033 初納品
一度筋道をつけられた『根本新製』のていかっぷ作りは、成形、焼成、絵付けの各工程のノウハウの蓄積が進んだことで、割合スムーズに完成品を吐き出せる状況となっている。
形状的なものは草太の前世知識により完成体が持ち込まれているので試行錯誤の無駄がなく、『定番品』的なバリエーションの拡充もかなり進んでいる。数種類の取っ手、カップ形状の組み合わせだけで幾通りもの展開が可能なので、現在は仕上げのレベルアップが図られている最中である。
上絵柄もまた前世知識の確認作業の様相を呈しており、新しい着色法、焼成温度の調節、顔料の混合などで新色が多数開発され始めている。とくに適切な焼成温度の確立で鮮やかな朱色が使用可能となったことで、柿右衛門などの『赤絵』に対抗しうる下地が整いつつある。その新色である朱色に創作意欲を掻き立てられたのか果敢にも新たなモチーフに挑戦した牛醐は、門派でなじみの深いモチーフである鶏を図案として練り上げ、鮮やかな朱の鶏冠を磁肌の上に表現した。
それが草太をもうならせる一品となった。
いわゆる『鶏図』というやつである。その新色赤を用いた絵付けの完成度は、確実に前作のひとつ上のステージに到達したと断言できる。一目見ただけで好事家の物欲を掻き立ててやまない蠱惑的な吸引力は、まさに美術品の持つオーラといえただろう。
牛醐が絵師としてその手に練ってきた巧緻な筆捌きは鶏の躍動感を生み出し、磁肌の白を利した雪のような羽毛、鶏冠の新色赤の中に巧みに合わせられた金泥がその嘴へと流れてその鋭角なシルエットをきりりと際立たせている。
(…まずは、会心の出来)
完成品を手に、草太はほうっと肺の奥から息を吐き出した。
前世の知識を彼が持ち込んだことは間違いなかったが、なによりも質の高い職人技が濃厚に息づく江戸と言う時代こそが商品レベルを予想以上に高まらせたのだと思う。
おのれは運がいい。
草太は心底からそう思った。
「これならばお眼鏡にかなうと思う。こいつを納めよう」
草太の一言で、固唾を呑んでいた職人たちが一気に溜め込んでいた息を吐き出した。職人たちにとって、いまやもっとも恐れるべきものは草太の検品に他ならなかったのだ。
かくして、準備は整った。
***
安政2年4月10日(1855年5月25日)、それは夏のように日差しの強い日のことであった。
万が一のこともあってはならぬと、代官所からは護衛の名目で5名の人員が出され、さらには近郊の駅から借り受けた馬までもが引き出された。
それはほとんど諸藩の献上品輸送のノリに近いものものしさで、たった一つのケースを載せるためだけに荷車まで持ち出されそうになったのはもはや笑い話の類であったろう。もちろんそれは草太によって即刻拒否されたのだけれど。
見送りも関係者どころか村中総出となった。甲子園出場の球児たちを見送る地元応援団的な光景にそれは近かったであろう。
「いこう」
五騎の人馬のなかには代表として与力衆の森様が混ざり、同じく貴重な『根本新製』を抱え込んだ草太もまたいまひとつの馬に便乗することになった。
ルートはむろん名古屋への最短コースである下街道である。前回のときと同じく、名古屋で『浅貞』の主人と合流し、宮宿から海路下田を目指す。
騎行とはいえ割れ物の輸送であるからその進みはゆっくりとしたものだったが、万が一物盗りに襲われたとしても馬の機動力があれば易々とその包囲も突破できるであろう。それに武器を携行した役人まで控えているのだ、セキュリティ的には万全に近いものと言えた。
「ちっ」
どこかで誰かが舌打ちをしたのを聞いた。
草太の目は、見送りの村人たちとは異質な余所者たちの姿をすでに捉えている。門前払いしてきた行商人たちか、それとも《天領御用窯》の躍進に苦虫を噛み潰している近郊の業界人たちか……それらの非友好的な視線を背中に受けながら、草太はその掌中にある『根本新製』を抱きしめて身を硬くする。
前回までは価値の定まらぬ異形の焼物に過ぎなかった『根本新製』も、今回にいたって付加価値が急騰している。西洋人たちが磁器を指して『白い宝石』と讃えたのも頷ける。彼の手のなかにある宝にも等しいティーカップは、それなりの額の黄金に等しい財物に他ならないのだ。
それを喉から手が出るほど欲している者たちがいることは当然考慮すべきで、代官所が役人を護衛に貼り付けた配慮は、この時代の治安をかんがみれば至極当たり前のことであったのだ。
草太は生唾を飲み込みつつ、改めて考える。
(さて、こいつにどれだけの値をつけよう…)
草太はおのれのだいそれた想像に身震いする。
それは恥ずかしながら武者震いなどという勇ましいものではなく、単純に現実感のない価値付けに恐れを抱いたためである。
品の出来は明らかに向上しているわけであるから、今後の『根本新製』の公認価格を定めるに当たって、最初の値付けは可能な限り高めに持っていきたい。品そのものの価値付けもそうなのだが、草太はおのれの周りの大勢の人間たちを見て、運搬に関わる出費の多さにも正直頭を悩ませねばならなかった。
(この運搬のコスト……軽く見てると痛い目に合うぞ…)
本業焼きの徳利ならば、100個売っても銀七匁半で取引されている。それが薄利に苦しむ美濃焼の相場というものである。それに比して、たった一つの箱に収められた『根本新製』の価値は10両を下らず、その差は数百倍では利かぬほどに隔絶している。
金に目のくらんだ物盗りの出現を想定すれば、護衛は必須である。
しかしそのリスク対応に過度な出費を強いられれば、売価に跳ね返ってくることは間違いない。
15両?
それとも20両?
それがいかに大金であるのか知っているからこそ、想像するだけで舌の根が干上がってくる。
これからの途上、適正な護衛の人数とその所要コストを見極めておこうと思い決めて、草太は内津峠に向かって上り続ける下街道筋をはるかに見つめた。
整備の届かない路面の荒れた下街道が、美濃尾張を分け隔てる峠へとゆっくりと上っている。
はじめて名古屋に向った半年ほど前のことが、昨日のことのように思い出されてくる。彼の人生は恐ろしいほどに加速を始めている。
草太はその小さな手で荷の包まれた風呂敷を、ぎゅっと胸元に抱え込んだ。
一行はその日のうちに名古屋、堀川端で『浅貞』の主人と合流し、そのお付きの人数も合わせて総勢10名となった。
代官所から借り受けていた馬はそこで帰し、一行は堀川を船で宮宿へ、宮の渡しで一日廻船待ちしてのちに船上の人となった。途中二日ほど時化で足止めを食らったものの7日後には無事伊豆下田に上陸し、安政2年4月19日(1855年6月3日)、下田奉行の仮所である稲田寺へと到着した。
事前に書状を届けておいたので一行は速やかに奉行所の中へと通さた。
案内された客間には、すでに勘定奉行川路様を始め、大目付格筒井様、下田奉行伊沢様等幕府の上級役人たちが居並び、障子を割って姿を現した客人たちをはなはだしく恐縮させた。
草太らは畳に額をこすり付けるようにして、注文の品である『根本新製』を謹んで納品する。納期を守ったことを儀礼的に誉めつつその品物の実見に当たった幕府要人たちは、そこに現れた純白の磁器に素直に驚嘆し、そわそわと仲間内で回し見ていたが、平伏したままの草太ら《天領窯株仲間》と尾張藩御用商の『浅貞』の主人に気付いてようやく居住まいを正した。
「この出来栄えであるのなら、例の話を進めてもかまわぬだろう」
こくりと頷きあった要人たちの中央、大目付格西丸留守居役筒井政憲様が、『根本新製』の品物ともども、草太らも江戸城登城に付き従うように申し付けた。先に彼らに渡してあった『ていぽっと』が幕閣のやんごとなき方々に渡っていること、その品物のとつくにでの交易価値について幕閣でも感心が高いことなどが告げられ、平伏したまま畳の目を睨んでいた草太は胸の動悸を押さえきれずに畳みにしがみつくように額をこすりつけた。
「これは内密のこととなるが、上様がことのほかあの品を気に入られたらしい。そこで新たな品の御用話が持ち上がるかも知れぬが、無理難題あろうがけっして口ごたえをしてはならぬ。その場で謹んでお受けいたすように」
「か、かしこまりましてございます…」
予想はしていたものの、現実のものとしてそれが目の前にやってくると、いささが半信半疑な心持ちも湧き上がってくる。
腿の肉をそっとつねってみて、そのちくりとした痛みに草太は震えるように小さく息をついた。
(このオレが……とうとう将軍様に拝謁か…!)
今にもつぶれそうだった零細企業家が、時代変われば将軍様に拝謁とか、とうとうチート小説めいた展開に至ったことに感無量である。まさに大波にさらわれるがごとくの展開である。
ただその大波に、唯々諾々とさらわれるのか、それとも計算高く潮目を読んで乗り越えてゆくのかで、今後の人生はそれで大きく変わってゆくことだろう。
(ともかく、これで『根本新製』の名は天下に鳴り響く)
天下に、と言葉にしてみてもいまひとつ現実感が伴っては来ないのだけれど、たぶんそうした環境の激変はいずれ確実にやってくるのだろう。そうなるべく草太は努力してきたわけであるし、焼物などという消費財は広く天下を相手にしていかねば商売はけっして大きくならない。
名ばかりが先行して世間の風当りに辛苦するほんの少し先のおのれの背中が見えたような気がして、草太は下腹に力をこめた。これはすでに予想されていたことなのだから、企業の先頭に立つ草太がこの程度で揺らいでいては話にもならない。
(腹をくくって、いい物を出し続ける。ただひたすら、それを続けていくしかないし)
面を上げることを許されて、草太は上座に並んで座るお役人様たちをひたとうかがった。大目付筒井様の右隣にいる川路様が、孫でも見るようににこにこと微笑んでいる。
どうやら川路様のご期待には沿えたようだ。進呈したていぽっとはその手を離れてしまったようであるから、いずれまた別の品でお礼をしようと草太は心に決める。
告げられた江戸へ向けての出発は、明日朝未明。
状況の進行はもはや急流のごとく待ったなしのようであった。




