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陶都物語~赤き炎の中に~  作者: まふまふ
【独立編】
158/288

030 便宜と見返り






「あんた、船便を桑名に一艘回しなさいよ」


まったくもってあっけらかんと、祥子はそう言い放った。

幕府が江戸の備蓄不足を解消するために御蔵米回送を最優先としているこの現状、江戸への定期航路を持つ廻船問屋に遊んでいる船はほとんどないと言っていい。停泊中に津波に襲われて被害をこうむった廻船はかなり多く、そもそも稼働中の船が少なくなっているのだ。


「大阪で米を積んじゃうと、あんまり途中の港にも寄り付いてかへんし、桑名にまで持ってきたうちの品がだぶついちゃってんのよ」

「………」

「…だから、一艘回しなさいよ」


ここまで堂々と便宜供与を要求されてしまうと、厚かましさが一周して返ってすがすがしい気がしてくるから不思議である。

ドヤ顔の祥子はこの要求が請け負ってもらえるのが当たり前と信じきっている。父親がそう言ったのだから、世の中がそれに従うのは当たり前の流れと考えているのかもしれない。その期待に満ちた眼差しにため息をつく颯太。

幕府勘定所に顔も通ってきたことであるし、支配勘定並として美濃焼の廉価性を説いて江戸復興の施策のひとつとして提案することはできる。そして勝手掛岩瀬様⇒阿部様の無双ラインを活用すればおそらくは問答無用で実現も可能である。

幕府の施策という庶民から見たら巨大な国家のうねりに影響力を振るえるからこそ官僚は一目置かれるわけで、中枢へのパイプの太さが問われる『使える官僚』としての尺度で言えば颯太はまさにキーマンのひとり、相当に評価されてしかるべき立場にいる。

祥子が「お願い」する相手に間違いはなかったりする。


「あのさー」


世間知らずのようである祥子お嬢様は知らぬままであるのかもしれないけれども、美濃焼総取締役である西浦屋と天領御用窯の間にはすでに無視し得ない確執が続いている。

大原からの商品搬出に馬喰どもが揃って肩肘食らわせてきたのは、荷継ぎ問屋との血縁を持って圧力をかけてきた西浦屋の糸引きがあったことは分かっている。株仲間が立ち上がった当初に笠松郡代が割り込んできたのも、あのクソじじいの悪巧みであったんだけれども。

ああ、思い出しただけでも当時のてんやわんやが思い出され、相当に忌々しい。祥子本人に恨みなどないのだが、大人の世界はほんとうに薄汚くて一筋縄では行かないのだ。


「うちの太郎伯父さんと縁談とかあったのかもしれないけど、基本西浦屋さんはウチと商売敵なんだよねー。これまでもいろいろとされちゃってるし、便宜をはかれって言われても『なんで?』って逆に聞きたいところなんだけど」

「…えっ、…うちとあんたんとこって、商売敵だったの?」

「…あ、やっぱ知らなかったんだ」


お嬢とはいえ、しょせん家業にはまったくタッチできない箱入りということなのだろう。

アヒル口をむにむにさせながら肝心なことを教えてくれなかった父親に「あんじじい…」と悪態をつく祥子と入れ替わるように、脇に控えていた平助という男が颯太の前に立った。

そのもの静かなごつい男を見て、颯太の記憶がわずかに甦る。

ああ、こいつはたしか西浦屋の土蔵に連れて行かれたときに、お嬢の散らかしたものの後片づけをさせられていた番頭だったか…。我侭娘にいいように使われている寡黙な男という印象であったのだけれども、颯太はそのときその第一印象を改める必要があるのを覚えた。


「お嬢はん、ここはてまえにお任せください」

「…平助は知ってたわけね」

「旦那様は濃州の焼物を一手にご支配される総取締役でございます。失礼ながら新参の窯に口出しするのもその御役目のひとつ。なにもお嬢はんが後ろめたさを覚えるようなことはひとつもありません」

「…そ、そうよね」


ちらっとこっちに視線を向けてくる祥子に、そういう大人の世界だからと、平助は目配せで役者交代を促した。

相手がちんまい6歳児であるのに、子供扱いされたことを敏感に感じ取ったのだろう。う~、とふくれっ面になって祥子が座を立った。恋する乙女的には、あずかり知らぬところで親が負の遺産を押し付けてきたことが許せないのだろう。また「あんのじじい」とぶつくさ呪っている。

そして彼女と入れ替わって相対した男の眼差しを受けて、颯太のなかで本当のゴングが鳴り響いたのだった。




「過日、問うたその答えを、是非に示して見せてくれ……そう旦那様からの言伝でございます、陶林様」

「過日…?」


すぐにはピンと来なかった草太であったが、番頭の的確な補足によってその思考が誘導され、照準を合わせられる。


「…『《天領窯》は、美濃焼をどうするつもりなんや』……そう言えば分かる、と旦那様は申されておられましたが。…陶林様?」

「あ、ああアレか…」


祥子に拉致られてはじめて西浦屋の屋敷に潜入したときのことだ。初めて向かい合って言葉を交わした西浦円治に、颯太はそのように問われたことを思い出していた。(※参照【小天狗起業奮闘編】016話)


「幕府の勘定方であられればいまさら説明もございませんでしょうが、いまこの江戸に運びこまれているのはほとんど……いえ正確に言うならばこの瀬戸物町に水揚げされるすべてが瀬戸もの、地震以来江戸の土を踏んだ美濃焼は御猪口ひとつありません。わずかにある廻船の積荷の枠は、順番待ちの尾張藩蔵元たちが当たり前のように分け合ってしまっているのが現状です。尾張様にとっても、自ら復興に金をかけている自領の瀬戸窯再建は急務であっても、濃州幕領の美濃窯は所詮他人事、掛け合ってもいまのところ言を左右して聞く耳を持ってもらえません」

「………」

「公方様の御膝元、江戸の町が未曾有の器不足……わずかな品が驚くほどの高値で飛ぶように売れているこの千載一遇の好機に、美濃焼は運び入れる手段さえ与えられていないのでございます。同じ尾張様専売の焼物であるというのに、あまりにも公平を欠くやりようではありませぬか」

「まあそれは、確かに」


瀬戸焼、美濃焼ともに尾張藩専売の商品であるのだけれども、言うとおりに瀬戸は尾張藩から見れば大切な自領、かたや美濃は幕府の直轄地……主筋とはいえ所詮他人の土地であり、復興に資金を提供していることもあり瀬戸の焼物産業に便宜を図ってしまうのはある程度仕方のないことであった。

むろん美濃焼が捨て置かれているのは他にも要因がある。

一般に品質が悪い。

業態も古く、古臭い本業(陶器)が主体。

さらには美濃郡代の利権が噛むので冥加金をたかりにくい等々……尾張藩から見て魅力が非常に乏しいのが現実であった。品質が低いので売値も底値で、利益を出しにくい体質であることも尾張藩の庇護欲をそそらぬ一因といえた。

まさに美濃焼不遇の時代である。


「いま器不足で商品が飛ぶように売れる江戸に美濃焼を運び入れる意味合いは、けっして銭の話ばかりではございません。安いからこそ手にとってもらえる庶民の身近なところに、『美濃焼』というものが浸透するまたとない好機でもあるのです」

「なるほど、マーケティ……買い替え需要の発生した江戸に美濃焼を広く普及させようというのですか」

「陶林様の《根本新製》もまた同じ美濃の土地で生み出された焼物でございましょう。御用商売の高級品と廉価な本業など比べられるものかとお気を悪くはなさらないでくださいませ。器のモノは違っても、それを作り出していく職人は美濃近郊の職人たちです。技法をはぐくみ伝承していくその職人たちを干上がらせぬことは、今後のそちら《天領窯》でも規模を拡大していくうえでは必要な措置ではございませんでしょうか」


この平助とかいう番頭、結構頭が切れるな。

後ろで舌先八寸伸ばしている西浦円治の開陳しただろうロジックをうまく伝え切っている。こんな番頭的な人材がうちにもいたらなぁとかやや遠い目をになりつつも、颯太はもはや習い性のように西浦屋の真の狙いに思いをいたす。

難しい顔をして腕組みする颯太の視野の隅には、脇に追いやられて腹立ち紛れに茶うけの饅頭を楊枝で細切れにしている祥子の姿が映っている。どういう意図でこの娘をはるばる江戸にまでやらせたのか、気になるところではあるのだけれども。


「…美濃焼が届かないという割には、西浦屋さんにもそれなりに品物があるようですけど」


奥の座敷から見える西浦屋の店先でも、盛んに客とのやり取りが交わされている。客に売る焼き物はそれなりに持っているようである。


「…この江戸店では、美濃焼だけでなく瀬戸物も同時に扱っておりますので……わずかではございますが、おそらくは美濃焼を放置する見返りとして御蔵会所が便宜を図ってくださっているようで、瀬戸物だけは一定量入荷しております」

「しばらくは無用に騒ぐなと餌を与えられてるわけやね」

「ありがたいことに、と申しましょうか、開店休業のようなことだけはせずに済んでおりますが、美濃焼問屋としてこの好機に指をくわえさせられているのはまことに業腹で」


郡代様に『美濃焼』と『根本新製』は別のものであると分けてもらってはいるのだけれども、正味そこで働いている職人たちは近郊の者たちであって、その身につけた技術の多くも美濃焼窯から習得しているのは間違いない。

地域としてみれば、美濃焼産地の職人を干上がらせることは、根本新製の今後の拡充をにらむ上でもあまり喜ばしいことではなかった。

近視眼的に西浦屋に利益を投げ与えるのは業腹なのだけれども、この瞬間的な商機に関係のない《天領窯》からすれば、江戸に美濃焼を食い込ませることはけっして損ばかりではないだろう。

クソじじいの手のひらで転がされるようで癪なのだけれども、ここは乗ってやってもいいだろう。


「分かったし。一艘でいいんやね」

「ありがとうございます」


がばっと平伏する番頭の後頭部を見下ろしながら、颯太もまたただでは転がらぬ商人としておのれの利益誘導を怠らない。


「今後はそちらのお身内の荷継ぎ問屋も、ウチの商品を運んでくれるようになると助かるんやけど……粘土の小売のほうも、言わんでもいいよね…」

「…何のことかは分かりかねますが、陶林様のご不便になるようなことは今後いっさい起こらぬのではないでしょうか」

「しらじらしいなー。…まあいいけど、今後は……ッ!」

「さすがは鬼っ子ね! 話が分かるわ!」


後ろから祥子にハグされて、頬ずりされました。

ああ、年頃の子がそんな無防備なことやっちゃダメだって。そんな、うれしいけど。


「…くっ!」


その横で刀を掴んで激しく身じろぎした庫之丞の形相が恐ろしいことになっている。こんな初対面の小娘に、さてはきさま魔法使い予備軍か!


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