四十七話 元騎士団長の怒り
王都から出て西方面に20キロも行くと、そこには10数年前にとある豪商が建てた広さばかりが目立つ屋敷がある。
今じゃ落ちぶれたのか、はたまた更なる躍進を遂げて新しい居城に移り住んだのか、屋敷には誰も住んでおらずほとんど廃墟と化していた。
薄汚れた高い塀や鉄格子の門が気味の悪さに拍車をかけており、近隣の村人たちは近づこうとはしない。
そんな幽霊以外は誰も済んでいないはずの建物に、夜中ひっそりと入っていく人影が一つあった。
正面の鉄格子の入り口とは別に、塀に穴をあけた抜け道を通っている。
敷地内に入ると手名付けられたであろう狼タイプの魔物が一頭近づいてきて、匂いを嗅いでいく。
仲間だと判断された彼は吠えられることもなく屋敷へと入っていくことができた。
屋敷の正面にある大階段を駆け上がり、2階にある大広間への扉を開く。
そこには彼と似たように、うす暗い衣類を纏った人たちが50名ほどもいた。
その間をすり抜けながら、一番奥の台座で酒を飲んでいる大男の前へと出向く。
「報告いたします」
彼の声にはどこか怯えがあった。
目の前の大男に対する恐怖か、それともこれから話す内容故か。
大男は台座に座ったまま酒を飲む手を止めた。
それが聞く体制に入ったというサインである。
「王都にあるレース家のカジノ襲撃ですが、成功直前で何者かに阻止され、実行メンバー12名全員が拘束されました」
「なに!?」
大男は唸り声をあげてその報告に驚愕した。
次第に思考が追いついてきて、怒りに満ちた彼は酒瓶を地面にたたきつけた。
破片と酒が大男の足元に散らばる。
報告者だけでなく、大広間にいた全員が氷つく。
それだけの迫力が彼にはあった。
彼の名はブラロス、元騎士団長にして歴代最強の騎士団長とまで呼ばれた男である。
現在は盗賊団スレインズの頭であり、スカイが殲滅したカジノ襲撃犯たちのボスでもある。
ブラロスは立派な顎髭を酒で濡らしていたが、裾でそれらを拭う。
低く響き渡る声で、報告の先を促した。
「まだ子細はわかっておりませんが、現場付近に待機していた人員からの情報に寄りますと、人質は皆解放されていたそうです。そして、現騎士団長ジェーン・アドラーが現場に出向いたとのことです」
「あの子娘か……。やってくれるわ」
「死者は出ておらず、この後の調査次第ではこの本部も所在が知られる恐れがあります」
「死者が出ていないだと!?戦闘になったのではないのか!?」
「それが……全員が拘束されて連れ去られるのを見ました。私の目でもしっかり確認しております」
「馬鹿な……。クソッ、急いで本拠地移動の計画を立てねばな。とりあえず、報告ご苦労。下がって良い」
「はっ」
報告者はブラロスの前から去った。どこか恐怖から解放されたように、引き下がる足取りは軽く見えた。
ブラロスの元には、側に立つ男が一人だけ残っている。
側近のカネントである。
少し顔色の悪いメガネをかけた男で、灰色のローブを着ている。ローブのうす暗い色からしても派手好きではないことが伺える。
騎士団時代には暴力のブラロスと謀略のカネントと呼ばれていたこともあった。昔からのコンビである。
「どう思う?カネント」
「まだなんとも言えないというのが本音ですが、ジェーン・アドラーの仕業とは思えませんね」
「やはりそうか」
ブラロス同様、カネントも元王都騎士団所属である。二人ともジェーン・アドラーのことは知っていた。
少なくともお互いにその性格も能力もある程度知っている。
その知識から、彼はジェーン・アドラーの仕業ではないと判断していた。
「彼女がやるならもっと派手だ。死者が出ないはずもない。それに人質もとっているのだ、彼女の性格からして容易に手を出せるとも思えない」
「では誰がやった。鷹の目使いも配置していたはずだ」
空からの視点を持って、広範囲に警戒を巡らせていたメンバーもいた。
彼らの計画に落ち度は見当たらない。
「それを掻い潜れる誰かがやったのでしょうな」
「裏切りの線はないか?」
「うむ、ほぼないでしょう。血の契約を掻い潜るのはもっと至難だ。真っ先に考えるような点ではないはずだ」
ブラロスもほとんど同意見。
スレインズに加入する前は、内通者を恐れて血の契約を交わす。
この契約が交わされると、噓偽りを述べることができなくなり、無事信頼を得ることができる。
スレインズはそこまで万全にことを運んでいた。
今までの盗賊家業も下準備を怠ったことはない。
今回のカジノ襲撃の件も相手がレース家とあって念入りな下準備をしている。
ジェーン・アドラーの駆け付けた時間からしても情報が漏れたとは考えづらい。
「……事故でしょうかね?」
「事故だと?」
「ええ、恐らく今の段階では事故だと判断するのがもっとも合理的。内通者はおらず、情報漏洩もない。騎士団が駆け付けるまでの遂行時間も完璧だったはず。となれば、偶然居合わせた誰かによって引き起こされた襲撃阻止と考えるのが妥当かと」
「誰がそんなことをやれる!鍛えぬいた12人の魔法使いだぞ。そこらのボンクラ騎士とも張り合える人員を選んだ!」
「はて、分かりませんが、いくつか心当たりはあります」
「誰だ」
「具体的にはわかりません。例えばですが、高等魔法学院の生徒とかですかね」
「それこそありえん」
「あそこは国の最高教育機関なだけあって、たまに化け物みたいな子がいますからね。実際僕たちも学生時代に盗賊団を壊滅さえたことがあるじゃないですか」
「それとはレベルが違う」
彼らが壊滅させた盗賊団はずぶの素人と言ってよかった。
たまたま運に恵まれて何度か貴族家を襲った連中だった。
二人でアジトを見つけ出し、そして二人で制圧した学生時代の輝かしい思い出だ。
否定してみたブラロスだが、少し考えて確かに有り得ないことでもないと思えてきた。
現生徒会長と副生徒会長の学生離れした実力は二人の耳にも聞き及んでいる。
二人の脳裏にはまさにスルンとレンギアの顔が思い浮かんでいた。
彼らなら可能なのではという一筋の線が浮かび上がってくる。
「騎士団の配置からして当日誰かが居合わせた可能性はない。辺りには貴族の子弟が好む高級装飾点が多数あります。可能性としては十分あり得ると思いますけどね」
「しかし、人質はどうなる。無事解放されたのだろう?」
「……さあ、わかりかねますね」
二人の知る限り、そんなことができる実力の持ち主も魔法もない。
鍛えた12人のメンバーが人質を上手に使えなかったとも考えづらい。
どうしても、どうやって人質を解放しつつ制圧したのかが見えてはこなかった。
まさに事故としか思えない。
「まあ良いわ」
「良くありませんけどね。今回の襲撃には下準備で1か月、情報などを得るのにも相当な出費をしました。メンバーの訓練もいい感じで、資金も潤沢、今回の成功でいよいよ王家襲撃可能かと思いきや、痛い失敗で逆にこちらの首が危うい。スレインズはこれで非常に財政的に厳しくなってきました」
「俺たちは高尚な目的を持っているんだ。金がないくらい大したことじゃない」
「はあ、そうは思えませんがね。金がないとなると、志を同じにしたメンバーの心も離れかねませんよ」
「離れたい奴は好きに行かせればいい」
「情報が漏れることが何より怖いのですよ。金はどうしても必要です」
酒に再び手を伸ばそうとしたブラロスをカネントが睨みつける。
「思考を放棄しないでください」
「ちっ、面倒くせー」
「もっと事態を重く受け止めてください。今すぐにでも次の標的を決めないといけません。スレインズ自体が死なないためにもね」
「標的ならいるだろ。いいのが」
「ほう、考えておいでですか」
ニヤリと笑ったブラロス。
酒に手を伸ばそうとするが、カネントの持つメイスで手を叩かれた。
「先に話してください」
「たっく、仕方ねえな。お前がさっき言ってたじゃねーか。貴族の子弟が沢山通う、高等魔法学院だよ。奴らは大した金を持ってねーかもしれないが、親共がいくら支払うか見ものだな」
「そこは見落としていましたね。しかし、大義名分はどうします?今までの襲撃相手とは種類が違いますが。下手をするとメンバーの心が離れかねません」
「はっ、親共は大抵貴族を名乗るゴキブリどもだ。そのゴキブリ共の子供なら、等しく罪がある。大きく育つ前に早めに打ち据えておくさ。皆への説得はお前がうまくやっておけ」
「まあそんな感じで説得しておきますよ」
「それに……」
「それに?」
カネントは少し乗り気がしない気分でいたが、急場をしのぐためと仕方なく同意していた。
しかし、今のブラロスの顔を見て一気に感情が揺れ動いた。
騎士団長を止めてスレインズを立ち上げた時に初めてみた、ブラロスのどうしようもなく獣のごとく獰猛顔を今再び見ている。
あの最強とも呼ばれたブラロスが今まさに猛っているのだ。獲物を目の前にしたかのように。その目には間違いなく生き生きとした生気が漲っていた。
「お前が言うような化け物がいるのなら、是非とも戦ってみたい」
「勝負になるはずもないでしょうに」
もちろんブラロスが勝つ、とカネントは敢えて言うまでもない。
この男に勝てる人物など想像もできない。
ジェーン・アドラーの強さは知っている。しかし、それでもカネントは、ブラロスの方が強いと信じ切っていた。
「しかし、高等魔法学院の占拠ともなれば、人員が必要になりますね」
「各地に散らばっているメンバーを総動員しろ。でかい仕事になるぜ」
「了解しました。しかし、立地的にも騎士団総動員で包囲されるでしょうね。ジェーン・アドラーも出てくること間違いなしと見るべきです」
「いいね、ますますやりたくなってきた。化け物も小娘も、出てくるならまとめて叩き潰してやるまでだ」
嬉しそうに言い切ったブラロスは、大広間を揺らす程の大声で笑った。
そこに紛れてカネントも未来を想像しながら少しほくそ笑んだ。
二人とも、この先に待ち受ける試練が楽しみで仕方ないみたいだ。
ブラロスとカネントが動けば事故も間違いも起きない。
それを誰よりも理解している二人である。
ひとしきり笑うと、ブラロスは念願の酒へと手を伸ばした。今度はカネントからの静止が入らず、ようやくその至福を味わうことに成功した。




