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陶都物語~赤き炎の中に~  作者: まふまふ
【独立編】
175/288

047 会合は踊る④






突っ伏したまま、嗚咽する太郎。

どのような行きがかりがあったとしても、その弱り果てた姿はあまりに痛々しかった。身から出た錆であるとはいえ……その愚かな振る舞いによって周囲までも破滅の縁に立たされているのだけれど……彼をそこまで追い込んでいる原因の一端は紛れもなく颯太にあり、それは否定すべくもなかった。

その場で領地代官自身からうながされたうえは、もはや普賢下林家に否やを言うことはできなかった。この時代、勘当とは家の戸籍から離れることを指し、手続き上は勘当伺いを代官所が受理し、勘当帳に記載の後、宗門人別改帳からその名が消し去られることとなる。…そうして無宿人としての過酷な人生が太郎を迎え入れる。

ただ勘当することで、その当人が犯した罪によって縁者が縁坐(※えんざ/親類への連坐)するということがなくなる。そういう仕組みであった。


「伯父さん…」


颯太は沈痛な面持ちで伯父であった男の前に膝を進めて、小声で話しかけた。

太郎のみに聞かそうとするその小さな声も、場が静まり返っているために皆の耳に届いた。


「伯父さんとの間にはいろいろとあったけど、ぼくは正直まだ違和感がのこっとる。…伯父さんは良くも悪くも石のように堅い人間や。毎日おじいさまのあとについて村の田んぼをみて回って、雨の日はずぶ濡れになるのも厭わず水路を守りするし、あぜの雑草を村の人と一緒に汗流してむしるような人間や。…売ってくれと群がる怪しい行商人見て安い商売思いついたとしても、鑑札取り交わすとかそういう発想にたどり着くところがまったく想像できん…」

「………」

「誰かに空気入れられたんやないの?」


すすり泣いていた太郎の背中がピクリと震えた。

その様子に颯太の握ったこぶしに力がこもる。


「少し前まで、伯父さんは西浦屋に出入りしとったみたいやけど、あそこのクソじじいに何か吹き込まれたんやないの」


わずかに上げられた太郎の目が、一瞬だけ颯太と意志を疎通させる。

おのれが道を誤った、その根本のところにようやく思い至ったというようにその目は見開かれて、そして悔しげにぎゅっと閉じられた。

そこで文句を言い立てるのを恥と感じたのか、ほとんど聞き取れないようなかすかさであったものの、ぼそぼそとその口から言葉が漏れた。

それを耳を寄せるように細大漏らさず聞き取っていた颯太は、ややしてゆっくりと肺の中の空気を吐き出した。やはりどうせそんなことだろうと思っていた。


「…なんとなく絵図は見えたわ」


伯父甥の間で、そのときかつて見たこともなかった労りと分かり合いが通っているのを呆然と見ていた祖父は、そのとき孫に眼差しを向けられて、無意識に背筋を伸ばした。


「おじいさま」

「…草太」

「普賢下林家の株、それをぼくに譲ってください……これからはこの陶林颯太がきちっと管理するし」

「…あれはもともとおまえのもの、そうするのが一番正しいのだろうな」

「任してもらえば、悪いようにはせんし」


祖父が懐から出した持株の証券を受け取り、颯太は深々と一礼する。自分の甘い考えが、結果として大株主としての権を実家に放置し、この混乱を招いたのである。祖父の心労のいくばくかもまた、紛れもなく颯太がもたらしたものだった。

普賢下林家の41株を譲られることで、颯太の持分は55株となった。

過半を握ったことで、天領窯はようやくにして実質的に彼の所有物となったのだ。まるで突風に運ばれるように、あっという間に持分を肥大させた陶林家に本来ならば横槍が入ってもおかしくはなかったのだが、いまこのときは近い将来に発生する可能性のある多額の負債があるために、リスクを取れない者はただ口をつぐむしかなかった。


「…ご覧いただいていたように、このときを持って陶林家が筆頭株主となりました。持株を喪失したことで林貞正殿の筆頭取締役の解任と、わが陶林家の同職への就任を提議いたします。…本家代理林庫之丞殿、代官坂崎源兵衛殿」

「55株持ちとなれば、必然」

「同意します」

「ありがとうございます。これをもちましてわが陶林家が天領窯株仲間の筆頭取締役と相成りました。…そして矢継ぎ早ではありますが、最大の持株を所持する株仲間の取りまとめ役という当役でしたが、今回のような一部株主の独断による暴走を止められぬどころか助長した面もあり、株持ちとしての《所有権》と、実際の《経営》を明確に切り離す抜本的な組織改変を提議いたします」


現在の株仲間には、単なる投資家の一人として経営からは距離を置いてもらう。製陶業に対して無知な者たちが経営権を直接振り回したがために起こった混乱であるのだから、後世の株主のように、業績に対して配当をもらうだけの存在になってもらったほうがいい。


「…その一案として、知識に通暁した専任者をもって経営計画に当たらせ、現場を統括運営させる……仮称ですが、株仲間とは別の《取締役会》の創設を提議します。天領窯の実際の運営をそれらに任せ、株仲間はその《取締役会》の任免権を所持するものとします」


この時代の《株》というのは、特権商人の商売のタネ、特権を生ずる力の源泉のようなものであることが多い。西浦屋が取締役所として仲買人たちに大中小の鑑札という名の《株》を発行しているように、その商売に多大な影響力を持つ幕府諸藩諸役所が限られた者たちに許認可を下した、その権威の証であったからにほかならない。

窯の所有権を仲間内で分割しただけの天領窯株仲間の株券は、単に所有の比率を私的に証明しているというに過ぎない。他の《株》とは根本的に性質の違うものなのだが、実際その株を手にした太郎や与力衆たちは《特権》を所持しているような錯覚を覚えていたに違いなく、ここではっきりと『権利範囲』の定義を行っておくのだ。

約款としてそれらは明文化しておく。


「《取締役会》の統括役を代表取締役、その補佐を各業務分野を統括する複数人の取締役が行います。…その彼らに経営に必要な原資を預け、資材の調達から生産、販売に至るまですべてを統括させます。諸施設の維持更新、必要に応じて陶工や絵師、雑務などをこなす人材の任免権も与えます。彼らは自身の行う経営が最終的に組織に利益をもたらさねばならぬ責務を負い、四半期ごとの経営状況の報告を《株仲間》に行う義務を負います」


現代の企業でなら当たり前の体制も、この時代の人間にはむろん馴染みも何もないのですぐに理解することは難しかったろう。ただこの場を取り仕切っている颯太の圧倒的な指導力……天領窯を再建したのも組織を立ち上げたのも颯太自身であるのでこれはさながら彼の胃袋の中で発生した腹中の嵐のようなものであったけれども……その想いの先にある『何か』を他の株仲間は信じるしかなかった。


「適切な人材が見つかるまでは、この代表職をぼくが兼務します。窯頭小助と絵師の牛醐先生にはこの『取締役』に就いていただき、資材の調達や窯の操業状態に合わせた人員の調整を任せます。『操業』と『休業』をメリハリ付けて管理することで職人らの手間賃を極力抑制させます。彼らには手間賃のほかに規定の役職手当が支給されることでその労に報います。業容の多様化にあわせた取締役の増員は、その都度株仲間によって協議任命されるものとします」


おのれが不在がちであるという痛い現状に思い致しながら、颯太はおのれが不在であっても現場が適切な稼動を続けるための組織のイメージを必死に追っている。

年間で製造するティーセットの数量をあらかじめ計画してさえしまえば、あとはそれを現場の取締役たちに実行させるだけでよくなる。人件費と資材費の浪費さえ戒めておけば経費も節減できるだろう。

製品化候補の図案のストックは割りとある。そいつらをトコロテン式に積み上げておいて、順次製品に当て込めていく。颯太はただ牛醐先生からの新案を随時確認して、その図案の出力順次に変更を加えていく。

大体こんなところか。

あとは現場で起こる緊急時に彼等を取りまとめるための『重石』があればいい。颯太自身の現地代理人となり、その利益保護を率先して行える人物がいれば…。

颯太の目はやはりもっとも頼りになる祖父の姿を追い、そして悲しみと心労にやつれ果てたその様子にぎゅっとこぶしを握る。これ以上を求めるのはやはり酷なのであろう。しかし身内に人材はいない…。

半士半農とはいえ片田舎の庄屋に過ぎぬ家系に、計数に達者な人間が普通育つわけもない。やはりそちらに強い人材は近隣の商家から無理やりにでもぶっこ抜くしか手はないか……高い給金でヘッドハンティング? いやそれは京都で絵師を探し回ったときにも痛感させられたはずだ。義理と人情と血縁に縛られた濃密な繋がりが、外部の誘いなど跳ね除けてしまうだろう。

どうやったら人材が手に入る?

西浦屋はどうやってあの有能な番頭たちを集めてこられたのか。…むろん当代である三代目円治が経営陣を下地から用意したわけではあるまい。初代から続く連綿とした経営努力が、路傍の木石のような田舎者たちを『人材』と呼べるまでに彫琢したのだろう。

天領窯はまだ立ち上がって日にちもない。まずは信用第一で人を確保し、ともかく年数を掛けて育てていかねばなるまい。

こういう場合、やはり信用できるのは身内ということになる。


(血縁、か…)


颯太は一瞬、呆けたように太郎を見下ろしていた。

そこには実家を勘当され、もはやこの地で生きていくことさえ難儀になるだろう伯父の打ちひしがれた姿があった。紛れもなくこの人物も彼の『伯父』であった。


「陶林殿…」


少しの間口をつぐんでしまった颯太の様子に、代官様が呼びかける。

すぐに再起動した颯太は、腹を決めた。

しょせんとってつけたようにできたばかりの陶林家、これでつぶれたとしても何だというのだ。どうせいまはとてつもなく危険なギャンブルのタネ銭扱いに過ぎない思い入れもない身代ではないか。


「…申し訳ありません。少し拉致もない想像に心を馳せていました。…すでに幕臣として役についているぼくは心苦しいですが、どうしてもこちらを空けがちになると思うのです。経営の大筋の計画は立てますが、突発的な事態には即応しかねます。そこでぼくの代理として、伯父にあたる『林次郎左衛門貞光』を推挙したいと思います。池田町屋の旅籠『木曽屋』で経営にも携わっておりますので、そちらの店の協力も当てにしつつ任せたいと考えています。むろんぼくの代理としてですので、この者の失態、不行跡もすべて責任は陶林颯太に帰するものとします。そして代官様にも……坂崎家当主坂崎源兵衛殿にもしばらくの間取締役を兼務していただき、《取締役会》の取りまとめに当たっていただきたいのです。坂崎殿はあの知新館で学ばれた方ですので、計数にも明るい。…代官所のお仕事に支障が出ない程度に、《取締役会》の監督をお願いできないものかと」

「それがしが、か?」


あえて『坂崎殿』と名で呼んだのは、代官所の《公》ではなく株仲間の《私》としての立場でのお願いであることを強調したわけなのだけれど。もともと天領窯の計画を小助が持ち込んできてから主導的立場で参加していた代官様であるから、そのこと自体には抵抗がなかったであろう。

ただ颯太の提唱する《取締役会》だのの人員の枚数が極端に欠乏しているのが敏いだけに分かってしまっている。相当な苦労を押し付ける気ではないのかと疑いの眼差しで見返してくる代官様に、颯太は苦笑するしかなかった。


「…坂崎殿には、時折要所を締めていただければそれで。日常的に発生するだろう煩雑な部分は、他の者を立てていただいてもかまいません」

「…簡単に言われるが、代官所には遊んでいる人間などは」

「…手空きの人間はこちらでも……《取締役会》代表取締役としてこの陶林颯太が用意いたします。…それなりに計数にも……これはほんとうに最低限と言うしかないですが、心当たりがないでもありませんので」


颯太は代官様に向き合うように膝を着き、首をたれる。

ほんとうに申し訳ないのだけど、計数のできる人材とは、絶賛教育中のお幸のことだった。

次郎伯父とセットでなんとかならないものかと願わずにはいられない。

次郎伯父の推挙で驚いたように顔を上げていた祖父が、呆然と孫の顔を見つめている。跡取りは父三郎がいるし、次郎伯父は婿に出した人材だから、本人と交渉して引き抜いてもいいよね? できるだけ給金も弾むから。

太郎伯父の件で、普賢下の実家と疎遠になるのはどうしても嫌だった。可能な限りは扶助していきたいとも思う。

颯太は居住まいを正して、現株主である庫之丞と代官様に向って頭を下げたのだった。




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