006 近習として
正直、林庫之丞という生粋の御曹司が、ここまで人間的な成長を遂げているとは思ってもみなかった。
郷里での天領窯株仲間の争議に参加して、何かに目覚めたような気配があったのはたしかなのだけれど。
その後颯太の破天荒な長崎行に随行して、いろいろと普通でない人物との出会いや斬りあうような激しい言葉のやり取り、目に見えて積みあがっていく幕臣としての勲功……普通ならば一生かかっても経験できないような人生の起伏をわずか数ヶ月で圧縮体験したことを考えれば、なにがしか人物として彫琢されるものがあったとしてもけっしておかしくはなかったのかもしれない。
ザ・土下座。
むやみにプライドの高かった御曹司が、それをなんの衒いもなく即座に断行しえたのは、はっきりとこの青年に現れた『成長』のひとつであったろう。
ビビッていた父親に対しても、萎縮せず思いのたけをぶつけられたのも良し。
面倒を見た甲斐があったというものである。
「このとんでもない『分家』の、仏罰が下りそうなクソ度胸と舌先三寸で、平地に乱が起こりまくるさまを見ました。人が登れないと思った崖を、渡れないと諦めた谷を、この『分家』は鼻で笑うようにあっさりとまたぎ越えていきました」
…あれ?
何か盛大にディスられているような気がするのだけれども。
「その様を後ろから、オレは……わたしは眺めていることしか出来ませんでした。過程などどうだっていいのだと……ともかく何かをした『結果』しか他人は評価しません。『結果』を積み上げた陶林殿が評価されるのは当たり前なこと、指をくわえて見ているしかなかったわたしが目に留めてもらえないのは、ひとえに『結果』を示してないがためなのだと理解いたしました。…分かったうえは、実践せねばなりません」
「庫之丞…」
「まずわたしは、自分の身の丈に合った、できることから手を付けて、『結果』を残そうと考えています。わたしは美濃の我が家の領内で、天領窯というものがどのように運営されているのか、どのような産品を作り出しているのかを見聞きいたしました。わたしはまず『これ』から始めようと考えています」
すっと見上げた庫之丞の眼差しは、興奮にわずかに赤らんでいる。
息子の変化に当てられた父親は、最前までの怒りなどすっかり忘れ去って、感極まったように結んだ唇を震えさせている。
その目がちらりと颯太の方を見、何かを待つようにとどめられる。
息子の言は真なりや? そう聞かれたような気がして、
「…それがしの供を務めつつ、庫之丞殿はよく見聞きし、有為な経験に惜しまず汗を掻いておりました。その姿は役務に関わった多くのお歴々の目にもしかと止まったことでしょう。その言われる『結果』を積み上げていくことで、いずれお声がかりも充分にありえると思います」
まだ庫之丞が天領窯に対してどのような関わり方を考えているのか、その道筋は見えていないものの、真剣かつ発展的に取り組んでくれるのならばきっちりケツ持ちするのもやぶさかではない。
「そ、そうでござるか…」
「偉いですね庫之丞」
内膳様と奥方がテレテレと表情を緩めた瞬間、見えない死角で庫之丞がぐっと拳を握っていたりする。やったったというドヤ顔を見せてしまう辺り、まだまだ青いなといわざるを得ないのだけれども。
そのあと家出息子ととともに屋敷へと上げられ、客人として布団を用意されることになったのだけれども……むろんのことそんな簡単には事が収まるわけもなく。
夜五つ半(21時)ま回ってしまっているというのに、客人をもてなすためとの口実で一席設けられ、颯太たちの長い夜はまだまだ続くのであった。
お子様ボディに動きづくめな颯太はうつらうつらと頭を揺らしながらそれに付き合ったのだけれども、途中からさすがに記憶がところどころ途切れて、酔いと興奮で顔を真っ赤にしている内膳様がうんうんと頷き、それに庫之丞が嬉々として言葉を継いでいた場面ぐらいまでしかはっきりとは覚えていない。
多治見に帰郷した折の株主会合の悶着で、おのれが実家の39株の代理人として参加したこと、大株主として形勢を決める一助となれたことを何度も自慢げに語る庫之丞くんがまぶしかった。
そこまでやりがいを見つけたのなら、今後もぜひ協力してもらいたいものである。
そして話題が長崎逗留中の火薬庫に飛び火したことでいよいよ嫌な盛り上がり方をしていく。この国の大事にまさかわが息子が関わろうとは! という感じに内膳様はご満悦、庫之丞はやり遂げてまいりました的な輝くドヤ顔。危険だと思いつつおねむに頭を揺らす7歳児。
本丸小姓組という大身旗本らにあてがわれる閑職に甘んじている内膳様にとって、輝くようなエリートコースに乗っている阿部派の能吏たちは、ある意味意の届かない別の世界の人々、ヒーローに近い存在であったようである。その方々とお近付きになった息子スゲー、実際にその面子の中でも頭角を現しつつある颯太も同時に分家スゲーということになり、鼻高々な息子の相槌もあいまって、内膳様の庫之丞猟官計画に賭ける期待までもがまずいことに天元突破してしまった。
その間襲い掛かってくる睡魔にぎりぎりで抗っていた颯太であったが、なにかいろいろと頼みごとをされて、「頷かねば寝せてもらえない」と必死に頷いたあたりまでは漠然と覚えている。
そしてついに7歳児は身体的限界を迎えてギブアップ。
気付けば次の日の朝であった。
***
疲れもむろんあったため、朝いつもどおりの時間に目は覚めたのだけれども、布団のなかでぐずぐずとまどろんでいると、本家の家人も長旅の疲れを慮って放置してくれたために、結局昼近くまでその贅沢な時間が継続した。
人間、浅い眠りは夢を誘発するもので、これが冒頭の厨二病症状に繋がることとなる。
(…着手金を千両もゲットしたからには、一刻も早く新窯計画を推し進めないと。『返せ』と言われないうちに…)
現金なことに『返したくない』一心でむくりと起き出した颯太。
遠慮がちに家人に無心すると、紙と筆記用具一式が揃ったので、もらった茶を喉に流し込み、頭をしゃっきりとさせる。
颯太は縁側の平らな床に紙を敷き、石炭窯の概略図を描き始める。
構造はいたって単純なもので、連房式登り窯から一気に近代化して、単房(焼成室がひとつ)、その形状も初期の丸窯をすっ飛ばして昭和初期まで使われ続ける技術的にこなれた角窯にする。
構造は石炭を燃やす焚き口から炎を焼成室に導き入れ、その熱が天井にぶつかって中央の床面に下降する単純なもの。ここで特徴的なのが、床面に開けられる通炎口と呼ばれる穴で、その穴をくぐった熱風は床面に穿った気道を通り、近場に作った煙突へと導かれる。煙突の効果で煙が自然と引っ張られるようになり、内部の熱循環がスムーズになると、石炭の高火力もあいまって、焼物の焼き上がりが薪窯と比べてかなり短縮する。
描いているうちに興が乗って、三面図にまで手を出した。
ふはは。
これがあればすぐにでも陶林家の敷地に建設し始められるぞ。なんたって種銭が千両もあるんだから、窯だけでなく工場だって倉庫だって作り放題だ。
そうして石炭窯の図面が完成したときには、もう貴重な休日がすっかりと潰れてしまっており。お昼も抜いてしまったので、空腹を抱えてお勝手の女中さんに握り飯を所望しようとしたら、晩にはまた、昨晩よりももっと気合の入った酒宴が用意されているらしい。
そういうことならば仕方ない。
お茶で空腹を紛らわせつつ、その酒宴とやらを待っていた颯太であったのだけれども。
部屋に招じ入れられるや、お膳に並べられた尾頭付きの鯛がまず目に飛び込んできて、その瞬間に猛烈な嫌な予感に身をおののかせた。
(…えっ?)
着座するや、すぐに庫之丞から酒を注がれて、乾杯の音頭にあわせて嚥下する。そして酒ののど越しから意識を戻した颯太は、目の前に平伏する庫之丞を見た。
「…ひきつづきわが息子を頼みましたぞ」
えっ?
説明が不足しすぎていてなにがなにやら分からない。なにその分かってもらって当然みたいな顔は。「これで庫之丞の将来も安泰だ、祝おうぞ」って、内膳様、ちょっといろいろと配線が飛んでしまってませんか?
えっ? 昨晩お願いしたって? はえっ?
なんとなくそんなことがあったような気がしないではないのだけれども、どうやら昨晩のうちに、知らないうちに言質が取られてしまっていたらしい。
お役をいただけるまで近習として常にお側に?
ヒック…。
しゃっくりが漏れた。
すいません。
仕事が忙しいです。眠いです。
とりあえずアップしますが、改稿するかもしれません。




