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フォンノイマンのレクイエム  作者: 加茂晶
第4章 帰還した現実世界で
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4.7. 眠り姫

 クルマの中で、美しい和音と旋律が聞こえてきた。これは確かバッハの「G線上のアリア」だろう。前に豊島から教わった。2人とも無口で何の説明も無い。音楽に聞き入っているのだろうか?

 流れて行く街並みを眺めながら、オレは2人に尋ねた。

「どこへ行くんですか?」

すると、八神圭伍が答えた。

「多分、君が行きたいところさ。」

 オレが行きたいところ? どうも、この黒いワンボックス車には良い思い出が無い。八神圭伍がムーコのストーカーかもしれないという疑いも、オレたちを襲撃した高坂和巳の仲間かも知れないと言う疑いも、どちらの疑いもまだ消えていない。

 もしかすると、まだ逮捕されたとは聞こえて来ない高坂のところへ連れて行かれるのか?このクルマに乗り込んだことを少し後悔した。だが、あの事件の時にAM世界でドローンから見たように、八神圭伍はムーコの姉である平山現咲と一緒に居た。…ということは、彼はオレとムーコの敵では無いのかも知れない。

 そんなことを考えているうちに、クルマは立体駐車場に吸い込まれて行った。

「ここは?」

「さあ降りて、桜井君。あなたが会いたいと思っている人に会わせてあげるから。圭伍君と一緒に、後から黙ってついて来て。」

オレの問いに平山現咲が応えたが、答えになっていない。

 それでもオレが2人について行くと、立体駐車場を出て大きな建物の前に出た。その建物に書かれていた文字を読むと「片岡病院」とあった。

 片岡病院って…AM世界のオレからのメールによると、ムーコの記憶を読み取ったところではないか? すると、このオレが「会いたい人」だというのは…。


 病院の中に入ると平山現咲が先行して、少し遅れて八神圭伍がオレを先導する形で進んだ。平山現咲は受付で何かを告げると、エレベーターの前で手招きした。そして、3人一緒に5階まで上がった。エレベータを降りると、また平山現咲が先導し、やがてある部屋の前で立ち止まった。

 オレたちと彼女の距離が少し離れたので、走って彼女に追いつこうとしたのだが、八神圭伍に肩を掴まれて立ち止まった。彼は首を振って、無言でオレを制止した。

 その間に、彼女は携帯端末をドアにかざすと、部屋の中へ入っていった。が、すぐに出てきて小声で言った。

「オッケー。中に入って良いわよ。」

その声で、オレと八神圭伍はその部屋の前まで進んだ。そこには、番号も名前も書かれてなく、病室らしくない。

 中に入ると、個室の病室としては少し広めの部屋に、ベッドは1つだけ。そこに、誰かが点滴を打たれて眠っている。女性だろうか…もちろん、そうに決まっている。ドキドキしながらベッドに近づく。


 眠り姫の顔が見えた。ムーコだ…。

 

 ずっと会いたかった。だけど、現実世界でムーコに会えた時、彼女が眠り続けたまま…残念だが予想通りだった。彼女の頬に触れると温かい。思わずそのまま頬に口付けた。もちろん、彼女の身体は生きている。だけど、彼女の心が彼女の身体に戻って来る可能性は、天文学的に低いだろう…。

 それでも、もっと早く会いたかった。だから、意識が戻って間も無く、ムーコの父でレゾナンス社長の平山龍生にムーコに会わせてもらえるように頼んだのだが…拒絶されてしまった。2人は、そんなオレを、ムーコのいるここに連れてきてくれたのだ。


 ムーコはヘッドセットをつけていた。いや、それはAM世界のムーコ。現実世界のムーコがつけていたのは、見た目はよく似ていても、微弱な脳波を捉える精密な脳波計のセンサなのだろう。

 AM世界の悪夢は予知夢だった…正夢となったのだ。あのフォンノイマンに、ヒトと量子コンピュータは予知夢を見る可能性があると指摘された。だから、あの悪夢が実現してしまう可能性があるとわかっていたのに、それを避けることができなかった。


 少し気落ちした気分を仮面の内側に隠して、平山現咲に礼を言った。

「お父様にムーコ、いや美夢さんに会わせてもらえるように頼んでいたのですが、断られてしまって…。」

「桜井君ならムーコで良いわ。それに、私のことはリア子と呼んでちょうだい。」

「それじゃあ改めて、リア子さん、今日はありがとうございました。」

そう言って、頭を下げた。

 するとリア子が言った。

「いいえ、おかしいのは父です。桜井君が来てくれれば、ムーコも嬉しいはずなのに。きっと、自分の判断が誤っていたせいでムーコの意識が戻らないことを、まだ受け止められないのでしょう。」

 そこで、リア子にAM世界でのムーコの記憶について話した。

「ムーコの『意識』はともかく、この病院で読み取られたらしいムーコの『記憶』なら、『睡眠学習装置(仮)』に読み込まれてますよ。」

「そうなんですか?」

リア子は目を丸くした。

 そこで、オレは話を続けた。

「オレのAMによると、ムーコは『睡眠学習装置(仮)』の2人目の被験者になるように、時宮准教授から頼まれたらしいですね。」

「そう…。それを断って、この病院でムーコの『意識』を読み取ると決めたのは父なんです。だから、『睡眠学習装置(仮)』のデータで意識を取り戻した桜井君には、ムーコと会わせたくなかったのでしょう。…まるで子供だわ。」

そう言うと、リア子はため息をついた。

 その時、それまで黙っていた八神圭伍が告げた。

「リア子、そろそろ時間だよ。」

すると、リア子が病室の時計を見ながら応える。

「そうね。もう少しすると、父がここに来てしまうかも知れない。でも、桜井君にはまだ話しておきたいことがあるわ。」

「それは僕もだよ。」

と八神圭伍。

「では、とりあえずここを出ましょう。」

 八神圭伍が頷くのを見ながら、オレも頷いた。すると、リア子がインターホンでナースコールに連絡して何やら話をすると、礼を言って会話を切った。


 病室に入った時と同じように、リア子が先に病室を出た。オレは再びムーコに触れると、額に口付けた。すると、リア子が手招きした。早く病室から出ろと、言うことだろう。

 どうもおかしい。オレたちは何かから隠れてムーコの病室に来たのか?そこで、病室の前に出ると、八神圭伍に尋ねた。

「八神さん、ひょっとするとオレたちは誰かにバレないように、内緒でムーコの病室に来たんでしょうか?」

 すると、八神圭伍は笑って応えた。

「そうか、言って無かったね。君がお見舞いに来たことは、リア子たちのお父さんには内緒だ。さっきリア子も言ってたじゃないか?平山龍生氏は、()()()、君にここに来て欲しく無いらしい。」


 エレベータの前まで先行したリア子が、また手招きしている。


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