六十八話 ラグナシの戦い
魔人化とでも呼んだ方がいい変貌を遂げたブラロス。
その迫力だけで、大抵の使い手はひるんでしまって戦意を失ってしまうかもしれない。
ジェーン・アドラーと戦っているときに、この状態にならなかったのは、やはりまだ余裕があったからだろう。
しかし、今やその余裕を見せる暇もない。
スカイとの決戦は、手加減も、余計な時間をかけることも出来そうにないと判断したのだ。
彼の破壊衝動を存分に満たすためにも、長く戦うというのを希望していたのだろうが、スピード勝負のスカイの前では悠長な態度は許されない。
「もうちょっと遊びたい気分ではいたがな」
ブラロスの周りに次々と詠唱が完了されて、現れる土の性質魔法たち。
これはアエリッテ・タンガロイが見せたオールインと同じ現象だ。
詠唱時間ゼロで、魔力消費量も関係なく、制限時間内なら次々と完成していく土の性質魔法。そこには初級魔法も中級魔法も、当然ではあるが上級魔法もすべて入っている。
ただでさえ、大地自体を用いて、それを使用することの多い土の性質魔法。それが一斉に詠唱されていくと、ブラロスの周りだけ天変地異が起きているかのような有様になる。
背後には山がそびえたち、空には今にも降り注いできそうな岩の大群。
更には地割れや、地面まで揺れ出してきた。
今この場に何も知らずに来た人間が突如この光景を見たとき、世界の終わりを想像するかもしれない。
それほどまでに、目の前の光景は常識を逸していた。
「おいおいおい、やっぱりまずいじゃねーか!」
自信たっぷりのスカイに感化されて、すっかりその気になっていた使い魔のピエロも目の前の光景には冷静ではいられなかった。
スカイの首元に隠れながら、ちらちらとブラロスの方を覗き見ている。
「だから逃げろって言ったのに!あいつ見るからにやべーから!初見で分かったから!」
「黙っていろ!」
ピエロの愚痴に付き合っている暇などない。
スカイは今絶対絶命の危機に陥っているのだ。
アエリッテ・タンガロイの時でさえ、どう対処していいか悩んだほどだ。
こうして敵対している相手が同じようにオールインを使ってくるとなると、本当に思考がスクランブル状態になって、なかなかいい答えを導き出してはくれない。
スカイの今の状態で、魔力弾を一発作り出すのに0.25秒かかる。
これは通常の使い手に取っては到底太刀打ちできない詠唱スピードである。
そこから繰り出される魔力弾の威力もあわさって、スカイを止められる人間はいないかに思えた。
しかし、秒数限定とはいえ、今目の前ではブラロスがスカイを完全に上回った。
土の性質魔法に限られるが、魔法詠唱に0.25秒も必要ない。
詠唱すればその場で魔法が完成する。完璧な魔法がその場に現れてスカイの前に立ちはだかるのだ。
威力では負けないかもしれないが、次々と出来上がる魔法の前にはスカイの詠唱スピードでさえ追い付かない。
何かアイデアを絞りだそうにも、思考は慌てたまま何も答えをくれない。
唯一なんとか思いついた、近づいて勝負に片をつけるというアイデアも、今の魔人化したブラロス相手に踏み込める自身もない。
どう考えたって、接近戦で勝てる相手ではないのだ。通常時でさえブラロス相手には怪しいのに、今の見るからに狂暴そうな見た目だと、反撃を食らうことが濃厚。
「魔力弾を打ち続けろ!威力がマックスまで上がってるんだ。どんどん打ち続けろ!」
ピエロの強引な提案だが、それしかないとスカイ自信も思っていた。
とにかく完成していくブラロスの魔法に魔力弾を当てていく。
威力8000を誇るスカイの魔力弾が威力面で負けることは早々なく、いくつか魔法を相殺させて消すことはできたが、それでもやはりオールインの方が速い。
ブラロスは完成させた魔法を、オールインが解ける直前で一斉に放ってくるつもりのようだった。
そうなれば、かわすことはもちろん、受け切ることも当然厳しくなる。
しかし、どう頑張ってもブラロスの前には無策に思えた時だった。
ピエロが突如可愛い顔に落ち着きを取り戻し、口をあっと開いて、ふと閃いた。
頭の上に電球が灯ったかのように、明るい表情が見て取れる。
「ちょっと待て、スカイ」
ピンチなのにも関わらず、ニヤニヤを抑えきれずにぺエロは言った。
「待てるか。魔力弾を打つので精一杯だ!」
「ラグナシの戦い方ってこうじゃないぞ」
ピエロは絶体絶命のピンチを迎えたことで、数百年前の記憶を鮮明に思い出すことができていた。
ピエロの以前の契約主もそれはそれは強い使い手だった。
ピエロが例えたように、アエリッテ・タンガロイ級の使い手。
オールインの使い手、そこまで届いていたかどうか定かではないが、それでも近いものはあったのだろう。
しかし、運悪く遭遇した伝説のラグナシを前に、あえなく散ってしまった。
出会ってさえいなければ、天才の道を歩み続けられていただろう。
あの時、契約主はほとんど手も足も出ずに敗れ去った。
あの時、ラグナシが何をしたか……ピエロは今ようやく綺麗に思い出すことができたのだ。
「お前、全然違うな。ラグナシってやっぱりこんなもんじゃないぞ。確か、爺さんはこう言っていたな。『過行く世界』と。その直後、俺の契約主は片腕を失ったんだ」
「何のことだ!」
「いいから言ってみろって。何か起きるかもしれねーだろ!」
ピエロは変にハイになってはいるものの、スカイの為に必死だ。
スカイは普段なら聞き流しているかもしれないが、もうすぐブラロスの魔法が完成しようとしている。
ほとんどやけくそだった。ピエロの言うことに従ったのだ。
『過ぎ行く世界』
スカイは意味も分からず、その言葉を唱えた。
そして、世界が変わる。
次々と魔法を完成させていたブラロスの動きが、急に止まった。
いや、よく観察すると、止まりはしていない。
しかし、その動きはまるで大量の粘膜に包まれて、もがき苦しむ弱小生物のように遅く緩慢だ。
スカイがピエロに視線を移す。
ピエロも視線を合わせた。どこかしてやったりの顔で、口元を抑えている。
この世界で、どうやらスカイとピエロだけがまともに動けているようだった。
「どういうことだ?」
「これがラグナシの世界って奴だろう。全く、こんなことになっていたとはな。勝てるはずもない」
「遅いのはブラロスだけ?いいや、俺たち以外は、世界そのものが緩慢だ」
辺りの様子から、スカイはそう推測することができた。
どこか静寂で、そして重たい空気がその考えを後押しした。
「いいから、とっととやっちまえ。検証なんて後でいくらでもさせてやる。今しか勝てねーぞ!」
このありがたい忠告に、スカイは素直に頷いて応じることにした。
確かに、訳が分からないが、これを逃したらブラロスに勝てる未来が見えない。
先ほどまで、いくら魔力弾を打とうとも、ゼロ秒で完成させられるブラロスの魔法の前に相殺されていた。
しかし、今や二人で話し込んでもブラロスの動きはミリ単位でしか動いていない。
渾身の魔力弾を、正面から当てられる絶好の機会だった。
魔人化しているブラロスの体はかなり頑丈そうである。
数発で事足りそうだが、念のために、というか残りの魔力総量を全て注ぎ込んで、スカイは最後の魔力弾を10発作り出した。
それを撃った。
何にも阻まれず、魔力弾は一直線にブラロスへと進む。魔力操作に必要性すらない。
そして、腹に命中――その瞬間、世界は元通りに戻った。
静寂が消え去り、空気が軽くなる感覚がする。
ブラロスからしたら、スカイ達以上に、その身に起きていることが、本当に訳が分からなかった。
ゼロ秒で魔法を詠唱完了できる今の状態で、どうして自分の腹に魔力弾が撃ち込まれているのか??
しかし、考える暇などない。
すぐさま残りの魔力弾も体にめり込み、ブラロスを再度吹き飛ばした。
吹き飛ばされていく中で、ブラロスのオールインが時間制限を超えて、終わった。
勝機も消えたと言っていい。
完成させられた大量の魔法が放たれることなく宙へと消えていく。
スカイの『過ぎ行く世界』も、そして魔力変換速度400%もちょうど効果が切れる。
ほとんど荒野と化したグランドには、次第に元通りの静寂が戻る。
倒れこんだブラロスは、体へのダメージ、そして地味にエレクトリカルモードの蓄積もあって体を動かせない。それでも意識がある辺り、この男の頑丈さは目を見張るものがあった。
勝ったはずのスカイもその場に座り込む。
カネントとの戦いでも結構披露したが、その時と比べ物にならないくらい力が入らない。
ブラロスがもう一度立ち上がるのなら、今度は本当に死を覚悟しようと思っているほどだ。
しかし、ブラロスはもう本当に立ち上がらない。
ピエロもそれを見届けて、話はまた今度と決めて、そそくさと魔域へと帰っていった。
ずっとスカイの側で戦っていたピエロも想像以上に気疲れしている。
両者もう戦えない状態だが、残るのは戦意に満ちた学園生徒と拘束されているスレインズの面々。
それが最後にスカイとブラロスの明暗を分けたのだった。
新しい力に目覚めたスカイ。
ブラロスと戦いたかったジェーン・アドラー。
押さえきれない破壊衝動をようやく存分にぶつけることのできたブラロス。
こうして、高等魔法学院を舞台にした化け物同士の戦いは、最終的にスカイの一人勝ちで幕を占めた。
スカイはそこで意識を失ったので、この後の後始末はそれほど詳しくは知らない。
とにかく、学校の平和は守られた。
そして、この日を境に、皆のスカイを見る目も変わりつつあった。




