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番外編 婚約指輪

本編に書ききれなかった結婚指輪と、フリージアのお母さんのお話です。


「ジア、指輪のサイズ直しは結局どこでやってたの?」


 お祖母様と私、ヴュートの三人で、三時のお茶とともに、ヴュートの手作りのフィナンシェを口に入れて堪能していた時、唐突に言われて思わず咽返した。


「むふっ……。ごほっ、ごほっ……。ど、どこだったかな……」


 柔らかな弧を描く唇を貼り付けたヴュートの視線は、私の左手に嵌められた婚約指輪に注がれている。


 ちょっと前まで婚約指輪を『サイズ直し中』と言って外していたのだが、暁の魔女として神殿に行くことになった時あるべき指に戻した。


 あえてつけていなかったということはわかっていたと思うのだけれど、何が彼にそのことを思い出させたのか、一体先ほどまでの会話の何が彼の逆鱗に触れたのか分からないため、返答に窮してしまう。

 

 視線を泳がせながら「それより、これ美味しいね。私はオレンジピューレの入ったのが好きだな」とか何とか誤魔化しそうとしたものの、ヴュートの笑顔の圧がいつまでも収まらない。


「ジア?」

「……」

「……」

 向かいに座っているお祖母様は、無言を貫き、私もそれ以上の返答が出来ずにいた。


「マグノリア様、ソルト家の御用達の工房がございましたか?」


 ヴュートが何としてでも聞き出したいのか、祖母に笑顔で尋ねた。


「そうね。ソルト家は数人腕のいい宝石職人のお抱えがいたから、……どこかに出したのだと思うけど……。そういえば、半年前にもサイズ直しで出していたと思うわよ」


 その余計な発言に、思わず『お祖母様の裏切り者ー!』と心の中で叫ぶ。


「へぇ……半年前にも……」


 当然そんなに半年に一度サイズ直しをしなくては行けないほど身長が伸びる年齢でもないし、体格も変わっていない。

 指のサイズなら尚更だ。


 またしても笑顔の圧が重くなり、ごくりと喉を鳴らした。




 ヴュートと結婚するつもりがなかったから外してました。



 と堂々と言えるほどの勇気もない。

 

 かと言って、『察して』と思うのも違う。


 何だ。


 何がいけなかった?


 オリヴィアとマクレンの婚約が決まってお祝いの話になったのだけど……。


 分からん!

 


「ところで、フリージア。貴方その石のこと覚えているかしら?」


 祖母の意味深な言い方に何のことかと頭を捻りつつも話題の方向性が少し変わったことに飛びつく。


「石って、婚約指輪に使った紫水晶の事ですか」


「そうよ。というか、紫水晶ではないのだけどね」


「え? これって紫水晶じゃなかったんですか?」


「やっぱり、覚えていなかったのね」


 祖母が少し残念そうに言いながら、クスリと笑った。


「リリーがフリージアの為に贈った特別な石なのよ」


 リリーとは、私が幼いころ事故で亡くなった母親だ。

 指輪に飾られた小さな石に、思わずそっと触れるも、何もピンと来なかった。


「お母様が私に……」


「そうよ、リリーにもジアが『暁の魔女』だという事を話していたから、その石を貴方に肌身離さずつけさせていたの」


「『暁の魔女』とこれに何の関係があるのですか?」


 何のことだか分からないと祖母に言うも、懐かしむように私の指輪に視線を落とした。


「その石は、貴方の魔力を抑えるためのものなのよ」


「魔力を抑える?」


「抑えると言うと語弊があるわね。魔力を吸収すると言った方が、良いかしら」


「私にとってもリリーにとっても暁の魔女は未知のもの。万が一にも魔力を、使ってしまわないようにその鉱石で貴女の力を吸っていたの。と、言っても永遠に魔力を吸えるわけではないから、いつのまにか貴女本来の魔力が本来の値まで戻っていたはずだけどね」




 祖母の言葉に、まさかと思考が停止する。




「その、例えば、石が砕けた時……溜め込まれた魔力はどうなるのですか……?」


「滅多な事で砕ける事はないけれど、魔力が放出される形になると思うわ。ただ、砕けた話は殆ど聞いた事無いから確信はないけど……」


「……」


「ジア? どうかした?」


 ヴュートが心配そうに覗き込み、声をかける。


 あの日、あの時の記憶が蘇る。




「石が……砕けたんです」




「「え?」」


「あの雨の中、カルミアが……私を……」



 殺した日。



 目の前で踏みつけられた指輪。



 ハッとしたヴュートが、私の指に嵌められた婚約指輪に目をやる。


「そう言えば、君が死んだ森で、婚約指輪を拾った時……確かに君の石だけが砕けてた」



 ヴュートも自分の指輪に視線を落として、じっと紫色の鉱石を見つめた。



 その時の私とヴュートの状況を祖母は詳しく話してと言った。




 ーー私は薄れていく意識の中でヴュートを呼んだ。


 ーーヴュートは、彼の指に嵌った指輪に唇を寄せて、私の名前を呼んだそうだ。




「……。貴女の暁の魔女の力かしら」



 祖母はしばらく考えた後、ぼそりと呟く。



「え?」



「暁の魔女は個々の特性があるでしょう? 作れる紋様や、その大きさや個数も違うだけでなく、個々の魔法があると書いてあった書物もあったわ。貴女の能力は『時を巻き戻す』ことなのかしら……」


「過去にそんな魔法を持つ暁の魔女がいたのですか?」

 

「いいえ。記憶にないけれど、歴代の魔女たちにも似たような能力を持っている人もいたし、……未来を先読みするとか、少し時間を止めるとか……そんな魔法を使う魔女もいたわ。もしくは、歴代の魔女達も使えたかもしれないけれど使う状況にならなかったのか……。魔力量によるものなのか……。こればっかりは答えが出せないわね。けれど、あなたが小さい頃からピアスとしてつけていたものだから、石の限界値まで魔力を貯めていたはずよ。それにヴュート殿が持っていた婚約指輪の石にも貴女の魔力が貯められていたからが何かがきっかけで共鳴したのかもしれないわね」



 その言葉に、思わず自分の指に収まっている指輪に視線を落とした。



「暁の魔女の魔法は『想いと願い』だから。……死の間際、あなたが願ったのは何だったのかしら……」



 あの時、私が願ったのは何だっただろうか。


 死の間際、脳裏に浮かんだヴュートの笑顔。



 何を必死に思ったかなど、本人の私ですら、もう分からない。



「……フリージアが二年前に戻りたいと思ったのか、それとも魔力量の関係で二年前までしか時間が戻らなかったのか。なんにせよ答えはきっと出ないでしょうね。でも、リリーが貴女のために用意した石が本当に時間を巻き戻すきっかけになったのなら、……リリーは最後の最後で貴女を守ることが出来たのね」

 



 もう母親の記憶は朧げだ。


 母の肖像画は全て義母達が来たときに取り外され、新しい肖像画に変わっていた。


 小さな絵姿すら手元に残っていたものなど何一つなかった。


 残されたドレスや少しの宝飾品だけを大事に持っているしかなかった。


「リリーはいつだってあなたの幸せだけを祈っていたもの。頼りにならない息子……夫にあなたを任せられるなんて思っていなかったでしょうし……」


 カタンと席を立った祖母は少し庭を歩いてくると出口に向かう。

 こちらに背を向けたままピタリと立ち止まった。


「次は……、その石が砕けることのないよう……貴女の指から外れることのないよう祈っているわ」


 祖母が部屋を出て行った後、ヴュートが隣に腰掛け、私を抱きしめた。


「君のお母上……リリー殿はどんな方だった?」


「いつも笑っていて……、優しくて、穏やかで……。いいえ。いつもお祖母様と一緒にお転婆がすぎると怒っていたかしら……。髪色は柔らかなキャラメル色で……瞳は青……いいえ、グリーンだったかしら……。思い出せないわ」


 最後の母の思い出は何だっただろうか。

 馬車が崖から落ちて亡くなったと聞いたのは昼だっただろうか。


 悲しすぎて苦しくて、寂しくて、気がついた時には母の葬儀は終わっていた。




「……でも、とても愛してくれていた」




 それだけは覚えている。



 母の優しい歌声も、温かかった腕の中も。


 鼻の奥がつんとして、視界が滲み始めた。



「僕が君を幸せにする。リリー殿が愛しきれなかった分まで。それ以上に。君を愛して幸せにすると誓うよ」


 

 揺れる心に、ヴュートの柔らかな声が胸を締め付け、流れる涙を止めることが出来なかった。

 


「もう、すでに幸せすぎるくらいよ……」


「でも、僕はまだまだ君を愛したりないけど……」

 

 ヴュートの右手が私の後頭部に添えられて、ゆっくりと上を向かせられる。


「二度と君の指から指輪が外されることのないように。二度と君を、失わないように……。この先君の側を離れたりしない。絶対に」


 ヴュートの温かな手が私の涙を拭い、柔らかな唇が目尻に優しく触れる。

 



 そのまま目を閉じて、ヴュートの香りに包まれた時、ふわりと微かに百合の香りが優しく鼻腔をくすぐった。






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