最終話
「…………私を外交官に……?」
あまりに突拍子のない内容が記されたそれに、疑問符しか浮かばない。
「そうよ、貴方が消えて神殿も王宮も大騒ぎ。神官長はヴュートが屋敷に匿ってるんだろうって散々屋敷内を探し回っていたけれど、ヴュートの落胆ぶりを見て本当に貴方だけが消えたことに気付いたみたい。大慌てで捜索隊を派遣していたわ」
ゲラゲラと笑うオリヴィアはアイツ嫌いだからいい気味だと清々しい顔をしている。
「ふふ、先日の議会ではオリヴィア王女は凄かったわよ。神官長も参加した議会で『暁の魔女』がいないと何も出来ないのかって! 暁の魔女の出現や聖女のあまり生まれない各国の現状を調べ上げて、ものすごい資料を作っていたのよ。紋の力に劣るとしても、聖女や紋に頼らずどんな対策をして、どんな技術の発展を遂げているのか。我が国は聖女がいない時期は今までなかったから、その危機感が本当に無かったのね。これから先、フリージアが帰って来ず、歴代最強と思われていたカルミアが消え、更にただでさえ力の弱まっている私が消えたら……」
そこまで言った祖母がふっと笑った。
「その時の神官長の真っ青な顔は本当に見ものだったわ」
聖女を管理している神殿にとっては想像もしたくない話だろう。
「そこで、貴方に帰って来て欲しかったらという条件をマグノリア様と相談して提案したのよ」
「……それが……何で外交官なの……?」
「だって、王家の名の下に、堂々と、貴方はいろんな国を回れるのよ。そして何より貴方の自由を奪ったりしない。貴方の意思に反して紋を作成することを強要したりしない。議会に要求したのはたったこれだけ」
「それって……」
「そうよ。神殿に籠ることもない。金銭と引き換えに紋を作ることや、その他貴方の望むものと違う形の利害関係がある時に、貴方が望まないのなら作らなくて良いの。でも、貴方が助けたいと思ったら貴方の心のままに……動けばいい。それにもし強要されるようなことがあれば、ヴュートが黙っていないわ」
「どうしてヴュートが?」
「この外交官案件について、シルフェン家との……ヴュートとの婚姻が絶対条件なのよ。貴方が外交官になれば貴方の護衛もかねてヴュートが同行するのも当然でしょう?」
「ちょっと! なんでそんな事……」
「え! ジア! 僕との結婚嫌なの⁉︎」
隣でショックを受けているヴュートに「そうじゃなくて」と言うも、彼がやっぱり騎士になれないという事に抵抗を感じてしまう。
「ヴュート、貴方はさっき通過点と言ったけれど……、それはつまり目標があるって事でしょう?」
最強の騎士が通過点とは一体どんな目標なんだろうか。
尋ねると、ヴュートはふっと笑った。
「君を守ることだよ。君を守れないのに騎士であっても何の意味もない、そして何より君と、一緒に世界を見たい。君が幸せを感じるその瞬間を一番側で僕も感じたい」
「え?」
「僕が何のために剣と料理を始めたと思ってる? 君と世界を回る時、どんな時でも君を守れるように、どんな場所にも連れて行ってあげられるように。それに、旅の道中美味しいものが食べられるようになんてことを昔オリヴィアに言ったけれど、本当は君の全てを僕が作っていると思いたいんだ」
「はい?」
後半の意味がよく理解できず思わず聞き返す。
「君の体を作るのも、髪の毛から爪の先まで僕の料理であったら嬉しいと……。僕の料理なしでは生きていけないと、君の心と胃袋を掴むために頑張ったんだよ……」
視界の端で、「うわっ。怖っ……」と言ったオリヴィアが視界に入るもヴュートは無視をする。
「君が世界を見て周る時、僕の食事で幸せを感じて、見たかった景色に喜んで……君の笑顔の側にあるのは常に僕でありたい……」
「……聖剣は……いいの?」
思わずこぼれたその言葉に、ヴュートがキョトンとした後、にっこりと腰に据えた剣を指差した。
「実は、もう持ってるんだよね。だって回帰前に手に入れてたから攻略法は分かってるし」
「はい⁉︎」
そんな簡単な物だったのかと驚きを通り越して、一瞬思考が停止する。
「実は、ヴュートの聖剣が今回の『外交官』案件の決め手なのよね」
ふふ、とオリヴィアが言った。
「どういう意味?」
「簡単よ。聖剣を王都に持ち帰ったヴュートが、『フリージアを失ったら僕は何をするか分からない』って。そしたらアシュラン騎士団長が笑いながら、『それは俺でも止められねぇな』って。神殿も貴方が飛び出してメンツが丸潰れ。だから議会も神殿も私の突拍子もない『外交官』案件を呑むしかなかったのよね」
あのアシュラン様がそう言ったのなら、誰もヴュートを止められないだろう。
でも、きっとヴュートを思って、アシュラン様はそう言ったのだろう。
「でも、私が暁の魔女としての役割をきちんと果たさなくて良い訳が…………」
「そうね、きっとあの性悪な神官長は貴方にその責を全うするよう言うでしょうね。でも、ジア、私でもヴュートでも、使えるものは使いなさい。貴方行動的なくせに遠慮しすぎなのよ。『迷惑がかかる』とか、『自分一人でしなきゃ』とか、そういった部分ではカルミア嬢の爪の垢でも煎じて飲んだ方がいいかもね」
オリヴィアの言葉にヴュートも祖母もうんうんと頷く。
「……ジア。以前アカデミーでオリヴィアが話したピポラの事は覚えている?」
ふとヴュートが言った言葉に記憶を辿る。
「え? ええ。数年前に流行った病気の特効薬よね? 当時は数が足りなかったけれど、安定して供給できるようになったって……」
「うん。あれはきっと、王家の『癒しの紋』が使用不可能になっていなければ、その対策はされる事はなかったと思う。この村で浄化魔法に近い効果の石を作り出したように。人は無ければ何とかしようと頑張れる生き物だよ。騎士団も、悔しいけれど、聖女のほとんど生まれない国の方が強いとまで言われているからね。この五千年、『暁の魔女』に甘えていた僕らは、暁の魔女離れをする時期なんだと思う。だからこそこの百年、生まれてこなかったんじゃないかな」
その言葉に目を見開く。
「だから、全てを自分で背負おうとしないで、ジア。君が感じる負担も、苦しみも僕にも一緒に背負わせて。真面目な君も可愛いけど、もう少し僕としては甘えて頼って欲しいな。……僕では頼りにならない?」
そう言いながら先ほどまでの子犬感あふれる可愛いヴュートは消えた。親指でつぃ……と私の唇に触れ、妖しい雰囲気を放ち始める。
「そ、そんな事は」
ふわりと笑ったヴュートの後ろで、こちらに手を振りながら鏡の中に戻っていく祖母とオリヴィアの二人の姿を捉える。
待って!
置いていかないで!
そう叫びたくなるも、ヴュートの視線は彼から逸らすことを許してくれない圧がある。
「それに約束したことがあるだろう?」
「や、約束?」
「一緒に行こうって言った場所がたくさんあるじゃないか。まだ一つも行ってない」
あの日、アカデミーの図書館で話したことが鮮明に蘇る。
その時は彼と世界を周る事なんてないと思っていた。
「ここに来る途中……サタノヴァに寄ったの」
「うん、君の旅行記に出てくる『星降る丘』だね」
優しく私の後頭部と腰に手を当てられ、抱き寄せられる。
「貴方と、見たかったなって思ったの……。そこで食べたご飯も、貴方の作ったものだったら良かったのにって。今日だって……自分の作ったサンドイッチじゃなくて……」
そこからはもうただ感情のまま言葉にするのに必死だった。
「……ごめんなさい。あの日、あんなに、手を差し伸べてくれたのに貴方に何も告げず、……貴方の心を踏み躙った。迎えに来てくれたのに……」
「ジア。僕はさ……君が指輪を持って行ってくれたのを知っていたから……怒ってなんかいないよ。ショックだったけれど、それでも君の気持ちは理解できた。君だって僕を守ろうとしてくれただろう?」
ヴュートが優しく抱きしめ、柔らかなダークブルーの瞳で見つめる。
「僕が回帰した時、君がもしマクレンと結ばれる運命なら、身を引こうと……覚悟はあったんだ。……でも、君が僕を選んでくれたなら、絶対に君の手を離したりしない。絶対に君を裏切ったり、傷つけたりなんてしない」
そう言いながら頬に鼻先に、額にやわらかなキスを落として行く。
「だから僕にも、君の世界を一緒に見させて」
祈るように言った彼の指輪に、そっと触れる。
あの日、踏み躙られ、砕けた指輪。
傷ついたのは私だけではなかった。
ヴュートも、私の裏切りを知らされ、それでも尚、時間が巻き戻っても私を愛してくれた。
どれだけ彼が私のために心を砕いてくれたのだろうか。
私はそのことから目を背けたというのに――。
「私も……もう二度と、貴方の手を離したりしない。裏切ったり、傷つけたりしない」
そう言葉にすると、ヴュートが息を呑んだのが分かる。
「愛してるわ……」
一緒に行こうと言ってくれた日。
彼に聞こえないよう呟いた言葉を、今度はきちんと彼に伝わるように告げ、彼の唇に自分のそれを寄せた。
✳︎✳︎✳︎
「ジア、起きて。朝だよ」
「うん……もう少しだけ」
昨日遅くまでこっそり紋様を作っていて、とても眠いのだ……。
そんな事を思いながらも、美味しそうなスープの香りが鼻腔をくすぐり、条件反射でお腹がくぅと鳴る。
が、心地良いヴュートの声を夢心地のまま聞いていたいとも思う。
「そんなこと言ってたら、僕、襲っちゃうよ?」
その言葉にパッと目が覚め、体をガバッと起こす。
「ヴュート!」
「あはは。おはよ。ご飯出来てるよ」
朝一番に見るヴュートのその笑顔と、落とされたキスにふんわりと幸せな気持ちになる。
「もう、冗談ばっかり言うんだから」
「え? 本気だよ? ここ数日狭いテントの中で毎晩一緒に寝てるのに、君に手を出さず我慢してる僕はもう神の領域に達していると思う」
ド真面目な顔でそんなことを言う彼の言葉に笑ってしまう。
「もう、大袈裟なんだから」
「いや、もし此処に男が一万人いたら、一万人全員が僕を褒め称えるだろうよ」
「……」
「という訳で、僕が君を食べそうになる前に、朝食にしよう」
にっこりとそう言ったヴュートがテントの外にエスコートした。
外の空気をいっぱいに吸い込む。
ケテラ国の端の村からウォーデン国に帰る道中、サタノヴァに寄った。
昨日二人で見たその満天の星空は、一人で見たものとは違う場所のように感じた。
遮るもののない地平線の端から端まで、輝く星はまるで夜空に溶けていくような気分でいっぱいになった。
「ジア、もうすぐ太陽が昇るよ」
彼が指差した地平線の先に、朝焼けに染まった世界が広がる。
「「……あ」」
その朝焼けと共に、赤い光が弧を描き、幻想的な景色が広がる。
「赤虹だわ……」
「珍しいな」
赤虹は、朝焼けや夕焼けの時間帯稀に見える虹だ。
幸せの予兆と言われるそれを、目に焼き付ける。
「ジア」
「え?」
振り向くと、ヴュートの顔が朝焼けで赤く染まっているように見える。
まだ朝なのに、それが余計妖しく見せ、急に動悸が激しくなる。
彼がスッと手を伸ばし、私の髪を一房持ち上げ、キスを落とす。
「僕だけの……暁の魔女。君が僕にあの日、明るい世界をくれたんだ。トリスタンの死が……近づく絶望からたった一人、明かりを灯してくれた」
昨日の夜、星空を見ながら話してくれた私の欠けた記憶だ。
王家の森でヴュートと私の出会いのキッカケのピポラの花の話。
そうして、ヴュートは視線だけで私の言葉を奪う。
「僕は君の魅了魔法に永遠に囚われたままだよ」
「……そんな紋様作ったこともないわ」
「紋様無しの無意識か。恐ろしいな」
ふっと笑ったヴュートの吐息が頬を撫でる距離に近づき、彼の唇が私のそれに落ちてくる。
柔らかな唇が、寝起きのそれとは違う、熱の籠ったキスになり、彼の腕が私を抱きしめた。
「どうか、この先もその魔法を使うのは僕だけだと誓って」
その言葉に、ヴュートの腕の中からそっと、彼に小さな金の紋様を差し出す。
昨夜、こっそり作ったものだ。
「……これは?」
「恋の紋様よ。貴方に私の心が届くように、貴方が私の気持ちをいつでもそばで感じられるように」
想いを込めて。
前は届く事のなかったこの想いを。
震える手でそれを受け取った彼が……。
「テントに戻って襲っても良いかな……」
ポツリとそんな言葉を零す。
「だめよ!」
慌てて抗議をするも、彼の瞳は獰猛さを増し、キスが更に深くなった。
その彼のキスと思いに、不快でないゾクリとしたものが足先から体を駆け上がる。
「じゃあ、どうか『これ』だけは……許して」
「……っ、ヴュ……」
そうして私は……終わらないキスに、渡すタイミングを間違った事を知った。
長い間お付き合いいただき誠にありがとうございました。
数ある小説の中からここまで読んでいただいた事に感謝の気持ちでいっぱいです。




