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陶都物語~赤き炎の中に~  作者: まふまふ
【独立編】
178/288

050 颯太vs円治②






おそらく西浦屋出入りの仲買人のなかに、ホシはいる。

颯太は昨晩からこの方、ずっと考え続けていた。

その高品質が認知され、出来てわずかばかりの天領窯が窯業の衰退地であった美濃で龍のごとくその鎌首をもたげようとしている。従来であったれば、無条件で美濃焼総取締役という独占力で、その商品は無条件で西浦屋に絡めとられていたというのに、その新勢力は美濃郡代所を交えた西浦屋との駆け引きさえもしのぎ切り、独立独歩のポジションを切り開きつつある。

その夢のような高額商品を、是非にも商いしたい。余禄に預かりたい。

美濃焼業界に貢献してきたと自負するそれらの仲買人たちは、天領窯もおのれたちに利益を還元すべきだと、美濃焼の一筋ならばそうであって当たり前だと思っていたに違いない。ゆえに、粘着するものがいたとしてもおかしくはなかった。

そして颯太の推測はその先へと進む。

美濃焼総取締役…。

尾張藩や既得権者であった旧来からの蔵元と死命を賭けた殴り合いの果てにその『特権』を得た西浦屋……製造技術も低く商品価値の乏しい美濃焼であったからこそ、既得権者たちの妥協を引き出しえたのだとわきまえている三代目西浦円治は、つまらぬものと美濃焼を尻尾切りして見せたその富める者たちを見返すべく、美濃焼振興におのが心血を注いできたに違いない。

そうして尾張藩御用の蔵元として販売権を得た後に江戸、大阪に店を構え、年商2万両……独自の美濃焼販路を築く豪商となりおおせたのである。産地の成長とともに身代を太らせてきた西浦屋にとって、『美濃焼』はおのが分身に等しかった。

支配体制が天領窯の台頭でその根幹から揺らぎだしている。

美濃焼取締所の支配者であるはずの西浦円治であっても、天領窯の貴重な産品である根本新製は手に入れられない。紛れもなく美濃に在所する窯元の品を入手するどころか見学することすらできないのだ。

東濃一の豪商にして唯一の美濃焼特権商人……片田舎のしがらみの中で地元の『有力者』として幅を利かせている円治にとって、天領窯程度の零細窯に影響を及ぼせないことは相当に沽券に関わることに違いなかった。


(クソじじいは金も権力もある……それで商売敵を切り崩しに行かない理由もない。実質的な経営者のオレが不在なら、なおのこと)


動機はあまりに明確。

多分立場が逆ならば、颯太もきっと天領窯を取り込むためにいろいろと策動することだろう。ただそのアプローチの仕方が違うというだけで。

太郎伯父と鑑札を取り交わしたという『近江商人』……そもそもそのあたりから颯太は違和感を覚えていた。

上方へと収斂していく大街道の要衝でもある近江は、特に行商人の多い土地である。上方の産品を売り歩き、帰りは地方の産品を仕入れて上方に向けて売り歩く、いわゆる『のこぎり商法』というやつだ。

行商人の多さゆえに『近江商人』と鑑札を交わしたといえば別段不自然もないようなのだけれども……これは俗説だと前置きして……上方商売で鍛えられた彼らは、この時代そうとうに『がめつい』とされている。生き馬の目を抜く上方、大阪京都あたりの商売は、競争が激しいだけに生半可では泳ぎ渡れないくらいに厳しいものである。

金の重さを知っている彼らが、評判になっているとはいえ美濃のたかが新興の窯元に、直接金にもならない鑑札代で1両もぽんと払ったりするものなのか、と思うのだ。しかも品物を見る目の肥えた彼らが、あの出来損ないを見て『値段相応』と判断したのだというから、違和感もありまくりというものであろう。


(推測だけでその可能性を切り捨てられんから、いちおうは探してもらっとるけど……『近江商人』は騙りっていう線は相当に太い)


なぜ騙らねばならないのか。

その他の土地の商人が騙る理由など何ひとつない。疑われたくない犯人が身近に潜んでいるからこそ、出自を騙ったのだ。


「腹を割って、と申されても……これは困りましたな」


まあ円治にしてみれば、ここは知らぬ存ぜぬで突っ張るしかない。

証拠もなにもないのだから、言いがかりと決め付けて突っ張るのが対処として正解であるだろう。

円治にとって誤算であったのは、天領窯を揺さぶる前に突然颯太が帰郷してしまったことだろう。

抜け荷という美濃焼取締役所の取り締まるべき犯罪を『人質』にとることで、恐るべき速さで武士として商人として世俗的な力を付け始めている颯太の尻小玉(しりこだま)を掴む企みであったのかもしれない。天領窯の経営者としての《損》と武家社会の《面子》を押さえられたら、颯太は封殺される恐れがあった。

が、颯太の帰郷が早すぎたゆえに、美濃焼取締役所が天領窯の抜け荷を問いただすのに不自然でないだけの間を開けることができなかった。表面化もしてない問題に騒ぐわけにもいかないだろう。

颯太は円治の硬い表情を見やりながら、おのれの懐に手を差し入れた。

取り出した手巾に包まれていたのは、問題の3両。颯太は蛙をにらみつける蛇のごとき眼差しで、にやりとする。


「…これが返金するための鑑札代3両です」


太郎が持っていた天領窯の仲買人鑑札証には、支払った金額の記載が見受けられなかった。おそらく見よう見まねで作り置きしていた証文を署名だけで渡してしまった太郎のうっかりミスなのだろう。具体的な金額の記載がないのなら、受け取った金額のすべてを『鑑札代』に乗っけてしまえばいい。


「…鑑札に3両とは、また豪儀ですな」

「そのあたりの相場を知らん素人の交わした証文やし。…この3両という金子、行商人には大金やと思う。行商人に顔の広い西浦屋さんに声がけでもしてもらったら、それだけで千人力。…出入りされとる近江の商人もおるやろうし、口伝てに伝われば本人の耳にも届くこともあるやろうし」

「………」

「その件のお願いはそれとして…」


もはや聞いてもらって当然という態度で颯太は話題を転ずる。

先に前振りした江戸便割り込みの恩があるのだ。むろん声がけぐらいでちゃらになるほど安い恩でもないので、「察しろよ」の目配りだけで会話は次のフェーズへと移行する。


「もうひとつ困った問題があってね。…その鑑札を渡した仲買人に、うちの伯父がいらんお節介に『土産物(・・・)』渡してしまって、それがまた問題になっとるんやわ」

「…土産物、とは」

「あいにくとうちの新製ものの在庫はあらへんかったんで間違った売り買い(・・・・・・・・)せんで済んだんやけど、どうしても見本が欲しい言う相手に、本来すぐに壊してまうみっともない()ねモノを渡してしまったみたいでね。…窯の恥やし、回収したいとおもっとるんやわ」

「……!?」

「もともと値もつかんものやし、譲り渡しやから厳密には『抜け荷』でもあらへんのやけど、こういうことはいちおう報告せないかんと思って、朝駆けで顔出したっていうのが……まあ、ぶっちゃけ今日の本題なんやわ」


『抜け荷』NO!!

『あげた』YES!!


問題になる前に言った者勝ちとばかりに、美濃焼業界を取り締まる御大本人に問題のすり替えを宣言する。鑑札代が3両なので、商品での窯の利得はゼロ。つまりは『あげた』ということなのだ。

思惑を外されたと理解した円治の目から、力が抜けていくのが分かった。

首輪をかけようとしていた猛犬がおのれの危険を察知してこちらに向って唸り声を上げている。おのれの企てにこだわってそんな危険に真っ向から挑み続けるほど円治は馬鹿ではない。


「…譲り渡しただけというのならば、特に問題はありませんな。職人に焼き損じの下げ渡しとかはよくあること、少量であればそちらもご自由にされればよろしいかと」

「…やろうね。自分がいない間のことやったから、なんか皆が泡食ってまっとって、心配せんでもええことに気を揉んどるもんやから」

「…鑑札代の返金についても、こちらから声は掛けてみましょう。それで今回の件についてはよろしいのでしょうか? ならばわたくしはこれで…」


企てが外れたのならもう話はそれまで。

必要以上に粘着されて違う埃を立てられたらたまったものではないと、円治がそこで話を切り上げようとするのを、颯太が目を細めながらさえぎった。


「まあ大体の話はその辺なんやけど……男と男の話し合いはまだやよ?」


にやり。

同行の庫之丞らに目で「少し待っとって」と押し留めつつ円治を廊下へと導いた。嫌な予感しかしない円治はさすがに嫌な顔をしたが、


「…最近尾張様……義恕公とも浅貞屋さんのつなぎで拝謁を先日たまわってね、義恕公もうちの商売に噛みたいと言ってきとるところなんやわ。…不幸中の幸いでしたね、西浦さん」


そう耳元で囁いて円治を凍りつかせた。

尾張藩御用、特権商人である西浦屋でも、尾張徳川家という大藩の当主に直接拝謁する機会などほとんどない。その大藩当主と直接言葉を交わしてきたという目の前の6歳児に、円治が衝撃を受けぬはずもない。知らぬ間に、おのれの権力の源泉に商売敵が手をかけていたのだ。

いくら西浦円治が東西に拠点を持つ情報通だとしても、世の中すべてに通じていることはむろんない。颯太と浅貞屋が尾張様に拝謁したことは世評に現れるようなおおやけのものではなかったのだ。


「…もしもしここで天領窯の儲け話がおじゃんになったりしとったら、お殿様も相当に頭に血が上ったことやろうね。…もしもそのことでぼくが呼び出しとか受けるハメになっとったら、保身のためにいろいろあることないことぺらぺら喋りそうやし。…今度の騒動が何もなかったかのように丸く収まって、地元産業の担い手としてお互いなに思うことなく手を取り合えるような状況に落ち着くのが、多分最善な筋書きなんやないの?」

「…何をおっしゃりたいのか、てまえには」

「うちとしては、あの恥ずかしい不良品を是が非にでも回収したいんやけど」

「………」

「西浦さんは、あの倉の中に珍しい焼物をようさん蒐集しとったねえ。…もしかしたら西浦さんの買ったもののなかに、巡り巡ってうちのやつが紛れてる……なんてことがありそうな気がしてさ」

「そ、そのようなことがあるわけ…」

「蒐集品を見せてもらったときに、思っとったんやわ。…ほかの名窯の器もそれなりにあったけど、織部やら志野やら、ここいら地元の古い器がことのほかようけ集められとったから、…西浦さんは美濃焼最盛期のよすがを集める趣向が強いんじゃないかと……勝手な想像やけど」

「………」


たぶん西浦円治も、機会さえあればいま話題の根本新製もコレクションしたいと考えていたはずである。1セット数十両、とつくにへの贈答品として幕府が留め置きを指示さえした貴重な焼き物が、おのれの地元で作られ始めた。地元産品にことのほかこだわる向きのあるコレクターが、食指を伸ばさないわけがない。

鑑札騒動の黒子がこのクソじじいならば、くだんの仲買人がせっかくに入手した根本新製を手放しはすまい。太郎いわく渡した湯飲みはたった2個らしいので、円治の手元に留め置かれた可能性が非常に高かった。


「…どこまで思惑の斜め上を行く気なのだ」


そうつぶやいた円治は、颯太と目線を合わすようにどかりと廊下に腰を落として、胡座をかいた。それを見て、颯太もまた胡座をかく。

『男と男の話し合い』だ。

もといた部屋からほとんど離れていない上に障子も開きっぱなしだから、会話などダンボの耳になっている庫之丞らに筒抜けなのだが、もはや気にも留めぬことにしたのか。


「…これでも人をみる目には自信があったのだが……庭で虫をついばんでいた小雀が、三日後には雉になって、その三日後にはトンビになっとる……もう竿を伸ばして振り回しても、かすりもせんほどの高みに舞い上がってしまったらしい」

「ぼくは……まあいまはトンビぐらいやな」

「士別れて三日なれば刮目して相待すべし……まさかそれを地で行く童がおるとは、世の中とは広い……さすがに参りました、陶林様」

「西浦さん…?」

「習い性で搦め手をもくろんだのが失敗でした。こうして『男同士』腹を割って話せばすぐに済む話……下手に地ならしなどと企んでいたおのれの浅はかさにいまは消え入りたいほどです」

「………」


嫌な予感が背筋を走る。


颯太は話の腰を折ろうと言葉を挟もうとしたが、すでに手遅れだった。


「うちの娘を貰ってやってくださいませぬか」

「…えっ、ちょっ」

「輿入れに珍奇な新製焼もお付けいたしましょう」

「…おまっ、やっぱり!」


寝業師は、まさにこの瞬間を狙っていたのかもしれなかった!


悩みすぎていつもの時間に上げられませんでした。

時間がないんで今日の更新はこれだけです。

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