053 陶林屋敷
母の生家に隣接して建築が進んでいる陶林家の屋敷は、棟上げも済んで建物の外観がすでに現れて始めている。
そもそも潤沢な資金があるわけでもない陶林家のこと、阿部様から下賜された支度金と、普賢下林家が参加していた郷里の頼母子講 【※注1】を拝み倒して捻出した借入が着工資金のすべてである。
そもそも代官所の声がけがなければ……冬の農閑期でもあった近隣領民たちがわずかな手間賃で協力してくれなかったらずいぶんとお粗末な屋敷になっていたことだろう。
よくぞたったあれだけの資金で……そう施主である颯太が感心してしまうほど、陶林屋敷はつつましいながらもしっかりと、眼前に『武家屋敷』の構えを見せている。
当面必要となる母屋のみの建設であり、それだけならばさしたる大きさはない。予算が限られていたということもあったのだけれども、そうした屋敷の大きさは陶林家の微妙な身代には相応のものといえただろう。
柿の木畑の斜面に建てているため、屋敷の外観は少し変則的なものとなっている。コテージ風というのだろうか、玄関と3畳ほどの上りの間、竈などがしつらえられた勝手間が始めの棟としてふもとの道に面し、そこから屋根ひとつ分ずつ頭を突き出す奥の2棟が段々に見える。中層の棟に囲炉裏のある8畳ほどの居間と4畳半の床の間、上層の棟に寝室その他家族の居住区。斜面に連なる三つの棟はさながら登り窯のように廊下と階段で繋がれている。
母屋の規模はまあ小身旗本相応であるのだけれども、敷地だけは相当に欲張っていて、粗造りの柵が土手をぐるりと囲んでしまっている。後日古瓦か陶片でも積んで土塀にしてやろうともくろんでいるのだけれども現状はそこまで資材もないために、ほんとに仮設感丸出しの木柵である。
土手の上から屋敷全体を見渡すと、そこだけは武家の見栄として立派に作られている屋敷の玄関側にある棟門とは別に、向って左側のやや離れたところに門柱のみの大きな出入り口が発見できる。現状関係者の作業用出入り口となっているそちらは、いずれ建設する予定である新窯の搬入口となる。トラックの乗り入れを想定したのでかなり大きな出入り口だ。
「こっからだと見晴らしがいいなぁ」
「あそこまで上がればもっと見晴らせるし! 颯太様!」
お幸は嬉しそうに息を弾ませながら、真新しい木の香り漂う柱だけの建物の脇を抜け、土手の上へと登っていく。むろん登り窯にちょうどよい塩梅の斜面でしかないので、傾斜はそれほど険しくもない。職人の往来でぬかるんだ地面に足をとられないよう、颯太はゆっくりとそのあとをついていく。
土手のてっぺんには、立派な柿木が冬枯れした枝を伸ばしている。祖父の伊兵衛がことのほかこだわった実付きのいい渋柿の木である。その根方に、こちらに尻を突き出すようにしゃがみ込んでいる当人の姿がある。
「大旦那様!」
屋敷が出来るまでと実家に転がり込んでしばらく経つためか、お幸の呼ばわる声に親しみが混ざる。声に気付いた祖父が腰を伸ばしてこちらを振り返る。
いつの間に作ったのか、祖父の背後の柿の木に厨子のようなものが見える。
「じいちゃん、お参りするところでも作ったの」
「おっ、草太か」
同じ読みであるのに、祖父が口にするとそれが『草』の字を当てられたものであると分かってしまう。マイペースな祖父を見ているとふっと肩の力が抜けていく。
腰を伸ばして振り返った祖父は、積み上げた石の上に乗せてある真新しい厨子を自慢げに歯を見せた。
「おまんに世話になっとるっちゅう廿原の指物師が挨拶にきとったから、ちょちょっと作らせたんやわ」
廿原の指物師とは、例のティーセットをおさめる木箱を作らせている職人のことだろう。いまは尾張藩酒井氏の領である多治見盆地南部の小村落、後世の多治見市民ならば『三之倉周辺』と言ったほうが通じがいいだろう下街道沿いの山間に廿原はある。
代金のほうは大丈夫だったのか不安になったけれども、どうやらお近づきの印的なノリで作り置きの箱をぱぱっと改造してくれたらしい。
「ご神体は何を入れたの」
「屋敷の基礎を掘っとったら出てきたやつがあってな。…ほれ」
ご神体のありがたみもクソもない扱いで、祖父が日のもとに晒したものは、ねずみ色っぽく黒ずんだ焼物だった。ぱっと見で素焼きっぽいその肌艶から、颯太はそれが大昔の『行基焼』(須恵器)の一部であると見立てる。焼物産地でよく発見されることのある室町時代末あたりの時代の遺物であるから、歴史的なものであることは間違いない。
洗練された土器、その程度の焼き物であるものの、年ふりて黒ずんだその器は高台の異様に伸びた杯のような形をしていて、すぐに用途が思いつかないその奇妙な感じがなんともご神体っぽい説得力を放っている。
「窯を作って家を開いた陶林家や。その初めての家の下からけったいな焼き物が出てくるっちゅうのは、なんやら神さんのお告げみたいに思えてなぁ」
「いい土が出るとこにはこういう昔の焼き物がよう出るもんやけど……いよいよこの丘も昔っから窯向きやったっていうことやわ」
「おまんがここにおらん間は、わしと婆が手ぇ合わせといてやるし」
だから、心置きなくやり抜け…。
そう見えない手で背中を叩かれたように感じて、颯太の寒さに赤らんだ頬に濃く血の気が上った。
「そのうち、じいちゃんもびっくりするような立派な御堂を建てたるし」
「颯太様、こっち」
お幸にせっつかれて、颯太は土手上の最も見晴らしのよい場所に歩を進める。
そこで颯太は肺の中の空気を一気に白い煙にして吐き出した。そこからは大原のなだらかな起伏のあらかたが見渡せた。絶景というほどではむろんないけれども、陶林領となる40石の領地すべてがその視界の中に納まっているに違いない。
「…ほんと、窯を作るにはもってこいのところやな」
「いまはまだとっても無理やと思いますけど、家来もおらんいまなら、倹約すれば5年ぐらいでそれなりの資金がたまると思います」
「…どういう計算?」
颯太の目がおもわず嬉しげに緩む。
いろいろと悪いことの多かったこの一時帰郷であったけれども、この陶林屋敷のように颯太を喜ばせる話もいくつかあったりする。そのひとつが母方の実家を飲み込んだ『陶林家』が家族として機能し始めていたこと、そして主人不在のお家を守る使命感に燃えていたお幸の長足の成長っぷりなどがそれであった。
無教養を地で行く伊兵衛一家のなかで、避け難く家宰のような立場に置かれてしまったお幸は、幼いながらも責任を負って処務を取り仕切り、その過程で背格好ばかりでなく内面でも著しい成長を遂げていたのだ。
すでに頭ひとつ半ほど颯太よりも背の高いお幸が、頭の中でそらんじるように根拠となるもくろみ計算をつぶやき始める。
「…えっと……40石の領からあがる金子が年14両、旦那様のお役職につく給金が21両(支配勘定の役高は100石×0.35=35両)の合わせて35両。…普賢下のお家への返済が10年賦年1両1朱(頼母子講からの普賢下林家名義の借入の返済)、ご家族その他の生活にひとり2両の16両を取り置いたとして、旦那様が御仕事で月1両の12両……一年で5両3分1朱貯まることになります」
京都行でも薬種行李の売上勘定にこだわりを見せていたお幸である。陶林家の中のいろいろな金の動きに強い関心を向け、拙いながらも帳面も付け始めているらしい。この窯資金集めのもくろみも、彼女なりの細かな概算がその裡に含まれているのだろう。
実際はリアルに1年を過ごしてみないとなんともいえないところなのだけれども。とにもかくにも人材不足の陶林家である。彼女の計算ごとに対する親和性が見られることがほんとうに嬉しい。
普賢下林家の累代の債務とかを見ている颯太としては、彼女の言うような単純な積算だけではとうてい成り立たないのは分かっている。近隣との付き合いや親類間の細かな付け届けもあるだろうし、子供への小遣い銭やコミュニティへの寄付(祭とか)、颯太自身の急な出費とかも想定していけば、かつかつになるのは見えている。
陶林家の財政にある救いは、過去の負債がないことと、天領窯という副収入が大いに期待できること、なにより当主が金にうるさいことであるだろう。
ここにお幸という贅沢をあまり知らない管財人が成長しつつあることもいずれ福音となるに違いない。柿の木端の伊兵衛家を吸収した現陶林家の家人は全員貧乏暮らしが染み付いているので、財布の緒をお幸が締めていれば当面冗費が急増なんてことも考えられない。きっちり運営していけば、新窯の費用を貯めることも可能であるといまは信じたい。
不安げな視線を落としてくるお幸を見て、「上出来」と笑ってサムズアップする。華がほころぶように破顔する彼女に、パブロフ的に金平糖をあげることを忘れない。受け取った金平糖を、すぐに口に放り込んでむにむにするお幸。なりはでかいがまだまだ子供である。
颯太は大原の景色から目を転じ、遠く西のほうへと蛇行する小さな川を見る。木曽川水系の可児川に流れ込む小さな小川、姫川である。その流れに沿うようにして続く道を、かつて颯太は京を目指して歩いた。その道は中山道へと繋がり、やがて長崎にも行きつくのだろう。
(普通に歩いたら絶対に着けると思えんけど……船の速さを計算したって、あんまりここに長居はできんかな)
颯太が建築中の屋敷を見ている間に、庫之丞は自領の運営の現状を把握すべく代官所に行っている。おそらく颯太の横で企業経営の厳しさを目の当たりにして触発されたのだろう。
旗本御家人の知行地行政はたいてい幕府が代行しているものなのだが、江吉良林家は根本に代官所を設置していることで分かるとおり自家で運営を行っている。諸大名と同じように税率を自侭に出来るメリットがある分、先代代官が農民に闇討ちされるという事件(※第21章参照)に象徴されるほど知行地行政はシビアなものだ。その気になって帳面を精読していけば、いくらでも埃が出てくるに違いない。
「…後藤さんは、長崎とか行ったことあるの?」
颯太を追っていまようやく頂についたばかりの後藤さんが、白い息を吐きながら顔を上げた。
「船で一度大阪までは…」
「はは、長崎まであと半月ちょっとしかないんだけど、こんな暢気で大丈夫かな、とか思って…」
「いやそれがしにはなんとも……不安に思われるのなら、少しでも早く出発したほうがよろしかろう」
「後藤さんにはまったく関係ないのに、こんな田舎にまで引き回してしまって、迷惑だったでしょう? 変なところで無駄に時間を浪費して…」
「…けっして無駄などと。…いろいろと珍しいことどもを見聞できて、むしろ大変有意義でござったと申せましょう。陶林殿にとっても充分に実りの多い滞在になったようでござるし、…阿部様の秘蔵っ子の小天狗が地元でもそうだったとか、いい土産話が出来申した」
「…早く出発しましょうか」
天然なのか違うのか、プレッシャーの掛け方がうますぎる…。
颯太一行は、翌朝郷里を後にすることとなった。
【※注1】……頼母子講 。仲間内で資金を出し合って、必要を申し出る仲間に貸付を行う金融システム。現在でも田舎のほうではやっているところも多いので、里帰りしたときにおじいちゃんおばあちゃんに一度聞いてみましょう。
今日はここまで。




