広げられない距離
「どう? 進んでる?」
太陽が真上に届く頃、図書室の風通しの良い席で試験勉強をしていた私の前にヴュートがひょっこり現れた。
「ヴュー……ト。訓練はもう終わられたのですか?」
「うん、もうすぐお昼だから、君を誘おうと思って」
敬称無しの呼び方に慣れない私とは異なり、彼はいつもの通りふわりと優しく微笑みながらバスケットを軽く持ち上げた。
そう、『いつもの通り』……。
「今は、庭の藤棚が綺麗に咲いていたからそこでどうかな」
「ええ、お任せいたします」
距離を取ろうと決めたはずなのに、いつもランチタイムを見計らって彼はバスケット片手に誘ってくる。
最初こそ、「もう少し勉強を進めておきたい」とやんわり断ったはずが、「じゃあ、君の休憩時間まで僕も本を読んでいようかな」と、少し離れた先で読書をしていた。
三時間。
三時間もあれば諦めて行くだろうと思ったのに四時間経っても彼はそこで読書をしていた。
離れて座っているとはいえ、『待つ』と言われたら勉強になど集中出来ない。
「お待たせして申し訳ありません」
彼が座っていた席に近づくと、待ちくたびれたという様子もなく笑顔で「気分転換に外の空気を吸いに行こう」とエスコートしてくれた。
案内された木陰で出された食事はヴュートが作ったというものだった。
「冷めても美味しいはずだから、食べてみて。記憶力が良くなるらしくて魚をメインに作ったんだ、こっちの野菜は疲労回復に良くて」
そう言って笑顔で説明してくれながら、ヴュートがバスケットの蓋を開けた瞬間言葉に出来ない感情が渦巻いた。
「これも、ヴュート……が?」
思わず言葉に詰まってしまったのは呼び慣れないからではない。
ソルト家では勉強が終わるまで食事を摂るなと言われ、大きなテーブルで冷えた食事を何度一人で食べたか分からない。
使用人ですら私をぞんざいに扱う屋敷では、お昼に出された食事をそのまま夕食まで食堂に置きっぱなしは当たり前の状況だった。
冷えた食事には慣れている。
一人ぽつんと食べる食事にも慣れている。
でもこれは、「私の為」に作られたものだ。
他のみんなのためではなく。
彼との距離を置こうと彼を避けたけれど、私のしたことはあの日のカルミアと同じことだ。
踏みつけられたプレゼントと同じ。
彼の気持ちを踏みつけるのと同じだ。
「美味しい……」
冷めているけれど、さっくりとしたフライを挟んだ柔らかなパンを口にした瞬間、鼻の奥がつんとして、声が少し震えた。
「え⁉︎ ジア⁉︎ どうしたの⁉︎」
目に滲む涙を見たヴュートが狼狽しているのが分かる。
「僕、パンにマスタード入れすぎたかな、ごめんね」
「いえ、とっても美味しいです。……お待たせしてごめんなさい」
そう言うと彼はキョトンとした。
「君が謝ることなんてないよ。君の勉強の邪魔をしているのは僕だから。……でも、食事と休憩はきちんと取ってくれると嬉しい」
その言葉にハッとする。
前日に、昼食を摂らずに図書館に籠りきりだったのを誰かから聞いたのだろうか。
「時間がないと言う気持ちも、もちろん分かるけれど、根を詰めすぎて倒れたら何にもならない。……まぁ、僕につきっきりで看病して欲しいならそれでもいんだけど」
ニッと笑って大袈裟に言う彼の言葉に目を見開く。
すると彼は、こちらに少し身を乗り出しながら食事の時間帯に相応しくない雰囲気を醸し出し始める。
「うーん。もしそうなったら、ジアの部屋のソファに僕の枕を置いて、いつでも対応できるように仮眠スペースを作ろう。それから、滋養強壮のある胃に優しい食事を僕が手ずから食べさ……」
「食事します! 休みます!」
そんなの無理!
「そっか。何だか残念だなぁ」
楽しそうに言う彼に、さっきの私の暗澹とした感情は消え去り、「私、食べてます」をアピールする為、最後のデザートまでしっかりと頂いた。
という訳で、本日も地面に柔らかな敷物を広げ、高さのほとんどないサイドテーブルの上に、冷えたフルーツウォーター。バスケットの中は豪華なランチ、そして締めのデザートが鎮座している。
このまま毎日食事をしていては、広げたい距離も一向に広がらない。
っていうか暇なのかな。
「あの、ヴュート。毎日こうしてお昼に誘って頂かなくても、きちんと食事は摂りますよ?」
王国騎士団は辞めたというが、シルフェン公爵家の騎士団で毎日訓練に参加していると聞いた。
彼の『最強の騎士』という目標は……諦めていないはずだ。
「うん、僕の休憩だから気にしないで。あ、それからこれを」
そう言って大きな封筒を渡される。
「これは?」
「アカデミーの入試の過去問題」
「え⁉︎」
そんなものがあるなんて想像もしていなかった。
「これは最近公爵家の騎士団に入ってきた新人の弟妹が受験した時のものなんだけれど、とりあえず去年と一昨年のものを」
「ありがとうございます……」
「闇雲に勉強するよりは、問題傾向とか分かればいいかなと思って。でも全く違う問題が出たらごめん。参考程度にでもしてもらえれば……」
今、自宅から持ってきた魔法についての基礎的な教科書から始めているが、正直ゴールが見えなかった。
魔法も幅広く、基本的な紋様から高度な紋様まで五万とも言われている。
効果が同じ様な物もあったりするのだが、一つ一つに意味がある。
「入試は実技もあるから、以前どのような問題が出たのかオリヴィアに聞くといいんじゃないかな?」
確かに彼女は魔法学部だった。
というか、ヴュートは私がオリヴィアと親しいのを知っていたのだろうか?
「彼女にお願いしたいところですが、でも試験まであと三日しかありませんし、王女であるオリヴィア様にそんな簡単にお会いできるとも思いませんので、そちらは何とか自力で頑張りたいと思います」
その時、執事のアンリさんが、木陰からすっと現れた。
「ヴュート様、フリージア様、お食事中失礼致します。今ヴュート様宛に急ぎのお手紙が届きましたので、お持ちいたしました」
「ありがとう」と受け取ったヴュートはその手紙を開封して一読すると、ひらりと手紙をこちらに見せた。
「来るってさ。オリヴィア」
「え⁉︎」
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