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陶都物語~赤き炎の中に~  作者: まふまふ
【小天狗起業奮闘編】
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013 でこ娘






「おまはんらぁの荷は扱わんよう言われとる」


近くに寄るだけでむっと獣臭のただよう男が、ひへへと歯抜けの口許を緩めて胸元をぼりぼりと掻いた。

草太はその体臭に眉ひとつ動かさず、逆に出がらしの茶まで勧めて情報の聞き取りに心を砕いたものの、その労はまったく報われなかった。

声をかけた馬喰(馬匹運送業者)はすでに4人目だった。


「言ったやろ。だから無駄やって」

「だけど実際に聞いてみな分からんと思ったし」

「下街道を行き来する馬喰どもは、みんな高山宿の荷継ぎ問屋に荷を渡さんといかん決まりになっとるらしいな。…その高山宿の荷継ぎ問屋から、《天領窯》の荷は引き受けるな言われとるんやろ。…大きい声では言えんが、なんやその問屋と西浦屋さんが縁戚みたいやぞ」

「…(どんだけ無双だよ)」


最後の言葉尻を飲み込んで、草太はむっすりと頬を膨らませた。

「茶もタダやないんやからな」、と接待場所に使わせてもらっている木曽屋の店先で次郎伯父にぶつくさ言われて、思わず舌打ちしてしまう。

馬匹業者の多い下街道沿いならば、もぐりの馬喰だっているかもとか、けっこう期待はしていたんだけれども……結果はご覧の通りである。




根本新製焼の出荷時に必要な運搬手段を確保すべく、根本代官所を通じてお役人たちに指示がなされたのは3日前。

そうしてお役人様たちがつてを頼って駆けずり回り、二日後にたどり着いた結論は、「荷継ぎ屋すべからく否」であった。


多治見と名古屋を結ぶ下街道(現国道19号線)の馬匹仕事は、沿線の住人たちの賃仕事利権としてもともと争議の絶えない商売であるらしい。

下街道の管理権は尾張藩にあるようで、その北東部100余箇村を治める水野代官所(瀬戸にある尾張藩代官所)を舞台に綱引きが続き、いまから半世紀ほど前にすべての荷は高山宿(土岐郡高山村)の荷継ぎ問屋が一括取り扱いとなったのだそうだ。

幕府の早馬が各地の駅で乗り継ぎを実現しているように、この時代の下街道運送業は、各地の荷継ぎ問屋とそこに荷を運び込む地域の馬匹運送業者たちによって現代の宅配業に近い短距離輸送ネットワークを形成していた。

その高山宿で独占権を持つ荷継ぎ問屋に、高山宿の庄屋、深萱(ふかがや)家という非常に有力な一族がいた。

問題は、その深萱家と西浦家が縁戚関係にあるらしいということだった。


(しかもちょっとやそっとの関係じゃないし……円治翁の母親の実家とか)


有力者が政略結婚を続けて血のコネクションを築いていく理由もこうして実害をこうむればすとんと納得してしまう。有力者はいよいよ『有力』となり、新参者はただ排撃されるのみである。


(はぁ…)


精神的なストレスのためか、このところ胃痛を抱える草太である。

無意識にお腹を押さえるしぐさをしてしまうものだから、胃痛持ちであることはもはや周知の事実化してしまっている。池田町屋の次郎伯父夫妻の店、木曽屋のお勝手で白湯を分けてもらい、懐に持ち歩いている薬を喉に流し込む。

反魂丹の苦味がこの頃おいしく感じられるのは、相当に病んできている証拠であるのかもしれない。

高価な薬であるから、飲むのはよほど我慢できないときと決めている。


(こいつは明らかにストレス性なんだけどなぁ…)


いまだに問題が山積する《天領窯》の経営の一翼を担っている限り、そのストレスを抜本的に解消するすべはない。気長に付き合っていくしかないのだろうが、もしもこの医療未発達の時代に胃潰瘍とかになったら、それは致命傷だったりするのではないだろうか。

嫌な想像に舌の根が干上がってくる。


「下街道は駄目でも、木曽川の船荷を使えば桑名まで送れるやろう。今渡までの馬匹はもう仕方ないからこっちで馬を調達して…」


隣で胡坐をかいていた次郎伯父が嫁のどやし声で飛び上がる。

絶賛家事手伝い中の次郎伯父は、廊下に放られていた干した布団ひと山を抱え上げて廊下を走っていく。草太のまわりでも女中さんたちがまめまめしく炊事に洗い物にと立ち働いている。

そこにいれば邪魔なのは明白なので、草太は徒労感をため息とともに吐き出すと、お礼の挨拶をして木曽屋を後にする。


(…たしかにもう輸送手段は船荷の一択なんだけど……他の選択肢がないのは急所になりかねないし。西浦のクソじじいに狙ってくださいといわんばかりって、かなり業腹やわ)


もう西浦屋は《天領窯》の取引問屋が『浅貞』なのは調べがついていることだろう。

最近《天領窯》が資機材関係の発注など『浅貞』と関係を深めていることなど、狭い業界なのですでに知れ渡っていると見ておいたほうがいい。それが分かっていてもなお西浦屋が『浅貞』自体への攻勢には出かねているところをみると、やはり蔵元としての勢いと資本力で『浅貞』に軍配が上がるのだろう。

皮肉にも、立ち遅れている『美濃焼』を抱えていることで西浦家は比較劣勢に甘んじている格好である。

廉価品しか作れない美濃焼に対して、磁器生産が盛んになりつつある瀬戸焼の蔵元である『浅貞』のほうが、その新製焼人気と取引価格の差で金回りがよいのは仕方のないことであった。

いっそのこと、『浅貞』から馬匹を差し回してもらおうか。西浦屋の妨害をほのめかせば、利益を守るために動くかもしれんし。

ぶつぶつと独り言を言いながら、草太は池田町屋の通りを歩いていく。

多治見界隈でもっとも華やいだ池田町屋の町並みは、そぞろ歩きの通行人でそれなりに賑わっている。草太もまた気分を変えようと見物モードにスイッチを入れたそのとき。

ふとある店先で、気になるものを見つけて立ち止まった。


「…あっ、こりゃ大原の草太様」


そこは以前入ったことのある酒屋の隣にある小間物屋だった。

なぜ店主が彼の名前を知っているのかは知りたくないので突っ込むのを控えて、店先に並べられた小間物の数々に目をやるふりをする。

小間物屋とは、この時代のいわゆるアクセサリーショップである。かんざしや(くし)、匂い袋などを取り扱う店であるから、集まる客筋も相応のものとなる。黄色い声を上げていた娘が、主人の反応に気付いてこっちのほうを振り返る。

裕福な家の娘であるのか、お供らしき女中を従えている。いろいろな意味で濁りのないその無邪気な瞳が草太を捉え、ほんの少しだけ見開かれる。

ぶしつけな視線をやり過ごしつつ、草太はおのれの目に留まったもののところへとまっすぐに吸い寄せられていく。


「さすが草太様、お目が高い! こちらのかんざしは特に腕のいい職人が打ち出すのに半月もかけた…」

「ああ、それやなくて」


店主の勘違いを正しつつ、草太の指は違う場所を示した。

彼の興味の先が想像の斜め上を行っていたのだろう。店主が再起動するのにしばしの時間を要した。


「えっと……ではこの櫛でもなくて?」

「違う、その後ろ」

「ああ、その花飾りの…」

「そうやなくて!」


草太が棚に身を乗り出すように手を伸ばして、それを掴む。


「これのこと」

「…いえ、そいつは……売り物では」

「これ、一個いくらなの」


店主の狼狽など気にもせず草太がぐいと詰め寄ると、しどろもどろな答えが返ってきた。


「ひ、ひとつ100文で」

「それは売値? 卸値?」

「…うっ、売値でございます」

「100文は少し高いなぁ……どこから買っとるの」


普通こんなあからさまに商売のネタを聞き出そうとする客などいるわけがない。しかしその勢いに圧されて、店主はその仕入先を明かしてしまう。


「内津に取引しとる指物師がありまして…」


口にしてから、しまったという顔になるがもう遅い。

必要な情報を仕入れた6歳児がニマニマとしているのを悔しげに見やって、店主は腰砕けに座り込んでしまった。

まあ貴重な情報のお礼も兼ねて、くだんの品の代金、100文をその手に押し付ける。値段はおそらくぼったくりであろうから、多少の溜飲も下がるだろう。

意気揚々と踵を返そうとした草太の背中から、ぷすっと、我慢をこらえきれず噴き出したような笑いがはじけた。

若干首をすくめつつそちらに目をやると、そこには腹を抱えて忍び笑いする娘さんの姿があった。


「小間物屋で、なに買うんだろと思ったら!」

「お嬢様! 人前ではしたのうございます!」


富士額の広いおでこがつやつやしい。

ややして笑いを収めた娘さんが、まるで子供の相手をするようにしゃがみ込んで目線の高さを合わせてくる。まあ草太は6歳なので、そうでもしてもらわないと首が痛くなるほど見上げねばならないのだけれど。

かわいい、といえばいいのだろうか。

年の頃はまだ13、4歳。妙齢というにはいささか幼い娘さんである。

くりくりと動く瞳が好奇心の強さを表しているのなら、いままさに草太はその対象としてスキャンされている最中であるのだろう。


「そう、あんたが大原のとこの鬼っ子ね」


女中さんが止めるのも聞きもせず。

娘さんの手が草太の頭をぐりぐりとこね回した。


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