回帰する 3
「入りますよ。フリージア」
ボロボロの本を眺めていると、ノックの音がして祖母が入ってきた。
慌てて『ガイゼル旅行記』を閉じて、机の上に積み重ねていた本の間に挟むが、ボロボロの本はそれだけで目立つ。
祖母がチラリとその本に視線をやったようにも見えたが、いつもと同じ冷たい顔で、「カルミアの課題はどれ?」と聞かれた。
「これです」
妹にと出された課題のプリントとノートを祖母に渡すと、祖母はそれを隅から隅まで確認し、「良いでしょう」と、机に置いた。
そう言って私の部屋に来た祖母は「今日はこれをやりますよ」と言って古代文字で書かれた魔法書を出した。
祖母は私如きに家庭教師はいらないと言って、彼女自身が私に勉強を教えている。
よく体力が続くなと思うほど、朝からぎっしりカリキュラムが組まれていて、教え方もスパルタだ。
その時間のなんと苦痛なことか……。
「お祖母様……私もアカデミーに通いたいと思うのですが……」
唐突に言った私の言葉にぴたりと手を止めた祖母は顔色を無くした。
「あなたがそんなところに行く必要なんてありません! お金も無駄だし、貴方は聖女の姉としてすることがたくさんあるでしょう?」
聖女の姉として?
聖女本人であるカルミアはアカデミーに通っていると言うのに私だけが通えないなんて……入試すら受けられないなんて道理が通る訳が無い。
「アレは、私の仕事では無く、本来ならカルミア自身が行うことのはずです」
「いいえ。貴方が彼女の手伝いをしないと誰があの子を支えてやるの?」
では、誰がわたしを支えてくれるの⁉︎
思わず口から出そうになった言葉を呑み込む。
ここで喧嘩をしても意味がないのだ。
「私は……!」
「お祖母様、お姉様。何をそんなに大きな声を出してらっしゃるの? 終わった課題を取りに来たんだけど?」
その時、カルミアが可愛らしい顔に眉根を寄せ、何事かと私の部屋に入ってきた。
「あぁ、カルミア。何でもないのよ。はい、これ。きちんと明日持って行けるようにしておくのよ。週明けにはまた慰問に行くんでしょう?」
「ありがとう。お祖母様。十四歳になった途端これだもの。魔物討伐に行っている騎士の慰問だなんて、めんどくさいけどしょうがないものね。その間アカデミーに行けない分課題も出されたけど、終わってて良かったわ」
チラリとこちらを見たカルミアは笑顔を向ける。
「ヴュート様の様子も見てきますね」
表面だけの笑顔を貼り付けたカルミアは瞳に意地悪な光を宿して言い、クスクスと笑いながら課題を持って出ていった。
聖女認定をされると、十四歳までは神殿祭事を行い、その後、孤児院や戦地、病院などを聖女として慰問することがある。
浄化魔法が使えるからこそ聖女が聖女と呼ばれる所以だが、それでも国民の寄付も神殿の運営に大きく関わっている。
『聖女』は、弱きを助ける『聖女』でなければならない。広告塔だ。
きっと、この『聖女』の慰問がヴュートとカルミアの距離を縮め、心を通わせたきっかけになったことは間違いない。
「フリージア、貴方はこの家ですることが沢山あるのだからアカデミーに通う必要なんて無いわ。この話は終わりよ。気分が悪いから今日の授業はしないから復習でもしておきなさい」
そう言って祖母がドアに向かって歩いて行く姿にもう落胆などしない。
反対されるのは分かっていたけれど、諦めない。アカデミーは奨学金制度もあるし、寮もある。
何より、アカデミーは国も身分も問わない独立した施設として確立している。
黙って入学して、家を追い出されても構わない。
公爵家の娘が奨学金なんてと笑われてもいい。むしろ嗤われてしまえばいい。
ずっとこの家で息を潜めて暮らし、いつか殺されることと比べたらそんなこと何でもない。
新しい世界で自分らしく生きていたい。
「……あぁ、それからもすぐヴュート殿の誕生日でしょう? 婚約者として彼にふさわしいプレゼントをきちんと用意して、贈りなさいね」
祖母はドアの前にぴたりと止まり、そう言ってこちらを振り向くことなく出ていった。
その言葉に体が固まっていたが、乾いた笑いがこぼれた。
「はっ。……彼にプレゼント?」
もうそんなもの贈ったりはしない。
十歳の時に婚約して六年。
ソルト家とシルフェン家は経済上の大きな繋がりがある。
シルフェン家は大きなダイアモンド鉱山を所有し、ソルト家は優れた宝石の加工技術を持つ技術者を沢山保有しており、アクセサリーの販売を国内外に幅広く手を広げている。お互いの商売の為にもこの縁談が纏められたと聞いている。
政略結婚と分かっていても、今まで彼に贈ったプレゼントは全て心を込めて贈っていた。
私だけが彼に心を寄せていたと分かっていても、愛とは関係ないと分かっていても。それでも……彼だけが私の生きる理由だった。
そしてこの世界に回帰して数時間。
彼と、妹に裏切られた現実はまだ生々しく体が覚えている。
贈る価値も、手間も彼らに割く時間などどこにも無い。
彼からは何も届かないのだから。
「家を出るまでは、今まで通りおとなしくしておこうかしら……」
プレゼントは贈らないにしても、家族……ソルト公爵家の前では従順なふりをしておくのがいいだろう。
アカデミーの編入試験は年に二度あり、あと一ヶ月ほどで、今年最初の試験がある。
それまで邪魔をされてはたまらない。
黙って願書を出しておこう。
祖母が出て行った後、引き出しから亡くなった母の残した小さなアクセサリーを一つ取り出した。
金でできたそれは、小さな丸いエメラルドが嵌め込まれている。
机の上を片付けて、アクセサリーを小さな銀製の皿の上に載せた。
魔力で浮き上げたそれは小さな頃、まだ優しかった祖母に教わった魔法。
小さな金のアクセサリーを空中に浮かべ、魔法で石と金を分離する。
金だけを熱で溶かし、指をくるくると舞うように動かしながら細い細い金糸を作り、編んでいく。
編み始めも、編み終わりも間違ってはいけない、編み違いも、編む順番も違えてはならない。
それは古より伝わる魔法。
今ある魔力と、……思いを込めて。
カチャンと小さな音を立てて落ちたそれは雪の結晶のように真ん中を中心に対照的な紋様を描いている。
かつて、一千年前、この国を救った『暁の魔女』が神から授かり、世界に広めたと言われる魔法だ。今ではその効果も薄くなっていると言われているけれど。
そして小さなエメラルドにルーン文字で『彼女』の名前を刻み、紋様の中心に嵌め込む。
「できた……。大事なお母様の形見だけど……あの子の為に使うなら許してくれるよわよね……」
そうして、引き出しから真っさらな便箋とペンを取り出した。




