4.4. 里奈の大学生活
電車を乗り継いで駅から出ると、潮の香りがした。駅の周りには光あふれる街が広がっているのに、目の前は一面真っ暗。海だ。その暗黒の海を、やや大きい光の塊がゆっくり移動していくのが見える。きっと遊覧船だろう。
それを見た里奈が言った。
「お兄ちゃん、そのうち一緒にあれに乗りたいね。」
「そうだね。船からこちら側を見たら、なかなか素敵な夜景だろうなあ。」
「今日は無理だけど、いつかきっとだよ。」
「ああ。でも、今日はこっちだ。赤煉瓦亭、ガッツリ楽しむぞ。」
オレと里奈は、オレが指差した二階建ての建物に入って行った。
入り口で「倉橋香」の名前で予約していると告げると、奥の個室に案内された。個室のドアを開けると、叔母が待っていた。
いつも忙しい叔母のことだ、待っている時間も惜しいのだろう。タブレットで何やら作業していたが、オレたちの姿を見ると慌てて片付け始めた。
「ごめんなさいね、さっきの打ち合わせの結論がまだ出てないから、色々とね。」
そう言われると、忙しい叔母の時間を奪ってしまって、申し訳ないような気がしてきた。
「こちらこそ、遅くなってしまったみたいで…。」
「遅刻はしてないと思うわよ。私は早めに来て、仕事してただけだから。」
そこに、里奈が話に割って入った。
「お母さん、お腹すいたわ。」
「そうね。早速注文しましょう。」
オレと叔母は食前酒としてミモザを、里奈はその代わりにオレンジジュースを頼み、早速乾杯した。その後で、叔母がリナに尋ねた。
「ところで里奈ちゃん、大学生活はどう?」
あれっ、おかしい。もう、里奈が大学生になって1ヶ月以上過ぎたのにその質問ですか、叔母様?
「オレも聞きたいな。けど、叔母さんと里奈は一緒に住んでいるのに、その質問?」
「それがねえ…、お母さんときたら最近忙しくて、なかなか帰ってこないのよ。」
と言ったのは里奈。
そこに、店員がワゴンを押してやってきた。
「オードブルをお持ちしました。」
と言いながら、スープもパンも一緒だ。コース料理でもカジュアル。でも、美味しい。それが赤煉瓦亭だ。
そういえば、叔母さんって何の仕事をしているんだろう?今まで気にならなかったから、尋ねたことも無かった。なので、この際に聞いてみたい。スープをすくいながら思った。
でも叔母に尋ねようとしたら、先に里奈が叔母の方を振り返って話し始めたので、耳を傾けた。
「そうねぇ、大学は高校とは勝手が違って、最初は少し苦戦したわ。大学じゃあ同じクラスでも、一緒に授業を受けるのは必修だけだから、授業が終わるとみんな帰る時間はバラバラだし…。」
すると、叔母が笑って尋ねた。
「それで、友達できた?」
「一応ね。今のところ26人…50人いるクラスの半分くらいは、連絡先を交換したわ。それに、選択の実習で一緒になった人たちとは一緒にカラオケ行ったし。」
凄い。コミュ障…かなり克服して来たつもりだが…のオレときたら、AM世界で顔が見えるクラスメートは、木田、川辺、豊島、新庄、それに小鳥遊の5人だけだった。つまりは、3年と少し大学にいて、友人と呼べるかもしれないのはそれだけ。大学全体でも良く話すのは、せいぜい他に時宮研究室の修士2年の高木さんと、それに最近は修士1年の三木さんが加わるくらいなのに…。
そんなことを考えながら聞いていると、今度は先ほどの店員がメインディッシュを運んできた。正式なコースだと魚料理と肉料理は順番があるらしいが、ここは同時に持ってくる。若いオレや里奈はガッツリ食べれて良いのだが、叔母には少し量が多いらしい。いつも片方のみを選んで注文する。今日は肉料理、ラム肉のステーキを選んだようだ。
叔母がラム肉を頬張りながら、里奈に別な質問を投げかけた。
「サークルは決めたの?」
「悩んではいるけど、まだ決めてないわ。」
「どんなところを考えているの?」
「もし入るなら、ゆるいところが良いかな?でも、今は決められないよ。」
そう言えば、里奈は高校生の時には美術部に入っていた。でも、今は西玉美術大学の芸術学部、デザイン学科。高校の美術部では、水彩画や油絵も描いていたが、お付き合いでやってたそうだ。
彼女の興味は、むしろアニメーションやコンピュータを使ったデザイン。念願かなって今はそれを学べる大学にいるのだから、サークルと言われても、やりたいことが思いつかないのかもしれない。
里奈の考えが定まらないようなので、そこで叔母は質問を変えた。
「アルバイトは何かするの?」
「う〜ん。」
里奈は何故かオレをチラッと見ると、
「まだ分からない。」
と言って笑った。
オレはどうにもその笑みが気になった。そこで、笑った理由を聞こうと思った。
だが、そのタイミングでまた店員が来た。今度はソムリエだ。色々と説明されたが、結局、ソムリエお勧めのチリ産の赤ワインを頂いた。辛口でややスパイシーなのに、口に含んでいる間にほんのり甘みも感じる。ラム肉と良くあう。もう、ラム肉を食べてワインを飲むことしか考えられなくなった。
全部食べ終えてから、里奈の視線が赤い液体に注がれていることに気づいた。
「私もワイン飲みたかったよう。」
「お酒は20歳から、ね。」
と叔母。言ってることとキャラが違うとは思ったが、オレにもきっちり20歳の誕生日が来るまで酒を飲ませなかった叔母だ。里奈にねだられたくらいで、信念が変わることは無いだろう。
気付くと、デザートとコーヒーがテーブルの上にあった。今日の夕食会もこれで終わりだと思うと少し寂しい気がした。だけど、最後のメニュー「ピーチのソルべ」も絶品だった。ほのかに残ったコーヒーの香りを惜しみつつ、赤煉瓦亭を後にした。
オレは1人、叔母と里奈とは反対方向へ歩き出した。




