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陶都物語~赤き炎の中に~  作者: まふまふ
【小天狗起業奮闘編】
127/288

040 狂気

暴力シーンがあります。

お気をつけください。






正直、言葉を失ったことに一番びっくりしたのは草太自身だった。

それなりの試案はすぐにまとまったし、普賢下林家の将来を考えての提言であるなら問題なく口にできたはずなのに。


(…ぼくは……どうしたんだ?)


言葉を飲み込んだまま、おのれに反問する。

反問すること自体、それがおのれの考えを否定したいという心の動きの証しであり、損得づくではない草太の個人的な想いから来る率直な反応であっただろう。


(なかに入った郡代様の面子も勘案すればとうてい断れる話じゃないし。…ならば家産の大きさからすれば、いまはまだ林家を大きく凌駕する西浦家との縁談を、実利と結び付ける最善を模索すべきだろう。林家の家産を吸収されるとマイナスに考えるんじゃなくて、ここは西浦屋の内部に入り込んであちらをこそ乗っ取る気構えで行くべきだ。…それならば太郎伯父との縁組はそれほど悪いもんじゃない……あのお嬢が西浦屋の血筋としてどの辺りにいるのかを調べないとはっきりとは言えないけれども、普賢下林家を代表する人物であるほうが、あちらへの発言力の重みが増すはずだし)


西浦円治の腕力は恐るべきものであるだろうけれども、その実こういう独裁者的な当主のいる商家ではナンバー2があまり育っていない可能性もある。西浦屋の中に入り込んで縁戚の有力家当主として掻き回していけば、十分に勝ちの目もあると思う。

実際に西浦屋に突貫した草太だからこそ、そのように考えられる。あの家は有能な番頭はおれども意思決定者が円治翁以外に見当たりそうもなかった。

太郎伯父のやる気次第だが、『株仲間』の筆頭として製陶業に関わるだけの林家よりも事業規模で数倍する西浦屋の跡目を狙ってくれれば、なかなかに面白いことになるかもしれない。並み居る番頭の中から頭ひとつ抜け出せればしめたもの、普賢下林家の総力を挙げてナンバー2に押し上げてみせよう…。

多少の苦労はあれども、林家に損なばかりの縁組ではないのだから、ここは祖父の意を汲んで太郎伯父の縁組の後押しをすべきであった。

だがしかし。

草太は次の言葉を飲み込んでしまった。


(デザイナーの夢、か…)


年上のくせになんとも頼りなげに揺れる眼差しで彼を見据えて、おのれの夢を語ったあの少女のことを思い出す。

親からの理解を得られず、さらには選択の自由がまるで見当たらないこの時代の社会的閉塞感のなかで、彼女は呼吸困難に陥ったような切迫した状況の中にあるようだった。

ほとんど交友もないのに仲のよろしくない林家の人間である草太にすがりつきたくなるほどに、心身ともに追い詰められた少女の苦境は、個人の自由が過大なほどに認められた後世を知る彼だからこそ大いに同情をもよおさせた。


(この時代、嫁入りしたらもうそんな夢みたいなことは言っていられないだろう……でもあの子に普通の結婚生活なんて無理なんじゃないか)


前世の学生時代、親に反発して名古屋の会社に就職していた時期があった。

特に何かをしたいとか意識の高い人間ではなかったからただ就職できれば御の字とサラリーマン生活を選択できたわけであるが……そんな取るに足らない人間にも選択の自由がある時代があるというのに、彼女のように純粋に夢を希求できる人間が選択の余地もなく他人の都合を押し付けられるこの時代の現実というものが、あまりに過酷であるように思う。

そしてその『他人の都合』を押し付ける側にいるのが、まさしく草太自身となっていた。

6歳児とはいえ草太もまた男である。一瞬、いっそのこと彼女をおのれの嫁にして保護しようかとも思案がよぎったが、それは頭を振って打ち払う。

きゃっきゃうふふな情の交わし合いがあったのならば損得を超越したところで彼女を保護すべく必死になる必然性もあっただろうけれど、いまのリビドー乏しい子供っぷりで、さらにはワーカホリック気味の彼にとって、とうてい女性に対する占有欲なんか強くなりようもなかった。


(…おじい様の様子を見るに、太郎伯父との縁組はもうほとんど規定路線なんだろうな……あの太郎伯父とお嬢の組み合わせか……何かすごい間違っている気がするのは年齢差なのか互いのキャラの噛み合わなさなのか……この時代でこの年齢差は普通なんだよな……ああ、でもあの朴念仁の太郎伯父がお嬢を組み敷いてる風景はなんだかいかん気がする……なんだこのもやもや感は)


一瞬だけあの背中に感じた育ちきってない胸の感触を思い出して心の奥底がざわめくあたり、やはり本質的に彼もまた男であり、アホな証拠なのであろう。

しばらく黙していた草太であったが、意を決したように祖父の顔を見た。

こういう話は答えを保留したりせずすぐに返しておかないと、見えないところで別のしがらみが働いていつの間にか話が進んでいるという不思議現象が起こりやすい。


「…郡代様のこともあるし、話は請ける方向で進めねばならないと思います。…ただ伯父上は次期林家の当主、その義父として円治翁が我が家の家業に手を伸ばしてくることがぼくとしては受け入れられません。ここは経営権を脅かされぬために、伯父上以外の男子から選ぶべきやと思います」


草太の言葉に、祖父と太郎ふたりしてさっと硬い表情となる。

もうすでに草太に話す以前に、それなりのところまで両者の話が進んでいたのだろう。太郎伯父を候補として規定した上で、軽く草太の承認を得るつもりであったのかもしれない。


「失礼ながらわが父上の三郎もまだ未婚の身。縁を繋ぐとあれば、我が家の経営から遠くに身を置くわが父が適当かと…」


自身でもいささか思案をこねくり回しすぎたように感じている。

あの女たらしの三郎であるなら、年端もない小娘をいたずらに泣かすようなことはしないであろうし、また経営にもまったく興味がないたちなので娘を使って円治翁が遠隔操作しようとしても思うようには機能しないだろう。

両家にとって最もリスクの少ない組み合わせであったが、難点としては家産の大きい西浦家の面子の上で、やはり長子との縁組を求められるのではないか、という両家の価値観の問題であった。

そのとき、草太の耳元でかすかな音がした。


みしり。


太郎伯父の座っている場所からその音は発された。


「太郎ッ!」


祖父の叫び声。

反応して振り向こうとした草太の意識は、その瞬間かぁっと熱くなった。

受けた衝撃と、ぶれる意識。

草太の小さな体がわずかに浮かび上がり、わけの分からぬままごろりと畳に転がった。ほとんど痛みも知覚せぬままに、殴り飛ばされたことを悟った。


「きさまは! きさまは!」

「太郎ッ! やめんか!」


ようやくおのれの状況を把握しかけた草太の上に、太郎伯父が馬乗りになって握り締めたこぶしを振り下ろしてきた。


ガツンッ!

もう一発、容赦の欠片もないこぶしがぶつけられてきた。

目の奥に火花が散った。


「もう我慢ならん!」

「太郎ッ!」


二発食らったところでのしかかられていた重みがなくなった。

祖父が体当たり気味に太郎伯父を突き放したのが分かった。

障子がバリバリと音を立てて割れる音。どすん、と床を踏み鳴らす音。


妾腹(めかけばら)の癖に! くそ生意気なガキがッ」


バタバタと人がやってくる足音がして、悪態をつき続ける太郎伯父の声が遠くなっていく。鼻から溢れてくる熱いものが、大量の鼻血であるのがなんとなく分かったあたりで、天井を見上げていた彼の視界が急速にぼやけていく。


「大丈夫か! 草太ッ」


安否を気遣う祖父の声とわめき散らす太郎伯父の狂乱が、ただ闇の奥でこだましていた。


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