表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
陶都物語~赤き炎の中に~  作者: まふまふ
【長崎編】
200/288

018 面接会






おのれの背負って立つ『国』の損得を見極められる聡さと、その判断に付随して否応なく押し付けられる巨大な責任に向き合える度量、そして言葉のほとんど通じぬ異郷でそれでも交渉を成し遂げるコミュニケーション力……などなど、宇宙飛行士の一般公募並に激高なハードルを想定していた颯太であったのだけれども、そもそもそのロシア行におのれが出張らなければならないという大前提があるのならば、それに合わせて条件を緩和するのもやぶさかではなくなった。

というよりも、緩和しなければ選びようがないという現実が目の前にあったりする。


「陶林殿の御眼鏡にかなうかどうかは分からぬが、経験を積ますのならばこやつらのうちと思う者を集めた。どのように選ぶのかは任せるが、当所のほうにもいろいろと都合がある。支障があると感じたときには口を挟むゆえ、あらかじめ言っておくぞ」

「了解しました」


かくして伝習生が7名、颯太の前に正座で並んでいる。

永井様から指示されていたのか、颯太が年長の伝習生たちに居住まいを正してお辞儀すると、彼らもまた平伏して左から順番に名乗り出した。


「当伝習所生徒監を務めます勝麟太郎と申します」

「同じく、それがし矢田掘、矢田堀景蔵と申します」

「それがしは永持亨次郎と…」


伝習生のまとめ役である生徒監3人はむろんのこと、颯太の持込みが幕府の御用である都合上、その他も旗本かその陪臣関係ばかりのようである。

勝、矢田堀、永持のほかに、中島三郎助、佐々倉桐太郎、下曽根信之、石井修三と続くが……名乗られはするものの、颯太の生半可知識に引っかかるのは勝麟、勝海舟ぐらいである。矢田掘と永持は酒席で顔を見ているのでこの時代でのリアルの知識として知っている。

皆大体同じぐらいの年の頃であろうか。二十代半ばほどの青年たちは、目の前に座る6歳児を食い入るように見つめている。

将来の偉人たちに値踏みされていると思うと口の辺りが引き攣ってくるのだけれども。

まあ値踏みしているのはこっちもなのだが。

ふと異質な眼差しを感じてそちらを見ると、石井と名乗った金壺眼(かなつぼまなこ)の小男と目が合った。やや落ち窪んだその目もとには血色の悪さがあり、すぐ近くの颯太を見るためだけに目をすがめているあたり、相当に視力の悪い男に見えた。


「…面白い顔でもありましたか」

「……ッ!」


揶揄するような颯太の応えを受けて、慌てて首をすくめるがもう遅い。

再度の上目遣いも正面から見返されて、石井は観念したように思いを口にした。


「大変失礼を……陶林様のお顔を、以前見たような気がいたしまして」


面識があるのは当たり前であった。

どうやら石井は以前……まだ一年にもならぬ数ヶ月前のこと、まだ颯太が『草太』であった根本新製の決死の売り込み行脚の途上で、ほんとうに偶然の出会いでここまでの奇運を開くことになったあの戸田村でのエフィム・プチャーチンとの邂逅……まさにその現場である戸田村の海岸に、この青年も居合わせていたのだという。

目をしょぼしょぼとさせている、気弱げなその様子からはとうてい想像ができないのだが、あの韮山反射炉を建設した江川坦庵(英龍)の縁者であり、いくつもの大切な蘭書を翻訳しているその道のたいした秀才であるらしい。

ちなみに誰もが経験したことがあるだろう学校での集団教育で、「気を付け」「前へ倣え」などのやり方や、船乗りの「ヨーソロー」などを日本語に翻訳したのもこの石井青年であるのだが、むろん詳しいことをこの時点の颯太が知りようもない。

その才能を買われて、あの戸田村でのスクーナー建造に立ち会っていた彼が、颯太を見ていたとしてもなんら不思議はなかった。


(このひと、プチャーチンと面識があるんだよな…)


蘭語に堪能、露西亜人にも近くで接していたことがあるのならば、これはなかなかな加点対象であるだろう。

伝習生たちはこの時点で颯太がどこの外国を指して『海外』と言っているのかは分かっていない。が、後世に名を成すだけの敏さを備えた幾人かは、面接官(6歳児)の反応をつぶさに観察して、渡航先のおおよそを想像しているに違いない。石井青年が好感触を得たことで、採用の門が狭まったと察した彼らの中の一部が猛烈なアピールを開始する。海軍伝習所一期生として上の者から見出されるに至っている彼らに、おのれを売り込むことの重要さを分かっていない者は少なかろう。

鎖国下のこの国ではまず議論にさえ上がらないだろう海外渡航のチャンスが与えられるばかりか、その後に継続して相手国との外事に当たる長崎奉行直下の『御役』に抜擢されるかもしれないのだという。

伝習生たちは年齢的に家を継ぎ役も継いでいる者たちが多かったが、幕閣が意のままに新組織に配置換えできてしまう程度の小身である彼らにとって、阿部伊勢守から長崎奉行へと繋がるラインは、まさに一気に成層圏にまで吹き上げられるジェットストリームに見えたことだろう。その最先端で空へと昇っていく陶林颯太という小天狗がその上昇スピードを体現しているのだから、これほど説得力のある話もない。これからは花形になるだろう『外事』に携わるチャンスであるということも大きかった。


(…本当は個別に別室に呼んで、圧迫面接とかやりたいところなんだけど。一対一だとこっちが圧迫されそうな勢いやしなぁ…)


「それがしは以前伊勢守様に海防の意見書を認められたこともござれば! ちっ、おまえさんらうるさいよ! まずはおいらから……陶林殿、それがしはこれでも直心影流皆伝、護衛としてもお役に!」


勝麟も必死にアピールしてくるんだけど、ごめん、あんたはだめだわ。引き抜いた後の影響が怖すぎて不眠症になりそうやし。

この頃、勝麟はまだ時代の流れから頭をもたげ始めただけの有象無象のひとりでしかない。その人的成長の機会がこの伝習所にあったのだとしたら、それを取り上げるわけにはいかない。


「是非に! 是非に!」

「それがし、蘭語には堪能でござれば!」

「算術、天文の読み解きにはいささか自信が!」


やいやいと騒がしい伝習生たちを見渡して、颯太はその騒ぎの中で静かに控えている者たちに目を留めた。

周りがこれでもかと騒いでいるだけに、返って『静かに』しているほうが目立つことを計算してのことなのか。

先ほどの石井青年は伊豆韮山代官江川家の陪臣であるので、幕府の御役といわれても困惑するしかないのだろう。左右から肩をぶつけられるのを嫌って少し身を後ろに下がらせてしまっている。

そしてもうひとり。

細い目をひたと颯太に据えたまま、騒ぎに我関せずと静かに座っている。

あの酒宴のときにも、ひとり静かに酒肴をついばんでいた青年……永持亨次郎である。酔いの勢いのままに勝、矢田掘が上司に絡んでいくのを止めもせず、その影で一番に箸を付けていたちゃっかり者の姿が明瞭に思い出された。


(この人、あのときもずっとぼくを値踏みしてたんだよなぁ……いまも全開でだけど…)


「手前ら、少しは静かにできんのか」


腕組みしていた永井様から一喝されて、にわかな売り込み騒動が鎮火する。

まあアピールしてくれたおかげで各人、たしかに伝習所一期生として送り込まれるだけの『売り』と『情熱』を持っていることは分かったのだけれども。

勝は制止されてもなおおのれを売り込みたそうにうずうずとしていたが、隣の矢田堀に「勝」と小さく釘を刺されてぐっと口を結んだ。甲府の徽典館学頭をしていた経歴を持つ矢田堀は、集団の手綱を握ることに長けているようだ。彼の目配せに、候補者たちが以心伝心の会釈を返す。

そうして皆揃って背筋を伸ばして見せる辺り、伝習所とか体育会系な男集団には必須の、いわゆる『しつけ』が行き届いているものとみえる。

颯太は先入観を排しつつ、各人に質問をしていく。

石井青年には、


「戸田村にいたそうですね。露西亜人たちとの会話は大丈夫でしたか」と問うた。


石井は膝元に落としていた視線を上げて、


「日常的な会話は、こつを掴めば割合に覚えられました。あとは造船作業で飛び交う専門用語のいくつかぐらいでしょうか」と応える。

「露西亜人は恐ろしくはありませんでしたか」

「最初はもう……もっとも、しばらくすれば分かりましたが……進んだ列国人といえども、水夫は大雑把で素直な田舎者でしかないのだと。掌帆長と船匠は尊敬に値しましたが。…あと、やつらは酒を飲ますのが惜しくなるぐらいにザルでしたね」


この青年は気が弱いわけではなく、受身に構えて周りを良く見ているだけなのだろう。しょせんは旗本陪臣、しゃしゃり出てどうするとわきまえてもいるのだろう。

そして端から順に質問を投げていく颯太。

算術に長ずる者、操船術に秀でた者、蒸気機関に生涯をかけるとまで意気込む者などなど、たしかに一長一短はあれど粒よりな才能がこの地に集められていることは分かった。

中島の黒船見学経験などにはかなり気持ちを揺さぶられたのだけれども。

何周目かの質問が終ったときには、颯太のなかで選抜者がほぼ固まっていた。

その気持ちに確信を得るために、なかのひとりへと質問を向ける。


「以前に、外事折衝に携わったことがおありになるとうかがってます。そのとき、相手のことをどう思われましたか」


いっさいそのようなことを言わずに口をつぐんでいたその青年は、隠し事を暴かれて少し驚いたように瞬きした。

ぷくく。

隠したって無駄だって。実はこの面接前に、永井様から候補者たちの簡単な経歴は聴取済みだったりするのだよ。キミ、危機回避して逃げようとしていましたね?

必要なこと以外口を開かないそのいけずな青年こそ、永持亨次郎であった。

彼は以前、日露和親条約批准に際して、全権使節プチャーチンとの会談に出席したことがあったりする。それもかなり深いところまで関わっており、リアルタイムに樺太の領有権や函館の開港問題などが処理されていく経緯をその目で見てきているのだ。

それは非常に有力なアピールポイントであるというのに、この青年はひとっことも口にしようとしない。出世にもまったく興味がないとでもいうように、知らぬ存ぜぬでやり過ごそうとするイケズな男であった。


「何で知ってるのかって言う顔だね」

「…あの折衝では、それがしはただ随行したというだけでして」

「この『御役』がただ事でないと察して、ていよくうっちゃろうとしましたね? いいねえ、いいですねそういう勘の鋭さ! そういうのぼくは好きですよ」


自然と颯太の口元に、三日月のような笑みが浮かんでくる。


「…なかなか察しがよさそうで、いきおい期待しちゃいますね」

「………」

「モノの道理がよく見える者ほど、得られるものがどれほど価値あるものであろうと、『命』を担保にしてまでそれを欲しがることなどありません。永持殿が察せられた通り、この『任』は成せば千金、成さねばまぁコレもんでしょうねえ」


颯太はおのれの首を切る真似をする。

売り込みに目をぎらつかせていたほかの者たちが、わずかに息を飲むのが分かった。

静かになった面々を渡し見てから、「だいたい人選は決まりましたので、ここでお待ちください」と軽々とうそぶいて、颯太はぽんと膝を叩いた。

むろんこれは前世の民主主義世界の面接などではない。

立ち上がり、部屋を移ろうとする颯太の目に、同情の目を集める永持青年が真っ青になって俯いているのが見る。


「呼ばれたら、入ってきてくださいね」


候補者たちに拒否権はなかった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] 書籍を立ち読みした。web版はまだ続けるとの事だか、後何年待てばいいのか教えて下さい、作者さん?
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ