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陶都物語~赤き炎の中に~  作者: まふまふ
【独立編】
174/288

046 会合は踊る③






まさかの江戸本家のお身内登場……それも近い将来その所領を継ぐことになるだろう本家の長子が、なぜかその会合の場に居合わせた。最前までなにも知らなかったであろうその人物が、颯太の現況解説に触れることで、他の株仲間たちと同程度以上の認識を共有してしまっている。

そうして株仲間たちは気付いた。

颯太の非常に分かりやすい説明が、おのれたちにではなくこの江戸本家の代理人に聞かせるべくなされたものだということを。当事者たちが思っている以上に外側の第三者から見たこの会合の風景は滑稽に尽きる。直接的な金銭に絡んだことのない若者ならではの清々しさで、庫之丞は事の正否を眺めていた。


「…庫之丞殿、これが株仲間……『天領御用窯』という生産施設の所有権を『株』というもので分け持った実質的所有者が、その持ち株数を背景に過半を占める合意を形成し、『窯』にまつわる物事を取り決める……そんな共同経営を進めるための集まりやわ。ここに株仲間は大勢おるけど、それぞれの持ち株数により過半数を形成するために集めなならん人数の条件は変化する」

「我が家の39株……ほんの少し前までは49株あったそうだが……なるほど、陶林殿が分家受け入れの条件に掻っ攫った10株……たしかにそれだけの価値はあるらしい」


颯太が阿部様の無理押しを受け入れるときに出した窯株移譲の件を庫之丞も承知しているらしい。若者らしい無鉄砲な決断の果てに江戸を飛び出して……まさか寄ることになるとは思ってもみなかった美濃の自家所領にこうしてやってくることで……なんとはなしに押さえているだけの『天領御用窯』の『株』がどれだけの価値を持っていたのかを知ることになった彼は、いままさに目から鱗をぼろぼろと落としている最中であったろう。

庫之丞の眼差しに、颯太はにっこりと微笑を返し、


「窯再建を主導してここまで守り立ててきた張本人が、10株しかもっとらんのがおかしいんやよ。…それでもうまく窯が回っていくのならいいと思っとったんやけど、今日こそはもう懲りた。このまま放っておいたら、確実にこの窯はつぶれる」


窯がつぶれる、という刺激的な言葉に、集まる視線に鋭さが増す。

窯の《損》にも責任を負わされる株主であるがゆえに、閉窯となったときの《損》を想像してしまったのだろう。


「株仲間っていう組織そのものの抜本的な改組を提議したいんやけど、まずはその前に…」


颯太は一同を見回して、


「今回の粗悪品の流失がわれら『株仲間』にどのような損をもたらすのか……いま代官所の協力で捜索の手を広げているところやけど、もしも例のものが見つからずに闇から闇へ、ついには目の肥えた第三者の手に渡ったとなったとき……われわれはどれだけの《損》を覚悟せねばならないのか、そのあたりを周知させたい」


もうお気楽な『タダ乗り』は許さない。

窯経営への無責任さ、どこまでいっても他人事という感覚を捨てきれない人間に、経営をかき乱されることなどあってはならない。


「…現状、まだ安定的には売り上げを立ててはいないんやけど、これから生産を軌道に乗せていくことを大前提として、推定する一年の『天領御用窯』の総売り上げは、本窯焚きと色絵付けあわせて月一度の出荷でていかっぷ一揃い最低3組、売値で30両……年間で最低でも360両ぐらいになると思う」

「さっ、360両!」

「…念のためやけど、最低でね」

「………」

「粗悪品のせいでうちの評判が落ちれば、この360両はご破算やわ。…いっとくけど、これはあくまでわれわれ株仲間が直接かぶる損金というだけで……《損》は他のところでもっとようけ出る。分かり易いところでいえば取引先の浅貞屋さん。独占の小売やし、乗せる利幅は相当なもんやろうから、そこでの《損》は控えめに倍と見て720両」

「なな…ッ」

「これだけでもあわせて1000両くらいやね。…これに最近根本新製の商売に興味津々の尾張様が御墨付きの認証授ける話も出とるし、さらに数百両……この辺はまだかわいらしいほうやと思うけど、ここまでの《損》だけで、1株あたり20両近い損金が発生しそうやね」


繰り返すが、この時代のど田舎で小判などという高額貨幣が出回ることなどあまりない。1株主に過ぎない与力衆たちですら顔色が悪くなっているのだ。41株筆頭株主たる普賢下林家が平然としていられるわけもない。

おのれが振り回したばかりの41株が、とんでもない《損》を運んできかねないという事実に、太郎は顔色もない。むろん普賢下林家には800両どころか100両の負債さえ支えきるだけの力はなかった。田畑と家屋敷すべてを売り払っても、もともとある累代の借金のために利息分の捻出さえ難しいだろう。


「…流失した出来損ないは代官様の指図で追っ手が向けられとるけど、この鑑札にある近江商人を補足できるかどうかは五分五分にも届かないと思う。というより、相当に幸運に恵まれないと、全回収はきついやろう。…捕縛の手をそいつらが逃れたとき、いま挙げた《損》の火の手が各所で上がって、その損害の弁済に吊るし上げを食う覚悟を決めておいて欲しい。こんな田舎の田畑持ちが借金の催促からまんまと逃げられるなんて思わんように。いの一番に先祖伝来の田んぼが差し押さえられるやろう」

「んな、ばっかな!」

「わしらは株を預けられただけで、そんな責任押し付けられても…」

「持ち株分の利益はもういくらか受け取ったろッ! 利益はいただいて損は知らん顔とか、いい加減にしろッ!」


颯太は容赦なく言葉を叩きつけて、雁首並べる与力衆とうなだれたままの太郎を視界に収めたまま威勢よく胡座をかいた。そうして畳をこぶしで叩いた。


「…まだその《損》は確定した話やない。が、近いうちに現実になる可能性の高い話や。まだ《損》をかぶるか無事に事なきを得るか、株仲間の運命はお釈迦様の手のひらの上でたゆたっとる。厳密に言えば、まだ手持ちの《株》に損の評価は付けられとらん。《株》なんぞ窯がつぶれればただの紙切れにしか過ぎんくなる……やけど、まだこの瞬間は……実際にはつぶれとらんうちの窯の《株》はかろうじて紙代ぐらいの価値が残っとるやろうなぁ」


組織を改革するその前に、やらねばならないこと。

颯太の支配権の確立に向けた地ならし……ほとんど地上げ屋のような悪辣さであったが、経営にも現場にもほとんど関与する気もない無用な小株主を放逐することからそれは始まる。


「…持ち去った近江商人が見つからんかったときに最低で20両ぐらいの負債が生ずるその《株》……そのまま持ってられると腹くくれるのならなんも言わん。そのときになってない袖は振れんとか御託抜かしても、伝来の田んぼだろうが根こそぎやけど」

「………」

「いまこのとき、《損》が確定してないこの一時だけ、あんたらに救いの手を差し伸べてやる。…1文や。大損害必至のその《株》、この陶林颯太が1文で買ったる」


颯太の持ち株は10。それだけで損の概算は200両を超えるというのに。

颯太は「流失物が見つかる」目に全張りして小揺るぎもしない。

その揺るぎない自信に「もしかしたら」と血迷うようなそぶりを見せる与力もあったが、流出品がひとつではないこと、相手の面相も定かでないままの追跡がいかに難しいかを理解させることで沈黙させる。

どう見ても、見つかる目のほうが薄い。

与力衆の一人、猪首の森氏が、じっと見やってくる颯太に気圧されつつも大人の矜持を証明しようとするように苦しげに問うた。


「われらの《株》を買い集めて、…その、陶林様は出来損ないが必ず見つかると確信しておいでなのか」

「いいえ」

「ならばわれらから集めた分だけ余計に100両ほども《損》が増えるかも知れぬのに、どうやって金を工面するおつもりか」

「…陶林家40石の年貢米、そいつを100年分担保にしてでも」

「………」


…そうして与力衆たちは、先祖伝来の田畑を失う危険など背負えぬと、颯太の支払う1文を対価におのが《株》を差し出した。

たった4文で4株も買い増した颯太。

株を失うと同時にそこにいるための資格を失った与力衆らが退席するなか、颯太の目は怖いほどに力を増して、最大の『戦犯』である太郎のほうに向けられた。

多額の《損》に耐えられないのは普賢下林家も同じこと。それも筆頭取締役として大量の株を抱えてしまっているわけで、破滅の崖の一番突端にいるのが普賢下林家であった。


「…うちの株を41文で買い上げる言うんか」


上目遣いに、ぼそりとつぶやいた太郎であったが…。


「馬鹿言っちゃいかん。そもそも株仲間がこれだけの窮地に追い詰められたのは伯父さん、あんたのせいなんやよ。被害を受ける株仲間としては、まず被害全額の弁済をそっちに請求せないかん筋や。天領窯の生み出しただろうあらゆる可能性を無思慮に踏み潰しといて、無罪放免はありえへん。有望な家産事業をご破算にされたお殿様が、その犯人の領民をほっとくと思うの? ことによってはそのお殿様自身が詰め腹切らされる事態やのに、まだ状況が飲み込めんの?」

「…ッ」

「尾張様専売の筋を外した『抜け荷』だけのことならまだなんとかなったかもしれん……でもそれが途方もない大損害に繋がれば、御目こぼしなんかあるわけがないし。不出来の品でさらに恥をかくことになれば、面子をつぶされたお殿様としては八つ裂きにしても足りんぐらいやろう」


きつい言葉に身を震わせる太郎とは対照的に、それまでうなだれていた祖父のほうがそのとき決然とした様子で颯太を見返してきた。目が合った瞬間に血圧の低下で顔面が冷たくなるのを感じた颯太であったが、困難な落着点に到達するための必要な過程であると心に念じて顔を背けない。


「…このたびの失態はわが代理のなしたこと……その責任は当主が引き受けるのが当たり前、責めはそれがしの一身にて…」

「当主が責任を認めたら、その責めは一家すべてに及ぶものとなってしまう。あくまで代理が勝手にやったことで押し通さないかん」


その懇願を、颯太はきっぱりと拒絶する。

このとき祖父がとるべき最善の手は、まだ可能性でしかない損害が確定してしまう前にこの場で太郎を勘当し、縁を切ってしまうことであったろう。損害に対する責任からは逃れられはしないものの、そちらはまだ回避される可能性も残っているわけで、この狭い村社会で恨みや悪評を一族自体が引き受けぬよう、太郎伯父は『勘当』すべきだった。…『勘当』というシステムは、まさにこういうときに、お家を守るために発達した慣わしであるといってよかった。


「林殿。…ご子息を勘当なされ」


颯太の言外の勧告に、そう促したのは代官様だった。

お家を守るためにそれは当然の処置……地元の有力家でもある坂崎家の当主としての代官様の言葉であったろう。

祖父は言葉に詰まったようにぐっと口元を引き結び、畳の縁に目を落とした。

突っ伏した太郎から、すすり泣くような嗚咽が漏れ始めた。身を震わせながら、搾り出すような声が言った。


「親父……オレを勘当してくれ」


颯太は唇を噛んだ。


今日はここまでです。

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― 新着の感想 ―
[一言] ここまでの騒動を起こしてもなお、この男は本質を理解も受け入れる事も出来ずに預け先を出奔(逃亡)するんだよな…… 変化の無い時代ならば辛うじて当主として成り立っただろう才覚しかない、まさしく凡…
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