七十九話 ぶつかり合う
ピエロが随分と余裕そうなのは、スカイの新しい力を信じ切っているからである。
ラグナシが最強たる存在と言われるのにはやはり理由があった。
新しく解放された力はとんでもなく常軌を逸したもので、人としての強さの枠を超えてしまったかもしれない。
『過ぎ行く世界』、スカイが新しく開放した力。
世界がスカイのスピードに取り残されるかのようにスローになっていく不思議な時間。
ただでさえ最速であるスカイが、相対的に更に加速していく世界。
相手はスカイの攻撃をかわすことも、反撃することももちろんかなわない。
むしろ何をされても、あまりのスピードの差を前に何をされているのかもわからないかもしれない。
いや、もはや見えているのかどうかさえ、今はまだ不明だ。
そんな圧倒的な力を手にしたことで、ピエロはこれからやってくる強敵との戦闘を前にしても随分と余裕を見せていた。
「おい、スカイ。いきなりあれをやれよ。手加減なんて必要ないからな」
「わかっている」
手加減など必要ないし、何よりスカイ自信新しい力の検証をどこかでやってみたかったのだ。
同じ一年生で、実力者のクザン相手ならちょうどいい試運転になりえる。
試運転とはいっても、もちろん制圧の失敗は許されないが。
「クザン、悪いが一瞬で終わらせて貰う」
二丁拳銃を構えるスカイ、クザンの視線はもちろんそこに注目する形となった。
このまま打ってスカイの神速の魔力弾を味わせるのもいい。
スカイの戦闘スタイルは存在が有名なだけあり、学校内でも知られた力だ。
クザンも知っていると見ていい。
しかし、今日はとっておきを見せる。
『過ぎ行く世界』が発動される。
これはフルミンの覚醒の禁断魔法や、スカイの魔力変換速度200%に通ずる力であり、魔力の消費は起きないが、体への負担はもちろんある。
一日に何度も使える力ではないが、一度使えれば十分なほどに強力である。
世界がゆっくりと静まり返る。
辺りの景色は変わらないのに、どこか違う世界に来たみたいに感じられる。
空を羽ばたく鳥が空でほとんど静止している。少しずつ動いてはいるものの、注視してみないと気が付かないほどの速度だ。
「ヒャッハー!楽勝だな、スカイ。早くあの小僧のもとに行ってぶっ飛ばしてやれ!」
ピエロの期待した通りの圧倒的な力。
スカイがゆっくりクザンへと歩み寄っても、クザンはほとんど動いていない。
視線すら追わない。スカイが通り過ぎても、全くの反応がないのだ。
「凄い力だが、あまり長時間やっていると酔いそうだ」
普段との時間の流れが違い過ぎた。
ゆっくりと、あまりにゆっくりと進むこの世界で、スカイとピエロだけがまともに動ける。
感覚が変わり過ぎることで、スカイは吐き気を催して来ていた。
「情けねえーな!これだから最近の餓鬼は。俺様たちの時代はな、馬車に揺られて数十時間、ボロボロの船に揺られて数十時間、それでも全く……オロオロオロオロ」
「吐いてんじゃねーかよ」
そろそろ力を解かないとスカイもピエロのように無様になりそうだったので、さっさとクザンの背後に回った。
「自分の力とは言え、奇妙な世界だ。それじゃあ力を解くぞ。また感覚が変わるから、耐えろよ」
言い終わると同時に、スカイは『過ぎ行く世界』を解いた。
世界が動き出す。
クザンは先ほどまで対峙していたはずのスカイが突如消えたことで、かなり戸惑っていた。
間違いなく目の前にいた。それが一切の予備動作なしで姿を消すことが可能なのかと必死に思考した。
「こっちだ」
「馬鹿め!まんまと後ろを取られやがって。ま、しかたねーけどな。はーはっはっはオロオロオロオロ」
「忠告しただろ。まあしばらく黙って吐いてろ」
自分の背後、それも真後ろからスカイとピエロの会話を聞いてクザンは更に動揺した。
消えたスカイが後ろにいる。
思わず振り返りそうになるものの、後頭部にスカイの杖である拳銃が付きつけられた。
「もともと外すつもりはないが、この距離なら説得力が上がるだろ?言っておくが、威力に間違いはないぞ。バランガのあの固そうな顎を砕いた実績もある。自分の頭と、バランガの顎、どちらが固いか天秤にかけな。まあ、大差ないことはすぐ理解できるだろうけど」
「……言っていた通りか」
「ああ、一瞬で終わっただろ?」
「流石に凄まじい。もはや戦闘と呼べるかどうかすら怪しい。悔しさを感じない敗北はこれが初めてだ」
敗北という単語を聞いて、スカイはどこかホッとした。
別にクザンに恨みはないので、ボロボロにして騎士団の前まで引きづって行くよりも、本人の意思で行って貰った方が気分も楽である。
「ただし、こちらも言っただろう。どの異常な速さは想定していたし、何よりただで帰れると思わないようにと」
一瞬ピクリと動いたクザンに、スカイはすかさず魔力弾を放った。
出来れば穏便に済ませたく思ってはいたが、反撃されそうなときに引き金を引かないほど甘いスカイではない。
こんなマジかで魔力弾を受ければただで済むはずがない。それでもクザンは抵抗に出たのだ。
魔力弾はもちろん直撃し、クザンの頭を打った。
いや、貫いた。
魔力弾が頭を貫通して、そのまま真っ直ぐ突き進んでいった。
ばたりと倒れるクザン、その体が空気に解けていくように消えていった。
「なるほど」
これは闇の性質、中級魔法幻体である。
詠唱時間が5秒を必要とする魔法であるし、クザンの魔力変換速度を考慮しても、スカイの目の前で詠唱できた魔法ではない。
「事前に準備していたか。まさか戦うことでも想定していたのか?」
「……特に最近はな」
犯人の自覚があるから、クザンはどうやら幻体をあたかも本体と思わせながら過ごしていたようだ。見上げた警戒心だった。
「姿を隠せば、お前の速さもどうにかなるだろう。手加減するつもりもない。上級魔法闇空間を使わせて貰う。悪いが、そちらのペースでは戦わない」
「隠れられたなら、そのまま逃げればいいものを」
とは言ったが、スカイが無傷なら逃げ切れるはずもない。
スカイの身体能力は、自分が思っている以上に周りに評価されている点だった。
クザンももちろん警戒心している部分だ。
「最初に殴ったときから幻体だったか?うーん、思い返せば確かに変な感触だった。確か、ある程度攻撃に威力がないと解けない魔法だったな」
会話でクザンの居場所を探ろうとしたスカイだったが、返事はなかった。
最初の会話はどうやったか声が反響した。
それで追えなかった。
今度はボロが出ないかと試したが、警戒心はやはり流石としか言いようがない。
「仕方ない」
「ま、まさか!?スカイ、お前!!」
ピエロの当初の余裕は消え去った。スカイがやろうとしていることを理解したからだ。
ガチャリ。
「はい。お終い」
「馬鹿な……!?」
スカイの拳銃がまたもクザンの頭に付きつけられる。
「そう不思議でもないだろ?一度後ろを取れたんだ。二度目もあるさ」
種を明かせば簡単な話だ。
隣でピエロが再度酷く嘔吐しているのを見れば一目瞭然。
スカイはまたも『過ぎ行く世界』を発動しただけ。
声が聞こえる範囲で、人が隠れられそうな場所を歩く。
物陰に潜むクザンを見つけて、拳銃を突き付ければ、はい完了。
「俺に関する予備知識は素晴らしい。随分と学習するタイプの魔法使いらしいな。しかし、その学習よりも俺の速さが上回った。残念だが、お終いだ。それともこれも幻体か?それならまた同じことの繰り返しだ」
打って、幻体が消える。
スカイが追い、どうやっても逃げられないクザンがまた捕まる。その繰り返し。
後何度かやれば、スカイもピエロのように無残な姿になるだろうが、逆に言ってしまえばただそれだけ。
二人の間には絶望的なまでの速度差がある。
「ここまでか……」
「その通り」
今度こそ本当に手がないみたいで、クザンはスカイの指示に従い、自信を無力化していった。
スカイに連れられて、クザンが騎士団へと引き渡された。
無念の顔をしたクザンが、最後にスカイを見据えた。
「悪いとは思っていない。後悔もない」
一連の事件への感想を述べた。
スカイも特に言い返すことはしない。
「ただ、バランガが解き放たれんだ。手綱は、解き放ったお前が握ることだ。いいな、スカイ」
「知るかよ。ただ、舐めた真似をするなら、あの自慢の顎を砕いてやるまでだ」
「……それで十分だ」
クザンが自首をするという形で、今回の学内殺人事件はかたがついた。
始めはクザンの発言を信じなかった騎士団だったが、証言をもとに捜査しなおすと、その発言が正しいことが判明していった。
クザンはスカイに負けたからか、それともやはり罪悪感があったからなのか、一切嘘をつくことなく全てを話した。
後の始末は、司法の判断に任されるだろう。
無事その疑惑が晴れたバランガが、数日ぶりに地下牢から解放された。
寮までレメが付き添って歩いていた。
その道中、スカイと遭遇する。
やつれたバランガ。
どこか不満そうなレメ。
壁にもたれかかるスカイ。
最初に口を開いたのはバランガだった。
「……っく、礼は言わんぞ!」
「いらん。しかし、約束は守れよ」
もう以前のような汚い手で平民たちに借金を負わせたりしない。その約束のことだ。
「ああ、わかった。……俺からも一つ、言いたいことがある」
「ん?」
バランガのことだから、自分たちの前から早々に立ち去るかと思っていたのだが、そうではないらしいと気づく。
言いにくそうに、バランガが拳を握りしめながら下を向いていた。
何度か喉に引っ掛かりながらも、ようやく口が開く。
「くそったれのスカイ。それに、女!」
「レメよ、オカッパ」
刀があったら斬ってやろうか、とレメは少し思った。
目が吊り上がって怒っているのがわかる。
「スカイ、お前は憎い奴だったが、今回の褒美として……その、俺の子分一号にしてやってもいい。それと、女!」
「レメよ、学習しないオカッパ」
「お前の料理は大したことなかったが、まあ食えないレベルではない。学校に通う間限定だが、俺の専属メイドにしてやってもいい。平民の分際でこのバランガ・レースに近づけるんだ。大層名誉なことだろ!」
これがバランガが言い渋ったことだった。
彼の中では、これでも随分と譲歩した内容らしい。
本当はもっと下の身分で側に置いてやろうとも考えていたくらいだ。
スカイとレメが視線を交える。
ほぼ同時に頷いて、同時に口を開けた。
「「せーのっ!」」
二人のパンチが同時にバランガの顎を捉えて、殴り飛ばしたのだった。
吹き飛んでいくバランガ。
死にそうな顔をしたていたが、これで本当に死んだかもしれない。
「ったく、なんであんなの助けたのよ」
「さあな。それより、なんか作ってくれ。レメの料理がずっと食べて見たかったんだ」
「あっ、じゃあ今から来る?ふふふ、この数日でまた腕を上げたんだから」
「おう、行く行く」
二人の頭には、既にバランガのことなど欠片も残っていなかった。




