろう。
それがなぜ、金銭での売買ならOKなのか。それは貨幣という数量的なものに価値が置き換わるために、両者のイメージがピントを合わせやすくなるからである。問題が金銭の量となれば、ロシア側も目に見えない運搬コストも価格に反映させやすくなる。
人類に貨幣経済が浸透したのも必然であったろう。
むろん幕府側としては、国是である通商の禁を破るわけにはいかない。
颯太の目は本来ならここにいるべきある人物を思って入口のドアを見、そしてそこで不動の姿勢を保っている番兵の機械のようなまっすぐな視線を目で追った。そこでまたカザケウィッチ氏と目が合った。
「…Mr. Zhen(鄭)、no call?」
「……Chinese、not sold、Weapon(中国人には武器を売らない)」
現在絶賛清国の領土を侵食中のロシアにとって、おのれを殺すことになる武器を相手に売り渡すことなど論外なのだろう。
あのクソ商人と初めて話し合いを持ったとき、いろいろと悪巧みを囁かれたのも、そういったロシアの頑なな拒絶が裏であったのかもしれない。ゆえにさもシベリア総督が取引の件をおのれに託したみたいなことを言って、幕府の足を引っ掛けにきたのだろう。
やつがここに呼ばれなかった理由はいろいろとあるようだ。
当人を呼ばないというのならば、まあ本人不在のままその『名義』を貸してもらうこととしようか。ロシア側の合意さえあれば、すべては帳簿上のつじつま合わせて何とかなってしまうだろう。
そのあと颯太・松蔭・石井の三位一体英会話術で展開された颯太の提案とは…。
三国間貿易(ただし一国は名義貸し)。
後世のグローバル化した世界経済のなかではかなり一般化した貿易の形である。
第三国『C』の商人が、『A国』と『B国』の間にあるビジネスチャンスを読んで活動し、物やサービスのやり取りが『C国』を介さず『A国⇔B国』で成り立ってしまうような貿易を指す。この場合『C国』の商人は金銭的利得のみを得る。
この秘密取引が始まるときに、その第三国の商人に当たる鄭士成が颯太に対してほのめかしたのもこの三国間貿易だった。
颯太はクソ商人が揉み手しながら提案してきた台詞を鮮明に思い出していた。
『…貴国の用意する軍船を、われわれがいったん買い取らせていただいた上で、それをこちらの『都合』でスイビーリ総督府に右から左の形で『商売』させていただきます。そこでわれらは復路の荷として貴国ご希望のものを買い付け、それをこちらまで『商品』としてお持ちする、という形を考えております』(※長崎編013 唐人屋敷の攻防①)
言い方は悪くなるけれども、ようは『産地偽装』のようなもので、君沢型をクソ商人に売り払って一度キャッシュ化し、それを原資に改めて買い付けたロシアの放出武器を、輸入の許されている『清国』から買い込もうというものであった。
幸いにしてクソ商人本人はこの場に呼ばれてはいない。ならば二者間で話を詰めて、都合のいいように使い倒してしまおう。
7歳児の黒い笑顔に、ロシア人たちもまた憂いを晴らしたような笑顔を咲かせた。腹黒い国際外交の姿がそこにはあった。




