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陶都物語~赤き炎の中に~  作者: まふまふ
【小天狗起業奮闘編】
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018 発想のブレイクスルー






生みの苦しみ、というヤツなのだろう。

上絵付けの技術的な問題もたしかに大切なのだが、今はそれよりもしびれてくる問題が目前に立ちはだかっている。

『根本新製焼』の死命を制するであろう上絵デザインが、まったくもってふがいないことに、まだイメージさえも定まっていないのだ。

ボーンチャイナ自体の成形の甘さがなかなか改善されないうえに、商品性の核心ともなるべき初期デザイン・意匠が決まっていないとか、目も当てられない泥船っぷりであった。


(一目見ただけで引き込まれるような、キャッチーなデザインじゃないとなぁ…)


牛醐からは、すでに幾つかのデザイン候補の提出を受けていたが、まだいまひとつの出来でゴーサインを保留したままでいる。

出てきたデザイン案は、伝統的な花鳥風月のものや、唐土の染付けによくあるような龍紋や水墨画のようなもの。

それらは有力な絵師一派のもつ確かな技術力が表されたものであったけれども、前世も含めそういったものが常に溢れている焼物業界で生きてきた草太にとって、それはいささか食傷気味な図案であったりする。


(もっとないのか……こう『意外にそういうのはなかった』的な図案は…)


胃痛を感じて、お腹を揉み触る。マジで胃薬プリーズ…。

いちおう期日を切って牛醐には新案の提出を要請しているが、デザインとか創作系の物事はせっついたところで結果が伴うわけでもない。

腕組みしつつ窯場をうろうろする。

よほどしかめつらしくしていたのだろう、いつもは気軽に声をかけてくる職人たちもこのときばかりは気兼ねして奇妙な無風状態になっている。

いかんいかん。

頭張ってる人間が煮詰まっていい結果につながるはずがない。

気持ちを切り替えるべく、草太は伸びをしてゆっくりと肺の中の空気を吐き出した。

見上げた草太の目に、緩やかな稜線を描く高社山が飛び込んでくる。

初夏の気配漂う抜けるような青空と、この何百年後も、そこにそうして変わらずあり続けるであろう地味でのびやかな田舎の風景。

その気が抜けるほどの変哲のない景色に、ふっと、草太は脱力する。

別段新鮮というわけでもない空気をそっと吸い込んでみる。こんな何にもない片田舎の子供が、なに肩肘張ってんだか。


(神デザインを神頼みしてみるか…)


気分を変えて神社にでも詣でようと踵を返そうとした草太であったが。

そのとき彼の背中越しに、不意に声がかけられた。


「草太様ぁ!」


聞きなれた少女の声……こちらを呼ばわって手を振るお幸の後ろには、またずいぶんと久しぶりな知人の姿があった。


「権八…」


京都で別れた富山の薬売り、権八であった。

故郷に呼んだ覚えもない胡散臭い男であったが、気安げに手を振られるとなんだかするりと懐に入られたような気になるから不思議である。


「近くにきたし、挨拶しとこ思って」

「しばらくぶり。…近くにって、この辺にあんたの顧客とかいたんだ」

「暮れの地揺れで南のほうの薬の引き合いが間に合わんて、手伝いやらされとるんやちゃ。…それよりもなんや、この窯をおまんが作ったってほんとか」


道すがらお幸にでも聞いたものか。

にぎわう窯場の風景を見回して声を弾ませて、権八は背負っていた薬種行李を地面に下ろした。なんだ、ここで商売でも始める気かと無意識に身構える草太をよそに、薬売りの暢気な営業が始まった。


「新しい窯場にも置き薬はいるやろ。買われ買われ」

「ちょっ…そういうのは後で」

「ええっちゃええっちゃ。少しは安うしたるし。…それにいま薬置いてくれたら、おまけにこれとかも好きなだけやっちゃ」

「やるって……なに? 紙風船?」

「客先に顔出したときに、少しお土産置いてくのがお決まりみたいなもんなんやちゃ。…風船が気に入らんのなら、これとかどうやの。江戸で流行しとる流行絵師の『版画』もあるけど!」


次々と出るわ出るわ、行李の中からさまざまな大きさの版画が現れる。

それはいわゆる「薬売りのおまけ」なのだろう。普賢下の林家にも、別の薬売りが顔を出していろいろとおまけを置いていっているそうだが…。


(これは浮世絵か…)


そっち方面にあまり関心のなかった草太には、『浮世絵』と聞けば浮かんでくるのは一部の有名絵師のそれのみであった。北斎しかり、写楽しかり。

しかし良く考えれば、この時代は浮世絵の全盛期であるだろう。彼の知らない絵師など腐るほどいるのかもしれなかった。

最初はそれほど興味もなく流し見ていた草太であったが、いくつか『版画』を見比べるうちにその顔色が変わってくる。

心臓が大きくどくんと跳ねた。

それはまさに天から何かが舞い降りた瞬間だった!


「…わ、わかったし」


草太はしげしげとその版画を眺めつつ、ややうわ滑った感じにそぞろに言葉を継いだ。

喉が渇く。少ない唾を搾るように嚥下する。


「窯場に置いてやってもいいけど…」

「話がはやて助かるわ。それじゃあ懸場帳のここに草太様の名前を…」

「…その代わりに、こいつら『全部』ちょうだい」


えっ?

きょとんとする権八に対応の隙すら見せず。

新聞の勧誘屋に無理難題を言うあつかましい客のように、草太は決して渡しはすまいと手渡された版画をぎゅっと抱え込んでしまった!


「全部くれたら、置いてあげる」


そのあまりのあつかましさにさしもの権八も絶句していたが、別段値の張るものでもなかったようで、草太の子供っぽいやりようを笑いつつ商談成立の見返りにと気前良く了承してくれた。

ホクホク顔の草太に、お幸が物ほしそうに指をくわえて見やってきたが、この版画はもちろん渡せない。その代わりにと、草太は土産物を片付けはじめた権八の隙を突いて紙風船を幾つか奪い取ると、さも当然のように「はい」とお幸に渡してしまった。


「ちょっ! これ以上はさすがに欲張りすぎやちゃ!」

「いいじゃん、風船のひとつやふたつ」


自分がやられたら烈火のごとく怒り出すだろう自覚はあるものの、貴重な新規顧客相手に強く出られない権八の立場を考えればノープロブレム。

にかっといい笑顔を向けると、毒気を抜かれたように権八も苦笑して「持ってかれ」と手振りした。おもちゃというものに飢えているこの時代の子供にとって、薬売りの取るに足らない土産物でも大変な貴重品であるのだろう。お幸は渡された風船を大事そうに抱え込んで、うれしそうに顔をほころばせた。

そうした歳相応のあどけなさを見せるお幸は、草太にとって一服の清涼剤となりえた。


「まあ茶の一杯でも出してやるし」


草太の気分はもうウッキウキである。

この胡散臭い客に対してすら茶柱付きのお茶でも出してやりたい気分だ。

電車の中で腹を下して長い地獄の果てに場末のトイレで解放されたときのように、世界がなんだかやさしく輝いて見える。うっかりすればスキップしだしてしまいそうだ。

草太は自分が抱え込んでいる『版画』の小さな多色刷りの浮世絵をちら見して、自然と口許をほころばせた。


(きっとこういう方向なんだ)


理屈がどうのということではなく、彼の琴線に触れる何かがこの『版画』にはある。

まだよくは見ていないけれども、彼のなかに漠然とあった固定的な『浮世絵』のイメージとはかけ離れているように感じた。絵柄は浮世絵独特の風景や人物の線画多色刷りであるものの、この『版画』は趣がまったく違う。

『浮世絵』をどこか芸術品的に格調高く捉えていたのは、後世のジャポニズム流行を知る現代人チートの悪弊であったかもしれない。本来、浮世絵はそんな格調高いものなどではなくて、例えるならネット絵師の作品のようなものなのだろう。美人画などは『萌え絵』と捉えたほうが感覚的にぶれていないだろう。


(後世とかって、最初の日本趣味の流行はいままさに全盛期だし! ヨーロッパ画壇にいままさに流行の嵐が吹き荒れている時代じゃんか)


そしてなにより草太を食いつかせたのは、この土産物の『版画』の題材が、薬売りの『企業もの』的なところであった。薬の効能を謳った見返り美人の絵とか、人気のものなのだろう赤穂浪士っぽい浪人たちが薬を手にとって談笑してる絵とか、デザインもなかなかに自由奔放である。

普賢下の屋敷に向う道すがら、草太はおのれの考えに没頭し続けた。

奔放な浮世絵的絵柄。

しかしそれをそのまま乗っけるのも単純すぎるだろう。

アレンジだ!

浮世絵の自由な発想と、古典的な紋様のフュージョン!

そして企業もの!


(《天領窯》の企業ロゴの創出!)


強力なブランド力を保持するメーカーが、必ず打ち出すおのれの象徴たるロゴはけっして外せない。そのロゴが条件反射的に『高級品』と直結するようになるまで育て上げることがブランドには必須なのだ。

自然、ガッツポーズしてしまう。


「…っとに変わらんっちゃね。なに考えとんのかわけが分からんし」


客であるのに放置気味の権八が悪態をついたが、それさえも草太の耳にはまったく届いてはいなかった。


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