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陶都物語~赤き炎の中に~  作者: まふまふ
【小天狗起業奮闘編】
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032 ちょっと待って






どうしてこうなった。

黙ってお腹をさすっているのだけれど、シクシク痛んでたまらない。


「ほんっと、何にもないわねえ! 春画(※この時代のエ〇本)のひとつでもあるのかと思ってたけど」

「あの……少しは自重して…」

「これって、上絵の下書きでしょ? へえ、こんなのやらせてるんだ」

「ちょっ、勝手に見んな!」


草太の精神的なサンクチュアリが無自覚な侵略者に目下侵されている最中です。どうしてこうなった!

あの《天領御用窯》の正門で顔を合わせた後、なぜだかそのまま普賢下林家に転がり込んだ祥子お嬢様は現在客人としてもてなされている。むしろ痩せこけた弥助にこそ栄養のあるご飯でも食べさせてやりたかったのだけれども、微妙な関係にある窯元同士、下手な饗応は裏切り者扱いを生み出すもととなるので、懐に忍ばせていたお幸ちゃん用の金平糖を握らせるだけで彼は帰らせたのであるが、弥助が去ったあとも草太の動向をうかがうようにもじもじとしていた祥子お嬢様は、ほっとけば口笛でも吹きかねない不自然さで草太の帰宅についてきて、そのまま普賢下林家の屋敷に上がりこんでしまったのだった。

対応した家人たちは美濃焼業界のドンの娘であるこのお嬢様をとりあえず下にも置かぬふうにもてなしたが、もともと神経が太いのか電波系なのか、突然押しかけた迷惑など欠片も想像していないようで、やれご飯に混ぜ物が多いだの味噌汁が薄いだの糠漬けが口に合わないだの……ようは晩飯全ての品目にけちをつけてさらにはデザート、金銭的にゆとりが出てきたとはいえまだまだ林家では高級品の甘味まで要求して、すっかり家内の女性陣を敵に回してしまった。

女扱いに長けた父三郎は小娘には関心を示さずいつものように夜這いに出かけてしまい、太郎伯父は口下手のために端から戦力外、祖父の貞正も若い娘の話題についていけずもごもごするばかりで、結局ホスト役は草太しか残らなかった。

食事が済み次第客間のひとつに通してそのままずらかろうとしていた草太であったが、それではつまらないと結局彼の自室にまでついてきてしまったのだ。

若い娘を自室に連れ込むとか、思春期の男ならば鼻息も荒くなろうと言うものだが、あいにくと6歳児にそうした欲求はない。

かくして大人の対応に徹しようと黙して座る草太をよそに、祥子お嬢様の遠慮のない家宅捜索が始まった次第である。


「いいじゃない、減るもんじゃなし!」

「減るッ! めっちゃくちゃ減るし!」


知識や情報に目減りするような価値を見出すのはそれで金を稼ぐ目ざとい商人ぐらいのもので、田舎の人間にはどれだけ説明したところで理解させるのは難しかったろう。

祥子お嬢様の脳内にその上絵のデータが格納された瞬間に、情報は西浦屋側に漏れて価値の希薄化をもたらす。ここまで堂々と産業スパイをやられるといっそ清々しさすら感じてしまうから不思議である。

もみ合っているうちに押し倒してしまうとかうふふな展開があるわけもなく、体格差であっさりと背後から抱きかかえられてしまい、草太の自由を制したお嬢様が勝ち誇ったように耳元で笑っている。あれだ、歳の離れた姉にからかわれてる末っ子状態だ。

背中にあるかないかの柔いふくらみを押し付けられたときは多少ドキッとしたのは確かだが、《根本新製》の新作情報をもてあそばれている怒りがすぐに勝って、つかまれていた腕に噛み付いた。


「いったッ!」


まさか抵抗されるとは思っていなかったのか噛みつかれた腕を振っている祥子お嬢様の隙をついて、奪われていた紙の束を奪還する。


「痕になったらどうすんのよ!」

「そんなの知らんし!」

「嫁入り前の乙女を傷物にしたらただじゃすまないのよ!」

「嫁入り前とか、そんなの知ったこっちゃないし! だいいち嫁入り前の乙女とか言うぐらいなら、その前に男の部屋とかに平気で入ったりすんなっての!」

「男って……あんたガキじゃん」

「そういう問題やなくって! なんでそこでニヤニヤしてんのかな!」

「あんた、祥子のおっぱいに興奮したんでしょ」

「………」


ぶわっと一気に赤面した草太をみて、言った祥子お嬢様自身もつられて赤面してしまう。

おいおい、どこのラブコメだっつうの。すぐさま突っ込みを入れつつ、そうした微妙な空気に流されてしまわないのが三十路のおっさんクオリティであっただろう。

草太は真っ赤になっている祥子お嬢様の鼻をつまんで引っ張った。


「いっ、いひゃい!」

「乙女がおっぱいとか言うな」

「おとこって、女のおっぱいがすごい好きなの知ってるし! 何かあるとすぐにじろじろ見てくるし」

「…だからおっぱいいうな」

「……わ、わひゃったかりゃ」


この遠慮のない応酬でようやく心の壁が取り払われたのかもしれない。

草太は弛緩した空気を読んで、ようやくにして聞きださねばならない話の核心について問いただした。


「家出…!?」


われながら頓狂な声を出してしまった。

こくりと頷いて事の顛末を語り出した祥子に、草太は一気に肩の力が抜けていくのを感じた。

あの半月ほど前の西浦家アウェー訪問のあと、かなりきつめにお灸を据えられた祥子は、そのあともことあるごとに円治翁と衝突してついには土蔵に閉じ込められるまでに至ったらしい。

あのお嬢様が粗相をすると侍女が叱責されるという理不尽な父親のやり方を、体当たり的に反抗を続けることでようやく罰を自らに向けさせることに成功した祥子であったが、それから3日間土蔵に軟禁されている間にいろいろと考えさせられることがあったのだという。


「土蔵の中って、いろんなものが仕舞ってあるの。どこかの偉い絵師が描いたきれいな梅の花の掛軸とか、漆塗りのつやつやなものっすごく細かい螺鈿細工の小箱とか、怖い妖怪の描いてある衝立とか…」

「………」

「仕舞ってあった振袖とかも暇つぶしに着てみたりして…」


子供がよくやるひとりファッションショーというやつである。

まあ暗闇が怖いとか言いそうなやわな子じゃないし、3日間も閉じ込められてたら暇つぶし始めるだろうなぁ。

次々に高価な着物を出しては飽きたらポイするお嬢様の姿が目に浮かんで、草太は小さく苦笑する。


「祥子は気付いたの。あたしって、すっごくきれいなものとかが好きなの」


目をきらきらと輝かせて、顔を近づけてくる。

男に対してと言う警戒心が働いていないのだろうけれど、こういう純粋な『乙女成分』は意外と男には強い訴求力を備えている。

まだそうした欲求とは無縁のおのれの幼さに感謝しつつ、草太は祥子の次の言葉を半ば予想しつつ待った。


「祥子は、あんなふうなきれいなものが作りたいの! みんながびっくりするような振袖を作って、うわぁきれいってほかの女の子たちに言われてみたいの!」


デザイナーになりたいんですね、分かります。

男尊女卑のふうの強い江戸時代に、女性の職業選択の自由など、ほぼなきに等しい。幕末、明治の文明開化を経て文壇などに『女流』が誕生していくのだけれど、女性カリスマデザイナーがアパレル方面で生まれるのは百年は後のこととなるだろう。

にわかに得た大望に心を燃やす祥子であったが、その実現への道が果てしなく険しいことを知る草太には気軽にかける言葉など持ち合わせがない。むろん否定するつもりもないし、人はみなおのれの人生の充足のために努力すべきだと草太は基本思っている。

だけれど、どれだけがんばっても無駄なことがあるのも事実である。社会的な基盤が熟成して初めて開けてゆく分野というものがあって、デザイナーなどは正に最たるもの、時代的にほぼ無理ゲーである。

ゆえに、草太は不必要な言葉を黙って呑み込んで、語り続ける祥子のよき聞き手となるべく努力した。

ひととおり思いのたけを吐き出した祥子は、心持ち息を切らせながら天井を見上げていたが、草太のコメントがないことに気付いて自嘲気味に笑った。


「どうせそんなの、祥子には無理だと思ってんでしょ」

「不可能ではないと思う」


草太の応えに、祥子が瞬きする。


「絵師というより、どっちかって言うと仕立て屋なのかな……自分の目でいい反物を見つけて、着物に仕立てる感じ?」

「あ、うん…」

「友禅みたいに絵柄の染付けなら産地で弟子入りしなくちゃ始まらないし、仕立て屋ならまず何着か着物を実際に仕立てて、街の人たちに自分の感性を証明する必要がある……認められるまでに初期投資がだいぶかかると思うけど」

「やっぱり、あんたなら笑わないと思った。祥子の夢を」

「…お父上が分かってくれなかったから、家出してきたの?」

「話すら聞いてくれなかった。なにを馬鹿なことをとか、鼻で笑われたかと思ったら、次の日には縁談だとか言ってきて…」

「…それで、家出したと」

「…うん」


まあ事情は分かったのだけれど。

草太自身、仕事に忙殺されてくたくたになっての帰宅である。正直他家の揉め事などそっちで何とかしてくれと言いたいところである。

が、もうこのお嬢様にはうち懐に入り込まれてしまっている。マイルームに侵入を許した時点で対岸の火事どころか足元に火が移っている。


(またぞろクソじじいが難癖つけてくるかもなぁ…)


ふうとため息をついた草太をじっと見つめていた祥子は、本当に何気ないふうにぽつりと言葉を漏らした。


「どうせ縁談なら、あんたのお嫁になったほうがましだわ」


とんでもない爆弾を投下して、祥子はぷいっとそっぽを向いた。


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