魔女は消える 2
「凄い。本当にこんな場所があったのね」
ヴュートを残して一人神殿から逃げ出して二ヶ月。
目の前に広がる景色に溜息が溢れた。
朝日が昇る前の薄暗い時間で、空気がひんやりと澄んでいるも、靄がかかり幻想的な風景が広がっている。
まだ少し星が瞬く夜空を背景に、頭上の大きな滝から、さらさらと顔にかかる飛沫にあの夜から心に引っかかった何かが洗い流されて行くようだ。
滝壺の側には、大きく破損した石造りの『浄化の紋』があり、何百年も前から使用できなかったのだろうと推測できる。
「こんな大きな紋をどうやって作ったのかしら。……私にはまだこんな物は作れないわ」
呟きながらそっと両手で紋に触れ、魔力を流すも、やはり使えそうにはなかった。
小さくため息をつくも、視線の先は自分の左手にある婚約指輪に吸い込まれた。
「これで良かったのよね……」
――あの日、ヴュートが神殿から離れ、祖母が部屋に来た時、赤い革張りの一冊の本を渡された。
「……これは?」
「私が貴方から隠していた『暁の魔女』の特有の紋様一覧です。……貴方も少しは私達が生み出すことのできる紋様と、そうでない紋様の違いに気づいているのではないの?」
「そうですね。何となくは……」
「確認してみなさい」
そう言われ、ぱらりと捲った中にあったのは、思った通りの紋様だった。
浄化の紋様や、加護の紋。癒しの紋に真実の紋。旅の加護や、海の加護、恋愛の紋……。
「これは、……想いですね」
「そうよ。暁の魔女は想いや、願うことを紋様にできるの。私たちが使える紋は、生活の中にある火、水、光、風や土、金属など目
に見えるものだけ。感情や、目に見えない力に関するものは作れないの」
「なぜ、この本を今……?」
「これから必要になるからですよ」
その言葉に背筋がヒヤリとした。
この先、暁の魔女としてこの神殿で生きていったら、この本に書かれた紋様をいくつ作るのか。
紋様を作ることは嫌いではないけれど……。
「お祖……」
「ここを出たら必要になるでしょう?」
その言葉に顔を上げた。
「え……?」
「もし、貴方が『自由』を本当に望むのなら、私のしてきたことを無駄にしないで……欲しいの」
そう言って、カバンの中から幼い頃祖母からもらった『旅行記』を渡される。
ボロボロになったそれは、回帰した時、もう一度夢を見ようかと思ったものだ。
「貴方に……夢を託してもいいかしら」
そうつぶやいた祖母の笑顔は、幼い頃の記憶のそれと全く変わりないものだった。
「お祖母様……」
ぎゅっと祖母を抱きしめると、懐かしい香りに包まれるが、祖母が抱きしめ返してくれる事はなかった。
「……私には貴方を抱きしめる権利はないわ……」
「じゃあ、代わりに私がいっぱい抱きしめます。たくさんたくさん、抱きしめます」
「フリージ……」
「私、カルミアに言いましたよね。『全部、返してもらう』って。……だから、お祖母様も……帰ってきて……下さい」
抱きしめている体が震えている。
幼い頃、膝の上に座り、旅行記を読んでもらいながら時折、後ろから抱きしめてくれたその腕の中は大きくて温かかった。
けれど、今私の腕の中にある祖母の体はこんなにも細い。身長は私より低く、決して見上げる事はない。
そのことが、胸を締め付け、声を震わせた。
「私のためにしてくれたことで自分を責めないで。それが、……お祖母様にとって最悪の手段だったのだとしても。貴方に守ってもらった私が言える立場ではないけれど……こうして今、お祖母様を抱きしめていられることが、全てだと思うの」
「フリージア……」
お祖母様の涙が私の胸元を濡らしていく。
それでも、ぎこちなくも私を抱きしめてくれた腕は、あの頃と変わりなく温かかった。
「――それで、ヴュート殿はいつ頃迎えにくるの?」
昂った感情が少し落ち着いた頃、ベッドに二人腰掛けながらお祖母様が言った。
「さっき……気づいていたんですか?」
「? いいえ。ヴュート殿ならきっと貴方をここから連れ出すだろうと思っただけよ。貴方達がここを出る前にと思って急いで来たんだけど、……実は一足遅かったみたいね」
クスリと笑う祖母に目を見開く。
「来ると思ったんですか?」
「当然よ。貴方が彼にどれほど想われているかなんて、一目瞭然だもの。貴方に向ける視線も、声も、表情も、全てが優しいわ」
その言葉に、嬉しく思うも、祖母には本当のことを言わなくては……と思う。
「神殿は、私一人で出ます」
「え?」
「ヴュートは、……きっと、私の為に全てを捨ててくれると分かってます。私がここにいる限り、必ず外の世界に連れて行こうとしてくれる。でも、私だって彼の為に何かしたい。彼の全てを奪うだけの存在にはなりたくない」
彼の夢は「英雄」という騎士の最高峰。
本来なら二年先、聖剣を手にしていたはずだけれど、私と結婚したら、私が神殿に残ったなら、その夢は二度と掴めない。
ここを二人で出ても、常に追われる身なのだ。
本来手に入れるべきだった『聖剣』も、公爵として約束された未来もある。
ここにいても、いなくても、彼の足を引っ張るだけだ。
私のために、彼だけそんな犠牲を強いることなんて出来ない。
彼がそれでいいと言ってくれても……。
「貴方の思うようにすればいいわ」
そう言って祖母はもう一度、先程の赤い革張りの本を膝に乗せた。
「……徹底的に教え込んだのよ。貴方が一人でも生きていけるように。人前で紋様を使う時は必ずこれで確認して。暁の魔女と知られることのないように気をつけなさい。それから……お転婆も、ほどほどにしないと……ね」
涙で濡れた頬に優しく触れた祖母は、あの頃と同じ優しい瞳だった。
「今まで……ありがとうございました……」
そうして、私は紋様を駆使して、夜の闇に紛れて神殿を出ていった。
――そんなことを思い出しながら指輪を見ていると、お腹が鳴った。
「感傷に浸っていても、お腹は空くものなのね」
ため息と共にそう愚痴をこぼしながらカバンの中に入れておいたグリルチキンのサンドウィッチを取り出す。
一口齧るも、思わず顎が上下運動を止めた。
「ヤダ。砂糖と塩間違えちゃってる」
とても食べられたものではないなと思いながら、カバンの中に仕舞う。
「せっかく作ったけど、宿に戻っておかみさんに何か作ってもらおうかな」
そう言って、ここ数日滞在している宿に足を向けた。
✳︎✳︎✳︎
「あら、おかえり。ジアちゃん、見たいものは見られたかい?」
宿の玄関を開けると、一階の食堂はまだ朝早すぎて、誰もいなかったが、奥にある厨房から恰幅のいい赤茶色の髪のおかみさんに、笑顔で声をかけられる。
年は四十代ぐらいだろうか。
「はい、空気も美味しかったし、とてもいいお散歩になりました」
「あはは。朝早くから、今はもう使い物にならない『浄化の紋』を見に行こうだなんて、変わってるね。まぁ、こんな辺境の地に来ようなんて人はみんな変わり者か」
そう自己完結をしながら、人好きのする笑顔を向けられた。
「ですね」
ここは、父の言っていた辺境の地だ。
ケテラと言う小さな国の端にある村で、噂では魔物や瘴気が蔓延していると聞いていたのだが……。
確かに浄化の紋は壊れ、使い物にならないが、予想外にも魔物に出くわすことも、瘴気の溜まり場もほとんど見受けられなかった。
「魔物がいなくてつまんなかったかい?」
「え?」
イタズラっぽく言った女将さんのその言葉に思わず固まってしまう。
「ほら、ここはさ、見捨てられた土地だろう? 紋は壊れ、資金のないこの国に暁の魔女が来たのはもう五百年も昔だと聞いている。おかげで自分たちで何とかするしかなかったからね」
そう言って、女将さんがは厨房と食堂のカウンターに頬杖をついた。
「確かに、昨日街の薬師様のところに行ったら、見たこともない薬がたくさんありました。話を聞いたら、私の国ではまだ見つかっていない治療薬なんかがいくつもありましたね」
「へぇ〜。どの薬か分からないけど、それは売り出したらお金になりそうだね。是非とも薬師の婆さんに進言しといておくれよ。あの婆さん、うちのツケがたまってんだよ」
ケラケラと笑いながら言う女将さんは冗談半分が本気かわからないが、薬師のお婆さんの事は嫌いではないのは良くわかる。
ここは女将さんの言う通り辺境の地で、旅人もほとんどいない。
だからこそここの宿の一階は、住民向けの食堂で生計が成り立っていると言っていた。
名乗るつもりはなかったけれど、何かできることがあればと思い、ここに足を向けたのだ。
けれど予想に反して魔物に遭遇することがなかった。
ここには、街をぐるりと取り囲むように乳白色の石が等間隔で置かれていた。
その石はまさに浄化の効果のある石で、魔物が近づけないものになっていた。
話を聞いたところ、たまたま滝の奥底にあった石を拾って遊んでいた子どもたちが遊びで磨いたところ、僅かに浄化の効果があることに気づいたそうだ。
それを研究し、砕いて粉末状にしてみたり、燃やして、溶かして……と、色々な実験をした結果、あのようなものが出来上がったと話していた。
その石も、作るのが難しく、成功する確率は低いと聞いたが、ここまで成果を出した彼らの努力と年月はどれほどのものだったのだろうか。
烏滸がましくも、私が手を出す必要はなさそうだ。
そんな話を思い出していると、また小さくお腹が鳴った。
「あはは、ジアちゃん、朝早くから散歩に行ってもうお腹がぺこぺこだろう? 軽く何か作って部屋に持って行こうか?」
「そんな、仕込みでお忙しい時間なのに……」
「いいんだよ。私たち従業員の賄い作るついでだからさ」
「じゃぁ、お言葉に甘えさせていただきます。ありがとうございます」
そう言って、二階の自分の部屋に戻って行った。
部屋の窓を開けると、少しずつ空が白み始めていて、先ほどまで見ていた滝も宿を出る前よりも少し姿を現しているが、もやがかかり、その姿は変わらず神秘的だ。
少しその光景を堪能した後、部屋の奥の続き部屋に置いてある鏡に近づき、ポケットから出した金の『紋様』に魔力を通した。
ふわりと鏡が光を放ったところで、コンコンコンとノックの音と女将さんの声がした。
「ジアちゃーん。持ってきたよ」
軽食を持って来てくれたのだろう。
恐らくドアからこちらの鏡が見えることはないが、念のため鏡に布をかけて返事をした。
「はーい。すぐ行きます」
そう言ってドアを開けると、女将さんの後ろに、……ヴュートが立っていた。
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