媚薬の効果がヤバすぎる
思わず彼の顔をじっと見つめてしまった私に気付いたのかどうなのか。またいつものように悪戯っぽい笑顔を浮かべたセオドアさんは心なしか膨れた腹部をさすりつつ問いかけてくる。
「そういえば、ラカオ豆もこうやって料理して食うのか? ええと確か……ショコライト? だっけか?」
最初にラカオを頼んでから、既に数回に分けて商品を受け取っている。見た目は前世のカカオ豆そっくりで、なんとなく香りも似ていると思う。けれど発酵と焙煎の具合がいまいち上手くいかなくて、試行錯誤の最中なのだ。
「あ、えと、チョコレート、です……。あれはスイーツというか、甘味? デザート? 的なものでして……でもまだあまり加工が上手くいかなくて」
「ふぅん……一応あれも薬の一種だから、もしかしたら助言くらいはしてやれるかもしれないけど。良かったらそれも試させてくんない? 正直、お前の作る菓子なら期待できるわ」
案外甘党であるらしいセオドアさんが瞳をキラキラさせて手を差し出してくる。当然今日は持ってきていないので断ると、片眉を上げた彼はちょっと待ってろと告げ足早に店舗の方へ歩いて行った。
今しがた満腹でしばらく動けないと言っていなかっただろうか? デザートが別腹なのは、女子だけの特殊技能ではなかったらしい。
「よし、ほらこれ使え。この分は俺の持ち出しでいいぞ、試作がてらな」
店から戻って来た彼の手には、鍋いっぱいに入ったラカオ豆がある。これだけの量を買うとなると、また結構な額になるだろう。理想のチョコレートのためにまだまだ試作を続けることを考えれば、無料で貰えるのは正直ありがたいと思ってしまった。
──『タダより高いものはない』ということわざを思い出したのは、わりと手遅れになってからだったのだけれど。
「では、ありがたく……」
受け取ったそれの状態を確認してみる。以前購入した生のものと違い、これはどうやら焙煎まで済んでいる様子だ。もしかすると例の薬として使用する際にも、こうやって調合するのかもしれない。であれば最初からチョコレート作りにも協力して貰えばもっと早く良いものが出来上がったかもと、ほんの少し後悔してしまった。
薬の材料である素材を使ってこの世界に存在しない甘味を作り出すなんて、頭がおかしいと思われても仕方がないことだ。セオドアさんには幻滅されたくない。最初の出会いから失敗しているのだし、今さらではあるのだけれど……怖がりの自分が、一歩踏み出すその足を竦ませてしまうのだ。
けれどその場で足踏みを繰り返す私を、セオドアさんは嫌な顔ひとつせず迎えに来てくれる。怖がる私の手を掴み、こっちの方が楽しいぞと広い世界へ引っ張り出してくれるのだ。コミュ強の人が発する陽の気というのは物凄い。私が悪霊だったら多分もう滅されていただろう。
借りた薬研を使ってゴリゴリと豆をすり潰す。段々と出てくる脂肪分が混ざりあい、深い茶色のペーストは滑らかになっていった。一度鍋に移して砂糖を加え、ミルクを入れて更によく混ぜる。ゆっくり温めていけばふわりと甘い香りが広がって、前世の懐かしい記憶も思い起こされた。
「……一応、これがチョコレートドリンク……のようなもの……です。自分で試した感じでは、まだ食感がザラついているし香りもいまいちで……もう少し工夫が必要なのかな、と」
「おお、見た感じ美味そうだけどな。薬として使う時はこんなに滑らかになるまで潰したりしないし……ふぅん、香りも良いと思うぜ。よし、試してみるか」
色や香りをまじまじと観察してから、セオドアさんは一息でそれを飲み干した。私も取り分けた残りの半分をゆっくりと口にする。ひとりで試作した時よりも香りが豊かに感じられ、舌触りはまだまだ改善の余地があれどかなり良い出来栄えになっているような気がする。
「うん、やっぱりこっちの方が美味しいかも……もし宜しければ今回のラカオの下処理方法を教えていただくことはできますか? 難しければ、今日と同じ状態の物をまた買わせていただけたら──セ、セオドアさん? どどどうされました? そ、そんなにお口に合わなくて!?」
ふと横を見ると、顔を赤くし大量の発汗をしたセオドアさんが身体を折り曲げ、苦し気に呻いている。それほど不味いものだとは思わなかったけれど、明らかに異常な様子に心臓がぎゅっと締め付けられる。私が作ったもので彼がどうにかなってしまったら、一体どう償えばいいんだろう?
「ま、まさかアレルギー……!? 湿疹? えと、かゆみ……? アアアナフィラキシーショックはどうやって、ど、どどうしよう……とりあえず誰かを呼んで、助けを──っ」
玄関へ向かいかけた私の腕をがしっと掴まれる。セオドアさんの手は酷く熱かった。
「……大丈夫だから。悪ぃけど……っ、今日はちょっと帰って貰えるか……? また落ち着いてから、改めて連絡するから……っ」
「いやいやいやそんな状態で置いて帰るなんてできませんけれども……っ? なななにか出来ること……私に出来ることは何でもしますので……! あ、水は? とりあえずお水飲みますか? 薄めて悪いことはなさそうですよね……っ」
帰ってくれと言うわりに、掴まれた手が離れる様子はない。赤く染まった目元はうっすらと滲んだ涙で潤んでおり、なんというか──大変、色っぽい。
「あ……これ、もしかして……媚薬……?」
「──っ、はっ、多分、そうだろうな。考えてみりゃ五回分くらいの量一気に摂ったんだ、なかなか効くぜ……!」
私の手を握るのと反対側の手が伸びてきて、そっと頬に触れる。その指先の熱が移るように、私まで熱く火照っていくのを感じた。
「さっき──出来ることは、何でもするって言ったな……? はっ、そんな隙だらけだから、俺みたいなのに捕まっちまうんだよ……!」
頬から首の後ろに回された手に力が込められて、長い指が私の頭皮をくすぐった。全身の肌がざわりと粟立つ。でもそれは決して嫌なものではなくて……。
ぐいっと身体ごと引き寄せられ、気付いた時にはもう唇と唇がくっついていた。
「──っんむ……っ……あ……!」
自分の情けない声となんだかよく分からない水音が室内に響き渡る中、その激しい口付けは長く長く続いた。自分の身体が溶けてなくなってしまうのではないかと若干不安になってきた頃、下唇を喰むようにちゅぷっと軽く吸い付いて唾液を舐め取ったセオドアさんの、柔らかな唇がゆっくりと離れていく。
「──っは、はぁ……」
運動をした後のように息が切れ、心臓が口から飛び出てしまいそうだった。
未だ眼前にいるセオドアさんの、透き通った緑色の瞳はなんだかいつもより深みを増しているようで──出来れば、もっと、もう一回……。
「──ふっ、とりあえずちょっとは落ち着いたわ。あーっと……服は、汚れてないな? よし、んじゃ今度こそ一回家に帰りな。送ってやれなくて悪いけど……今のうちにさ」
困ったように笑ったセオドアさんは私の顔をハンカチで拭うと、乱れた服を軽く整えてから背中を押した。
今まさに自分が考えていたとんでもないことを自覚してしまい、恥ずかしさに顔を上げられないまま玄関の扉を開く。何か伝えたいけれど、でも何を言えばいいのか全然分からなくて。こんな時はコミュ障の自分をいっそう情けなく思う。お邪魔しましたでもなく大丈夫ですかでもなく、ごめんなさいもなんだかやっぱり違う気がして──。
「え、と……また、来ます」
「……おう、またな」
結局それしか言えない私を見送る彼の眼差しには、やっぱりいつもとは違う色が混ざっている気がしたのだった。




