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陶都物語~赤き炎の中に~  作者: まふまふ
【独立編】
169/288

041 悪意






颯太一行の大原滞在は、普賢下林家に受け入れられることになった。


(太郎伯父は……まあ相変わらずか)


太郎伯父と目が合ったのは、ほんの一瞬に過ぎない。相手を見て快くないのはお互いさまのようで、あとは視界にも入らぬようにそっぽを向いたまま、一片の言葉さえも掛け合わない。江戸に行く前の気鬱が戻ってくるようで、颯太はため息をついた。

みんな揃ってぞろぞろと廊下を歩き、中庭に面した一等の客間に颯太たちは通された。公務中の幕府の役人を泊めるなど普賢下林家開闢(かいびゃく)以来のことであろうから、家人たちの緊張のほどもまあ推して知るべしである。

宿泊が三人ということで、続きの間の襖も取り外されて、ほんの数ヶ月前までおのれの私室であった間まで繋げられている。すっかりと私物を片付けられたその一角を選ぶように、颯太はおのれの旅の荷を解いた。

そうしてくつろぐのもそこそこに、颯太はまたため息をついて立ち上がる。中庭にまでやってきて待っている小助と牛醐先生の様子にただならぬものがあったためだ。


「もう少し後じゃ……だめなんやね」


頷いて見せる小助に、言葉にも出せない問題があるのだとピンとくる。

ほんの一年ほど前、京都行から帰ってきた颯太を待っていたのは、代官所与力衆の悪巧みであった。一歩間違えば普賢下林家が株仲間から排除されかねなかった争議が記憶に生々しい。

またぞろ何か起こっているのだと悟って、供の二人には出てくると告げて部屋をあとにする。が、颯太の護衛を任とする後藤さんは何も言わずすぐに腰を上げ、ひとり残されそうになった庫之丞も慌ててついてきた。

小助らは同行のお武家たちに軽く会釈したのみで、さっと先頭を歩き出した。

本家の御曹司もいるというのに、小助らの遠慮があまりないのはいささか不自然なことであるのだけれど、それには理由があって……実のところ、庫之丞が林本家の御曹司であることはまだ誰にも知られてはいなかったりする。

内津峠を越えているときに次郎伯父とゲンに、庫之丞の素性についてしばらく黙っているようにと颯太が釘を刺しておいたのだ。ゆえに、ほとんどの人間がそのことを知らぬままというわけである。

おのれの領地にやってきて素性を隠せといわれた庫之丞は当然ながら気分を害してつけつけと理由を聞いてきたので、次郎伯父たちへの説明がてら長崎行への同行を差し許した経緯を御曹司に思い出させてやった。


「…庫之丞殿にはまず『世間』というのをじっくりと見て欲しい。素性を明かしてちやほやされるのは容易(たやす)いけれど、せっかくこんな遠くにまでやってきて、自領のなに隠すことない素顔を検分しておくことこそ、次期当主として必要なのではないですか? 生の領民感情、現地陪臣たる根本代官所の勤務態度などなど、顔を知られる前だからこそ観察できるのであって、そんな貴重な機会をわずかな虚栄心で放り出すとか有り得んし。…それに出掛けに約束したあれが嘘でないなら、いまは『主』であるぼくの命に逆らわんはずやけど」

「……ッ」


この長崎行きの任務中は、逆らわすつもりは微塵もない。

…まあ正直なところ、この『御曹司』という鬼札を切るタイミングをおのれの制御下に置いておきたかったというのが本音の半分であったりするのだけど。

代官の坂崎様ならびにその与力衆から見て、庫之丞は逆らうことの許されぬ主家筋の人間である。何かあったときに黄門様の印籠よろしく切り札として秘蔵しておきたかったのだ。


(…それがさっそくナイス判断だったとか、ほんとやめてほしいんだけど)


鬼が出るか蛇が出るか……自分がいないだけで噴出しそうな問題をあれこれと想像して……なぜだか颯太の脳裡には、あのときのほの暗い太郎伯父の眼差しが浮かんでいた。骨肉の争いとか、ほんと心底やめて欲しい展開である。

大原の屋敷を出て、向かったのはやはりというか根本にある天領窯の窯場であるらしい。道すがら理由を聞こうとしても、「まずは見てから」と言って何も答えてくれない。

そうして窯場に入った小助は周囲の気遣わしげな視線に手を振りながら、なぜか普段はあまり寄り付かない牛醐先生の絵付け小屋へと入っていった。

颯太に掛けられる職人たちの挨拶も、どこか歯切れの悪さを含んでいる。ただすがるような眼差しだけが追いかけてくる。


(…ほんと、なにがあった!)


目前に迫った『悪い報せ』という精神攻撃に耐えるべく、心の中のおっさんたちが波〇砲準備よろしく対ショック態勢に入っている。身体にはがっちりとシートベルトを、閃光対策にはサングラスは必須だ。

全おっさんが「ばっちこいや!」と挑発するまでもなく……颯太は原因となったブツと対面することとなった…。


「これなんですわ」


小助に促されて牛醐が箪笥の引き出しから押し戴くように出したのは、布に包まれた一個の『湯飲み』だった。

亀かあるいは玄武か……上絵付けされたその湯飲みは、別段それだけではなにがどうという品ではなかった。それを手にする牛醐先生の歪められた眉根に、心中の苦渋が現れる。

そこにある『違和感』に気づいたのはやはり颯太のみであった。


「…その絵付け……誰かの練習ですか」


暗に本人の作ではあるまいと鑑定して見せることで、牛醐先生を絡め取っていた不安を取り除いてやる。目に見えて肩の力の抜けた牛醐先生が、颯太にそれを手渡してくる。

先生が不安に思うまでもなく、甘い図案に甘い構図、技術的には絵具の貧相な盛り付け方を見ただけでも、どこぞの下手が作ったものだと言うことは瞭然としている。


「…株仲間の合議で決まったと、…その、しばらく前にしゃあなし(仕方なし)に作らされたものやわ」


小助が颯太を見下ろしてくる。

株仲間? 不思議なことを聞いたように瞬きする颯太に、小助が念を押すように、噛んで含めるように言葉を継いだ。


「売れるものを何でもっと作らないのかと……妙ちくりんな取っ手などつけるからよう分からんものになるんやと……普通の茶碗や湯飲みをぎょうさん作れと言ってきてな」

「…なんでそんなことを」

「どうせわしの窯頭の1株なんぞさして大事でもあるまいと会合に出んかったから、詳しい話はよう分からんのやけどな。…決まったと言うなら、作らなあかん。そういう決まりやし」

「ありえんし…」


色合いからして確かにボーンチャイナの湯飲み……ろくろでざっくりと形成された、本当に何の変哲もない円筒形の湯飲みだった。

ボーンチャイナのチッピング強度があるからこそ可能な薄手の、あのなんともいえぬ透明感は皆無。貴重な骨灰を浪費したただ重たいだけの、本業焼き(陶器)そのままの形は、土の特性をまったく知りもしないど素人……陶芸教室の生徒さんが陶器も磁器も分からぬまま作るようなやぼったい器だった。

妙ちくりんな取っ手? 薄手による美しさを突き詰めたら、器は熱くて持てなくなる。その機能を取っ手に求めるのは、磁器の必然的な進化の過程ともいえる。どこかの馬鹿が、何も考えずに厚手の陶器しかなかった美濃焼の旧態に先祖帰りを強行したのだ。

株仲間の合議で決まったって?

誰だ。誰がこんな愚かな決定をさせた。

天領窯株仲間の会合は、むろん字義通り株主総会であり、同時に役員執行部の経営会議でもあった。誤解しようもなく、そこでの多数決で方針が決められるそのルール作りをしたのはむろん颯太自身であった。

現状、江戸にいる本家の49株(現在は陶林家が内10株保有)はないものとみなして、全会一致を形成することで過半数意見として方針を決定するのがとりあえずの形となっていた。取り立てて異論を述べるほどの識見をもつものは他にはいなかったので、颯太がそれらしく取りまとめればたいていはシャンシャン総会となるのが常だった。

そのキーマンたる颯太が不在のこの数ヶ月の間に、こんな頓珍漢な方針を導き出し、会合を操った者がいたということ……まさに油断した横っ面を殴られたようなていだった。


(誰だ……提言そのものは『バカ』としか言いようがないけど、株仲間の合議を誘導できるような人物が急に降って湧いたように現れるなんて…)


手に持ったその出来損ないの新製焼は、間抜けなほどに重かった。

どれだけ骨灰を浪費しとるん? これをいくらで売るつもりなんや……そう経営者としての銭勘定が思い浮かんだときに、颯太の額にぶわっと脂汗が浮いた。


(洋食器は『妙ちくりん』で、そのカウンターとして出てきたのがこの中途半端な湯飲み……『妙ちくりん』は『(数が)売れない』から、『(見慣れた)普通』の器なら『売れる』という馬鹿の暴論が根底にあるなら……まさか)


脳内にレッドアラートが鳴り響き始める。

まさかこの中途半端なやつを、売りに出してないだろうな!

胸倉を掴まんばかりの颯太に、小助が両手を挙げて降参の意を示す。


「そんなん当たり前やわ! 試しに作れ言われて、作っただけやし……売る売らんはおまんと浅貞屋さんの決めることやろ」

「んじゃ、とりあえず売ってはいないってことで理解してええんやね!」


突き放すようにそう言った颯太であったが、そのときふたりが垣間見せた苦汁(にがり)でも舐めたようななんともいえぬ表情は、不安の淵の底にまだ彼の手が届いていないことを示していた。舌の根が瞬時に干上がった。


「売り物やない習作っちゅうことで、全員諒解して作ったものやったんやけど、出来上がったその野暮ったい湯飲みに、今度は上絵を付けろいわれて……ただでさえ貴重な土を浪費した上に牛醐先生のお手を煩わすようなことは出来んと突っぱねたら、なら他のやつでいいと上絵練習組が絵付けすることになったんやわ。…それがその湯飲みなんやけど、全部で100個ほど作ったんや」

「100個! こんなもったいない造りで、あの土を使ったんか」

「窯場の職人たちも、家には嫁も子もおる。年越しにいくらか稼がにゃならん。窯場を遊ばせるわけにもいかんかったんや……手間賃はちゃんと払うと約束してくれたから、やからわしらも…」


たった数ヶ月。

まだ一人歩きもままならない天領窯の経営から引き離されたそのわずかな日数でもうほころびが生じている。

怒りよりもやるせなさが、涙となって目からあふれてくる。

颯太が流し始めた涙に、小助と牛醐が気まずそうに俯き、庫之丞はぎょっとしたように顔を背けた。

株仲間の反乱……いろいろとやってくれそうな面子もいたので、さもありなんとそちらはもう割り切った。それよりもやるせなかったのは、最も頼りにしていた筆頭取締役たる祖父貞正の制御がまったく及んでいなかったと言うことだ。会合となれば出席してしかるべき筆頭たる祖父がこの暴論に与したとは考えたくない。何かの間違いだと思いたかった。


「…それだけではないのです……颯太様に言わねばならぬことは」


言いにくそうに口を開いたのは牛醐だった。

この窯場で、事態にもっとも関与していなかったからこそ、まだしも話すことが出来たのだろう。小助は俯けた顔を真っ赤にしている。


「作ったその習作のいくつかが、紛失してるんですわ…」


混沌の底に颯太の手はいまだ届かない…。


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