013 唐人屋敷の攻防①
天地会。
その組織についての概要を聴取した結果、颯太が下した判断は、
(黒社会か…)
大陸で言うところの非合法組織のことである。いわゆる裏のスジ、後世で言うならチャイニーズマフィアと呼ぶべき存在である。
むろん歴史チートをいくばくか所有する颯太であっても、大陸の歴史情勢や風習文化などについて造詣が深いわけではない。そういったものがある、と漠然と知っている程度だ。
鄭士成の一族が子供の頃から教え諭され確信するに至っているだろう主観価値観に、かなり脚色されているものであるのだろうけれども、福建、台湾の根拠地から清王朝によって表面的に駆逐された鄭一族が、地下に潜み裏組織として隠然たる影響力を維持したという話、天地会成立当初は反清王朝をプロパガンダとして勢力を形成していたがいつからかそうした政治的な目的を喪失し、その所持する影響力を巧みに利用して金と権力を獲得する互助組織的な側面が強くなった話、そしてその豊富な資金力を生かして海運事業を興隆させたという話が颯太の中で後世的合理性で整理統合されて、改めて冒頭の結論へと至ったしだいである。
昔読んだそっち系のマンガで、国内覇権某組2万数千、かたやチャイニーズマフィア総数50万というのを見た覚えがある。国の人口比を見れば仕方のないことなのだけれども、地域住民が潜在的に構成員化するシシリアンマフィア(イタリア系)のように、貧しい暮らしの助け合いという互助的なものを背景として形成した暴力組織は、根も深ければ組織員も地域ぐるみなので膨大なものになりやすい。
そのマフィアとしての組織力……暴力装置としての力を十全に理解しているのだろう鄭士成にとって、腐敗しきった清の地方役人の追及など痛痒にさえ感じないのだろう。ばれても無問題、そう言い切れるこの男を、幕府側責任者としてどのように扱うべきなのか。
いろいろと表ざたに出来ないことも多いだろう露西亜との取引において、取引相手としてはむしろ評価すべきであるのかもしれない。最後のケツを持つのが派閥領袖の阿部様であるとしても、この取引の方向性を決める決断には相応の責任が発生する。
「当方との取引がどのようなものかはご存知でしょうが、この取引(軍船引渡し)をどのような形で行うことが最適だと思われますか」
まだ握手はしない。
鄭士成にもそのふうはない。
互いに相手の力量をあからさまに値踏みしている。
「貴国が正式な『通商』の形を望んでいないことは知っています。いくら喉から手が出るほど欲しいものがかかっていようと、強欲で抜け目のない紅毛人と交易馴れしない素人が何の備えもなく商売するのは自殺的行為ですね。…正しい判断かと存じ上げます」
黒い瞳がわずかに内なる黒炎を漏らしたように見えた。
外国相手の商売を知っている人間の目だと、颯太は思った。
「貴国の用意する軍船を、われわれがいったん買い取らせていただいた上で、それをこちらの『都合』でスイビーリ総督府に右から左の形で『商売』させていただきます。そこでわれらは復路の荷として貴国ご希望のものを買い付け、それをこちらまで『商品』としてお持ちする、という形を考えております」
清王朝との貿易は公的に許されている。
清と露西亜との取引もむろん、王朝が列強に屈服したいま掣肘を受けることはない。が、戦時の軍船不足という露西亜の弱みに付け込んだ颯太の交渉によって奇跡的にこじ開けられた先進兵器の入手ルートを、同じく外患に悩む清王朝も喉から手が出るほど欲しがるだろうことは想像に難くなく。
嗅ぎ付けられれば拿捕強奪、堕落しきった腐敗役人に見つかれば多額の賄賂を要求されるなどのリスクも考えられる。さらには王朝を蚕食中のイギリスが、ロシアから持ち込む形になる先進兵器の行き先に関心がないはずがない。
「…スキーム、商売の『形』がそうなることについては、現状同意するしかありませんが、わが国と露西亜とのそうした三方交易で、両国の『荷』を鄭士成殿の母国を含めた第三国へ回航することには同意できません。わが国の軍船は直接露西亜領の港へ、露西亜からの『荷』は寄り道せずここ長崎にまで運んでいただくことが絶対の条件となります」
「それは受け入れられません。ニコラエフスク(※尼港)とここを直行して繋ぐとわれらの『商売』が成り立ちません。航路は大陸沿岸の諸港で小商いしながらあまり空荷を造らないのがわれわれの『やり方』ですので」
「目立つ西洋軍船を御披露目しながら清王朝の目と鼻の先を進むつもりとかおよそありえません」
「全長12、3間(約23m)の小型船でしょう? 港では帆を張らずに曳航すればほとんど目立たないです。わが国のジャンク船は形も多くて、あっちの船に似ているのもあるんで、無問題、ばれたりしません」
「『わが国からの荷』のこともありますが、心配しているのは帰りのことです。運んでいただくのはわが国の大切な財産です。むやみに他者の目に晒して、土地の人間のいたずらに悪心を掻き立てるのはよろしくないと、そう言っているのです」
やや顔をしかめて口にした颯太の様子に、鄭士成の眉がわずかに動いた。
おや? という感じだ。
「陶林様はあちらの雰囲気にお詳しいようだ」
なるほど、外国との商売にとんと疎いはずの幕府役人が、見てきたようなことを言う、という顔だ。
彼の国の役人連中が時空を超えて腐敗大好きということを颯太は知っているだけなのだけれど。模範を示すべき統治する側の役人が腐ると、市井も腐る。真面目な人間がいないわけではないだろうけれども、正しい者が馬鹿を見て悪さする者が懐を肥やすのだから、地域の倫理観はとっくに投げ捨てられてしまっているだろう。
目下腐敗役人に激怒して太平天国という大反乱が起こっているぐらいだ、この時代の彼の国もスイカを積んだトラックが横転するのを見たら、運転手を無視して荷物の略奪にいそしんでしまう空気感を持つものと想定しておくべきだろう。
鄭士成の眼差しに、嫌なものが含まれる。
商人がその本業たる商売で喧嘩を売られるときのあの嫌な空気だ。
「…実はそのあたりのことで、陶林様には折り入ってご相談したいことがございまして」
「なんでしょう」
「まあ、その、なんですな」
いやらしく目配せとかしてくる。
気を利かせて人払いしてくれ、とでも要求しているのだろう。
「これは代表でございます陶林様と直接、膝を寄せてご相談させていただきたいと思っておりまして…」
ちらっ、ちらっ、と。
アホか、といいたい。
こちとら老中首座たる阿部様の肝いりとはいえ、かなりの部分陶林颯太という一個人への信頼がこの立場を成り立たせ、責任への保証を得ているのであると言える。
いきなり怪しげな相手と単独で密談などという、痛くもない腹を探られるような真似を彼がするはずもない。
いっこうに動かない颯太に、鄭士成は痺れを切らしたようにようやくその『腹案』を漏らし始めた。むろんふたりっきりの密談であったならば、もっと濃密で毒々しい提案となりえたのであろうが。
「露西亜から手に入れる予定の品々の『商売』を、この鄭士成にすべてをお任せいただければ、わが祖霊に誓って貴国にご満足していただけるだけの富をもたらしてみせましょう! スイビーリ総督府が放出を許可するものがどのようなものになるか次第ではございますが、この鄭士成、きっと数倍、数十倍の金銀財貨にそれらを変えてみせましょう! 商いの手間などはすべてこちらで請け負います。ただ『品』さえわれらに引き渡していただければ、何の労苦もなく数ヵ月後には千両万両の黄金を納めに伺います。手間もなく巨万の富を得られるこの好機を、貴国はけっして見逃すべきでないと…!」
「………」
「天地会の力は紫禁城の内廷の奥にまで伸びております。紅毛人の銃砲は清でも垂涎の的、しかるべき筋にしかるべく商談を持ち込めばどれだけでも財貨を吐き出しましょう。ただこの鄭士成にお任せいただくだけで、ご公儀の宝庫に千両箱が積み上がるのです。英吉利国に苦しめられているいまであるからこその商機でございます、千載一遇のこの好機を…」
なんとも押しの強い男だった。
他人の商売に後から首を突っ込んで、ていよく利益を掻っ攫おうとか図太すぎて目眩さえ覚えた。
これが大陸文化……おそるべし。
口からエクトプラズム的な何かが漏れ出しそうになった。
「…鄭士成殿は……ある程度までこの『取引』について露西亜側から教えられているようですが」
前世であっちの国と取引経験があって、ほんとよかったわ。
ありがとうグローバリゼーション。
「まさかとは思いますが……ここに来るまでに、その件について他者に漏らしたりはしていませんでしょうね?」
ひたと見つめる颯太の視線に、鄭士成の眼差しが落ち着きなく動く。
思ったことをすぐ口にする厚かましさの副作用で、あっちの商売人は腹芸が苦手な手合いが多い。韜晦しているつもりだったら草が生えそうである。
「漏らしたんですか」
「信用できる相手にほのめかす程度には。…何か問題でも?」
「ほのめかす程度って、あんたねぇ」
握ったこぶしがぷるぷると震えてくる。
北の熊どもめ。やつらあの国のことを知らなすぎるにもほどがある。口止めさえしていないらしい。
「商売は常にタネを撒いておくことも重要なので。…それよりも先ほどの話を」
「シャラップ!!」
唐人屋敷に踏み込んだ時点である程度は覚悟していた颯太であったが。
下り最速のダウンヒラー張りのシフト操作で心のギアを上げていく。
颯太のこぶしが、テーブルを叩きつけた。
感想欄でいただいたご意見等、ありがたく胸に留めております。
骨灰の原料論ですが、自覚しつつも物語の流れを壊すまいといったん棚上げにしています。
改稿作業が落ち着きましたら対処いたしますので(完全に満足していただける形にはならないと思いますが)、それまでスルーしていただけると助かります。




