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陶都物語~赤き炎の中に~  作者: まふまふ
【小天狗起業奮闘編】
111/288

024 プチャーチン

改稿負荷が高まっています。

鋭意更新作業を続けていますが、リアルの仕事もあるのでペースダウンいたします。






小屋の中は、かなり蒸し暑かった。

小さな窓は開けられているものの、中の会話を漏れ聞こえさせまいとほかは全て締め切ってしまっているので、ひといきれと熱気が小屋の中に充満している。

草太の目に最初に入ったのは、川路様の黒紋付の背中だった。

肩越しに草太を顧みて、くいくいと手招きしている。


「例のものをお見せして差し上げなさい」


事前にプレゼンの前振りをしてくれていたらしい。

草太は感謝の気持ちではちきれそうになりながらこくりと頷いて、小さなテーブルの上によいしょっと抱えてきた風呂敷包みを持ち上げた。そのときになってようやく、相手のロシア人の姿を目にすることが出来た。


(これが、あの…)


エフィム・ワシリエビッチ・プチャーチン。

日本の開国権益に群がり寄る海外列強のひとつ、ロマノフ朝ロシア帝国の全権使節である。


(顔でけえな)


主賓らしき割と小柄な口ひげの男は、フェルト地の厚ぼったい軍服に身を包んで、蒸し暑い小屋の空気に何食わぬ顔で耐えている。軍服なので分かりづらいが、結構肉付きもよさそうである。

その後ろで護衛よろしく直立不動の姿勢でいるのは副官その他であろうか。

隣にいる目つきのきつい東洋人は、帯同するロシア語の通詞なのだろう。プチャーチンと思われるロシア人がごにょごにょとなにか口にすると、言葉が切れたのを見計らって通詞の男がさっと姿勢を正す。必要以上に肩肘張ってこっちを見下ろしてくる偉そうな男だった。


「それはなにか、と申しておられる」


まあ、雰囲気的にはそうとしか言ってないだろう。

若干この通詞に反感を覚えつつ、草太は手早く風呂敷包みを広げると、例のふたつの木箱を取り出した。

虎の子のボーンチャイナ披露の用意をしながら、草太はめまぐるしく思案を続けている。ここで行うのはむろん商取引を前提としたプレゼンテーションである。


(メリケン人でも捕まえようと思ってたのに、蓋を開けたら帝政ロシアか…)


なにゆえにこの伊豆の地でロシア人たちがたむろっているのか、生半可幕末好きの草太には、プチャーチンの名前とおぼろげなロシアの動きぐらいしか記憶にはない。にわか幕末好きの傾向のひとつとして、有名人のあまり絡まない周辺的事象に対しての関心が全般に薄かったのだ。

実のところ、帝政ロシアの全権として訪日していたプチャーチン一行は、あの《天領窯》を崩した安政の大地震で、寄港していた下田で乗っていたディアナ号が津波によって大破し、この地で長い足止めを食わされていたのだ。

故郷の復興に草太が一時忙殺されていたように、ロシア使節もまた地震被害に苦しめられていたという、まさに歴史が用意した偶然であった。

なにかに導かれたような、文字通りの一期一会の邂逅(かいこう)に他ならなかった。その幸運を草太は神仏に感謝した。

莫大な富を貯め込む金満ロマノフ王朝は、あたう限り最良の取引相手に他ならなかった。


(ただ、時代はまだ鎖国が続いてる……ここであんまり商売っ気を見せるのはNG)


いまはまだ幕府は鎖国政策を堅持している。彼らは海外列強には弱腰でも、自国国民にはどれだけでも強面になれる。

ちらり、と川路様の様子を見る。

草太はそっと生唾を飲み込んだ。このプレゼンテーションの貴重な場を、この手で支配せねばならない。


「わたしは美濃国林領、《天領窯株仲間》から派遣されてまいりました林草太と申します。このたびはこちらにおられます川路様のお許しを得て、《天領窯》産品をご紹介させていただきます」


手のひらに浮いた汗を極力気にせぬように……チャンスはたったの2回だ。

まずは川路様に見せた例の小皿を披露する。小箱を開けて、春夏秋冬の小皿をプチャーチンの前に並べていく。

彼の言葉をロシア語に訳しているらしい通詞の声がやたら気になってくる。

こいつほんとにロシア語しゃべれるのか?

蘭語(オランダ語)、英語なんかは限定的とはいえ平戸での貿易が続けられていたから通詞の数も多かろうが、ロシア語とかちゃんとした通詞がいるのかはなはだ疑問である。この通詞の能力如何では《根本新製焼》の説明が誤って伝えられることも十分ありえるのだ。

男のしゃべっている言葉は、好意的に受け取ろうと思っても、どこかロシア語的な響きから遠い。これって、英語ではないから蘭語なんじゃなかろうか。ロシア側がまっとうな通詞を用意できない日本に配慮して蘭語で受け答えしているのかもしれない。

そのとき草太のこめかみがヒクヒクと引き攣った。

聞き耳を立てていると、通詞が《天領窯株仲間》を言葉そのままにカタカナ名詞で説明しやがったのだ! こいつ会社という言葉を知らないのか!

普通なら怒るほどのことでもないのだろうけれど、そのとき草太もいささか血の気がのぼっていたのだろう。


「…カンパニー」


ぼそり、と草太の口から言葉が漏れる。


「テンリョーカマ・カンパニー!」


株仲間とは要は株式会社のことである。よくわからないカタカナ名詞ではとうてい相手の頭に残らないだろう。このロシアの全権使節の脳細胞に《天領窯》を刻み込むためには、あちらでも理解できる言葉が必要であったに違いない。


「It is a product of Tenryokama, Inc.」


相手のロシア人に、英語が通じるかは分からない。

だが太陽の沈まぬ国と豪語する海洋帝国となったイギリス人の言葉だ。教養のある人間であったならば理解できる可能性が高かった。

そのとき驚いたように目を見開いていたプチャーチンが、待ったというように通詞を手で制して、草太に向かって身を乗り出した。


「Can you speak English?」


おお、通じた通じた!

さすが全権使節を任せられるような教養人である。かなり頼りなくはあったけれども、ちゃんと英語に聞こえる。

が、草太にはそれに対するリアクションは許されない。とたんに冷静さを取り戻した草太は、おのれがやりすぎたことを悟っていた。

答える代わりに、にこにこと微笑んでみる。プチャーチンの隣で苦虫を噛み潰したような顔をしていた通詞が、いやいやというようにその言葉を訳して見せた。


「貴殿はエゲレス語が話せるのか、と尋ねておられる」


エゲレスって…。

すばやく言い訳をシミュレートした草太は、首を横に振った。


「異人に会ったときのために、こちらの言葉を一文だけ訳してもらったんです。それを暗記してました」


とっさにひねり出した言い訳だったけれど、なかなかにうまいこと言ったな自分。

異人に会いたいと売り込んだぐらいの人間が、片言の異国語を口にしたとてなにがおかしかろう。そちら方面に興味があるからこそ、こんなところにまで顔を突っ込んでいるのだ。

それ以上の言葉は知らないのだから、今後のリアクションは厳禁である。

草太がそれ以上しゃべれないことを知ると、馬鹿にしきった様子で通詞がふたたびその旨をプチャーチンに耳打ちする。それを聞いたプチャーチンは、幼い草太の顔を見て、面白そうに喉を鳴らして笑った。

それからおもむろに草太の陳列した小皿を手に取り、鑑賞タイムに突入した。


(…どうだ)


食い入るようにその様子を見つめる草太と川路様。

幕府のお役人とはいえ、海外の技術力に圧倒されがちな国内産品がどんな反応を生み出すのか興味があったのだろう。

プチャーチンが食いつけばそれで半分ミッションは達成されたのに等しかったけれども…。


「なかなかすばらしい焼物だとおっしゃられております。これは磁器かと尋ねられておりますが?」

「そうです、《天領窯》で新しく開発された新磁器の品にございます。笠松郡代様より《根本新製焼》の名もいただいてございます」


ふたたびプチャーチンに耳打ちする通詞。

多少は食いついているようには見えるものの、フッキングできるほどには食いついて見えない。内心の焦りを押さえつつ、草太は静かにもうひとつの木箱に手を伸ばした。

さすがに一国の全権使節を任される人間が一般庶民であるはずもないだろう。

おそらくは高級軍人、あるいはロマノフ朝の貴族ということでもあるかもしれない。磁器などそれほど珍しいものではないのかもしれない。

無論そんなことも草太は想定済みである。

幼な子のプレゼンをほほえましそうに眺めているプチャーチンを見て、草太は軽く唇をかんだ。18世紀中頃にイギリスで生まれたボーンチャイナは、この時代地域性はあるもののある程度ヨーロッパでは普遍化している。

草太がボーンチャイナ開発に流れたのはあくまで国産磁器で国際化の早かった有田との差別化を計るためで、東洋=白磁器という概念のなかからあえて抜け出すことが最大の目的なのである。

海外で日本の焼き物が珍重されるのは、あくまで東洋趣味のその絵付けにあるといっていい。マイセンなどの名窯の絵柄のオリジナルはすべて日本や中国のそれにつながっている。その尊重されるべき東洋オリジナルに、乳白で透明感のある新素材ボーンチャイナ、そして百数十年後からやってきたおっさんのボーダレスな美的感覚と生産ノウハウが化学反応を起こしたときにこそ生まれる新たなオリジナリティ……それこそが草太の強気の正体であった。


(これならどうだ!)


そうして草太は全身の毛穴が開く思いで、もうひとつの木箱に手をかけたのだった…。


天領窯株仲間が株式会社というより合名会社に近いんじゃないかとご指摘を受けています。無限責任を負っているノリなのでその通りなのですが、この「無限責任」をあの与力衆が受け入れるとは草太は思ってはいません。同様に代官様も、本家の江吉良林家も、そのような債務を負うことを受け入れると思っていません。現状、あくまで「経営者責任を負え」とは、脅す一手段として草太が用意したものに過ぎず、本人はゆくゆく現代的な株式会社に移行させる気でいます。

法人格を定める法律もない時代ですから、読者の方にも分かりやすく『株式会社』の名称を使っています。今後もそうしますので、お気になられた場合は前述の言い訳内容をもとに脳内変換をお願い申し上げます(^^;)

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