003 福山藩中屋敷にて③
歴史を歪めようとしている自覚がありすぎて、言っている間にも舌の根が干上がってくる。
彼のなかのおっさんが、川から水を引き込もうと地面にスコップを突き立てる。我田引水という響きの、なんとも美しいことか。
颯太は上司たちの様子を伺いつつ、言葉を慎重に選んでいく。
やむを得ない成行きで幕臣とかになってしまっている颯太であるのだけれども、それも後の展開に『役得』があるだろうと見積もって、我慢して付き合ってきたという面もある。そうであるから、我田引水できる機会は十全に利用しなければならない。
アメリカとの現地取引は、いずれ来るだろう『陶林商会』設立に向けた足掛かりにもなる話なのだ。
「あちらに出向いて、率先して見聞を広めよということか」
「いまそれがしたちは海の向こうのことを知らなすぎますし、それによって物事を判断するための視野が狭くなっているように思います。露西亜ですら足元を見透かした交渉をすればあのように崩れるのですから、メリケン国にだっていろいろと対処のしようがあるのかもしれないじゃないですか」
「…ううむ」
「どうです? いっそのこと、我が国の人間をあちらに受け入れさせてしまったら。メリケン国は純然たる移民の国。土地ばかりが広くて人が少ない彼の国に、移民という名の『草』を送り込んでみては。彼らの黒船は御城に大砲を向けて脅してくるのに、こちらにはやり返すすべもない……不公平だとは思いませんか」
「…ッ」
「『草』で大統領の寝首を掻こうというのか!」
「それも可能性のひとつです。…いかがです? 場当たり的に海上戦力を増強するのもアリですが、さて、蒸気船1隻の値段で、どれほどの『草』があちらの国に送り込めますのやら」
いずれアメリカは領事を送り込んでくる。
それが在留米人の安全を守るためだというのならば、こちらだって同じことをする権利があるというものである。その形を作るうえでも、形だけでも守る『移民』が必要となる。
その移民が『草(忍者)』であったとしても、アメリカにその違いが分かるはずもない。この時代にしてリアル忍者大戦が勃発するというのも一興ではなかろうか。
流れで正式な領事館、あるいは大使館を設営することとなれば、情報収集の面で先に放っておいたそれら隠密組織が効果を発揮してくるはずである。
闇雲に金銀をばらまいて中途半端な蒸気船を手に入れるよりもよほど費用対効果が高いに違いない。
「そうして我が国の民を移入させたならば、彼らを保護管理するための幕府の出先機関も進出することになるでしょう。そこに計数のできる目端の利いた人材を投入すれば、来訪商人が言うだけの『ぼったくり』価格と、一般の『正常』な価格の差なども容易に分かるようになるでしょう。それだけでも幕府は列強国に対して取引を優位に進められる材料となるはずです」
「…また途方もないことを」
「…それにメリケン国は指導者である大統領を、『選挙』と申す民草の投票で決めるような、そういう特殊な制度を取っているようです。民主主義と言うそうですが、そうした制度で成り立っている権威ですので、大統領は下々の陳情にしばしば振り回されることがあります。…仮にですが、送り込んだ『草』があちらの市民権を獲得したとするなら、そういったやり方で大統領府を揺さぶることも可能かもしれません」
いつになく滑りの良いおのれの舌に、颯太は内心苦笑する。
アメリカに商会を作りたい。
できるだけ早いうちに陶磁器の輸出体制を整えたい。
そういう彼の内心の焦りが、ここが押し時とばかりに自重をかなぐり捨てさせる。
「…そうかもしれぬな……たしかに幕府はいままで列国に対して受け身に立ち過ぎていたのかもしれん。我が国にあちらの人間が次々に押しかけてくるのだから、こちらからだって送り込んで何が悪い、ということか。…『草』なら幕府で召し抱えると言ってやればくすぶりが千や二千はすぐにでも集められよう。それをいち早くきゃつらの腹の中に送り込んで、獅子身中の虫とするか……なるほどそういう戦い方もあるな」
「いくさは国を荒らすものですので、やるならば相手の領地内で行うのが上策というものです」
「童が知ったようなことを言うが、それこそがまさにいくさの道理。いくさ働きするなら他人の土地で、だ。…『草』を送り込むのならば、それを指揮するしかるべき役所をあちらにも設けるべきだな。かつて源家(鎌倉将軍家)が京に作った六波羅探題のようなものを」
六波羅探題というのは、鎌倉幕府が京都を遠隔管理するために設けた役所である。阿部様の漏らした言葉を聞いて、颯太はその音の響きになんだかしっくりするものを感じた。
忍者大戦の中央指揮所となるのなら、領事館とかいうよりもそっちの方が響き的にかっこいい。
「予想通り数年内にメリケン国が『通商』を求める交渉にやってきたならば、そのあたりの方策を実現するために、交渉内容を誘導する必要があるでしょう。そしてそのときにはうまいことこちらが『折れてやった』的な恩を売り、こちらから向こうへ向かう船便などを格安で協力させるというのも手ですね。交渉時に大統領の名で言質を取っておけば、約束を反故にされることもないでしょう」
「最初からそのようにすると方針が定まっていれば、こちらもおたおたする必要もなく準備しておけるな。きゃつらを『罠』にはめるのか……なかなかにぞくぞくとしてくるな」
「まさかあちらも、カモ葱だと信じていた幕府が手ぐすね引いて罠を張っているなどとは思わないでしょう。…って、阿部様!?」
ふたたび阿部様にぐいと引き寄せられて、頭をぐりぐりと掻きまわされる。
そのとき背中をばしばしと叩かれたので、見ると永井様まで一緒に『かわいがり』に参加していた。
「まさに天狗の鬼謀よ! 愛いやつだ!」
「おもしれえじゃねえかこの野郎!」
「痛い痛たたたたッ」
さすがに暴れてその取り囲みから脱すると、じたばたと部屋の隅にまで逃げ出して、警戒する猫のように唸り声を上げる。
上司二人が「悪い悪い」と罪悪感もなさそうなふうに口にする横で、お付の医師がうつむいて小さく吹出している。味方が誰もいないことに慄然としつつも、颯太は『この機会』が非常に重要なことを弁えて、会話を継いだ。
「もしもその『役所』を作る話になりましたら、送り込むべき『計数に通じた目端の利く人間』が、ここにもおりまする。この陶林颯太をぜひ、末席でも構いませんのでそこで使ってやってはいただけないでしょうか!」
畳に額を擦りつける。
ぜひアメリカに行きとうございます!
唐突な颯太の懇願に、目をぱちくりとしていた阿部様であったが、
「…その願いは、もしやおぬしの窯、天領窯とやらの絡みも含まれておるのか?」
「わが郷里の焼き物を、いずれはメリケンども相手に商いとうございます。そのときはメリケンだけではございません! 露西亜に英吉利、仏蘭西……欧米の列強国すべてに商売を仕掛けまする。現状はごくわずかな数を商うばかりですが、いずれ体制を整えまして、大商いにも対応しうる窯元にしていく所存」
存念はこの際包み隠さない。
いろいろと鋭い阿部様のような人に対して、中途半端に隠し立てするのは逆効果になりかねない。むしろ大いにアピールして、それが『陶林颯太という馬を走らせるための人参』だと具体的に理解させておいた方が、のちの『恩賞』として下賜される可能性がぐっと高まるというものである。
「…幕臣としての出世は望みもせぬが、こと焼き物の商いになると火のように滾りおるな」
「是非に! 是非に!」
押しまくって引かぬ7歳児に、音を上げたのは阿部様のほうだった。
とりあえず露西亜との取引を成功させたら、その功をもって考慮に入れてもよい、という言質を取ることができた。
よっしゃ!
(アメリカ行きの切符(予定)、手に入れたったし!)
この時代に渡米できる人間は、それはもう恐ろしく限られる。
いろいろな要件がかみ合わねば決して手に入れることのできない、それは超絶のプラチナチケットにほかならなかった。




