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陶都物語~赤き炎の中に~  作者: まふまふ
【露西亜編】
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034 密航者





「いやぁ、身軽になったとたん速いなぁ!」


君沢型の曳航という重荷から開放された幕府船は、明らかに向上した軽快さで穏やかな日本海を何度も蛇行した。

遠征前の最後の調整とばかりに、帆の取り回しの訓練がてら何度も右左旋回し、そのたびにどの程度船体が傾ぐかを船頭が確認している。念入り過ぎるのではと思わないではないのだけれども、彼らが言うに改造をしすぎて船体の重心にいささか狂いが出ているらしい。まだ荷物を積んでいないいましか実験できないと言われては反論のしようもない。

幕府船が身軽になったのとは対照的に、君沢型を曳航せねばならなくなった鄭家のジャンク船のほうはというと、かなり苦戦しているようだった。あちらはこの渡航で同時に交易も継続するらしく積荷が満載している状況であったので、さらなる重荷を背負い込み二重に苦しむこととなった。クソ商人に泣きつかれたものの颯太との根回しが済んでいた小栗様は、涼しい顔で「それほど遅くなったようには見えませんが」とあざやかにスルーした。

鄭家側に人員が偏っているという懸念は小栗様も共有していたようで、あちらの船足を遅くしておくことには賛成してもらっている。


「…これが『国旗』の原型か」


舷側に取り付いたまま首をめぐらした颯太の目には、船の後部、艫のほうに掲げられた(のぼり)が映っている。通行船舶の多い関門海峡の付近では、船籍を明示する必要があるらしく、のぼりには白地に赤の日の丸が踊っている。

本来なら巨大な帆に葵の御紋でも掲げていれば廻りが恐れ憚ってくれるのだけれども、今回の訪露が公式に出来ぬものであるため敢えて無地のままになっている。ゆえに幟を掲げたのだ。

幕府船……千五百石菱垣廻船は、帆柱は1本のみであったけれども、ジャンク船より明らかな優速を実現しており、鄭家側に確実に圧力をかけることに成功している。海の上では、鈍重さはもっとも忌避すべき弱さのひとつであり、それはとりもなおさず海賊の餌食になる危険を孕むものとなる。

颯太の企みにより船足を落としてしまった鄭家の船は、このロシア行の往路では幕府船の存在が身を守る大きなファクターとならざるを得なくなっている。

幕府船が『護衛艦』のような位置づけになってしまったのだ。曳航する君沢型も含め、三隻体制の船団に見えること自体で、海賊避けとして機能しているといっていい。海賊から見れば、3隻分150人くらいの戦力を白兵戦で沈黙させないといけないわけで……そのブラフとしての効果も含め、鄭家側も安全管理としてこちらに足並みを合わせる積極的な理由ができたわけである。


(…帆走性能は十分やけど、長期間の外洋航行を想定するなら、今後和船も帆は増やしていくべきやろう……けど、今回はしゃーない。帆柱は船の根幹やから、後付できるようなものではなかったし)


もしも可能であったならば、改造期間中の無茶振りがさらに増えていたことだろう。風を受けることで大きな負荷にさらされる帆柱は、船底からがっちりと固定しないと持たないものでだと……こればっかりはお断りされていた颯太だった。

ちなみに和船がなぜ帆柱を1本しか装備しないのかというと、先に颯太が触れたがあくまで経済性を追及したためであったらしい。帆柱が少なければ乗員が削減できる。経営の効率をとことん追求する商業国家日本は、江戸時代でもブレていなかった。




さて、北九州沖の日本海で習熟訓練を済ませた颯太たちの乗る幕府船は、対馬沖で一泊したあとさらなる北上を開始した。

予定航路は、北九州から北上して釜山沖を目指し、そこから陸影を確認しつつ後世で沿海州と呼ばれる沿岸部へと伝い上がっていく。沿海州とサハリンに挟まれた海域が『海峡』と呼べるほどの狭さになった場所が、いわゆる『間宮海峡』である。間宮林蔵が発見したとされる、最峡部7.3キロ、長さ600キロ以上にもなる海域である。

目的地であるニコラエフスクは、その間宮海峡の中に河口を広げるアムール川を遡上した場所にある。

だいたい片道4000キロほどの航海となる。里程に直すと千里。母親を探して旅した某子供が三千里も歩き回ったわけだから、船に乗っているだけでいい千里の旅など、楽勝というものだろう。

かくしてついに祖国の勢力圏を離れた遣露使節団。

水先案内人も兼ねた鄭士成のジャンク船が先頭に立ち、それが曳航する君沢型、後ろから監視しつつ追尾する幕府船という船列が出来上がったていた。

颯太たちは、対馬沖を出て次の日には薄青く見える朝鮮半島の陸影を見晴るかせていた。

無人の船一艘を曳航しながらの鈍足な旅路であるのだが、春から夏へと移り変わるこの穏やかな季節は当たり前のように好天が続き、風も程よく吹いていたのでかなり効率よく距離を稼げているようである。


「…あれが朝鮮半島ですか」

「念のためやけど、寄る予定はいまのところないです」

「…初めて目にしたとつくになので、惜しい気がしますが」

「李氏朝鮮の苛政は有名やから、あそこの土地はいまそうとうに干上がっているんやないかと思います。抜け目のないあのクソ商人が避けて通るぐらいやから、まあ推して知るべしなんですけど」

「…いつもながら陶林殿は海の向こうの事情にお詳しいですね」

「……情報収集を怠ってませんから」


いちおう鄭士成からそのへんの情報を集めていたことにしておく。

小栗様の見透かすような眼差しが痛いんだけれども、気付かないふりを続ける。


「たぶん半島の東海岸をなぞるようにこのまま北上して、清国領の沿海部のどこかに一度補給に立ち寄るかもしれないぐらいですか。…ああ、あいにくとこの船は上陸とかはしませんよ。この航海自体が秘密裏なものなんですから。補給はあっちの船で行い、補給物資を買い取るような感じになると思います」

「…あちらの船に乗れば、こっそりと様子見ぐらいはできるというわけですか」

「好奇心は猫も殺しますよ」


釘を刺しつつも、その気持ちが分からないでもない颯太である。

海外旅行など想像もできなかった時代である。一度でも海外渡航した経験があるのなら、まだ見ぬ異文化の地に足を踏み入れる、あのぞくぞくと身が震えるような興奮は体験したことがあるだろう。渡航先の情報が溢れていた現代でもそうなのだ、この情報封鎖された鎖国時代の人間にとって、外国とはまさにファンタジーな美化されまくった世界に他ならなかったであろう。沿海州などウラジオストック以外めぼしい都市もない、ほんと何もない辺境なのだけれども、小栗様にはそこは紛れもなく文化の進んだ清王朝の輝かしい版図の一部に他ならなかった。

船団の速さから推測して、このままの好天が続くなら一日でだいたい200キロぐらいの距離を稼げるだろう。何もなければ20日ぐらい後には、目的地であるニコラエフスクに到着するだろう。

皮算用した颯太であったが……それがフラグであったのかどうか。




順調に見えた船旅に、ふいに陰りが差したのはそれから3日後のことだった。

そろそろ半島を眺めながらの区間が終わり、北東へと進路を変えるのではないかと思い始めていた頃合のことである。

先頭を行く鄭家の船から小船が向かってきて、総官のひげもじゃが泡を食ったように縄梯子を上がってきた。


「密航者、捕まえた」


ひげもじゃが盛んにまくし立て、身振り手振りしつつ、最後に曳航されている君沢型にずびしっと人差し指を向けた。

えっ、どういうこと?

急に言われてきょとんとする颯太の横で、目を細めて真顔になる小栗様。

不覚にも思考停止してしまっている颯太と違い、小栗様は冷静さを失わず『可能性』についてめまぐるしく検討しているようだった。


「…潜り込まれたのだとしたら、田野浦ですか」


可能性のひとつとしてまずヒットしたのが、あの顔合わせを行った田野浦での一夜らしい。

潜り込まれたのは君沢型である。荷物である君沢型は、見張りのための水夫が2、3人常駐はしていたのだけれども、あの夜は酒を振舞ったのでたしかに油断はあったと思う。

出航してからは鄭家の荷物となったので、見張りもあちらの人間が行っていた。

ともかく来てくれというので、代表者として颯太と後藤さんのふたりが同行することとなった。小栗様も行きたがっていたのだけれども、二人が同時に船を離れるのはダメだと説得した。

船団は帆を降ろし減速している。櫂走の小船はするすると波間を進み、君沢型のそばへと寄り付いた。船側に当たって跳ね返る波に小船が揺れる。

縄梯子をよじ登り、甲板に足をついたところで声がした。

明らかに日本のものと分かる着物を着た人間が現れたことで、『密航者』も助かる見込みを見出したのだろう。田野浦で潜り込んだというのなら、それは紛れもなく同国人であるということだ。


「…あれが捕まえた密航者です」


日本語が一番堪能だったのが本人だったからか、鄭士成その人までもがそこにいた。見れば繋いだ縄を手繰り寄せたらしく、ジャンク船と接舷して、渡し板がかけられている。

10人ばかりの日に焼けた水夫たちが、縄で縛られ転がされているふたりの男を睨みつけている。この時代の密航者など、どんな扱いを受けても仕方のない面がある。とくに異国人の密航など、厄介以外のなにものでもなかったろうから、船主の気分次第で鮫の餌にされることだってあり得たのだ。


「や、これは助かった!」

「こ、公儀の御役人様と御見受けいたす! どうかそれがしらをご同行させていただきたく!」


あー、めんどくさそうな手合いだわ。直感でそう確信した。

そうして名を問い質して、颯太は膝から崩れ落ちそうになった。

いや、あんたらおとなしく牢屋に入ってろよ。まだ出てきちゃいかんだろ。

なんでどうしてこの内密な訪露団に気付いたのだろう……くそっ、やばすぎんだろ。


密航者は……超級の有名人だった。


やっと航海に…。

そしてチェックポイント通過…。

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