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陶都物語~赤き炎の中に~  作者: まふまふ
【独立編】
157/288

029 瀬戸物町






瀬戸物町のある福留界隈もまた、やはり地震の被害が色濃かった。

江戸のそこここでも同様のことが起こっているのだけれども、液状化の起こった地面はきめの細かい泥を大量に吐き出して沈降する。コンクリートの堅固な基礎のうえに建てられる前世の建築とは違い、この時代の建物は礎石の上に乗っけられただけのものであったので、地面の流動に押し流されてしまったものや縁の下が沈んでしまったものがよく目に付く。

火災には見舞われなかったのか町並みはそれなりに残ってはいたが、その景色はややいびつに波打って見える。


(活気というか……すごい賑わいだな)


通りに足を踏み入れた颯太は、両脇の店先に群がる人垣の背中合わせの谷を歩くような格好になる。分かりやすいもので、いま売ることのできる商品を抱えている店とは対照的に、在庫を切らしてしまった店は時折覗き見の客がいる程度で閑散としている。

幕府の御蔵米移入を最優先としているために産地からの入荷が細っているのだ。わずかながらも荷が運び込まれた店のほうからは、そのときどっと人の喚声が沸いた。

むろん調査行であるので颯太自身もその人垣を無視したままではいられない。意を決してそのひとつに割り込んでいき、一番端の壁際から半身であるもののなんとか突破を成功させた。

そこでは群がる買い付けの客たちと番頭との間で、必死の丁々発止が飛び交っている。商品が圧倒的に少ない売り手有利にあるので値切り交渉の類はない。ただアレを10個、20個とわずかな見本を指差して言い立てるのを店側が運よく拾ったときに売買が成立する、といった感じだ。


(競りみたいだな……って、まさかこの群がってるの全部小売人なのか?!)


状況が分かると、ははぁとさすがの颯太にも嘆声が漏れる。

おそらく半分近くが卸し問屋に出入りする小売の商人なのだろう。そいつらは声ではなく業界人っぽい指先の符丁でやり取りを行っていて、やはり聖徳太子でもない番頭のほうも、拾いきれない声よりもその符丁を優先してしまうようである。

客の手が届かないいい塩梅のところに陳列されている商品サンプルは、やはり瀬戸物でも上物となる新製焼である。それほどのものではないけれどもやはり白さが美しい磁器はこうして並べられるとそこはかとなく高級感が漂ってくるものである。

サンプルの上段半分が新製焼(磁器)であり、残りが本業(陶器)であるようだ。本業物のほうも当世流に磁器に似た色合いにされていて、灰色の素地に白化粧の筆を刷いて、茶色の鉄砂釉(てっさゆう)でアクセントがつけられたような皿と茶碗、小鉢に湯飲みである。

その圧倒的に少ないラインナップであっても、いつもよりもずいぶんと割高な販売価格であっても、この状況では引く手あまたであることに変わりはない。

まったく、クソうらやましい限りである。

硬い笑みを張り付かせた颯太が人垣から脱出を果たして次の店に向うのを、庫之丞がしかめっ面で追いかける。


「ほんとうに調べモンかよ……呆れたやつだ」

「だから言ったでしょ、もう上の人なんかと会う予定もないし、帰ったほうが得だよ」

「ふんっ、騙されるものか」


どうしてここまでこの若様に信用がないのか分からないのだけれども。明らかに上級のお武家と分かる庫之丞を引き連れて歩けば、やはり目立たないはずもなく。

それほどのときを置くこともなく目ざとい人々に見咎められ、「おい、例の…」とか、「小天狗じゃねえか」とか呟きが生まれ始めた。

まだ満足に情報を得てはいないと言うのに。やっぱり御武家のぼんぼんをぶら下げてきたのが失敗だったか……舌打ちしつつ颯太は駆け足になる。


「おいこら、待ちやがれ」

「………」

「なんだかみなこっちを見て……って、痛ッ!」


蹴り足のかかとで庫之丞の向う脛を狙い済ましたように急襲する。

反射的にかがんだ庫之丞を置き去りに、ダッシュで離脱を図った颯太。いやあごめんごめん、駆け足の蹴り上げがたまたまキックのようになったけど、純然たる事故! …ということで、ここでオサラバ!

一気に両者の距離が離されて……思わず会心の笑みを浮かべた颯太であったが、だがしかし! 人々の視線はやはり颯太のほうを追っかけてくる。


(…ちっ、やっぱりこの格好のほうか!)


ただの6歳児が、御仕着せのように役人装束なのが悪かったか。まあそうじゃないかと思ってはいたのだけれど(突っ込みどころ)。

童とはいえれっきとした幕府勘定所の支配勘定並である颯太が、体面を重視するこの武家社会で服装をおざなりにできるわけもない。動きにくいと裃ばかりは勘弁してもらっても、貰って数日でくたびれてきた子供仕様の八丈の黒羽織にひと目で上物と分かる信州紬の着流し姿は、七五三か小天狗かというぐらいにごまかしが効いていない。

もはや立ち止まって見物するのはあきらめたほうがよいのか…。この地震直後の高騰相場で、焼物もまた数倍の値付けが行われていることはわかった。

この瀬戸物町の商家も、それぞれに名古屋の蔵元のいずれかに系列化されているのだろうと推測する。細った流通におのれの品を割り込ませる腕力のある蔵元ほど、現地に商品を多く送り込める……ここで商品を確保できている店の納入元を遡れば、名古屋の各蔵元の実勢が推し量れるのではと想像するだけで興奮がせり上がってくるけれども。


(…今日はこのまま撤退しとこ!)


そのまま通りを駆け抜ける決意をして息を詰める颯太であったが。

駆け出そうとした彼の羽織を人垣の中からむんずと掴んだ手があった。そしてそのまま彼の小さな体は半ば持ち上げるようにして物陰へと引っ張り込まれてしまった。


「…ッ!?」

「やーっと見つけたわ」


颯太の目はおのれの襟首を掴んで持ち上げる大人の太い腕をなぞるように見返して、そこにたたずむ唇の厚い太い顎の男と、暮れの薄暗がりの中でも色鮮やかな着物の少女……西浦祥子がドヤ顔で腰に手を当てて立っていた。

一瞬、何が起こったのか分からない颯太。

そこに追いついてきた庫之丞が鬼の形相で現れると、その小集団の間でなんとも言われない硬直状態が生まれた。


「………」

「………」

「………」


いち早く立ち直ったのはおそらくは一番部外者であったろう颯太を掴みあげていた男であった。


「お嬢さま、とりあえず店のほうに」

「…そ、そうね。そのまま運んでちょうだい平助」


とりあえず物扱いが変わらない草太であった。




そこは瀬戸物町のなかにある西浦屋の江戸支店。

地震で傾いているのか、どこかしら平衡感覚が怪しくなる座敷に顔を付き合わせた4人は、出された茶に目を落としたまましばしの間固まっていたが、ここでも沈黙を破ったのは平助という名の男であった。


「お嬢様がお話しになられないのであれば、差し出がましくはございますが手前のほうから…」

「…待って。祥子のほうから話すわ」


ふうっと息をついて、祥子の目は颯太をまっすぐにとらえたのも一瞬のこと、そしてたちまちのぼってくる顔面の血の気にすぐにその視線も手元に落ちた。

普賢下林家に転がり込んだときの騒動などを思い出したのか、気恥ずかしそうに肩を震わせていたが、それもすぐに振り払って彼女は再び面を上げた。


「あんたに改まって話すことでもないんだけどさ、…その、そちらの太郎様との縁談は、は、破談になったわ」


ちらっと、うかがうような色。

太郎伯父の名を聞いてわずかに硬くなった颯太の表情が、『破談』の言葉でほっとしたように緩んだのを彼女は見逃さなかった。

おのれの拠って立つ裏づけのようなものに確信が持てたのか、目に見えて表情を明るくした祥子が言葉の穂を継いだ。


「それからちょっとあんたんとこと少し揉めちゃって、ほとぼりを冷ましがてら店の守りを手伝ってこいって、ここの店に来させられたの。…あんたの伯父さん、ちょっとどうかしてると思うんだけど……話もまとまってないのにうちに上がりこんできて店の人間に馴れ馴れしくするものだから、うちのアレが怒り出しちゃってさ」

「…そ、そうなの」娘に『アレ』扱いの御大に同情しつつも言葉を濁していると、

「あたしも冗談じゃなかったわ! 手とか勝手に握ってくるし、女は男の言うことを聞いてればいいとかふざけたこと言って…!」


出てきた祥子の強烈な拒否反応に、颯太は思わず吹き出した。

太郎伯父さん……不器用過ぎ。


「で、しばらくこっちで暮らすことになったんだけど、なかなかあんたに連絡取れなくって参ってたの…」


またチラッと見やってくる。

いや、さすがに鈍感でも分かりますから。気に入っていただけて男冥利に尽きますです、はい。

ただでさえ江戸市中復興の大任に疲弊しているというのに、さらに地元つながりの奔放我侭娘に付き合わされる将来図は、想像しただけで精神がゴリゴリと削られていく…。

颯太の隣では、何のことやらまったく分かっていなさそうな庫之丞が座っているのだけれども、チラッとそちらへ眼をやったとき、颯太はそこに更なる問題が芽吹き始めていることに気付いてしまった。


(こ、こいつ……まさか惚れたのか!)


庫之丞が、祥子をガン見していた。

秀でた富士額がチャームポイントになるのかどうか、好みの分かれるところであったけれども……庫之丞にはでこ娘属性があったのかもしれない。(顔立ちは十分にかわいい部類に入るのか?)

まためんどくさい火の手が上がり始めたのに焦り出した颯太の内心などまるで知りもせず、祥子はそのなぜか勝ち誇ったような顔に微笑を浮かべて、


「…で、次が本題なんだけど」


さらに無理難題という爆弾を投下したのだった!


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