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陶都物語~赤き炎の中に~  作者: まふまふ
【小天狗起業奮闘編】
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041 ターニングポイント






彼は暗いガレ場にいた。

月のほの白い光が差し染めた冷たい夜の空気が、ぼんやりとたたずむばかりの彼を身震いさせた。


(寒い…)


吐く息が白い。

まだ10月(陽暦では9月)になったばかりだというのに、冬のように冷たい空気が彼の体温を氷の粒に置き換えていく。

そのガレ場で半ば埋もれるようにして目を覚ました彼は、起き出した拍子に崩れ落ちていく瓦礫(がれき)をぼんやりと見送ってから、斜面の中ほどにいるらしいおのれの状況を確認するようにちらりと上のほうを見た。

そこには月の光をちらちらと反射する礫片(れきへん)の山があり、直感的にそこが産廃の処分場なのだろうというなんとはなしの理解が落ちてくる。

触るだけで崩れていく礫片に目を落とすと、それが焼き損じた陶磁器の破片であることに気付く。

捨て場か、とつぶやいて、彼は山の裾を飲み込んでいる果てのない暗闇を恐れるように斜面を這い上がり始めた。

頭上には冴え冴えとした冬の夜空と、月が輝いている。

滑り落ちたらなんだかそのまま死んでしまうような気がして、彼はいつしか息せき切って斜面を這い上がり始めていた。あがいているうちに、それらの破片がすべて彼の割り砕いた失敗作だという確信が強まっていく。


(なんだここは)


誰もいない。

ただ殺伐とした孤独と、寒さ。

脈絡もなく、ここはあの安政地震で崩れた《天領窯》の古い窯場なのではないかという想いが浮かび上がる。無残に崩れ果てて、瓦礫の山となっていたあの誰もいない冬の夜の《天領窯》…。

あのときも白々とした月が輝いていた。風景はあまりに異質なものであるというのに、《天領窯》ではないのかという確信だけが高まっていく。…そのうちに、不意にめまいのような既視感に襲われて、視界になにやら見覚えのある大きな花瓶が頭を覗かせているのに気づかされた。


(あれは……バカ犬の作った失敗作じゃ…)


いよいよ意を強くして、彼は底の抜けてしまったその無骨な花瓶の成れの果てを放り出し、その下をほじくり返し始めた。たしかあいつの失敗作の下に、あの『皿』があったはずだ……われながら気が触れたのではと思うほどに乱暴に破片を掻き出し、その端から崩れていく穴に頓着もせずに首を突っ込んだ。


(オレの……新製焼…!)


見つけなければ。

あれは自分とお妙ちゃんの宝物なのだから。

掘れば掘るほどに、まわりの破片も砂のように崩れ落ちていく。足場も頼りなくずり落ちていく。その流れに負けて下に滑ってしまったら、そのまま死ぬのだと彼はなんとなく分かっていた。


(あれは……お妙ちゃんとオレの…!)


どこかで、誰かが呼んでいるような気がする。でも、いまはそんなことにかまっていられる場合じゃない。崩れ落ちる足場に抗い、死に物狂いで掘り返す。

穴の中に身を滑り込ませ、破片のなかに手をさし伸ばす。


《草太さん、まだだめやよ》


不意に届いた声と、背中を押す手の感触。

はっとしたときには、彼の手が破片のなかに埋まる真珠のように輝く一枚の皿を掴み取っていた。それを必死に抜き出して、掻き抱きながら声の主を探そうとして。


(……た)


胸の小皿が月の光を吸い込んだようにかぁっと灼熱した。

あふれ出る光を腕の中に閉じ込めようと焦りながら、彼は声の主を払われていく闇のなかに探した。

その押し返されていく闇の中に、白い小さな手を見たと思った瞬間だった。


(…うた!)


まるで稲妻がひらめくように白い光が瞬いた。人声のようなものがかすかに耳朶(じだ)を打つ。


(草太ッ!)


その声が届いたのは、本当に突然だった。

ぼんやりと暗闇を目で追う彼の網膜を一瞬にして白い閃光が焼き尽くす。

完全に真っ白になった世界を拒絶しようとして目をぎゅっと瞑り、そうして改めてまぶたを開いた。


「草太ッ! わたしだ! 分かるか!?」


焦点を合わせた彼の目に、懐かしい人の顔が浮かんでいた。

顔を真っ赤にして叫んでいるのはあの冷静沈着な祖父だった。祖父の口からとんだ唾が目に入ってなんだか冷たかった。


「分かるのなら、頷いてみせろ」

「草太様ッ」

「草ちゃん!」


わずかに顎を引くように頭を動かすと、居並んだ多くの顔からうわっと歓声がほとばしった。怒号のような大きさだ。


「息を吹き返したぞ! 助かった!」


ぎゅっと頭をかかえるように抱きしめられて、その人肌のぬくもりが現実感を手繰り寄せてくる。

ああ、自分は死ななかったんだ。

草太はそのとき、感慨もなくそうぼんやりと感じた。



***



かなり危険な状態だと家人たちには思われていたらしい。

血のあぶくを噴いていたというから、出血の量も相当なものであったようだ。大量の鼻血と頬の破れた肉からあふれ出た血とがあぶくとなって溢れて、手ぬぐいが何本も真っ赤になったというから、子供の総血液量を勘案すればたしかに危険な状態であったのかもしれない。

こうして意識を取り戻し、往診した医師にもう別状はないと告げられても家人たちはけっして彼を布団から起こそうとはしなかった。

出血相応の倦怠感はあるもののそれ以外に自覚のある傷はずたずたになった口内の裂傷と歯が数本折れたぐらいで、その気になればすぐに起き出せる自信があったのだけれど、無事をアピールするほどにかえって女中さんなどに「そのお顔で出歩かれるのですか」ともっともなお小言を言われてしまった。

結局何もやることがなかったので、それ以来布団のなかで黙々と状況整理を続けている。

彼が気を失っていた(危篤状態とみなされていたらしい)のは一昼夜ほどのことであったらしい。

部屋の障子は閉め切られている。さらには廊下に面したあたりに衝立が置かれて、彼の存在を外界から隠そうとするように部屋に暗がりを落としている。

草太の寝かされている部屋は彼の居室ではなく、普賢下林家で一番上等な客間のひとつのようであった。


(あのときの隣の部屋かな…)


出血がひどかったという草太の体を大きく移動させることをためらったのだろう。布団も来客用の上質のもので、怪我人にはいささか重たいぐらいにぼってりとしている。

天井の正目の板を眺めながら、草太はあのときのことを思い出す。太郎伯父の恨みを飲んだ眼差しが、燃え盛る熾き火のようにちろちろと彼を見据えている。

きつく奥歯を噛み締める。


(あれが、次期当主になるのか…)


血走った目に宿った狂気。

半士半農の普賢下林家でも名誉を重んじるのはむろん変わらない。草太の負傷についてはきつく緘口令が敷かれ、外部にはただ流感にかかって寝込んでいるとだけ伝えられているのだという。

『家』というものを重んじる時代である。家の中での揉め事を他人に知られるのはかなり恥ずべきことであり、家を継ぐべき世子が幼な子を滅多打ちにしたなどまさに正気を疑われる醜聞の最たるものであったろう。

折れた歯の跡を舌先で探りつつ、鉄臭い血の味につばを飲み込む。

あの後太郎伯父に何らかの処置が与えられたのかは定かではない。ただ時折聞こえる何食わぬ屋敷内の会話の中に、太郎伯父の声も普通に聞こえていたことから、おそらくはなんら変わることなく日常の生活が続いているのだろうことだけは分かった。

太郎伯父は『若旦那』と呼ばれ、この家の跡取りであることは周知の事実である。跡目を継ぐ息子の醜聞をもみ消さねばならない祖父がことの沈静化を願えば、阿吽の呼吸で家人たちも見て見ぬふりをするであろう。


(いずれやってくるそのときに、ここにオレの居場所はあるのか…)


草太は沈思する。

でしゃばって偉そうな口を叩く甥っ子に対して相当な鬱憤がたまっていたに違いない伯父の内心に想いを及ばせて、おのれの至らなさに失笑が漏れる。


(オレは、バカだ…)


一族内での立ち位置も計算できずに、傍若無人に振舞い続けたツケがまわってきたということなのだろう。

三十路のおっさん脳であるからこそ理解できる『大人のメンツ』を思えば、太郎伯父の心情にも易々と想像が及ぶ。「だけれども」と言葉を続けざるを得ないのだけれど、理非はそれぞれにあるのであろうし、いずれ近いうちに跡目を継ぐであろう総領息子と、貧しい農民の娘に孕ませた三男坊の庶子を引き比べれば、太郎伯父の都合が優先されるのは当然であるといえた。

おのれの立ち位置のあまりの危うさが、染みるように心に落ちてくる。

最初の頃は祖父の口を借りて事を成すだけの冷静さがあったのに、いつしか調子に乗って自らがでしゃばるようになっていた。その結果が、権利を侵された長男の憎しみとなっていまこうして甥っ子に叩きつけられたのだ。

ここは初心に立ち返って、おのれの立ち位置を見つめなおすべきときなのであろうか、とも思う。


(…とはいっても、……いまさら引っ込みのつく立場でもなし)


林家を幕末に向けて雄飛させるべく覚悟を決めた上での、一世一代のでしゃばりの途中である。ここで一歩引くのも中途半端であるし、なによりそんな程度の譲歩で太郎伯父の怒りが解けるとも思えない。

世子としての太郎伯父の立場を考慮しつつ、その場その場で判断していくべきなのか。折を見つけて伯父の立場を対外的に引き上げて、それに従う分別ある甥っ子としてのスタンスを作っていけばよいのだろうか。果たしてそんなことでこれからうまくやっていけるのだろうか。

沈思する。

結論付けるのにはまだ早いのだろうけれども、善後策はもう検討すべきときなのであろう。跡目相続までのわずかなこの空白期間が、草太の死命を制するだろう貴重な時間であることはいやというほどに痛感した。

絵に描いたような逆境に、ふつふつと身体の奥底から負けん気が湧き上がってくる。

布団の隙間から差し伸ばしたおのれの小さな手指を、ぎゅっと握り締めてこぶしを作る。いろいろな迷いが、そのとき払われた。


「決めた…」


草太はぽつりとそうつぶやいた。



***



ひどい顔の腫れが引くまでの数日を部屋の中で過ごし、何とか見られる程度になったと祖父が判断を下してようやく草太は自由を回復した。

家の中を歩き回れるようになった彼は、いまの気持ちが萎えぬうちにと、廊下の床板を踏み鳴らして太郎伯父の姿を探して回っている。

動けるようになったら、まず最初にそれをすることに決めていた。

いまはまだよしたほうがいいと言うまわりの制止を振り切り、ようやく庭に面した広間に祖父と伯父がいるのを発見する。


「伯父上ッ」


ふたりがぎょっとしたように顔を上げて、書きつけていた筆を取り落としそうになった。季節がら、先日から始まっていた村人の貢納の記録を書きつけていたところなのだろう。

祖父が立ち上がる気配を示しているのを横目に、草太はすばやくおのれの思ったままの行動に移った。6歳児の彼と、正座する太郎伯父の目線の高さはほとんど変わらない。視線をぶつけ合いながら草太は、ふっと青あざの残る口をすぼめて息を詰めた後に、静かに膝を付き、


「いままで申し訳ありませんでした」


額をこすりつけるようにして深々と土下座していた。

少しだけ驚いたふうに目を見開いた太郎伯父であったが、すぐに関心を失ったように帳面に目を落とす。関心さえ抱いてもらえないほどに怒りを含まれていたことに息を呑みつつも、草太は自身で気付いたおのれの至らなさを次々に列挙して、押し付けがましいほどに謝意をぶつけていく。

いつしか太郎伯父の筆をとる手が止まっていた。

「それだけ分かっていておまえは…」言いかけるその言葉の先を読んでしまった草太は、さらに圧し被せるように「そのうえで!」と語気を強めた。


「林家が進めている製陶業は、いまはまだぼくが動かんと何にも進まんし、伯父上には本当に申し訳ないけれど、甥風情が出しゃばるいまの状況を変えるわけにいかへん。それについて伯父上が腹を立てるのは分かるし、本当に申し訳ないんやけど、基本それを改めることはできん」

「…ッ!」

「それではあやまっとることにならんのは分かっとるし、それで伯父上に怨まれても、ぼくは甘んじてそいつを受けるつもりです」

「………」

「あつかましいけど、いまは林家の家運を賭けたあまりに大事の時、ぼくが身を引いたら《天領御用窯》はつぶれるし、林家は破産です。どうか無理を押して頼みます……無礼な甥を堪忍してやってください」


もしもその場を客観視できるものが居合わせたとしたら、「それ謝ってないYO!」と鋭い突込みを発したことであろう。

それは太郎伯父も同じことで、最初は面食らった様子であったものの、あつかましい草太の言いように再び苛立たしげに眉根をゆがめて、とうとう手に持っていた筆をすずりの上に置いた。


「俺は、お前が虫に好かん」

「分かっとるし」

「父上が今はどう思っているのかは知らんが、いずれ家のあとを継ぐのは俺だと思っとる。俺があとを継いだら、いずれおまえを家から放り出すやろう」

「分かっとる」

「大きなった窯も、そのとき全部俺が貰う。それでもまだ減らず口を叩くか」

「…叩くし」

「西浦屋の娘も、俺が娶る」

「伯父う…」

「世の中には自分の思い通りにならんようなことがいくらだってある。これはもう父上と決めたことや。否やはない」


そうだ。

すべてが自分の思い通りになるなんて早々あるものではない。

畳についた手をこぶしに握って、草太はおのれの中にある決意だけを寄る辺に、人生の潮目の変化に小さくおののいたのだった。


難工事でくじけそそうなので、簡易修正ルートで更新します。

立ち止まったら終ってしまいそうなので。

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