八十二話 夜な夜な
「お師匠様が騎士団の標的になっているですって?」
たった今言ったこと、それと同じことを言い返される。
「あまり声を大きくするな。騎士団内でも秘密裏に進んでいる作戦だからな」
「え、ええ。わかったわ。冷静に、冷静によね。それにしても、どうしてお師匠様が?」
当然の疑問だったので、スカイはジェーン・アドラーから聞いた話をそのまましてやった。『死神』と呼ばれ、夜な夜な他人の家に忍び込んで治療師として活動していること。宰相ザークゥの死と関わりがあること。大事なポイントを簡潔に伝えた。
「お師匠様が昔からそういった治療行為をやっているっていうことは知っているわ。実家がしっかりとした治療師の家系だから、表向きに無報酬でそういう活動をするのは難しいんだと思う。だからこっそりやっているんでしょうね。まさか夜な夜な人の家に忍び込んでいようとは」
やはりそこはびっくりらしい。夜な夜な家に忍び込んで来るなんて、普通は良からぬ連中だからだ。
「あの人は昔からそんなことをやっていたのか。しかし、宰相ほどの人相手に夜な夜な忍び込むようなことは必要ないだろう。金ならいくらでもあるはずだ」
無報酬だから隠れてやっていた。実家の名を貶めないための行動なら、金がある連中相手なら堂々とやればいい。こっそりやっているということは、本当に『死神』と呼ばれるだけのことをしている可能性も、という推論が出てきた。
「……お師匠様の評判を知らないようね。残念ながら、私やあなたが慕っているほど、王都で信頼を勝ち得ている人ではないわ。むしろ真逆ね。……どこかあなたと被るかもしれない」
「ビービー治療師?」
かなり安直な推測。
ソフィアが呆れた顔ですぐに否定した。
「知っている人はその実力を知っているし、実家からの評価もちゃんと受けているわ。ただ、真実を知らないそこらの一般人は、お師匠様を『ランスロット家のごくつぶし』と呼んでいるわ」
「無能そうだもんな、あの人」
自身の師匠の正直な心証を語った。思い返せば、表面上はみすぼらしく、挙動も少しおかしな人だった。人々の評価の声も、なんとなく理解できるところがあった。
「失礼はよしなさい。次言ったら姉弟子である私が許さないわ」
姉弟子ソフィア、ということになったらしい。それで丸く収まるなら、とスカイは特に気にした様子がない。
「お師匠様は昔から難しい研究ばかりをしているの。そのために実家にいろいろ調達して貰ったりしているから、そう見えてしまうのよ。魔力変換速度の研究だってお金がかかっているだろうし、その恩恵を受けている私たちがお師匠様を否定しては駄目よ」
「はい、すみませんでした」
姉弟子っぽさが少し出てきた。
「治療師としても新しい世界に踏み込んでいる人だから、社会的な評価は受けづらいわ。皆常識の枠に当てはまらないものを理解しようとしないもの」
ソフィアの顔には少し寂しさが見えた。尊敬して止まないアンスが、社会から評価を受けていないことが納得いかないのだろう。
しかし、この点に関して、ソフィアは全くおかしな反応をしていると言わざるを得ない。やはり自分のほうがアンスを理解している、とスカイは思うのだった。
アンスほど頭のいい人間が社会的評価を得ようと思えばいつだってやれただろう。そうしないのは、ただ単に興味がないから。魔力変換速度の研究も、新しい治療の研究も、ただ単に楽しくやっているような人なのだ。社会的評価を得られなくて弟子が悲しむというのは、見当違いもいいところである。
もちろん、そんなことを面と向かって言うスカイではない。言ったらソフィアが機嫌を損ねることなど目に見えている。女性の機嫌の取り方を、レメを通してきちんと学んでいるのだ。
「そんなわけだから、宰相ともあろう人が正式に『ランスロット家のごくつぶし』であるお師匠様に治療を依頼することはないの。だから夜な夜な忍び込んでいたのね。貧しい人だけでなく、治療の目途が立たない人も見捨てたりしないから」
アンスにとっては、治療を依頼されないなら夜な夜な忍び込めばいい、くらいに考えていたのだろう。
社会的評価を得て正式に治療をする。面倒だから夜な夜な忍び込んで勝手に治療する。アンスなら後者を選びそうだな、とスカイは妙に納得していた。
「それにしても、治療の目途が立たない……か」
ソフィアの言葉に大事な点が含まれていた。
彼女しか知りえない部分があるのだろう。視線でその先を促すと、ソフィアは観念したように話し始めた。
「私の過去を話すことになるけれど、まああんたは弟弟子だし、仕方ないわね」
髪をかき分けて大人のお姉さんっぽさを演出する。
艶がある髪の毛が揺れるだけで魅了される男も多いというのに、今の仕草に全く無反応なスカイ。ソフィアは少しつまらなさそうな顔をした。
「あんたモテないでしょ」
「知らん」
「まあいいわ。それよりも、お師匠様の話ね。こっそりと治療する対象だけど、大きく分けて二つに絞れると思うわ」
「あっ、そういえばこの前交際してくれって他クラスの生徒に言われたな。あれはモテているってことじゃないのか?」
「その話はもう終わってるのよ!」
素直に謝るスカイ。最近モテだしたのは事実だ。もともと見た目も家柄もいいスカイだ。ビービー魔法使いという重しがあっただけで、普通にモテる要素はふんだんにある。英雄扱いされている直近なら、告白という行動に出る女性がいても全然不思議ではなかった。
「それで、お師匠様が治療する対象は、一つにお金のない相手。これは単にお金を支払えない人のため。実家の件があるからこっそりやっているのね。そして二つ目は推測も入るのだけど、治療の目途が立たない人。……死の床にいる人が対象よ」
なぜ知っているのかという話がソフィアの口から語られる。
「……私がそうだったから。死を待つばかりの幼少期。すべての治療師に見捨てられた中、お師匠様だけが私を見捨てなかったわ。高名な治療師が匙を投げる難病だったにもかかわらず、手を挙げたのがアンス・ランスロットという若い男の人だった。無報酬で、しかも付きっきりで見させてほしいと。貴族家の嫡男でも、普通は断る話なんだけど、縋る相手のいなかった母はお師匠様に頼ることにした。そこで、私の未来は変わったわ」
誰も治せなかった難病をアンス・ランスロットは一人で治療し、しかも報酬も断った。ソフィアとアンスの繋がりはその時から始まったのだ。
「それ以来お師匠様のおかしな研究に付き合ってきたわ。魔力変換速度の修行もそのあとにつけて貰ったんだから」
自分の方が先に修行をつけられた、というのを主張したいのが見て取れた。
「修行の話はいい。治療の話からいくと、宰相ザークゥも一般的には治らない病気、もしくは怪我を負っていたのを嗅ぎつけて、師匠は宰相宅に忍び込んだのか。結果、手を尽くしたが助けられなくて、宰相は死んだ。もしもこの話が真実なら、似たような話はあるはずだ。『死神』と呼ばれている理由にも納得できるというものだ」
「推測だけれど、かなり芯のある話だと思っているわ」
もしもこれらがすべて真実なら、アンス・ランスロットという男はなんとも不憫だ。救いに行った結果、『死神』と呼ばれたんじゃ普通はたまったものじゃない。ただ、そういうのを気にしないから彼はこういうことを続けているのだろうと、弟子のスカイは理解も示した。
「無実を証明してやらないとな。大体『死神』なんて汚名を付けられるような人でないことは確実なんだ」
「私も協力するわ。ここは王族の権威を盛大に使って」
「待て。騎士団はかなり王族への警戒を示している。師匠とソフィアのつながりもある程度把握しているみたいだし、今は下手に動くな」
「じゃあどうしろっていうのよ!」
「今は俺が動く。こっそり動くのは、師匠譲りで得意だからな」
スカイにはそれなりに考えがあった。ソフィアの力は使いどきを選ばないといけない。今は身軽に動ける自分こそが一番使えると思っている。
「とりあえずは、当の本人に会ってみないとな。本人の口からもいろいろと聞いてみたい」
「王都は広いわ。言っておくけど、お師匠様は一か所にとどまらないことで有名よ。接触するのはかなり困難だと思うわ」
「まあ任せておけ」
話が済んだので、ソフィアの部屋からこっそりと出た。
師匠の件は秘密裏に進めたいので、二人は相変わらず小声だ。
「進展があったらまた報告に来る」
「ええ、協力は惜しまないからなんでも相談しなさい」
「助かる」
「あなたのためじゃないわ」
「わかっている。けど、助かる」
小声で、お互いの顔を近づけてコソコソと話し、スカイはその場を後にした。
しかし、もちろんあいつは見ている。
レメとスカイの恋愛話が大好物なレンゲがチラリと廊下の隅から。
恋の嵐を勝手に妄想し、一人興奮するレンゲだった。
学校の休みを利用して、スカイは王都に出向いた。
師匠を探し当てるという目的で来ているが、王都の街中はソフィアが言った通り広い。人ももちろん溢れかえるほどいる。ランスロット家実家さえ知らない。
ただ、スカイには心当たりがあった。
定期的に訪れては大金を寄付している孤児院に、それらしき情報があったのだ。以前孤児院の院長が言っていたことを思い出す。
院長はスカイに感謝しつつ、定期的に顔を隠して孤児院に治療師としてやってくる男の話もしたことがある。世の中には優しい方がたくさんいるのね、と。その時は聞き流した情報だったが、今にして思えばアンス・ランスロット、その人ではないかという予測が立つ。
顔を覆っているのはランスロット家の人間だと隠しているため。
孤児院なんてのは金銭に余裕がない代表格のような場所だ。考えてみれば、アンスが見逃すはずもない場所である。
「さてと、覆面男がいつ来る聞いてみるかな」
足が貧困街にある孤児院へと向かう。
急ぐこともないとゆったり歩いていたスカイだったが、ここで思わぬ出会いを果たす。
「きっ君!もしや高等魔法学院の生徒ではないか?」
「ん?」
大慌てで呼び止められて振り向いた。
裕福そうな商人の成りをした男だった。
「今日は休みなのかい!?時間はあるかい!?」
慌てて質問が飛んでくる。だいぶ冷静さを欠いている様子だった。
「要件は何だ」
「ああ、それもそうか。高等魔法学院の将来有望な魔法使い殿と見込んで、仕事を頼みたい!む、娘の体に赤い髑髏のあざが出たんだ。まだ治療法が見つかってなく、赤い髑髏が出ると、体調を一気に崩してしまう謎の病なんだ」
「悪いが、俺は治療師じゃない。ほかを当たってくれ」
「治療師ならいくらでも雇える。病気なら治療師たちに任せておけばいい。今は戦える魔法使いが欲しいんだ。赤い髑髏が出ると奴がやってくる!奴が!今夜、我が家の娘のもとに、死神が来るかもしれないんだ!」
「は?死神?」
怯えて震える商人。どうも聞き捨てならない話だった。




