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三十七話 聖女誕生

お互いの認識のギャップを埋めた二人はようやく特訓に入ることができた。

レメはスカイの使う魔力弾といい、詠唱を見破る目といい、何から何までスカイの常識外れな力に少し躊躇いを感じつつ、その一方で、その視線にこもる熱が前よりも加熱していることに本人は気が付いていなかった。


「もうっ、非常識なスカイ君に常識的な魔法を叩き込んであげるわ。さっきも言ったけど、本当に苦しい訓練になるから覚悟すること」

刀の切っ先を向けてレメが気合を入れ直す。

「覚悟はできていると言っただろう。あいにく魔法の訓練で躓いたことはない」

「今のうちに強がってなさい。じゃあ改めて光速移動を見せてあげるわ。まずは徹底的にこの魔法をあなたに叩き込こんであげる」


レメは先ほど中断した光の性質、初級魔法光速移動を詠唱していく。

レメの魔力変換速度は80%。詠唱時間1.25秒を要して光速移動の詠唱が完了した。

「はい、これでいつもで飛べる状態になったわ」

「はあ、自動的に飛ぶわけじゃないんだな」

「そうよ。詠唱完了後は任意で飛ぶタイミングを決めることができるの。あえて時間を使うことで初級魔法だと見破られないことも可能よ。……あなた相手には無駄な駆け引きになっちゃうけれど」

スカイは全ての魔法詠唱を見破ることができる。

レメの言う通り駆け引きは無効である。

光速移動が任意のタイミングで飛ぶことができることをスカイは知らなかった。改めてレメのもとに来て下準備できたことが正しい判断だったと再認識する。


「飛ぶことができるポイントは目で見えている範囲。見えていればどこでも飛べるけど、見えていなければ飛べない。あなたの後ろに飛びたいけど、今は見えている斜め後ろにしか飛べないわ。逆に見えてさえいれば100メートル離れている相手の後方へでも飛べるわ」

「それも知らなかったな。てっきり全てのポイントに飛べるものだと思っていた」

「まあ実際そう思っている人は多いだろうから、敢えて知識を広めることのないように。それと、光速移動の魔法は消費魔力量が100とお得な数値よ。しかも、これは遠くに飛んでも、近くに飛んでも消費量は一定なの」

スカイにはとてもお得な数値には聞こえなかった。

魔力量999のスカイにはたった一つの魔法で100とられるのはかなり痛い。しかも無色の七魔で詠唱可能になるとはいっても、自分が持たない他の性質魔法は消費魔力量が倍だ。光速移動は実に魔力量が200も取られる。スカイには死活問題といってもよい。スカイが若干顔を青ざめたことをレメは気が付かなかった。


「ここまでで気になる点は? 」

「遠くから仕掛けたほうがお得だな」

この言葉を聞いて、レメは待ってましたとばかりに続きを話す。


「それそれ。言って欲しいことを言ってくれるじゃない。スカイ君は良い生徒ね。じゃあ、この魔法のネックを教えるね。どこまで飛んでも消費魔力量が一定のお得魔法かと思いきや、実は長距離を飛ぶと飛んだ後体に跳ね返ってくる反動が大きくなるの」

「反動? 」

なにやら怖い点だったので、スカイはすぐさま尋ねてみた。

「そう反動よ。具体的にいうと、眩暈、吐き気、立ち眩み主にこの3点。近くならそうでもないけど、遠くに飛べば凄い反動が襲ってくるわ」

「レメもそうなのか? 」

「うーん、私は実際の戦闘ではよほどのことがない限り飛ぶのは50メートル以内って決めているの。50メートル以内ならもう使い慣れているし、ほとんど反動を感じないわ。でも100メートルなら若干の吐き気、200メートルなら眩暈と立ち眩みも加わるわね。近接魔法戦闘の戦術をとることが多い私には一瞬のもたつきが命取りになることもあるから、50メートル以内って決めているの」

「なるほど」

レメの説明は非常に分かりやすく、それでいて気になる点が抑えられていた。

レメのような明らかに使い慣れている使い手でさえ、100メートルで吐き気がくるのだ。

この実際の経験を聞かずにいきなり100メートルでも飛んだら、そこには凄く悲惨な結果がまちうけていたのでは? とスカイは想像して背中がぞっとした。


「はい、他に質問がなければ早速やってみるわよ。じゃあ、私が少し下がるから、その目の前まで飛んでね」

そういってレメはぴょんぴょんと軽い足さばきで数歩下がった。おおよそ5メートルの距離が開く。

流石に短すぎやしないかと思ったスカイだが、まあレメが言うのならこの距離からがいいのだろうとすぐに納得した。


スカイは光の性質、初級魔法光速移動を詠唱していく。

ぴったり1秒後、スカイの詠唱が完了した。魔力変換速度100%でラグナシのスカイはレメとの詠唱時間に0.25秒差が生まれる。

一見小さな差だが、実際の戦闘では大きく差になってしまう。

同じ魔法を詠唱しても常にスカイが先手を取れてしまう。相手の詠唱を見破れるスカイにとっては、常に相手の後追いで詠唱をしてもよい。それでも魔力変換速度の差をもってして、常に相手の上がとれるのだ。

もちろん相手と同等以上に魔法が使えるという条件が必要になるが、それでも無色の七魔はスカイのとってかなり相性のいい禁忌魔法といえた。


詠唱完了したスカイの視界は少しだけ詠唱前と変わっていた。

視界の周りが白い光に照り付けられたように眩しい。そして意識したポイントに光の点が浮かぶようになった。

光の点をレメの足元に指定し、スカイは魔法を発動させた。


「……っ!? 」

魔法を発動させると同時に、目の前にはレメの顔があった。

それはもう本当に近く、二人はお互いの鼻先が触れ合ってしまっていた。

スカイはこんなに近くで女性の顔を見たことがなかった。それはレメも同じだった。


レメのきめ細かい肌や、まつ毛の生え方、更には驚いたレメが吐き出す息が顔に当たった。息だけでよかった。あとほんの少し近ければ、お互いの唇すら当たっていたような距離だった。

顔を急速的に赤くした二人は、すぐさま後ろに飛びのく。

「どどど、どこに飛んでんのよ! 目の前すぎるわよ! 」

「すまん! 俺もあんなに近くまで飛ぶとは思っていなかった……! 」

そう、スカイはもう少し離れた場所に飛ぶつもりでいた。しかし、まだ魔法を使い慣れていないスカイにはその微調整が難しかった。レメもそのことを失念していたみたいで、今回の接触事故が起きてしまった。

お互いに胸をなでおろして、落ち着きを取り戻そうとする。


けれど、そんなことがあった後じゃなんとなく気まづくてまた訓練が止まってしまった。

しばしの休憩が自然と取られた。


「ねえそろそろ訓練に戻らない? 」

「うん。頼む」

「さっき、反動はなかったの? 」

それどころじゃなかったのでスカイの記憶は若干あいまいだった。

しかし、思い出す限りレメの言っていたようなことはなかった。


「なかった……と思う」

「じゃあ素質はありそうね。酷い人は本当にひどいらしいから。じゃあ今度は倍の10メートル行っとく? 」

「そうだな」

気まずさを振り払うかのように、二人は急いで距離をとった。

10メートル離れたポイントからレメが手を振る。いつでも飛んでいいと合図を出した。

ただし、今度は自分の前ではなく隣に飛ぶようにポイントを示す。

スカイは了承したことを伝えて魔法の詠唱に入る。


しかし、これが悲劇を生んでしまうことに……。

まあ仕方なかったと言えば仕方がなかった。

レメは人に魔法を教えるのが初めてだったし、自分がその身に光速移動を叩き込まれたのは10年も前のことだ。

レメがスルンの派遣した国家魔法術師から嫌というほど言われていた大事なことをすっかり忘れていた。

10メートルの壁の話を……。


原因1、10年も前に聞いた話なので単純に失念していた。

原因2、スカイとのラブコメ的接触事故があったため頭が回らなかったこと。

原因3、なんかスカイなら何でもできそうという謎の信頼。


それらが重なり、レメは10メートルの壁を伝えることなく、スカイに光速移動で10メートルも飛ばせることになった。


スカイは指定されたレメの隣へと飛ぶ。

今度は事故が起きないように少しレメから離れたポイントに白い点をつける。そして魔法を発動すると同時に、また先ほどと同じように一瞬で場所移動をしてしまっていた。

この一瞬の移動には慣れなければならない。飛んだ直後だと自分の立ち位置がわからくなるような感覚があった。

しかし、この感覚にさえ慣れてしまえば、やはりこの魔法は強いと確信する。


その直後、スカイは頭からすっかり忘れて去っていた反動をモロに受けることとなる。

眩暈がして視界が揺れた、直後猛烈な吐き気が来てそれをぎりぎりで堪える。しかし、続けてやって来た立ち眩みで力が緩んでしまい……。

「おろろろろろろろろっ!! 」

吐いた。それはもう盛大に。モザイク処理が必要なほど、内臓の中でドロドロになった食物たちが勢い良くあふれ出る。


先ほどまで何もなかったのに、猛烈に吐き出すスカイを見て、レメはようやく10メートルの壁の話を思い出した。

やっちゃったー、という思いが湧いてきて、急いでスカイの背中を優しくさすった。

「あぁ……、だ、大丈夫? 」

「う、おろろろろろろろろ」

まだ嘔吐が暫く続いた。

地上でもがくスカイとは反対に、空では鳥たちが気持ちよさそうに飛んでいる。

今日は雲一つない、青い空が広がる晴天だった……。

おろろろろろろろろ。


しばらくしてようやく言葉を話せるようになったスカイは、まずレメに謝ることにした。

「すまない。見苦しいものを見せてしまった」

「いいのよ。それよりほら、水でも飲みに行きましょうか。ずいぶん吐いちゃったから」

レメは肩を貸してスカイを立たせる。

二人で運動場を離れて水を飲みに戻ることにしたのだ。


その帰り道、スカイの中には不思議な感情が芽生え始めていた。

今しがた醜い姿を見せたにも関わらず、レメは変わらず優しい。それどころか肩を貸して体を支えてくれてさえいる。

……なんて優しい女性なんだと。

こんな無償の愛情を与えてくれるなんて、この人は聖女様なのかもしれないと本気で思い始めていた。

辛かった実家生活。学校に通いだしてもビービー魔法使いと揶揄される日々。喧嘩を売ってくる者は数しれない。辛さには強くなったつもりでいた。しかし、レメはこんなにも自分に優しい。今しがた醜い姿をさらしたにも関わらず、この優しさだ。優しさにはまだ強くなってはいなかった。

訓練に付き合ってくれている点も含めて、大きな恩ができたと感じる。

そして、……やはりこの人は聖女様だと確信した。


一方、レメは10メートルの壁のこと伝え忘れたことへの責任感で一杯だった。

スカイの口から出るのは、謝罪と感謝の言葉ばかり。

謝りたいのは自分なのに~、ともやもやした。

しかし、スカイの様子からして、これは10メートルの壁のことは知らないと見てよさそうだった。

……じゃあ敢えて教えてあげなくてもいいよね、言わなくていいこともあるよね、と聖女様レメは打算的に考えてこの知識をそっと闇に葬った。






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