052 技術革新のタネを蒔こう
「…絵具の発色はまだそこまでようない。色面に盛る量を頭で想像しながら焦らずゆっくり調整していかないかん。…そこっ、大雑把に筆を走らすな!」
「へ、へえ!」
「ぼくと先生の眼鏡にかなったら、正式な絵師としての給金を出したるし。そうなったら出荷実績に応じて歩合も積んでやるし、なにより『根本新製』の絵師として名も売れる……気合入れてがんばりゃあ!」
根本新製の新たな絵師として養成中の職人たちが、一心に器に絵具を盛っている。
千数百度にまで熱する焼物に『絵』をつけるという行為は、見た目からは想像も難しいほど一筋縄ではいかぬものである。焼き物に絵付けを施すためのアプローチはいくつかあるのだけれども、絵具の性能がまだ未達なこの時代、絵の輪郭線を下絵として素焼き段階で描き付け、本焼成……そのちに融点の低い色ガラスを錦窯で定着させていく手法が一般的である。
日本画をたしなまれている方ならば想像も易い……筆で一定の細い線を、迷いなくきれいに置いて行くという技術ひとつとっても、職人に習得させるのは生半可なことではない。そうした日本画的な基礎技術のほかに、焼物独特の上絵具の盛りとかも要求されるわけで、上絵師への道は現状相当に険しいといえる。
下絵に関しては品野村(瀬戸)から流れてきた四郎佐という職人にかなり期待をかけている。下絵のみで完成まで持っていってしまう瀬戸新製の癖か、筆遣いにやや勢い重視の荒さがあるのが玉に傷だが、幾度かの試行錯誤でそのあたりも修正されてきている。鼻炎持ちなのか所構わず手洟をかましてくるのが危険なおっさんだ。
(色付けだけなら、どんな難度でも結局『ぬりえ』やし、そろそろものになってきとるんやけど…)
時代ならではの技術的な葛藤が、職人たちの成長を阻害している観がある。
絵具原料の材質の均質化がなされていないので、その時々の絵具の発色が変化するし、溶け出す温度とかも若干ぶれる。彼らには絵付けの技術だけでなく錦窯を焚くうえでの『温度勘』も要求されるのだ。
さすがに現代チートでもこのあたりは役に立たない。
(ただひたすら焼かせて勘をつかませるしかない、か……必要なんは分かっとるんやけど、錦窯は金食い虫すぎる)
上絵具を焼き付ける工程は、基本的に『盛りが足らないうち』は追加焼きが可能である。色の薄いところに再度絵具を盛って、もう一度焼くことである程度修正が利いたりするのだ。(※結局塗りむらが出易く完成度は下がる)
絵付けを一発で決められない未熟者は、結局やり直しのためだけに無駄な錦窯を焚くことになる。
絵師見習いたちの中に、ひときわ作業に没頭する周助の姿もある。きゃんきゃんとうるさいやつだが、父親や兄弟子らが座を占めて離れない数に限りのあるロクロを当座諦める代わりに、絵師としての技術を習得することに傾注しているのだろう。先日の暴言はなかなかに許せるものでなかったのだけれども、何事にもこだわる気質が強い職人という生き物は、『素人』に対して上から目線になりやすいものなので、成果さえ上がるのなら今しばらくは黙認しようと経営者としてのおっさんが大人判断を下している。
(一途だからこそ、たしかに伸びが速い……自信のあった絵付けが目の前で割られて、我慢できなかったって所やろうけど。…親父のロクロ回しも意外なほど繊細やし、これが親子の血っていうのかな)
息子が絵師目指してこうして呻吟している同じ頃、父親の小助もまた颯太の持ち出した難題に脂汗を流していたりする。基本焼物の成形というのはよほどの大物や特殊なものを除きロクロで回転させながら成形するのが普通であったが、そこで出来上がる単純な回転体としての焼物……その狭い発想からの脱却を小助らにも求めているのだ。
お題は『花びらのような飲み口の器』である。
ロクロ成形だけでは完成にはたどり着けない……もうひと手間ふた手間掛けねば完成できないと分かっているのに既知の技法では手が届かないという割と意地の悪いテーマである。
古来和食器にもわざと形状を破綻させたり切りっぱなし歪みっぱなし等……いわゆる『あそび』を楽しむ土壌があるのだけれども、シンメトリ(左右対称)至上の西欧的感覚での『あそび』は、侘び寂的な価値観に逃げ込むことの許されぬ『美しい造形』が求められる。
現代であるならば完成品を型取りして鋳込み成形してやれば一発完成であるのだけれども、この時代に粘土を水のようにする薬品(※水ガラス/珪酸ソーダ)もなければ、もっとも簡易な型である石膏もおそらく国内にはまだ存在しない。
颯太は完成のイメージを伝えたのみで、そこへ至るまでの成形法については小助たちに丸投げしてしまっていた。型打ち、タタラ、削りなどなど、いまある既存の技法で、職人たちはゴールを目指している。
(国内窯業で、いちはやく古い発想から抜け出して……維新までにぶっちぎる)
まだまだやらねばならない技術革新は山積している。
希少価値を問われる名品の窯ではなく、世の中のニーズに合わせて多様な製品を用意できる応用力のある企業とならねばならない。家内手工業的ではあっても量産化に繋がる技術は多いし、量産に適した粘土原料やより発色の強い絵具の開発、窯そのものの革新も早急に進めていきたい。
もどかしくもまずはその製作集団の育成が、千里の道の最初の一歩なのである。
「…で、あの娘との……その、『縁談』の件はどうするのですか?」
「………」
あー、お茶が旨い。
冷えかけて出涸らし感の強まったその苦味がまた憎いね。
「いろいろとその後の話もあったようですが、結局最後には改めて申し出られた祥子殿の『縁談』のことです! 行き掛かりはあったもののこちらも納得して矛を収めた後のこと、いくら商売敵とはいえ無碍にすることも出来ないんじゃ……どこへ行かれるのか、陶林様」
「…か、厠」
「もう何度目なのですか……あのときの陶林様の言いよう、さすがに未熟者のそれがしといえど、聞き逃すわけには参りませんでした。娘の幸せを願って頭を下げている親御に向って、あのようなことを口走るとは。…西浦殿が下手に出ているのをいいことにあの言いたい放題、祥子殿の気持ちを考えると……なんですかその顔は」
「…庫之丞クン、ちょっとしつこい」
「祥子殿の人生がかかっているのです! これが黙ってなどいられるわけがない…!」
「…あのさー、きれいさっぱり忘れてるかもしれないけど、いまは長崎行きの大切な公務の間だよ? 絶賛公・務・中! 大切なお役目の途中だというのに、お上の御用と関係のない話で主任者の気を煩わせるなんて、随行者としてもってのほかだと思うんだけど!? …ですよね? 後藤さん!」
いきなり話を振られた後藤さんがびくっと震えたが、さすがは大人、颯太と庫之丞の間を見渡してから「左様かと」と無難な答えを返してくれる。
それでむむっと口ごもる庫之丞を残して、厠へとエスケープを果たす颯太。
交渉ごとというのは、YESかNOの2択なんてことはありえない。結論を持って帰ることもあれば、玉虫色の言葉遊びで場を濁すのもいわば常套手段、…でなければなかなか結論を出さない国会議員先生など全員廃業するしかないだろう。
颯太はため息をつく。
あのクソじじいが、ほんと食えな過ぎなのだ。庫之丞は気付いていないようだけど、土俵際の際どいところまで追い詰められていたあの状態から、『縁談話』を蒸し返すだけの厚かましさが残っていたとは……思考停止に陥った颯太と一瞬で体を入れ替え、足払いを掛けられた颯太は最後にすっ転んでしまった。
竜頭蛇尾とはまさにこのこと。
すべての権威を引き剥がされ、剥き身になってしまったがゆえの円治の疑うべくもない娘の幸せを願う申し出……恥を忍んでと土下座までされて、さすがに跳ねつけることなどできなかった。ああだこうだと言い訳を連ねて、結局は即答を避けるだけで精一杯であった。
***
「…この状況で、それを言うの」
「おそらくこの場がおすがりできる最後の機会になると踏みました。恥も外聞ももはやこのじじいには関係ありませぬ。娘のため、西浦屋の未来のため…」
「元服もまだの幼い子供にそんな『縁談』なんて…」
「新たに家を興され、そのうえ現当主とあらば世間的には元服済み。何の支障がありましょう……むろん正妻としてなどとご無理は言いませぬ」
縁談の蒸し返しではあったものの、その趣旨はすでに大きく変わっていることに気付く。
家の存続のために娘を差し出す……まるで戦国の世の政略結婚のようなものなのかもしれない。結婚による単純な幸せを想い描いているかもしれない祥子の知るすべのない場所で、それは人身御供的な色彩を強めてしまった。
プライドの高い祥子はそれを知って傷つくのだろうか。
「江戸で好みの着物を作る仕事に夢を見とるあの子に、妾になれって言うの」
「娘の他愛もない夢など、陶林様がお気に病む必要はございません。ただ無駄なことは止めよ、離れで静かにしていろと命じていただければそれで済む話」
「…別にぼくと無理に血縁を結ばなくても、もっとふさわしい相手が…」
「あれは、陶林様に想いを掛けております」
円治は廊下の板目を見下ろしたまま、簡単に言い切った。
顔は見えないのだけれども、なぜかそのときクソじじいが笑っているような気がした。
「あれは弟ぐらいに思っとるよ、きっと…」
「いえいえ、それもこれも本人の覚悟を聞いた上でのこと。娘はおのれの意思で、陶林様のおられるあの地に赴いているのです。ほとほと不器用な娘ではございますが…」
「………」
「…これがまだ『男と男』の話の途中であるのならば……そうであると願って申させていただければ……これでもわたしも人の親、情も利かぬ鬼ではございません。娘の想い人がとんでもない悪たれやうすのろでもない限り、…この西浦家に資する眼鏡にかなうような相手ならば、娘の願いをかなえるのもやぶさかでないのです…」
ちょっ!
もう『男と男』モードはとっくに終了してるって! なに雰囲気出して継続してるっぽくするのか分かんないんだけど!
「あんなお転婆、ぼくには御せんし!」
「気の強い女をしつけるのも面白いものと申します」
「物理的に尻に敷かれちゃうし! いじめられるし!」
「陶林様がもっと大きくなれば組み伏せるのも難しくはありますまい」
「め、面倒やし! あの子貰ってぼくに何の得がッ」
どんっ!!
そのとき起こった畳を殴りつける音に、颯太は驚いたように振り返った。
そこにモゲロの呪いを振りまく悪鬼羅刹が顔面をざくろ色に染めて座っていた。その眼光に射すくめられて、颯太はごくりと生唾を飲み込んだのだった。




