041 異文化交流? イギリスとの接触⑤
書き直ししすぎでよく分からなくなりました(^^;)
とりあえず更新しますが、改稿するかもです。
青と黄色の2色旗は、アルファベット対応は『K』。その意味するところは『貴船との通信を求める』である。
後世に国際信号旗として広まることとなるその旗による通信は、イギリス海軍のそれがそのまま取り入れられている。それほどまでに世界の七つの海でイギリス海軍はもっとも大きな影響力を持ち続けていたのである。
通じて当たり前と彼らが信じていたのかどうかはともかく、時を置かず短艇に乗った士官っぽい使者がやってきて、軍人らしいきびきびとした敬礼のあと、艦長直筆の書状をうやうやしく手渡してきた。
それは正式な捕虜返還交渉を要請するものだった。
むろん書面は英語、それも達筆な筆記体であり、受け取った幕府側は解読するにも難渋することになるのだが、蘭書を読み慣れていた石井がわずかながら理解できる単語を拾い出し、それを『英語を知らない』はずの7歳児がざっと読み下して、全体を直感的に意訳するという謎のコンビネーションでどうにか内容は周知されたのであった。
むろん颯太のそれは苦しい小芝居であるのだけれども。警護隊の脳筋どもや純朴な石井青年は素直に信じてくれたのはよかったのだけれども……小栗様や中島の視線がなんとなく痛い。偶然! 偶然なんとなく分かっただけなんですって!
(…さて、交渉の場は予想通り両陣営の中間地点か)
あちらからの書状には、交渉に先立っていくつかの前提条件が書かれていた。
会談の場所は両船の中間、双方から小船を寄せての海上にて。それ以外は受け入れかねるらしい。刀を振り回す蛮人の船に心許ない数の護衛のみで上がりこむのは命の危険を感じたのだろう。
交渉は互いに1名の代表者が立ち、それぞれに通詞がひとり、護衛は最大で3名、漕ぎ手の水兵が2名ということになった。
海上での会談には、これまでの失礼に対する詫びの意味も込めてあちらは艦長自らが来るという。
ならばこちらも使節団の最上位者であるわたしが出向こうと、小栗様が異様にやる気を示したのだけれども、それには颯太だけでなくほかの面々からも『幕府の威厳』を保つために待ったが掛けられて、ナンバー2である颯太が赴くこととなった。相手は集団のトップとは言えしょせん戦場で100人程度の兵を率いる足軽大将程度の格だと……腹黒7歳児が周囲に吹き込んだのも大きく作用していた。
そんなうらやましそうな顔されても、こればっかりは譲られません、って。
だって交渉は不可抗力的に英語にならざるを得ないし、それに対応できるのは現状自分しかいないのだから。…もっとも、公式には颯太も英語が喋れないことになっているのだけれども。
「…しかし困りましたな。こちらには英吉利通詞がおりませんぞ」
当然の成り行きで、随伴する通詞についての議論となってしまった。
ちなみにロシアにいったときの通詞はどうするつもりだったのかというと、これは鄭家側で用意されていたりする。鄭士成はもうシベリア総督と面識があるのだから任せて悩むこともなかった。
「あちらには唐土の言葉を話す通詞がいたはずだ。ならばこちらも唐土言葉を分かる人間を連れて行けば…」
「(実際必要なんかないけど)片言でも分かる方はいらっしゃいますか?」
颯太の問いに、そこに居合わせた幕府の人間たちは一様に首を振る。そんな語学に堪能な人材など、そう簡単にいるはずもなかった。
水夫や船大工らを見渡しても、むろん該当者などいない。もしかしたら戸田村でロシア人と共同作業をしていた船大工らならば、あるいは片言のロシア語程度ならば分かるかも知れなかったけれども、今回は用を成さない。
思案するなかのひとりが、急に思いついたように声を上げた。
「そうだ! あの『先生』ならもしや…」
石井がおのれの思い付きに対する同意を求めるように、視線を皆にめぐらせてくる。ここで『先生』などと呼ばれる可能性のある人物など、あの人しかいない。
小栗様もその思いつきに理解を示し、即座にここにつれてくることを許可した。
その『先生』とはむろん、下の貯蔵庫で軟禁中の密航者……松陰先生のことであった。
あまり血の巡りのよろしくない一般人にとって、『先生』と呼ばれる人間はときに知性のスーパーマンであるように捉えられることがある。それは無責任かつ過剰な期待に他ならなかったが、今回は非常に珍しく、たしかに期待するに足る十全な知性を具備している見込みのある『先生』だった。
弟子とともに突然明るい場所に連れてこられた松陰先生は、待ち構えていた面々を見、遠くこちらを監視するように漂っている西洋帆船を見て、興味深そうに顎をつまみながらにやりと笑ったのだった。
「…夜間の騒ぎの元は、さてはあれが原因ですな。…ただ事ではないとは思っていましたが、なんと南蛮船とやり合っていましたか……見なさい善兵衛、やはり寝ている場合などではなかったでしょう! わたしの知らないところでなんと面白そうなことを」
「先生ッ、お偉い様方の御前です」
「わたしが牢から出されたのは、あの南蛮船とのやり取りが原因のようですね……よいでしょう、なにを求められているのかは定かではないが、是非とも力になりましょうぞ!」
人間性というか、魂の熱さというか、やはりなんとも暑苦しい先生は健在だった。説明する前から魚が釣り針を飲み込んでしまって、はずすだけで大変なことになってしまっている。
「先生は、英吉利語をしゃべれたりは…」
「ほっ、英吉利語ですと! …むろんむろん、不肖この吉田寅次郎、全身全霊を持って英吉利語通詞に当たりましょう!」
「…えっ、唐土語は…」
「唐土ことばですか、いいでしょう、どんと請合いましょう!」
「………」
自信満々に胸を張って見せる松陰先生に、おうっ!と感嘆する周囲とは真逆に、半眼になる颯太。
爛々と輝く眼差しを向けられて、ほとんど反射的に「あ、はったりだわ」と直感したのだけれども、ドン引きしている7歳児にまわりは気付かない。
そしてあれよあれよという間に松陰先生は『臨時通詞』の席に収まってしまい、半刻後にはその幕末の大偉人と同舟することとなったのだった。
廻船には必ず積載されている伝馬船を海面へと引き出し、それに乗り込んだのは颯太と松陰先生、後藤さん含む護衛3人、そして船の操り役である水夫がふたりである。こちらの動きを監視していたイギリス側も、合わせて短艇を出してきた。
両者の小船が舳先を擦り合わせるように軽くぶつかり、並びつつゆらりと止まった。
外洋なのでやや波が高い。が、そんなことを気にしている余裕もなく、話し合いは始まってしまう。
口火を切ったのは成り行き的にもイギリス側となった。
まずは双方の名乗りとなり、相手艦長の名前が明らかとなる。
勅任艦長ジャック・ベイカー氏は、紳士服のCMに出てきそうな青灰色の眼をした謹厳そうなナイスミドルだった。彼の言葉を受けて、同行の通詞がそれを広東語で伝えてくる。意外かも知れないのだけれども、その通詞も紛れもない金髪のイギリス人である。おそらくはアヘン戦争以後中国南方を蚕食しているイギリスには、それなりに広東語を解する人間がいるのだろう。艦長本人もときおりそれっぽい単語を挟み込んでくる。
会話が始まったことで、颯太は同時翻訳を期待されている松陰先生に眼差しを向けた。後藤さんらも同じようなもので、先生の背中を固唾を呑んで見守っている。
みなの注目を受けて、束の間呆然としていた松陰先生が再起動する。
「…虜囚を解き放って欲しい、と言っています」
見つめる颯太の眼差しに、先生の目がやや泳ぐ。頭が痛い……少しは期待もしたというのに、予想通りのポンコツ通詞であった。
(…そっちは誰が代表なのかと、確認されただけやし……まあ一番前に座ってる自分がまずはその第一候補であるのは歴然としているのだけれども、相手が子供やから戸惑っとるんやろう)
松陰先生の中国語堪能説は、結局会談開始1分も持たずしてかすかな期待すら残さぬ完全さで崩壊した。あまりにこちらの反応がちぐはぐで、相手まで不審げな顔をしだしたところで颯太はすっぱりと諦めた。
(…もう当てにはせんとこう)
しかしまいったな、間違いだらけでも大筋言い当ててくれたら、それに乗っかって交渉するつもりだったのに、これでは会話自体が成り立たない。
…しかし颯太のあきれ返った眼差しを受けてなお、松陰先生の『エア通詞』の熱演はへいっちゃらで続く。むしろ興が乗ってきたのか、無用に調子に乗り始めていた。
颯太はこめかみをさすりながら、打開策を思案する。
彼が英語で話せばそれで事足りる問題なのだけれども、いままで秘密にしてきたおのれの特異性をそんな簡単に暴露するつもりはない。
ポンコツ通詞は頼りにならない。英語も話せない。そんな縛りの中で、会話を成立させるには……もう最終手段を持ち出すしかなかった。
最小限の回答と、万国共通肉体言語……ボディランゲージである!
『…ほんとうにこちらの言っていることが分かっているのかこいつらは』
そう悪態をついた相手艦長の眼を強く見返しつつ、颯太は芝居がかったしぐさで胸を張り、心臓の辺りを叩いて見せた。そして親指と人差し指でバッチグーと丸を作って示す。
いちおう念のために「YES、YES」と連呼しておく。
颯太のその一連のリアクションに、イギリス人たちはようやく寄る辺を見つけたように会話の焦点をこちらに向けてくる。
『わが方はそちらに捕らえられている捕虜の解放を願いたい。解放の対価として、常識的範囲内での身代金の支払にも応じる用意がある』
どくん、と胸が躍る。
唇を噛んだ颯太が言語の壁を心のうちで乗り越えようとしている間にも、艦長の申し出が続いている。
『特に優先して士官候補生たちの身柄を保護したい。まだ戦いの何たるかも知らない未熟な若者たちだが、それだからこそ若い身空で命を散らせることは避けたいのです。…つきましては身代金について……恥ずかしながらわが方には現在十分な現金がありません。わたしの処分可能な資金すべてをあわせても、50ソブリンが支払の限界です。…その、伝わっておりますかな?』
「YES、YES」
やたらとにこやかな7歳児が、身振り手振りで安請け合いしてくるのを胡乱そうに見やってから、言葉が続けられる。
『その金額で納得していただければ、即座に支払可能です。…それでよろしいか?』
半信半疑なのだろう。「YES」しか言わない颯太を見据えて、明らかな『引っ掛け』を試みてきた。英語の分からない手合いならば、その馬鹿の一つ覚えの「YES」を言質に、強引に捕虜解放を迫るつもりだろう。
艦長の青灰色の目が力を強めて見やってくる。
今にも調子よく出るだろう「YES」を待ち構えたその一瞬。
ぐっと膝の上でこぶしを握り締めた7歳児が、明らかな意思をもって口を閉ざしてしまった。黙して、その笑顔を消した。
「NO」
そこには「NO」と言える海外取引馴れしたおっさんが、1匹紛れ込んでいたのだった。




