4.6. なりすまし
彼女の自己紹介が終わり皆が解散した後も、吉川さんとオレは残った。そして、チーフは吉川さんに、
「後はよろしくね。」
と言って立ち去った。
すると、彼女は周りから人が消えたのを確認すると、帽子を外した。すると、帽子に隠れていた顔が見えると、どことなく里奈に似た…でもメガネっ娘だった。里奈はメガネっ娘ではないが…。
今度は吉川さんとオレが、彼女に自己紹介した。
でも、オレたちの自己紹介が終わると、彼女は少し困ったような表情を浮かべて小声で言った。
「実は…私がここへ来るのは、これで最後かもしれません。」
「えっ、どういうこと?」
オレは思わず尋ねた。
しかし、彼女はそれには応えずに、携帯端末からどこかへ電話をかけると、
「替わってもらえますか?」
とオレに預けた。
思わずそれを受け取ると、電話口から聞き覚えのある声が聞こえてきた。
「お兄ちゃん?由宇ちゃんって、私に似ているでしょう?」
「里奈か?」
電話の向こうには里奈がいた。そして、言われるまでもなく、目の前の玉置由宇は里奈に似ている。
混乱するオレに構わず、里奈は勝手に話を続けた。
「明日からよろしくね。」
「どういうことだ?」
「私が由宇ちゃんとして頭脳工房創界で働くってこと。そういうことだから、私の上司になる方にもよろしく伝えてね。」
里奈が何を考えているのか、さっぱりわからない。だけど、どう聞いて良いのか、混乱して思い付かない。それでも、やっと声が出た。
「里奈?」
しかし、里奈は人の言葉を聞く気が無いらしい。
「お兄ちゃんがうまく言ってくれれば、何とかなるよね?」
「何とかって、お前なあ…。オレはただのバイトだぞ。」
「大丈夫だって。それじゃ、よろしく。」
その後、電話は切れた。
あっけに取られたオレに、玉置由宇は笑って言った。
「里奈ちゃんに、バイト先を交換してって頼まれたんです。びっくりしたけど、事情があるみたいだから乗ってあげたんですよ、お兄ちゃん?」
笑顔満面の玉置由宇にも、すっかりからかわれている。
仕方がないので、吉川さんに頼み込んだ。
「どうやら、明日から彼女の代わりに『玉置由宇』として、オレの妹が来るそうです。申し訳ないけど、よろしくお願いします。」
と言って、頭を下げた。
吉川さんもしばらく固まっていたが、やがて復活して言った。
「どんな事情なんだか。まあ、桜井君の頼みなら仕方ないか。貸しよ?貸し。」
オレは吉川さんに頭を下げながら思った。里奈め、これは貸しだぞ、と。
でも次の瞬間に、今、現実世界でオレが「生きている」のは里奈のお陰であることを思い出した。里奈に対しては、利子も返せないほどのたくさんの借りがある。今回、そのほんの一部だって返せた…と言えるかどうか?
その後、吉川さんと玉置由宇、それにオレとで、ほとんど雑談して過ごした。
玉置由宇の話によれば、彼女は大学から近いレゾナンスでアルバイトをしようと思っていたそうだ。ところが、大学の同じクラスで仲良くなった里奈から、相談されたらしい。
「私、兄のいる頭脳工房創界でバイトしたいんだけど、母に反対されて困っているんだ。」
と。
それを聞いた玉置由宇は、母と兄が仲違いして、兄に会えなくなった里奈が気の毒だと思ったらしい。よく聞いてみれば、里奈が彼女にそう話したわけではない…勝手に勘違いしたようだが…。
ただし、叔母が里奈を頭脳工房創界で働かせたくなかったのは間違い無さそうだ。大方、叔母たちの家から遠いとか、そんな理由なんだろうけど。レゾナンスの方が、彼女たちの家からはよほど近いところにある。
そこで、里奈がレゾナンス、玉置が頭脳工房創界のバイトに応募したそうだ。そうしておいて、実際には入れ替わって働くことにしたとか。何やらやばそうな話だが…。
すると、今頃、里奈はレゾナンスへ行っているのだろうか?頭脳工房創界の方はオレと吉川さんで何とか他の人を言いくるめるとしても、レゾナンスはそうはいかないのでは?
そう思って玉置由宇に尋ねると、
「里奈ちゃんは、レゾナンスの社長令嬢とお知り合いだとか。その方に何とかしてもらえるように、頼んだそうですよ。」
レゾナンスの社長令嬢…って、今は実質的にリア子こと平山現咲しかいない。里奈はいつの間に、ムーコの姉のリア子と知り合ったのだろう?
玉置はそのまま話を続けた。
「でも、里奈ちゃんは、多分レゾナンスには一度も行かないだろうって言ってました。本当は、私も頭脳工房創界に来なくても、誤魔化せそうだったんですが、里奈ちゃんの『お兄さん』にちょっと興味があったので来てみたんですよ。」
すると、吉川さんが玉置由宇の話に興味を持ったようだ。
「実物の桜井君を見て、どう思った?」
「ぱっと見ですが、優しくて頼り甲斐がありそうな人ですね。」
「そうでしょ?私も5歳若ければ放って置かないんだけどね。でも今、彼は傷心中だから。」
「あっ、里奈ちゃんから少し聞きました…事件のこと。」
って、2人とも本人の前ですよ。それに、本当に頼り甲斐があれば、あんなことにはならなかったのだ。少しはトレーニングでもしようかな?と、この時思った。現実世界のオレは、AMのオレのように強くは無いのだ。
その後、玉置に連絡先の交換をねだられたり、名前で呼ぶように強制されたり…。この日は全く仕事にならなかった。仕事が終わる時間が来ると、
「それじゃあお兄ちゃん、またね。」
と言って帰った。
そう言えば、彼女の名前「由宇」って何となくムーコの名前「美夢」と語感が似ている。明日にでも里奈が頭脳工房創界に来たら、「玉置」か「由宇」って呼んで仕事をするのか…。混乱してしまいそうだ。
そんな1日を過ごしたからだろう、夜、あの日の夢を見た。
現実世界に戻ってから、初めて頭脳工房創界に出勤したあの日、エントランスに社員ではない人物がなぜか2人いた。それは、ムーコの姉の平山現咲とレゾナンスの八神圭伍だ。
仕事が終わった後、やはり2人はエントランスにいた。そして、平山現咲に声をかけられた。
「桜井君に少し話があるんだけど、ちょっと付き合ってもらえるかな?」
頷いてついていくと、地下の駐車場に見覚えのある黒いワンボックス車が停まっていた。3人でそれに乗り込むと、八神圭吾の運転で走り出した。




